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変身
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「なぜだ? 2人とも愛し合っているんじゃないのか」
「愛し合っていません」
「なんだと?」


「愛し合っているのか」と聞いてあっさり「はい」と答えられるのも腹が立ちますが、
「愛し合っていません」と即答されて私は一層怒りが増しました。


「どういうことだ? 愛し合っていないとは何だ? お前たちは遊びで一つの家庭を壊したのか」
「ですから……壊してほしくないんです。慰謝料はお支払いします。よければ奥さんに請求する分も私が払います」
「さすがに銀行の次長ともなれば金持ちだな。離婚するのだから妻とお前にそれぞれ500万円ずつ請求するつもりだが、払えるのか」
「それは……2人で100万円くらいなら」
「話にならん。払えないのなら偉そうなことを言うな」
「いえ……離婚されないのならそのあたりが相場かと……わかりました。2人で200万円でどうでしょう?」
「バナナのたたき売りじゃないんだ」


私は怒鳴り声を上げました。


「それと、離婚するかしないかは俺達夫婦の問題だ。お前が口出しをするな」
「ごもっともです」
「それからさっきからのお前の関西弁も気に入らない。ふざけているのか」
「ふざけていません。私はもともと関西出身で、これが普通です。銀行でも関西弁で通しています」
「ビデオの中ではそうじゃなかったぞ」
「あれは……奥さんが標準語で話してくれと……」


妻が、どうしてそんな希望を出すのでしょう。
私は首をひねりましたが、今はそれどころではありません。


「とにかくお前は、どうして責任を取らない。俺が妻と別れたら妻と一緒になるのが責任だろう」


私は、本当は妻と離婚してからも、妻が春日と一緒にはなって欲しくないのですが、自虐的になってわざとそういう聞き方をします。


「私は誰とも結婚しません。奥さんでなくても同じです。結婚したら必ず相手を不幸にします」
「何?」


私は春日の奇妙な言葉に混乱します。


「どういうことだ」
「私も結婚の経験はあるのですが、職場の女性に何度も手を出したことで、愛想を尽かした妻に出て行かれました。
融資業務部というのは、問題融資の期日管理や利払いの処理をしている部署で、
銀行の中では裏方、日のあたる場所ではありません。
私がこの年でそんな部署の次長に留まっているのは女で何度も失敗したのが原因です」


「……」


「やめよう、やめようと思うのですが、女ぐせの悪さは生まれつきのようで、やめられないのです。
もう、病気のようなものです。だから結婚は諦めてますし、一人の女性を好きにならないようにしています」


「お前の身の上話を聞きたいんじゃない。とにかくこれから妻をどうする積もりだ」


「どうすることもありません。
してしまったことを否定はしませんし、出来る限りの償いはします。
それと、ご夫婦の問題であることは重々分かっていますが、奥さんとよく話をしてください。お願いします」


確かに春日は、すべて非を認めているため、夫婦の問題を片付けないままこれ以上彼と話をしても仕様がありません。
仕事を途中で抜けてきたこともあって、春日にはいったん帰ってもらうことにしました。


一人になった私は、何か当てが外れたような気持ちになっていました。
妻と男に手酷く復讐してやると思っていたのが、春日の態度を見ているとまるで私が独り相撲を取っているような気がしてきたのです。


私は、応接間のソファに深々と腰を下ろし、ぼんやりとしていました。
このマンションにも暮らし始めて10年以上になります。
購入した当時の、まだ幼い子供を抱いて真新しい部屋を順に巡った時の妻のうれしそうな顔を思い出します。


子供たちの入学式、入園式、お宮参り、始めてわが子を抱いた時のうれしさ。
お産を終えた妻の安堵した表情。
家族の歴史が時間を逆流するように私の脳裏に浮かんできました。


うっかり私はソファで寝込んでいたようです。
外は、もう夕方で薄暗くなっています。
完全に目が醒め切れない私は珈琲をいれることにしました。


珈琲がポットの中に溜っていくのをぼんやり見ていたら、
玄関のチャイムが鳴りました。
子供達が学校から帰ってくるには随分早いなと思いながら玄関に向かうと、
そこに荷物を持った妻が立っていました。
例のお気に入りのグリーンのコートを着ています。


「明日まで帰らないのじゃなかったのか」
「両親に断って、あれからすぐに家を出ました。早くあなたにお話ししたくて。上がっても良いですか?」


私がうなずくと妻はブーツを脱いで上がって来ました。
キッチンに入った妻は、珈琲が出来上がっているのに気づきました。


「珈琲、私もいただいても良いですか?」


またうっかり2人分つくってしまったようです。
こんなところで意地悪をするのも大人気ないと思った私は「ああ」と返事をします。
ソーサーとカップを出して、2人分の珈琲を用意した妻はいきなりキッチンの床に土下座します。


