親のしつけ
476 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/10(土) 21:27:31 ID:4SP3nq4P
先日ファミレスにて、子供が食べこぼししたか何かでひどく叱り付けている女がいた。
父親らしき男も一緒だったが、新聞読んでて妻子のことは無視。
そのうち子供が泣き出すと、父親も一緒になって子供を罵りはじめた。
(外見は別にDQN風味ではなく、普通のリーマン一家という感じだったが)
2007-09-02 16:58:41
先日ファミレスにて、子供が食べこぼししたか何かでひどく叱り付けている女がいた。
父親らしき男も一緒だったが、新聞読んでて妻子のことは無視。
そのうち子供が泣き出すと、父親も一緒になって子供を罵りはじめた。
(外見は別にDQN風味ではなく、普通のリーマン一家という感じだったが)
妻の過去
2006/12/19 01:46┃登録者:バタフライ┃作者:名無しの作者
夏すぎたぐらいに、妻がパソコンで旅行の写真の整理とかネット証券でオンライントレードとかやってみたいたいっていうので、仕事でも使う俺のとは別に通販でノートパソコン1台買ったのよ。
そんで、俺の使っていない外付けハードディスクもくれてやってさ。
まぁ俺29で、妻27、付き合って5年、結婚して3年半。
そんで子供もまだいないし、俺の仕事(某省のノンキャリ、ドサ回りばっか)の都合で、東京育ち(青梅だけどね)の彼女の友達もいない、人口10万ぽっちの地方都市暮らしに付き合わせているわけなんで、このぐらいの暇潰し的なことはいいかなと。
2007-09-02 15:54:26
夏すぎたぐらいに、妻がパソコンで旅行の写真の整理とかネット証券でオンライントレードとかやってみたいたいっていうので、仕事でも使う俺のとは別に通販でノートパソコン1台買ったのよ。
そんで、俺の使っていない外付けハードディスクもくれてやってさ。
まぁ俺29で、妻27、付き合って5年、結婚して3年半。
そんで子供もまだいないし、俺の仕事(某省のノンキャリ、ドサ回りばっか)の都合で、東京育ち(青梅だけどね)の彼女の友達もいない、人口10万ぽっちの地方都市暮らしに付き合わせているわけなんで、このぐらいの暇潰し的なことはいいかなと。
ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人
もう二十年位前の話です
私は小さい頃 親に離婚されて、どっちの親も私を引き取ろうとせず施設に預けられ、育てられました
そして三歳くらいの時に今の親に もらわれたそうです
当時の私は その自覚などしておらず、記憶は無く、その親を本当の親と思って中学二年まで過ごしてきました
そして、突然の父との別れが訪れました
脳梗塞で帰らぬ人になりました
2007-08-30 21:04:05
私は小さい頃 親に離婚されて、どっちの親も私を引き取ろうとせず施設に預けられ、育てられました
そして三歳くらいの時に今の親に もらわれたそうです
当時の私は その自覚などしておらず、記憶は無く、その親を本当の親と思って中学二年まで過ごしてきました
そして、突然の父との別れが訪れました
脳梗塞で帰らぬ人になりました
この手紙を見せてあげて
254 :素敵な旦那様 :2005/12/17(土) 21:36:37
大学時代の同級生仲間で、1年の時から付き合ってるカップルがいました。
仲良しで、でも二人だけの世界を作ってるわけじゃなく、みんなと仲良くしてました。
私は 女の方の一番の友達だったんだけど、彼氏とも仲良くしてたわけです。
大学を卒業しても交流があったし、何度か会った時も二人は一緒で、本当に仲良しだなァって思ってたわけです。
最後に3人で会った時、「結婚しないの?」って聞いたら、「うん、まあね…。」とお茶を濁す様な返事。
その後、彼女が病気だった事がわかって入院して、彼は仕事の行きと帰りに欠かさず彼女のお見舞いしてました。私も何度も行きました。
病名は水頭症(脳腫瘍の一種?)でした。
結局、治療も空しく、彼女はこの世の人ではなくなってしまったんです…。
私たちが25歳の夏でした。
2007-08-30 20:56:45
大学時代の同級生仲間で、1年の時から付き合ってるカップルがいました。
仲良しで、でも二人だけの世界を作ってるわけじゃなく、みんなと仲良くしてました。
私は 女の方の一番の友達だったんだけど、彼氏とも仲良くしてたわけです。
大学を卒業しても交流があったし、何度か会った時も二人は一緒で、本当に仲良しだなァって思ってたわけです。
最後に3人で会った時、「結婚しないの?」って聞いたら、「うん、まあね…。」とお茶を濁す様な返事。
