1 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 00:58:45。62 ID:PbyU8Ah60
暇なので、これまでの半生を振り返る、糞スレです。よろしく。
需要があろうがなかろうが、1000まではかくお。がんばるお。
あと、思いついたことをその都度かいてくから、色々あれだ。
まずはスペックから。
>>1
女 27
フリーター
スペックって何が必要だ。よくわからん。
ま、質問があったら答えよう。
よし。スタート。
3 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:02:43。15 ID:PbyU8Ah60
【小学校編】
家族構成
父
母
1
物心付いた頃から、両親は不仲だった。
小学校低学年の頃、母親が病気になった。躁鬱病だった。
小学生からしてみたら、なんのことやらさっぱりわからんから、あんまり意識はしてなかった。
でも、今から思うと言動がおかしかった。
5 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:06:37。21 ID:PbyU8Ah60
母は、父をものすごく嫌っていた。
結婚当初、父がした仕打ちが許せないんだ、と語っていた。
そんなこんなで、いつも攻撃する母と、黙ってそれを受け入れる父の姿をみていた。
子供は小さい頃、本能的に母親に依存することが多いと思う。
小さい生命を守るのは、母親の役割だし、本能でそれをわかってるんだと思う。
だから、私も本能に従い、母に逆らえば生きていけないと思っていた。
したがって、母に倣って父を攻撃していた。
ある日、いつもと同じように父を攻撃する母。
傍にいる私に、こんな命令を下した。
6 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:10:16。83 ID:PbyU8Ah60
私にカッターを差し出して、
「これでアイツを殺して来い」
私は、いくらなんでも殺せないだろ、と思ったので、
カッターを受け取ってしばし考えた。
人の体がどのくらいの力で切れるのかなんてわからなかったし、
どのくらいで致命傷になるのかもわからなかった。
だから、致命傷にならないように、でも血が出るようにしないと母親に怒られる。
とか、わけのわかんないことを思いながら、
洗い物をさせられている父親の、右のふくらはぎを切りつけた。
ちょっと力をこめて、上からスッと刃を入れたら、意外と簡単に血が出てきた。
7 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:12:27。83 ID:PbyU8Ah60
「こらっ」
洗い物をしている父は、それだけ言って、また作業に戻った。
どうしたらいいかわかんなかった。
ごめんなさい。って思ったし、これで母親から嫌われないで済むって思った。
別に、母親から褒められた記憶も無い。
あっても怖いが。
9 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:17:24。71 ID:PbyU8Ah60
とにかくこの頃、家の中で一番怖いのは母親で、
母親から嫌われないようにすることだけを考えていた。
母親から忌み嫌われる父のようにはなりたくない、と思っていた。
そうやって一生懸命努力しても、
テストの点数が悪かったり、母親の思い通りにならないことをしてしまうと、
母親から捨てられるんじゃないか、と怖くて仕方なかった。
10 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:19:45。81 ID:PbyU8Ah60
ある日、いつものように怒られてしょんぼりしていたら、
新聞の切れ端に母親が走り書きをしているのを見つけた。
見つけたと言うか、これ見よがしに書いて見せてきたのだが。
”1は、どうして生まれてきたのだろう”
私にとっては、この言葉は、本当にショックで、いまだにあの文字が忘れられない。
私は生まれてはいけない存在だったんだ。
私が生まれなければ、お母さんはこんな苦労をしないで済んだんだ。
そう思って、苦しくて辛かった。
いなければいい子だったのか、って思った。
12 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:26:13。61 ID:PbyU8Ah60
この辺りで、母親が父親にされた、といつも話していた仕打ちを公開。
若かりし頃父親は実は別の女性を愛していた。
ところが、その女性に振られて、仕方なく母親と結婚した。
結婚前には「こいつがダメでも他にまだいるから」と話していたこともあるそうだ。
結婚後も、帰宅は殆ど午前様。
べろべろに酔っ払って帰ってきては、元カノの名前を呼んだらしい。
そんなことでは結婚生活もうまくいかず、母親自身も酒に溺れ、アル中寸前にまでなった。
母親の会社の同僚で、素敵な男性がいたらしく、その同僚に相談を聞いてもらっていたんだそうだ。
