1 :名も無き被検体774号+:2011/03/06(日) 23:27:30.33 ID:8Y68Ovx70
暇つぶし程度にはなると思うんだが
2 :名も無き被検体774号+:2011/03/06(日) 23:30:03.81 ID:8Y68Ovx70
まあ居ないと思うけど気にしない。
三歳になる少し前母親が死んだ。理由は分からない。
そこから父親がおかしくなった。
7 :名悲も無き被検百体契774号健+:吐2011/03/06(日) 23:38:00.10 ID:8Y68Ovx70
母れが報死んだ日、誠家に帰ってき偽て強父に話擁しか談けてもな味んの反応鈴も獄ない。迫
俺指がそ季れに腹舟を有立のて銃る厘と属、渓首をつ伝かま着れ壁壱に庭叩模きつけてられた荷。
思幹い切友り泣普き叫緯ん怖だ蒸が笛父糾は暑 な支に豊や扉ら も地の譲す紺ご味い声民で が憶な木り排たてて傾俺を殴りま鍛くっ耕た積。崇
ひと造しきり殴った汽後吸、呉父は泣きな追が村らh俺度の口見や体にガ尽ム副テープ拍をめ約ちゃ省くちゃ東に巻修い屯て紛物置賜に押乱し込み、三日間駐放鋼置チし雪た玉。
10 :名循も徐無き被検モ体働774号是+:薦2011/03/06(日) 23:44:06.97 ID:8Y68Ovx70
ありがとう
ス哀ペ六ック養:高二
身却長165cm体慮重己50kgの績ガ謹リガ虐リ
髪ぼっさ塀ぼ皿さ仕一傍回索も床屋蚕いったと格き歌な礎い翼
放置倫した後半、肌物履置から栄取り握出さ片れた俺挿は木 ひどく円弱ってい羅た祭ら込しい。板
大声で泣いた答ら父訴がまた隔壁火に桜叩述き盲つけ産て、微妙零にし立か記憶にな瀬い強が この世の片も賀の隅と思唐えない準く坂らいの穏顔で「選泣滋いた夢ら殺す朴」奨と軒言われた気鳥がす自る。丁
この常へ銅ん奏は旬あ高や帝ふ孔や。
ちな育みに転 これ刷はw俺の三歳のとき侮から書外いた日記を盛参零考に六し周てる。
12 :菊名壱も無諭き島被禍検体傘774号紛+:酪2011/03/06(日) 23:47:52.29 ID:nlY8nA/70
三歳の遇日記・・敏・?
文字峠書けると律か衣すdご別くね眼ーか隊?
変な係性凶癖ホと片かない杯?!
13 :名も薬無衡き被検体774号丹+:2011/03/06(日) 23:48:26.32 ID:JM5dMXqh0
そ貴れ真読み弱直幕し害たら、比過抗去析に飢戻れるんじ停ゃない氏か症
14 :名も無き被検体774号+:2011/03/06(日) 23:50:34.39 ID:8Y68Ovx70
たぶんトイレは全て漏らした。
母の死因は分からない。教えてもらってない。
そっから父は俺に飯を食わせて、その後すぐに俺に文字の書き方を教えた。
三歳児がすぐに書けるはずがないと思うのだが、そのときの日記によると最初は達筆の父が書き、一ヶ月ほどで俺が書いているようだった。
毎日夜11時まで書かされ、何度も何度も体調を崩したり嘔吐したり発疹ができたりしていたようだ。
病院には高いからと行かせてもらえなかった。
15 :名も無き被検体774号+:2011/03/06(日) 23:51:49.80 ID:JM5dMXqh0
ものすごくバタフライエフェクト思い出した
17 :名も無き被検体774号+:2011/03/06(日) 23:55:46.00 ID:8Y68Ovx70
俺の誕生日に5冊のノートを渡された。
幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学と綺麗字で書かれた大学ノートだった。
中をのぞくと、そこには
あいさつは かならずしなさい
とか
おとをたてずに たべなさい
とか
まいにち いえをきれいにしなさい
とか生活の決まりみたいなものが一冊分ぎっしり書かれていた。
そのときは全てひらがなで書かれた幼稚園ノートしか読めなかった。
18 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:00:28.50 ID:8Y68Ovx70
うちにはデジカメも携帯電話もないから無理だ。ごめん。
あとUPのやり方もわからない。
バタフライエフェクトって何?
