今でも思い出す。
詩の中の最後のあたりの一節
「社会が無かったら、道徳が無かったら、
私を縛る太いロープが無かったら
貴方と一緒になれるのに・・・・」
俺は、それを読んで背筋が寒くなった。
この詩はクルー仲間で話題になった。
「これを書いたの、誰だ?」
ご丁寧に、筆跡鑑定を始めるやつがいる。
「Sさんじゃねーか?」
「この部分、どういう意味だ?」
正社員のMgrは、流石に大人で「人生色々あるんじゃないか?」
俺も実はこの会話に加わっていた。
冷や汗を流しながらも、できるだけ自然に振る舞い、
友の発言に相づちをうったりしていた。
俺は今まで彼女のことを聡明で、自分の安定を壊さない程度に人生を
楽しむ術を見つけた女性だと思っていた。
だから、俺にとっても都合の良い彼女だった。
しかし、そうでなくなってきている。
彼女と2人きりになった時、彼女に俺は問いかけた。
「どうしてあんな詩を書いたんだ?」
「さあ、なぜかしら」それから「ふふふ・・・」と笑った。
「皆、あれを見て、あることないこと詮索しているよ」
「やらせておけばいいんじゃない?」
話にならなかった。俺は、誰もいない時を見計らって、あのページを
びりびりと破り捨てた。
そういえば、兆しもあった。彼女は、バイト先で俺に突然怒りだす
こともあった。
他のクルーには相変わらず愛想がいいが、俺に冷たかったりする。
理由で思い当たる節はなかった。
俺のふとしたしぐさや、仕事の進め方、特に新人の教え方など、
気にかかることがあると俺に突っかかってくるらしいというのは、
後で分かったことだ。
俺は結構厳しいトレーナーだったし、仕事で甘えるのは嫌いだ。
技術というのは、厳しく教えられなければ身に付かない。
その厳しく接する姿が気にくわないと、怒りだすのだ。が、
それは彼女の職分を超えている。
事実、俺は店長にはほめられていた。
要は、彼女はバイト仲間としての一線を超え、俺に彼女が理想とす
る姿を演じて欲しくなったのだろう。
彼女は俺にひどく甘えてきたり、つっけんどんになったりと
俺は彼女に振り回されるようになってきた。
またある時は、休憩室の流しの前の鏡に、俺の名前とハート、
それを貫く矢が落書きされていた。
ご丁寧にボンドを使って描いてある。
俺の名だから、がりがりと引っかいて30分位かけて綺麗にした。
後で彼女に「こんな事があって、困ったよ」というと、
彼女はクスクス笑い始めた。
俺が目で「君か?」と問い掛けると、彼女はあかんべーをした。
そして、俺に乗りかかってきて激しいキスをして、そのまま俺を抱
きしめた。
それは、Mの休憩室の中だった。
俺は彼女を優しく離し、唇をぬぐった。
口紅が付いてしまっているはずだ。
彼女愛用の口紅の味が、俺の唇にこびりついていた。
彼女は36歳。19歳で結婚し、20歳で出産していた。
目の前にいる、未だ独身と言われてもおかしくない彼女に、
俺とそう違わない子供がいるなんて、不思議に思えた。
思わずまじまじと写真を見つめてしまった。
このように恵まれた生活の中、何が好みででMのバイトなどに入っ
ていたのか。そして、なぜ俺と不倫など始めたのか。
「寂しかったのよ」とぽつりと彼女は漏らした。
自分を無くして、子供達のためだけに生きてきた。子供達は健やか
に育ち、一応育て上げへの準備が整ってきたとき、
彼女は失われた20代を思い起こしたのだろう。