そんな中、不幸の種1が出来てしまった。
なんだかんだでやることやってんのなwww
同僚は母親を不憫に思い、子供がいてもいいから俺と再婚してくれ。とまで言ってくれたそうで。
「あの時同僚さんと再婚してれば、お母さんはこんなに不幸じゃなかった」
とよく語っていた。
と、まあ。
これは全部母親がソース。
父親からはいまだにその頃の話は聞けていないので、100%父親が悪い、とは思っていない。
14 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:33:44。92 ID:PbyU8Ah60
さて、1の話に戻す。
過去の遺恨のせいで、両親の仲は最悪。
時には母親が包丁を振り回して殺す殺さないの大騒動を繰り広げたこともあった。
まあ、一方的に母親が振り回して、父親がそれを制していただけなんだが。
当然、家族の楽しい団欒タイムなんてものはない。
夕食が終われば、父親はさっさと自室に篭って出てきやしない。
いつまでもリビングにいたら、それこそ永遠罵倒され続けて、身も心も果てることがわかってるからだ。
ただ、たまに開くクリスマスパーティーや誕生日会には、
1を思ってか、ちゃんと参加してくれたのが嬉しかった。
パーティーっつても、家族3人のパーティーだ。
パーティーに呼べる程仲のいい友達なんていなかったしな。
しかも、最後まで母親がいてくれた記憶は無い。いつも途中放棄。
とは言え、一緒に歌を歌ったり、プレゼント交換をしたり、料理を作ってくれたり、
それなりに楽しい思いでも残っている。
15 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:38:55。44 ID:PbyU8Ah60
母親の病気が悪化し始めた頃、母親は仕事をやめた。
それをきっかけに、地方都市へ引っ越すことになった。
1が、小学校中学年の頃だった。
のんびりしていて、病気を癒すには良さそうな土地だった。
土地柄のおかげか、母親の病状は徐々に回復していった。
この頃はまだ薬に頼らないと辛かったみたいだが、
それでも母親の様子は目に見えて良くなっていった。
変な言動もなくなったし、没頭できる趣味も見つけていた。
外の人たちとも接することが出来るようになっていたし、1に対してもそこまで・・いや・・・。うん。
とにかく、日に日に元気な母親に戻る姿は、1としてはとても嬉しかった。
やっと、母親が帰ってきた気分だった。
16 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:41:43。78 ID:PbyU8Ah60
今にして思うと、この頃が一番幸せだったと思う。
学校から帰ってくると、手作りのおやつを作って待っててくれた。
一緒になってよく出かけていたし、とにかく優しかった。
まあ、父親との関係は相変わらず最悪なままだったが、
この頃には私も、母親の洗脳のお陰で父親を憎むようになっていたので、
二人で父親を排除して、楽しい世界を作っていた。
17 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:46:21。90 ID:PbyU8Ah60
父親と一緒にいるときは、あからさまに嫌がる態度を取り、会話なんてしたことがなかった。
唯一嫌だったのは、夕食のとき。
母親は必ずと言っていいほど、何かしらのネタで父親を罵倒し続けた。
最初はなんでもないんだ。
仕事の話とか、単なる世間話なんだ。
ところが、全くどこにスイッチがあるのかわからないが、
とにかくあるとき突然キレる。
で、そこからはお決まりのコースで、怒りの矛先は過去のことへと向かっていく。
18 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:51:15。25 ID:PbyU8Ah60
そうなると怒りは収まることを知らない。
ちょっとしたことで、私にも飛び火した。
一番良く怒られたのは、私の食が細いことだった。
当時ガリガリのチビだったので、普通の量が食べられない。
食べられない分を残そうとすると、怒りで我を忘れている母親は烈火のごとく怒りを倍増させた。
1「もうおなかいっぱいです・・うぇ」
母「いいからくえーー!」
おなかいっぱいで気持ち悪いのに、泣きながら料理を詰め込んでいた。
いまだに父親はこのことがトラウマになっているらしく、
食事をする前には必ず「無理するなよー。」と声を掛けてくる。
あの頃の1を、かわいそうで見ていられなかった、とよく言ってる。
ちょっと助けろよww、と思うが、勿論無理だったのは明白だ。
この頃印象に残っている出来事がある。
19 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:55:05。10 ID:PbyU8Ah60
毎日毎日罵倒され続けた父親は、遂に一度だけキレたのだ。
あの瞬間、人が殺される!と本気で思った。
勿論殺されるのは父親ね。
あーだこーだ罵倒する母親に、
「うるさい!お前こそどうなんだ!!」と声を上げた。
