他の歴史世界から来たと自称する男に会いました
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46 :オーバーテクナナシー:2008/08/05(火) 08:32:46 ID:h/0Hgig6
日露戦争で どんな負け方をしたんだろう
203高地を取れなかったかバルチック艦隊を倒せなかったか
そもそも日本国民が暴れて戦争できなかったか
とすると三国干渉(臥薪嘗胆)がなかったのかな
69 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 17:41:51 ID:GmaPgA55
1です。
すいません、盆休みで実家に帰ってたり、その後急に仕事が忙しくなったりしたので・・・
とにかく、話を聞いた後にちょっと質問をしていましたので、少し編集して載せようと思います。
Q「あちらではどんな仕事をしていたのですか?」
A「中等学校を卒業して、兵役までは岩石採掘の助手をしていた。
除隊してからは花巻にある集団農場で働いていたが、ドイツ軍爆撃機によって岩手山から駒ヶ岳にかけての要塞が爆撃されて以来、宮城の集団農場に合流して作業していた。」
Q「科学技術は どの程度発達していたのですか?」
A「各家庭に一台は電話器やラジオを設置する義務があって、そのラジオは辞書と同じ位の大きさだった。電話は手回し式だったな。
TVはある程度 義務奉仕をすれば供給されるが、白黒で画面も小さかった。
宮城第4区集団農場の管理舎では電算機が置いてあったが、この世界の電卓程度の性能で大きさはこちらのパソコン位だった。
兵役では、結構複雑な通信装置を扱わせてもらえたよ。
農場用肥料の改良は農場の裁可でしょっちゅうしていたが、中央から送られてくる作物の種や苗は、中央で遺伝子改良されたものだと教えられた。
あと、中等学校の映像講習で、月を探検するソ連宇宙飛行士の映像を見た。
詳しくは教えてくれなかったがドイツでも月宇宙船を開発していたらしい。
宇宙開発競争の結果、ソ連が1968年10月14日に人類初の月面着陸を成し遂げたとあるが地下組織内の噂では、独ソとも月面着陸を成し遂げてないそうだ。
だからこの世界でも米国が月面着陸を成し遂げたそうだが、実はウソかも知れないよ。」
70 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 17:48:18 ID:GmaPgA55
Q「娯楽はどうしていたのですか?」
A「普段は、家族でラジオや、農場で働き始めて5年目に勤労褒賞として供給されたTVを見て過ごしている。
TV番組は集団劇とか、労働歌謡とか、紀行番組とかをやっていた。
中でも一番は、偉大なる革命家篠原一族の喧伝番組だよ。
この世界ではTV局が幾つもあるし、コメディ番組を初めて見た時はビックリしたよ。子供に見せてやりたかった。
時々、農場組合の誘いで集団運動会をやる事もあった。いずれも単調な運動で、サッカーとか野球なんかは試合をするのに人民局の許可が必要だったな。
あと一年に一回、篠原知治(シノハラ・トモハル)国家主席の誕生日に人民最大の祝賀を行わなければならず
農場の管理長が、これは娯楽だから楽しんで祝えと言ってくれたよ。
何で主席の来ない仙台の大通りで行進する事が娯楽なんだ?って思ったね。」
Q「兵役はどんな感じでしたか?」
A「私は人民陸軍第四方面軍団に配属されて、1年の基礎訓練をしてから第三機械科部隊で装甲車の操縦士になった。といっても操縦助手みたいなもんだが
兵役が終わる頃にはT72戦車に乗せてもらった事もある。
基礎練の時は かなりきつかった。中等学校の頃に軍事教練の時間があって模擬戦なんかもやったけど、それとは比べようもなかった。
少し遅れたりすると教官が平棒で思い切り腹や背中を叩くんだ。
上官に口答えなどしようものなら平棒の面でない方で頭や顔を叩くんだ、とすると顔中から血を吹き出して殆ど死んだようになって動かなくなる。
基礎練中に部隊から失踪した奴は数知れんよ。
演習中に逃げ出した兵士を捜索して射殺する山狩りに参加した事もある。
しかし、「グスコーブドリ」のシンパと初めて接触したのも会津の基礎訓練所だった。
部隊の士官は結構多くが、諏訪少尉も含めて実はこういった組織の細胞だったらしいんだ。
最初に配備されたのは八郷の駐屯地だった。
何度か筑波山要塞から前線中立地帯へ偵察に行って、ドイツ軍の特殊工作部隊と何度か交戦した事もある。
いやドイツ軍といっても実際は薬で洗脳されたみたいに濁った目をした東洋人兵士ばかりだったが。
頭にプラグみたいなものを付けた捕虜を見た事もある。どっちの軍がやったかは分からんが。」
日露戦争で どんな負け方をしたんだろう
203高地を取れなかったかバルチック艦隊を倒せなかったか
そもそも日本国民が暴れて戦争できなかったか
とすると三国干渉(臥薪嘗胆)がなかったのかな