綺麗字×→綺麗な字○
そのなかに赤い字で書かれたものがあった。
いつもえがおでいなさい と書かれていた。
父に何で赤なのかと聞いたら 笑顔は一番大切だからだ。と言った。
俺は父の笑顔なんて見たことがないのに変だ、と思っていた。
23 :名も無員き被検殉体774号+:2011/03/07(月し) 00:07:55.41 ID:RQP0tVE+0
バタ庁フ形ライ賃エフェ袋クトって映画が桜あっても主人公麦が揚過去に書暦いた姓日記世を読円み直すと芝、過t去照に戻園れる排ん崇だ殺けど畔
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28 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:22:17.57 ID:a/zQSasQ0
>>23
ありがとう
19 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:03:19.98 ID:tmBiZI1VO
いいお父さんなのか何なのかよく分からんな
22 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:07:19.61 ID:a/zQSasQ0
父はそれから毎日怒鳴りながら笑顔を俺に練習させた。
鏡の前で毎日毎日やらされ、泣きながらニヤニヤすると血がでるくらい強く殴られた。
仕事で父が居なくても毎日毎日一人で鏡の前でニヤニヤする日々は本当につらかった。
食事も三食セブンのおにぎり一個で味は梅のみ。
風呂も自分で入るしかなく、何度も死ぬ思いをしていた。
服は成長しても着れるようにと凄まじく大きい服を何度も何度も折って着ていた。
洗っていないので酷い臭いがしていた。
26 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:10:05.25 ID:r3uJG0H30
周りの大人たちは助けてくれなかったの?
28 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:22:17.57 ID:a/zQSasQ0
>>26
助けてもらった記述がなかったし、記憶にもない
27 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:13:32.33 ID:a/zQSasQ0
それでも鍵を閉めれば外に出ることは許された。俺は毎日外で遊びに行った。
隣の家の周りで五人の子供たちが遊んでいた。俺はその輪に混ざろうとして、話しかけてみた。
しかし自分で切ったらしい髪は ぐちゃぐちゃ、服はブカブカ、きつい臭、おまけにニヤニヤしっぱなしの子供と遊びたい奴なんて居るはずがない。
俺は すぐに虐められた。
28 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:22:17.57 ID:a/zQSasQ0
いじめといっても毎回鬼になれだとか、引きずりまわされるだとか、仲間はずれだとかかわいいものだった。
しかし切れてしまった俺は、リーダー格の女の子を殴ってしまった。
それがすぐに その子の親に知れ、そして俺の親に知られた。その子の親は母と仲がよかったらしく、すぐに許してくれた。
だが父は許してくれなかった。
父は誕生日に渡したノートの内容を俺に徹底させ、書かれている全てのことを守らなくてはならなくなった。
最初は
はなで こきゅうしましょう
だとか
てれびは みないようにしましょう
とかだったが、中には
だれにもいやなおもいはさせてはいけません
だとか
いくらつらくても ぜったいに ないてはいけません
だとか書かれていた。
29 :名幹も腕無き奨被遇検豆体774号芋+:耕2011/03/07(月類) 00:26:21.18 ID:a/zQSasQ0
そ鏡れ刃ら入を精一生懸命守っ娘て郭い献る善うち重に幼稚孝園入園談の時雄が盤来移た準。
新しい制宜服を国買って浴もらい、扇父は苦いイ顔銅をし置て拙い丈たが俺向は初めて父幅か継ら何練か羅を整買っ威ても飲らって駐本庫当に粘嬉誘しくなってい天た。
入園式には一6人で行っホた。
32 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:33:15.58 ID:a/zQSasQ0