父親、その間も洗い物中。ついでに、明日の朝ごはんも作り中。
今まで一度だってはむかわなかった犬が自分に向かって牙むいてきたら、
そりゃ飼い主もびびるわな。
母親は「なんだぁ!?なんだぁ!?その口のきき方は!!」
と言ってみたものの、結構びびったらしく、その日は何事もなかったかのごとく風呂へ消えていった。
おまえがなんだ、そのくちのききかた。
と、思ったことは、今でも秘密。
20 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:59:14。94 ID:PbyU8Ah60
相変わらず家庭崩壊な日々が続いていた小学校高学年。
母親から常々口をすっぱくして言われていた、父親の転勤が決まった。
「オマエのカオなんて見たくない。どっかに転勤でもしろ!」
「まだ転勤は決まらないの?」
なーんて言われて、いつまでも家にいたいなんて父親も思わないだろうな。
つーか、よくココまで耐えたよ父親、とすら思った。
私も口では「ほんとだよね。早くいなくならないのかな。」なんて言っていたが、
母親と二人きりになるのが怖かった。
だって、それまで父親に向かっていた母親の怒りが、全て自分に向くじゃないか・・・。
21 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 02:01:04。29 ID:PbyU8Ah60
よし、ここで一旦休憩。
序章はココで終了です。
次は【中学校編】です。
ようやく本題の入り口だ。
25 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 11:21:57。59 ID:PbyU8Ah60
今日は暇なので、いや、今日も暇なので、書き進めてみる。
なんか、本編だけだと1000まで行かない気がしてきたので、
ところどころで小ネタを入れることにした。
取りあえず。
【中学校編 〜ママンが・・・〜】
話は小学校高学年頃にさかのぼる。
この頃には、すっかり母親の病気もなりを潜め、薬がなくても生活できるようになっていた。
趣味に没頭し、1日の大半を趣味の時間に費やしていた。
趣味を通じてたくさんの友達も出来たみたいで、いつの間にか人気者にまでなっていた。
相変わらず家では鬼の形相になったりしたが、明るい母親が好きだった。
お陰で1も、勉強が良く出来る優等生みたいなポジションにいた。
この頃小学校で「尊敬する人は誰ですか」みたいな宿題が出たんだが、
「母親」とかいて提出した記憶がある。
>>次のページへ続く
暇なので、これまでの半生を振り返る、糞スレです。よろしく。
需要があろうがなかろうが、1000まではかくお。がんばるお。
あと、思いついたことをその都度かいてくから、色々あれだ。
まずはスペックから。
>>1
女 27
フリーター
スペックって何が必要だ。よくわからん。
ま、質問があったら答えよう。
よし。スタート。
3 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:02:43。15 ID:PbyU8Ah60
【小学校編】
家族構成
父
母
1
物心付いた頃から、両親は不仲だった。
小学校低学年の頃、母親が病気になった。躁鬱病だった。
小学生からしてみたら、なんのことやらさっぱりわからんから、あんまり意識はしてなかった。
でも、今から思うと言動がおかしかった。
5 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:06:37。21 ID:PbyU8Ah60
母は、父をものすごく嫌っていた。
結婚当初、父がした仕打ちが許せないんだ、と語っていた。
そんなこんなで、いつも攻撃する母と、黙ってそれを受け入れる父の姿をみていた。
子供は小さい頃、本能的に母親に依存することが多いと思う。
小さい生命を守るのは、母親の役割だし、本能でそれをわかってるんだと思う。
だから、私も本能に従い、母に逆らえば生きていけないと思っていた。
したがって、母に倣って父を攻撃していた。
ある日、いつもと同じように父を攻撃する母。
傍にいる私に、こんな命令を下した。
6 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:10:16。83 ID:PbyU8Ah60
私にカッターを差し出して、
「これでアイツを殺して来い」
私は、いくらなんでも殺せないだろ、と思ったので、
カッターを受け取ってしばし考えた。
人の体がどのくらいの力で切れるのかなんてわからなかったし、
どのくらいで致命傷になるのかもわからなかった。
だから、致命傷にならないように、でも血が出るようにしないと母親に怒られる。
とか、わけのわかんないことを思いながら、
洗い物をさせられている父親の、右のふくらはぎを切りつけた。
ちょっと力をこめて、上からスッと刃を入れたら、意外と簡単に血が出てきた。
7 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:12:27。83 ID:PbyU8Ah60