69 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 17:41:51 ID:GmaPgA55
1です。
すいません、盆休みで実家に帰ってたり、その後急に仕事が忙しくなったりしたので・・・
とにかく、話を聞いた後にちょっと質問をしていましたので、少し編集して載せようと思います。
Q「あちらではどんな仕事をしていたのですか?」
A「中等学校を卒業して、兵役までは岩石採掘の助手をしていた。
除隊してからは花巻にある集団農場で働いていたが、ドイツ軍爆撃機によって岩手山から駒ヶ岳にかけての要塞が爆撃されて以来、宮城の集団農場に合流して作業していた。」
Q「科学技術は どの程度発達していたのですか?」
A「各家庭に一台は電話器やラジオを設置する義務があって、そのラジオは辞書と同じ位の大きさだった。電話は手回し式だったな。
TVはある程度 義務奉仕をすれば供給されるが、白黒で画面も小さかった。
宮城第4区集団農場の管理舎では電算機が置いてあったが、この世界の電卓程度の性能で大きさはこちらのパソコン位だった。
兵役では、結構複雑な通信装置を扱わせてもらえたよ。
農場用肥料の改良は農場の裁可でしょっちゅうしていたが、中央から送られてくる作物の種や苗は、中央で遺伝子改良されたものだと教えられた。
あと、中等学校の映像講習で、月を探検するソ連宇宙飛行士の映像を見た。
詳しくは教えてくれなかったがドイツでも月宇宙船を開発していたらしい。
宇宙開発競争の結果、ソ連が1968年10月14日に人類初の月面着陸を成し遂げたとあるが地下組織内の噂では、独ソとも月面着陸を成し遂げてないそうだ。
だからこの世界でも米国が月面着陸を成し遂げたそうだが、実はウソかも知れないよ。」
70 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 17:48:18 ID:GmaPgA55
Q「娯楽はどうしていたのですか?」
A「普段は、家族でラジオや、農場で働き始めて5年目に勤労褒賞として供給されたTVを見て過ごしている。
TV番組は集団劇とか、労働歌謡とか、紀行番組とかをやっていた。
中でも一番は、偉大なる革命家篠原一族の喧伝番組だよ。
この世界ではTV局が幾つもあるし、コメディ番組を初めて見た時はビックリしたよ。子供に見せてやりたかった。
時々、農場組合の誘いで集団運動会をやる事もあった。いずれも単調な運動で、サッカーとか野球なんかは試合をするのに人民局の許可が必要だったな。
あと一年に一回、篠原知治(シノハラ・トモハル)国家主席の誕生日に人民最大の祝賀を行わなければならず
農場の管理長が、これは娯楽だから楽しんで祝えと言ってくれたよ。
何で主席の来ない仙台の大通りで行進する事が娯楽なんだ?って思ったね。」
Q「兵役はどんな感じでしたか?」
A「私は人民陸軍第四方面軍団に配属されて、1年の基礎訓練をしてから第三機械科部隊で装甲車の操縦士になった。といっても操縦助手みたいなもんだが
兵役が終わる頃にはT72戦車に乗せてもらった事もある。
基礎練の時は かなりきつかった。中等学校の頃に軍事教練の時間があって模擬戦なんかもやったけど、それとは比べようもなかった。
少し遅れたりすると教官が平棒で思い切り腹や背中を叩くんだ。
上官に口答えなどしようものなら平棒の面でない方で頭や顔を叩くんだ、とすると顔中から血を吹き出して殆ど死んだようになって動かなくなる。
基礎練中に部隊から失踪した奴は数知れんよ。
演習中に逃げ出した兵士を捜索して射殺する山狩りに参加した事もある。
しかし、「グスコーブドリ」のシンパと初めて接触したのも会津の基礎訓練所だった。
部隊の士官は結構多くが、諏訪少尉も含めて実はこういった組織の細胞だったらしいんだ。
最初に配備されたのは八郷の駐屯地だった。
何度か筑波山要塞から前線中立地帯へ偵察に行って、ドイツ軍の特殊工作部隊と何度か交戦した事もある。
いやドイツ軍といっても実際は薬で洗脳されたみたいに濁った目をした東洋人兵士ばかりだったが。
頭にプラグみたいなものを付けた捕虜を見た事もある。どっちの軍がやったかは分からんが。」
71 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 18:00:10 ID:CMlS5WHH
1です。
そういえば、彼と話していた時に
彼の乗った船が潜水艦で攻撃された時に受けたという左腕の傷と上椀部の、兵役時に敵の銃で撃たれたという傷跡を見せてもらいました。
首筋にも白兵戦時にナイフで切られた(と称する)傷もありました。
また右腕にはキリル文字と数字が彫り込まれた奇妙な入れ墨もありました。
確かцяеа-12448066-1988とありました。
彼によると、これは北日本政府がその国民全員に付ける社会登録番号だそうで、цяеа(ツェー・ヤー・イェー・アー)は彼が生まれた地域記号、12448066は彼の地域内登録番号、最後の1988は彼が兵役に入った時にその初年(1988年)が刻まれるそうです。