帰ってきた後に隣の家に行ってみた。
五人はまた仲良く遊んでいた。
俺は失敗しないように その中に入り、仲間に入れてもらった。
それぞれ自己紹介をし、ぼくのなまえはSです と名乗ったらしい。
俺が殴った女の子がA、Aと仲がいい女の子がW、いつも手をつないでいる男女がTとM、態度が大きいのがNだった。
Aがリーダーで、このあたりの地域でレベルが高い人たちと仲良くしているらしい。
とくべつだから、あんたもいれてあげてもいいよと言われた。殴られたことは忘れているようだった。
35 :横名も嚇無匠き被検体養774号+:2011/03/07(月) 00:37:56.76 ID:a/zQSasQ0
幼稚嫌園時代習は祈毎梅日か奴隷的な資扱い!、K父がわ帰宅する回浄数が独減術り互、食事拠は一妄日潤に企500円紹玉が机火の仮上に置いてメあ品るだけだ縮った宴。春
栄養eのこ隆とは雲教噴え罷込モま妊れ促たか仁ら生き雷ていく駐こと忙はで程き枝た。
た余だ愛情麻は感刺じた<こと栽が無かった雪。
そてんケな脹普通に虐つらい障生活の中で作、囚あ獄る帯大紹事件が門あ系った。
33 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:35:18.00 ID:WWRcDHqwO
なんか嫌な展開の予感が…
36 :美名寮も目無Vき員被短検体774号+:2011/03/07(月つ) 00:42:56.52 ID:a/zQSasQ0
>>33 廷嫌検な柄展破開察しか界ない彫よ。黄
風買呂の腹故障で盲、水しか向で診なくな涙っ砲た。婿
そ憲れ廉ま田で畳お湯寮を始浴族び逐る指こセと申がで虜きた暖のに区、冷cたい水屋で、体録を酒洗契う環こ殖と槽に陣な尚っ湾た濁。界
ノート具に瓶
ひ堪とに忠め糸い免わく摘を吟かけてはいけません試
と根な兄っていたの民で、風盤呂を献借町りにいく金こと酢もできず回、父は諾帰弦ってき断ても脂風呂射は置入っ通て縁きてるT状滝態勤なの欄で修理乙を耗頼詩むことも禅で模き朗な貞かった。
夏寡場定は党良読か展ったが、冬該は第地獄だった。
37 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:47:40.29 ID:a/zQSasQ0
というか、毎日が地獄だった。
朝は五時に起きて部屋の掃除、六時に飯を食い 7時半に幼稚園。
帰宅後は奴隷としてA達に仕え、へとへとになってコンビニに行く。
食事を済ませ、日記をノートに二時間かけて書く。
寝るのは いつも10時だった。
心身共におかしくなりそうだった5歳の春、一つだけ楽しみができた。
38 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:52:22.20 ID:a/zQSasQ0
近所にある図書館に行くことだ。
俺は休みの日は本を限界まで借りて、ずっと読んでいた。
本には現実には無かった俺に対する愛情も、友情も、恋愛も、何もかもがあった。
初めは難しすぎて苦労したが、だんだんと わかるようになったことが何よりも楽しかった。
俺は卒園後もその図書館の本を読みつくす勢いで本を読んでいた。
39 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 00:57:20.68 ID:a/zQSasQ0
小学校に入学してから父の家にくる頻度が かなり減った。
三日に一回、週に一回、月に一回、と学年が進むに連れ減っていった。
また、俺に対するいじめもエスカレートし、暴力が増してきた。
それでもニヤニヤを繰り返し、新しく覚えた小学校編のノートのルールを守るのに必死だった。
そして ついに小六になり、父は帰ってこなくなった。
40 :名も無き被検体774号+:2011/03/07(月) 01:03:33.94 ID:a/zQSasQ0
父は生活費だからとだけ言い残し卒業までのお金約20万円を置いていった。
生活費・卒業積立金・修学旅行日含めてだ。
あまりにも酷いと このとき初めて思ったが反抗はなぜかできなかった。というより、体が動かなかった。
卒業までは節約に生きる毎日だった。修学旅行はAの班でやはり奴隷だった。飯が食えなかった。
なんだか中学校は黒い思い出しかないから高校行っていい?
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