その後、彼女が病気だった事がわかって入院して、彼は仕事の行きと帰りに欠かさず彼女のお見舞いしてました。私も何度も行きました。
病名は水頭症(脳腫瘍の一種?)でした。
結局、治療も空しく、彼女はこの世の人ではなくなってしまったんです…。
私たちが25歳の夏でした。
ばあちゃんの手紙
784名前:1/2 投稿日:04/09/27(月)05:47:29ID:mIA12xh9
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔 両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚して すぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににも そう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して 空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ 結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。
2007-08-30 20:41:52
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔 両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚して すぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににも そう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して 空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ 結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。
仕事を始めた
ヒキ歴5年。俺30.友達ナシ。
今年で親が70歳になるので2月からバイト始めた。
一人で黙々とできる単純作業なので俺には向いてるかも・・・
誰も話しかけてこないから気が楽です。
俺の事なんか誰も見てないし、外にでるのが少しだけ楽になった。
去年まで年金の中から わずかだが小遣いくれてた親に 先週初めて ほか弁の「カツ重」を二つ買って帰った。
2007-08-30 20:38:36
今年で親が70歳になるので2月からバイト始めた。
一人で黙々とできる単純作業なので俺には向いてるかも・・・
誰も話しかけてこないから気が楽です。
俺の事なんか誰も見てないし、外にでるのが少しだけ楽になった。
去年まで年金の中から わずかだが小遣いくれてた親に 先週初めて ほか弁の「カツ重」を二つ買って帰った。
最後の晩餐
ちょっと泣けた夜だったんで書いてみます。
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランは そこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
帰りの遅い親父
身内の話で悪いんだけど、親父が また夜遅くに帰ってきた。
10時には家に着けるはずなのに、あの日は12時過ぎてたかもしれない。
うちは父子家庭で家に一人でいるのつまらないから早く帰ってこないかなと思ってた。
で、嫌味みたいの言ったんだわ。
「大人は夜遊びできていいよなー」って感じで。
そしたら なんか肉体労働者?ぽいひとが酔っ払って倒れてたから介抱したらしい。
2007-08-30 20:03:53
10時には家に着けるはずなのに、あの日は12時過ぎてたかもしれない。
うちは父子家庭で家に一人でいるのつまらないから早く帰ってこないかなと思ってた。
で、嫌味みたいの言ったんだわ。
「大人は夜遊びできていいよなー」って感じで。
そしたら なんか肉体労働者?ぽいひとが酔っ払って倒れてたから介抱したらしい。
巡る厚意
234 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2007/08/29(水) 07:20:20 ID:VYXdz2Zj
学生時代、貧乏旅行をした。
帰途、寝台列車の切符を買ったら、残金が80円!
もう丸一日以上何も食べていない。
家に着くのは約36時間後…。
空腹をどうやり過ごすか考えつつ、駅のホームでしょんぼりしていた。
2007-08-30 09:26:15
学生時代、貧乏旅行をした。
帰途、寝台列車の切符を買ったら、残金が80円!