これが南日本になると、腕にこちらのバーコードにあたる同心円の入れ墨が入るそうで、あちらの全世界全ての政府は このような非支配階級の管理方法を取っているそうです。
最も、彼はただのヤクザ上がりの男であり、彼がでっち上げたこれらの話に真実味を持たせる為に自ら入れ墨を入れたのかも知れませんが・・・
結局、彼とは、例のバーで3回位会ったきり、会っていません。
最後に会った時に彼は、ロシアに長期出張に行くと言っていた気がします。
あの後で、色々調べてみようとも思ったのですが自分が急に忙しくなってしまったので、結局何もしませんでした。
ひょっとしたら、彼が八戸で助けられたと言う頃の、該当する地方の新聞に何かその事に付いて記事が載っているのかも知れませんが調べてはいません。
しかし、彼の話す内容は何故か説得力に満ち、真実味がありました。
そして彼の話が万一、真実だったら、と思うと戦慄を禁じ得ず、同時に私達がいる社会が非常にあやふやな、不安定な土台の元に立っているように感じられてなりません。
73 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 23:50:31 ID:7V8qB3qE
>>1おかえりー
いや面白いな、実に面白い。
その「彼」や1の単なる創作だったとしても、なかなか上等じゃないの。
実際、二次大戦末期にソ連は北海道から一気に日本を占領する手はずだったようだし、アメリカ・ソビエトの微妙なバランスの崩れだけで大変なことになっていたかもねえ。
今も南北朝鮮が壁になってるからこそ、日露の直接対峙を回避できているわけで。
74 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 23:58:50 ID:4Cgr0CcL
大友克洋の「大砲の街」を思い出すな
75 :オーバーテクナナシー:2008/08/26(火) 23:23:22 ID:NQy2D5Mu
もし北海道に彼が戻ってきたら教えて欲しい。俺もそこのバーに行って話を聞きたい。
88 :オーバーテクナナシー:2009/02/10(火) 15:08:53 ID:28HlenrL
パラレルワールドは無限にあるからね
1の様な絶望的な世界観も存在してるし、もっと素晴らしい世界観も存在してるだろ
だって無限だよ無限
101 :オーバーテクナナシー:2009/06/11(木) 10:07:38 ID:DrUTcCMK
なんともいいがたいなぁ
でも実際あったことなら面白いよね。
>>1の話はその程度
でもパラレルワールドが実在することは認める。
関係ないけど、実は世界はすでに4回は滅んでいて、今俺たちが住んでいる世界は5回目だっていうのをどっかで書いてあるのをみたんだけど誰かkwsk知らない?
117 :オーバーテクナナシー:2009/07/26(日) 20:22:57 ID:4TnsQkrc
>>1の言ってる人間と同じような男を知ってる。
まず同じ部分が
>цяеа-12448066-1988
これなんだがちょっと違うのよ。
初めの「цяеа-」とかの文字が無くて後に数ケタの数字、ハイフンを挟んで次に4ケタの数字があった。
先の数ケタは覚えてないが後の4ケタは同じ「1988」だった。
大阪に住んでるんだが、少し前まで福島の会津に住んでてね。
そこでたまたま知り合った女性に「会ってみてほしい人がいる」とかなんたら言われて会ったのがその男。
会うとその男は女性に「なんでまた連れてきた」だとか「どうせ信じない」だとか文句を言ってた。
118 :オーバーテクナナシー:2009/07/26(日) 20:24:31 ID:4TnsQkrc
んで、喫茶店でその男の話を聞いてた。
大体は>>1と同じなんだが唯一違うのが日本で試作兵器(男もよく知らないらしい。爆発する物と言ってた)の実験中にこっちに飛ばされたらしい。
男の話を記憶を頼りに書くが
"案内されると目の前に丸く黒い球体があった。その物体が試作兵器、と上官から聞いた。
自分の他にも数人の人間が実験に立ち会っていた。その兵器を作動させると球体が回り始め(その男が言うにおそらく自転していた)しばらくするとまた止まった。
どうやら異常が発生したらしく周囲がざわついた。すると再び回り始め「シュシュシュ」と音が鳴りだし、フッと眼の前が真っ白になった(ここも表現が曖昧で白い空間で寝ていて目覚めるような感じらしい)。
そして見知らぬ場所に飛ばされそれが今の世界"だと言ってた。
実際はもっと詳しく話してくれた。周囲の状況とかその日の天候とか。でも覚えてない。
そしたら彼は"左腕"を見せてきて、その数字が書いてあった。
>>次のページへ続く
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