「こらっ」
洗い物をしている父は、それだけ言って、また作業に戻った。
どうしたらいいかわかんなかった。
ごめんなさい。って思ったし、これで母親から嫌われないで済むって思った。
別に、母親から褒められた記憶も無い。
あっても怖いが。
9 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:17:24。71 ID:PbyU8Ah60
とにかくこの頃、家の中で一番怖いのは母親で、
母親から嫌われないようにすることだけを考えていた。
母親から忌み嫌われる父のようにはなりたくない、と思っていた。
そうやって一生懸命努力しても、
テストの点数が悪かったり、母親の思い通りにならないことをしてしまうと、
母親から捨てられるんじゃないか、と怖くて仕方なかった。
10 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:19:45。81 ID:PbyU8Ah60
ある日、いつものように怒られてしょんぼりしていたら、
新聞の切れ端に母親が走り書きをしているのを見つけた。
見つけたと言うか、これ見よがしに書いて見せてきたのだが。
”1は、どうして生まれてきたのだろう”
私にとっては、この言葉は、本当にショックで、いまだにあの文字が忘れられない。
私は生まれてはいけない存在だったんだ。
私が生まれなければ、お母さんはこんな苦労をしないで済んだんだ。
そう思って、苦しくて辛かった。
いなければいい子だったのか、って思った。
12 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:26:13。61 ID:PbyU8Ah60
この辺りで、母親が父親にされた、といつも話していた仕打ちを公開。
若かりし頃父親は実は別の女性を愛していた。
ところが、その女性に振られて、仕方なく母親と結婚した。
結婚前には「こいつがダメでも他にまだいるから」と話していたこともあるそうだ。
結婚後も、帰宅は殆ど午前様。
べろべろに酔っ払って帰ってきては、元カノの名前を呼んだらしい。
そんなことでは結婚生活もうまくいかず、母親自身も酒に溺れ、アル中寸前にまでなった。
母親の会社の同僚で、素敵な男性がいたらしく、その同僚に相談を聞いてもらっていたんだそうだ。
そんな中、不幸の種1が出来てしまった。
なんだかんだでやることやってんのなwww
同僚は母親を不憫に思い、子供がいてもいいから俺と再婚してくれ。とまで言ってくれたそうで。
「あの時同僚さんと再婚してれば、お母さんはこんなに不幸じゃなかった」
とよく語っていた。
と、まあ。
これは全部母親がソース。
父親からはいまだにその頃の話は聞けていないので、100%父親が悪い、とは思っていない。
14 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:33:44。92 ID:PbyU8Ah60
さて、1の話に戻す。
過去の遺恨のせいで、両親の仲は最悪。
時には母親が包丁を振り回して殺す殺さないの大騒動を繰り広げたこともあった。
まあ、一方的に母親が振り回して、父親がそれを制していただけなんだが。
当然、家族の楽しい団欒タイムなんてものはない。
夕食が終われば、父親はさっさと自室に篭って出てきやしない。
いつまでもリビングにいたら、それこそ永遠罵倒され続けて、身も心も果てることがわかってるからだ。
ただ、たまに開くクリスマスパーティーや誕生日会には、
1を思ってか、ちゃんと参加してくれたのが嬉しかった。
パーティーっつても、家族3人のパーティーだ。
パーティーに呼べる程仲のいい友達なんていなかったしな。
しかも、最後まで母親がいてくれた記憶は無い。いつも途中放棄。
とは言え、一緒に歌を歌ったり、プレゼント交換をしたり、料理を作ってくれたり、
それなりに楽しい思いでも残っている。
15 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:38:55。44 ID:PbyU8Ah60
母親の病気が悪化し始めた頃、母親は仕事をやめた。
それをきっかけに、地方都市へ引っ越すことになった。
1が、小学校中学年の頃だった。
のんびりしていて、病気を癒すには良さそうな土地だった。
土地柄のおかげか、母親の病状は徐々に回復していった。
この頃はまだ薬に頼らないと辛かったみたいだが、
それでも母親の様子は目に見えて良くなっていった。
変な言動もなくなったし、没頭できる趣味も見つけていた。
外の人たちとも接することが出来るようになっていたし、1に対してもそこまで・・いや・・・。うん。
とにかく、日に日に元気な母親に戻る姿は、1としてはとても嬉しかった。
やっと、母親が帰ってきた気分だった。
16 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:41:43。78 ID:PbyU8Ah60
今にして思うと、この頃が一番幸せだったと思う。
