神様の仮宿になっていた話をしたい
イブなのに暇してるから話してく
私は首都圏で生まれ育った。
別段都会でもなく、田舎でもない。至って普通の住宅地のど真ん中。
小学校まで徒歩2分という素晴らしい立地に生まれ、順調に進学した。
進学した小学校の真裏には、神社があった。便宜上、神田神社とする。
幼稚園の頃から毎日前を通っていたけれど、初詣や縁日、お祭りなんかでしか立ち寄ったことはなかった。
理由は一つ、怖かった。
神社の入り口にある大鳥居も、その側にあった樹齢百何年の御神木も、それらを守るように覆い茂った何十年もかけて育ち上げた木々たちも、全てが子供心に怖かった。
神主も宮司もいない鬱蒼とした神社だけど、本殿が古臭いくせにいつも整って綺麗で、そのアンバランスさも少し不気味に感じてたのかもしれない。
なのでその神社が何を奉っているのか、どういう由来があったのかなんて勿論知らない。
周りの大人もあまり知らないみたいで、神田様や神田さんなんてざっくりと呼んでいるだけだった。
なので私自身も、その神社に興味を向けたことはなかった。
小学校二年生の時だった。
何の授業かは覚えていない。生活か道徳だったように思う。
何故だか急に小学校の屋上から富士山を見てみようという話になった。
普段は施錠されて立ち入ることも出来ない屋上という非現実に小二は沸いた。私も沸いた。
わくわくしながら取り敢えず自分の家を探した。
なんせ徒歩2分、自宅はすぐに見えた。ウォーリーを探せより簡単だった。
今度はピアノの先生の家を見つけてみようと思った。
ピアノの先生の家はうちとは反対側の、学校の裏にある。
なのでみんなから離れて、反対側の下を覗き込んでみた。
神社があった。
聞いてます
聞いてる人いてくれてよかった
リアルも一人2ちゃんも一人じゃ立ち直れないところだった
陰鬱としてただ怖いだけの神社が、真上から見るとだいぶ違う。
祭事でも公開されない本殿の奥が、上からだとよく見えた。
塀に囲まれた四角い何もない空間一面に、真っ白な砂利が敷き詰められていて、そのど真ん中にこれもまた真っ白な狐の石像があった。
私はこの時生まれて初めて何かを見て、綺麗だと思った。
薄暗い神社の一番奥、そこだけが本当に一面真っ白。
綺麗で、ちょっと寂しかった。
結局富士山は見えなかった。
富士山の方角に、少し大きめのマンションが建っていてちょうど視界を遮る形になっていたせいで。
去年は屋上から見えたのに、と零した先生の言葉はよく覚えている。
屋上にいた時間は短かった。
なので私が神社を眺めていた時間も短かったはずなのに、どうしてもあの光景を忘れられなかった。
また見たいと、何度も思った。
校舎は4階建てだったけど、4階のどの窓から覗き込んでも神社の全貌しか見ることは叶わなかった。
どうしても本殿を囲む高い外壁が、あの白さを覆い隠してしまう。
親や先生に聞いてみたところで、分かったことはずっと昔からある稲荷神社だということだけだった。
稲荷神社の意味は図書室の本で調べた。
狐を奉っているのが稲荷神社。ならばあの白い狐は神様だ。
余計見たくなった。
そこで私に救いの手を差し伸べたのは同じクラスの とくちゃん だった。
私が図書室で神社仏閣の本ばかり読み漁っている姿を見て、声をかけてくれた。
とくちゃん のお祖父さんは別の地方で神社を管理しているらしく、そういうことなら少し分かるよと話を聞いてくれた。
神田神社の由来を、少しなら知っていると とくちゃん は言った。