もう丸一日以上何も食べていない。
家に着くのは約36時間後…。
空腹をどうやり過ごすか考えつつ、駅のホームでしょんぼりしていた。
超お金持ちで、顔もかなりいい男
超お金持ちで、顔もかなりいい男と3年近く付き合ってた。
ある日、大切な話があるといって呼び出され、「ついにプロポーズかな?」と胸をトキメかせたものの、いつもは高級レストランなのに、その日はなぜかファミレス。
他愛もない話を少しして、彼が突然こう切り出してきた。
「実は事業が失敗して、かなりの額の借金を抱えてしまったんだ。」
幸せ一杯だった私の頭はパニックを起こし、それ以降の彼の言葉を全然覚えてないよ。
2007-08-28 21:20:13
ある日、大切な話があるといって呼び出され、「ついにプロポーズかな?」と胸をトキメかせたものの、いつもは高級レストランなのに、その日はなぜかファミレス。
他愛もない話を少しして、彼が突然こう切り出してきた。
「実は事業が失敗して、かなりの額の借金を抱えてしまったんだ。」
幸せ一杯だった私の頭はパニックを起こし、それ以降の彼の言葉を全然覚えてないよ。
ぼくが大企業のえらいおじさんたちからおしえてもらったこと。
ぼくが大企業のえらいおじさんたちからおしえてもらったこと。
えらいおじさん達が その大企業に就職した当時は まだ屈指の企業ではなかったこと。
いま稼ぎ頭になっている事業は影もかたちもなかったこと。
有名な大学にいって あたまをさげて優秀な人材をあつめたこと。
それでも門前払いをされたこと。
2007-08-28 15:51:59
えらいおじさん達が その大企業に就職した当時は まだ屈指の企業ではなかったこと。
いま稼ぎ頭になっている事業は影もかたちもなかったこと。
有名な大学にいって あたまをさげて優秀な人材をあつめたこと。
それでも門前払いをされたこと。
中二病エピソード
バケモノ退治
学校に居る時に空が暗くなり、雷鳴が聞こえてくるとおもむろに窓から顔を覗かせ、
「奴ら・・・思ったよりも早くこっちにきやがった・・・!」
と呟く。
微妙に人が近くにいるのを狙って言っていたから その内の誰かが「え、誰が?」と尋ねてくる。そこですかさず
「・・・見えないよな・・・****眼(メチャクチャな名前の眼)を持たない者には・・・」
2007-08-28 11:32:14
学校に居る時に空が暗くなり、雷鳴が聞こえてくるとおもむろに窓から顔を覗かせ、
「奴ら・・・思ったよりも早くこっちにきやがった・・・!」
と呟く。
微妙に人が近くにいるのを狙って言っていたから その内の誰かが「え、誰が?」と尋ねてくる。そこですかさず
「・・・見えないよな・・・****眼(メチャクチャな名前の眼)を持たない者には・・・」
ある大学でこんな授業があったという
ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
ダレル・ロイヤルの手紙
親愛なるロングホーン諸君
打ち負かされる事自体は、何も恥じるべき事ではない。
打ち負かされたまま、立ち上がろうとせずにいる事が恥ずぺき事なのである。
ここに、人生で数多くの敗北を経験しながらも、その敗北から、はいあがる勇気を持ち続けた、偉大な男の歴史を紹介しよう。
2007-08-27 23:19:19
打ち負かされる事自体は、何も恥じるべき事ではない。
打ち負かされたまま、立ち上がろうとせずにいる事が恥ずぺき事なのである。
ここに、人生で数多くの敗北を経験しながらも、その敗北から、はいあがる勇気を持ち続けた、偉大な男の歴史を紹介しよう。
愛美
281 えっちな21禁さん 04/07/29 02:08 ID:GfX0cHzV
もう、十数年前の話になるんだけど、4年生になるとき、俺は父親の転勤に伴って、東京から中部地方の人口10万のある町に引っ越した。
最初に住んだのは社宅で、敷地内には2階建てのユニットが二つずつ組になってくっついた建物が、数軒ほど立っていた。
どういうわけか空き家が多く、うちの隣も空いたので、物置代わりにつかわせてもらっていた。
仮住まいということもあって、荷物の多くが、ダンボール箱に入ったまま、隣のユニットに詰め込まれていた。
大きなタンスやら、家具やら、ダンボール箱やら、とりあえずいらないものが雑然と、詰め込まれたその空き家は、俺の格好の遊び場になった。
社宅には、年が同じくらいの子供が何人かいた。
俺は皆とすぐ仲良くなり、学校から帰ってくると、いつも一緒に遊んだ。
特に気があってよく遊んだのが愛美ちゃんという一つ年下の女の子で、隣の建物に住んでいた。
2007-08-27 23:17:58
もう、十数年前の話になるんだけど、4年生になるとき、俺は父親の転勤に伴って、東京から中部地方の人口10万のある町に引っ越した。
最初に住んだのは社宅で、敷地内には2階建てのユニットが二つずつ組になってくっついた建物が、数軒ほど立っていた。
どういうわけか空き家が多く、うちの隣も空いたので、物置代わりにつかわせてもらっていた。
仮住まいということもあって、荷物の多くが、ダンボール箱に入ったまま、隣のユニットに詰め込まれていた。
大きなタンスやら、家具やら、ダンボール箱やら、とりあえずいらないものが雑然と、詰め込まれたその空き家は、俺の格好の遊び場になった。
社宅には、年が同じくらいの子供が何人かいた。
俺は皆とすぐ仲良くなり、学校から帰ってくると、いつも一緒に遊んだ。
特に気があってよく遊んだのが愛美ちゃんという一つ年下の女の子で、隣の建物に住んでいた。