学校から帰ってくると、手作りのおやつを作って待っててくれた。
一緒になってよく出かけていたし、とにかく優しかった。
まあ、父親との関係は相変わらず最悪なままだったが、
この頃には私も、母親の洗脳のお陰で父親を憎むようになっていたので、
二人で父親を排除して、楽しい世界を作っていた。
17 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:46:21。90 ID:PbyU8Ah60
父親と一緒にいるときは、あからさまに嫌がる態度を取り、会話なんてしたことがなかった。
唯一嫌だったのは、夕食のとき。
母親は必ずと言っていいほど、何かしらのネタで父親を罵倒し続けた。
最初はなんでもないんだ。
仕事の話とか、単なる世間話なんだ。
ところが、全くどこにスイッチがあるのかわからないが、
とにかくあるとき突然キレる。
で、そこからはお決まりのコースで、怒りの矛先は過去のことへと向かっていく。
18 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:51:15。25 ID:PbyU8Ah60
そうなると怒りは収まることを知らない。
ちょっとしたことで、私にも飛び火した。
一番良く怒られたのは、私の食が細いことだった。
当時ガリガリのチビだったので、普通の量が食べられない。
食べられない分を残そうとすると、怒りで我を忘れている母親は烈火のごとく怒りを倍増させた。
1「もうおなかいっぱいです・・うぇ」
母「いいからくえーー!」
おなかいっぱいで気持ち悪いのに、泣きながら料理を詰め込んでいた。
いまだに父親はこのことがトラウマになっているらしく、
食事をする前には必ず「無理するなよー。」と声を掛けてくる。
あの頃の1を、かわいそうで見ていられなかった、とよく言ってる。
ちょっと助けろよww、と思うが、勿論無理だったのは明白だ。
この頃印象に残っている出来事がある。
19 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:55:05。10 ID:PbyU8Ah60
毎日毎日罵倒され続けた父親は、遂に一度だけキレたのだ。
あの瞬間、人が殺される!と本気で思った。
勿論殺されるのは父親ね。
あーだこーだ罵倒する母親に、
「うるさい!お前こそどうなんだ!!」と声を上げた。
父親、その間も洗い物中。ついでに、明日の朝ごはんも作り中。
今まで一度だってはむかわなかった犬が自分に向かって牙むいてきたら、
そりゃ飼い主もびびるわな。
母親は「なんだぁ!?なんだぁ!?その口のきき方は!!」
と言ってみたものの、結構びびったらしく、その日は何事もなかったかのごとく風呂へ消えていった。
おまえがなんだ、そのくちのききかた。
と、思ったことは、今でも秘密。
20 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 01:59:14。94 ID:PbyU8Ah60
相変わらず家庭崩壊な日々が続いていた小学校高学年。
母親から常々口をすっぱくして言われていた、父親の転勤が決まった。
「オマエのカオなんて見たくない。どっかに転勤でもしろ!」
「まだ転勤は決まらないの?」
なーんて言われて、いつまでも家にいたいなんて父親も思わないだろうな。
つーか、よくココまで耐えたよ父親、とすら思った。
私も口では「ほんとだよね。早くいなくならないのかな。」なんて言っていたが、
母親と二人きりになるのが怖かった。
だって、それまで父親に向かっていた母親の怒りが、全て自分に向くじゃないか・・・。
21 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 02:01:04。29 ID:PbyU8Ah60
よし、ここで一旦休憩。
序章はココで終了です。
次は【中学校編】です。
ようやく本題の入り口だ。
25 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 11:21:57。59 ID:PbyU8Ah60
今日は暇なので、いや、今日も暇なので、書き進めてみる。
なんか、本編だけだと1000まで行かない気がしてきたので、
ところどころで小ネタを入れることにした。
取りあえず。
【中学校編 〜ママンが・・・〜】
話は小学校高学年頃にさかのぼる。
この頃には、すっかり母親の病気もなりを潜め、薬がなくても生活できるようになっていた。
趣味に没頭し、1日の大半を趣味の時間に費やしていた。
趣味を通じてたくさんの友達も出来たみたいで、いつの間にか人気者にまでなっていた。
相変わらず家では鬼の形相になったりしたが、明るい母親が好きだった。
お陰で1も、勉強が良く出来る優等生みたいなポジションにいた。
この頃小学校で「尊敬する人は誰ですか」みたいな宿題が出たんだが、
「母親」とかいて提出した記憶がある。
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