「あなた、ごめんなさい。許してください」


私はいきなりの妻の振る舞いに驚きましたが、気を取り直して意地悪く聞きます。


「会ったらすぐに土下座をしろと男から教えてもらったのか」
「違います。本当にごめんなさい」
「そんなことはやめろ。ポーズだけの詫びは見たくない」


私は冷たく言い放ちます。


「お前はもう身も心も春日に捧げているんだろう。
奴も独身だから、ちょうど良い。
別れてやるから一緒になれ。一生変態プレイで楽しませてくれるぞ」


「春日さんと一緒にはなりません」


「なぜだ? 旅行では春日の妻として振る舞ったんだろう。
春日紀美子と宿帳にもサインしたんだよな。
ごていねいに記念写真まで撮りやがって」


私は、自分が放つ言葉にどんどん激高していきます。
妻は土下座したまま私の罵声にじっと耐えています。


「お前みたいな淫乱な女を妻にしたのが間違いだった。
すぐにこの家から出て行け。子供にもこのまま会わさん」
「あなた……」


じっと黙っていた妻が顔を上げ、口を開きました。


「あなたに一つだけ質問させてください」
「なんだ?」


妻の思い詰めたような表情に、私は思わず気圧されます。


「あなたは、結婚してから、私以外の女を抱いたことはありませんか?」
「えっ?」


私は予想もしていなかった質問に意表をつかれました。


「答えてください。私一人だけを守ってくれましたか?」
「それは……」


確かに一時、風俗にのめり込んで月に2度も3度も通ったことがあります。
私は、返事に詰まりました。


「風俗だから良いという考えですか? 春日さんは私にとっては風俗のようなものです」
「それとこれとは全然違う」


「どこが違うのです? 男の方はお金を払えば欲望を処理出来る場所があります。女にはそんな場所はありません」
「紀美子の場合は一人の相手、それも会社の上司だろう」


「あなたにも馴染みの女の人はいたでしょう」
「……」


私はぐっと押し黙ります。


「春日を愛しているんじゃないのか」
「愛していません。愛しているのはあなただけです」


「それじゃあどうして春日に抱かれた? 俺が風俗に通ったから、その仕返しだとでも言うのか」
「そうではありません」


妻はうつむいて涙を流し始めました。


「私は……寂しかった」


妻の涙がポタポタとテーブルの上に落ちます。
私は、何を言ったら良いか、言葉を失いました。


「寂しかったから春日に抱かれたのか」
「違います……あなたに、抱かれたかった」


風俗にのめり込んでいる間、それまでも疎遠気味だった妻とのセックスはますます少なくなりました。
セックスレスといっても良い状態です。


しかし、私はずっと妻はセックスに対して淡泊であり、それでも不満はないのだと思っていました。


「あなたが私の醜い姿を見たから、もう私とは一緒にはいられないという気持ちも分かります。今日はこのまま実家に戻ります」
妻は顔を上げると少し冷めた珈琲をすすりました。


「珈琲、ご馳走様でした。もう、この珈琲も最後になるのですね」


妻はそう言うと立ち上がり、玄関に向かうとそこにおいてあった荷物を持ち、深々とお辞儀をしました。


「長い間お世話になりました」


そのまま妻は家を出て、私一人が残されました。
私は、妻に何も声をかけることができませんでした。





しばらく私は放心状態のようになっていましたが、突然携帯電話がなりました。
発信者は春日です。
別れ際に今後の連絡のために番号を教え合ったのを思い出しました。


「春日です。奥さんと話は出来ましたか」
「あんたに心配してもらうことじゃない」


「すみません。ついさっき、泣きながら電話をかけて来はったので、気になって……」
「いまだに連絡を取り合っているのか、やはりあんたと妻は深くつながっているようだな」


春日は私の皮肉にもめげず、話し続けます。


「ご主人、ビデオと写真をご覧になったとおっしゃってましたが、メールも見られたんですか?」
「いや……」


メールはパスワードが解除出来なかったので見ていません。


「この際メールも見てください」
「お前たちの不倫のやりとりなんか見たくない」
「そうじゃないんです。いや、全然そうじゃない訳じゃなくて、いつ会うかの約束なんかも当然ありますが、ほとんどそうじゃないんです」


どういうことでしょう。
春日が何を言いたいのかさっぱり分かりませんでした。


「いいですか、パスワードを言います。『xxxxlove』です。
わかりましたか? 『xxxxlove』です」


春日はそう言うと電話を切りました。





***



xxxxというのは私の名前です。
どうしてそんな言葉をパスワードにしているのでしょう。
私は自分の部屋に向かい、PCの前に座るとバックアップしたメールソフトを起動させました。


パスワードを要求されたため、春日に言われた通りxxxxloveと入力しました。
ロックは解除され、メーラーが立ち上がりました。


私は送信フォルダを開きました。
最初の妻から春日へあてたメールは去年の2月のものです。
メールの内容は私にとって驚くべきものでした。



妻は、春日に対して、私が風俗にのめり込むようになったのが、
自分が私の欲求に応えることが出来ない、
性的に魅力のない女であることが原因であることを嘆いていました。
特に処女喪失時の痛みが精神的外傷となって、
どうしてもいわゆるオルガスムスを感じることが出来ないことが、
妻としてはともかく、女として面白みがない存在になっていると訴えていました。


春日は、妻のメールに対して、確かにそうかもしれないがそれは十分治療することが出来る。
自分は実際に不感症に悩む人妻の治療をしたこともある。
今は、その人妻は旦那と幸せな性生活を送っているなどと返信していました。


このように書くといかにも妻の悩みに付け込んで、
春日がたらし込もうとしているようで、
実際それに続くメールを読んでいても、そう言ったところはあるのですが、
妻からのメールは私との夫婦生活の悩みで満たされており、
このままセックスがなくなって行くと、
私の妻に対する愛も消えて行くのではないかという不安で一杯のようでした。



>>次のページへ続く




 

 

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