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誤解の代償
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それだけ言って浴室に向かいました。

シャワーを浴びてリビングに行くと、妻が朝食の用意をしています。

その朝食は、私に踏み込まれなければ、あの男と取る筈だった物でしょう。

「朝飯なら要らないぞ。あの男のおこぼれなんか食えないからな。」

どうしても、意地が悪くなってしまいます。

私の言葉を聞いて、妻の動きが止りました。

「・・・ごめんなさい。でも、そんなつもりは無いの・・・。」

「そうか。でも要らない。それから、昨日言っておいたマンションの部屋に来た人に電話するから、此処に来て貰おうか?それとも何処か外で会おうか?」

「いいえ、そんな事は良いです。色々考えたけど、もっと早く私が意地を張らずに貴方と話し合っていれば・・・。もう遅いかもしれないけれど、何も無かったって今は信じたいと思います。」

本当に私の話だけで、信じる事が出来るのでしょうか?

「本当に遅かったな。」

冷たい怒りがそう言わせました。

そう言うと、妻は目に大粒の涙が溢れました。

こんなに早く結論を出しても良いのかどうか、私には考える余裕は有りません。

私は昔から怒りを力に変えて生きて来た所が有ります。その後で反省する事が幾つも有りましたが、今もそうする他に方法を知りません。


暫らくして、佐野から電話が有り、昨日からの事を話そうとも思いましたが話せませんでした。

落ち込んだ声だったのか、佐野は何かを感じた様で、

「そうか。・・・お前達が来ると思って、楽しみにしていたんだけどな。疲れているんじゃしょうが無いな。・・・お前大丈夫か?何か有ったんじゃ無いのか?」

心配そうな声で問い掛けて来ましたが、

「大丈夫だ。心配掛けて済まなかったな。」

そう言って電話を切りました。

横で聞いていた妻は、私に殴られて腫れた顔を、冷やそうともしないで泣いています。

本来なら佐野からの電話は、これからの楽しい時間を予感させる筈のものです。

でも今は、それすらも現実を思い出させる事になってしまいます。

私がガックリとソファーに腰を落とすと、妻が堰を切った様に話し出しました。

「もう駄目なの?どうしても駄目なの?・・・

私どうしたら良いの?何か許してもらえる方法は無いの?

・・・私別れたく無い!そんな事出来ないわ!」


「お前は、あの男を愛しているんだろう?何故そんな事を言うのか、理解出来ないな。」


「いいえ、私は貴方を・・・・。貴方を疑いさえしなければ、こんな事には・・・。私が馬鹿でした。今更言ってもしようが無いかも知れないけれど・・・馬鹿でした。」


私が言うのも何ですが、妻は純な女でした。

もしも、私が浮気していると信じていれば、かなり苦しんだと思います。その気持ちが分からない訳では有りません。

でも、私の事を疑って、他の男の言う事を信じてしまったのは、妻の気持ちの何処かに、それを望む隙が有ったのでは無いかと思います。

「ここ何ヶ月か、月に1度会うか、会わないかの夫婦だ。その間、あの男とは何回寝た?

僕が何度来て欲しいと言っても、色々理由を付けて来てくれなかった。その理由が あの男との事だった。

僕の所に来るよりも、男と逢う方を選んだのだから、お前の言ってる事は信用出来ない。それが当たり前なんじゃないか?

正直 お前の言っている意味が、今の僕にはまったく理解出気ないんだよ。」


私は また娘の部屋に入り横になると、昨日の妻と男の痴態が頭の中に蘇って来て苦しめます。

妻と出会ってこんな事が起こる迄、本当に幸せでした。

それまで小さなトラブルが無かった訳では有りません。でも、お互いの信頼感と夫婦ならではの安心感が有り、乗り切る事が出来ました。

これからは、そうは行かないと思います。


だいたい、妻が『許して欲しい』と言ってる事自体、何かその裏に有るのでは無いかと思ってしまいます。今迄、そんなふうに妻を思った事が有りません。

今回も、不信な行動を疑いこそすれ、最後の瞬間迄信じたいと、思っていました。

そんな自分が悲しく思えて来ます。


夫婦の思い出は、愛の形を出会いの時の様な、熱い感情では無く、それ以上の深い愛情に変えています。

だから、別れは辛いのでしょうが、いや、辛いと言う様な簡単なものではなく、身を引き千切られる様な、全てを無くしてしまう様な激情に駆り立てるのでしょう。

この激情から逃げ出すには、どうであれ、妻を許してしまうか、別れる事しか無いのでしょうか?

それならば、私は別れる方を選ぶ人間だと思います。そんな生き方で、何度も失敗した事も有ります。自分の欠点だとも思います。

でもこの歳まで生きて来て、今すぐに改めろと言われても、そう簡単に出来ない事は、誰よりも自分が良く知っています。

しかし、これからの事に背を向ける事は出来ません。妻と話さなければならない事が、まだまだ有ります。


私はリビングに戻りました。

妻はソファーに座り、焦点の合わない表情で一点を見詰めています。

「この前 電話で言った通り、来月に戻って来る。それ迄にハッキリさせたい。僕は別れようと思っているけど、お前はどうだ?正直に言って欲しい。」


「・・・私は、別れたく無い。そんな事、考えた事無い。でも、貴方にそう言われても仕方が無いと思います。貴方の思う様にして下さい。」


「分かった。離婚届けにサインして送ってくれ。その後は、お前の人生だから、僕の感知する事では無いけれど、どうするつもりだ?あいつと一緒になるのか?」


「そんな事は考えていません。貴方に離婚されてもあの人と一緒になる事は有りません。それと変な事を言っても良いですか?」


「良いよ。思っている事は何でも言えよ。」


「昨日 貴方が私達の浮気現場に入って来た時、久振りに貴方の荒々しさを見ました。

あの人が粋がって掛かって行った時に簡単にいなしました。
貴方は覚えているかしら?私は昔を思い出したの。

まだ一緒になる前、二人でデートしている時にチンピラに絡まれた事が有ったでしょう?

覚えていますか?あの時、一瞬にチンピラを叩きのめして私を守ってくれました。

あれから、貴方との色んな事を思い出して胸が熱くなったの。理屈じゃ無くて、本当に愛しているのは貴方なんだって・・・・。

私・・・・、だから・・・やっぱり貴方と別れたく無い。やっぱり嫌、どんな事されても良いから、許して欲しい。もう1度チャンスを貰えないですか?貴方お願い!」


そう言って、激しく泣き始めました。

「お前は僕を疑っただけで、浮気をしてしまった。

何よりも僕はその現場を見てしまった。それもこの家でだ。

もし、反対だったらお前は許せるか?

たとえ疑いが有ったとしても確証も無く、こんな事をされたら許せるのか?僕は許す事は出来ない。」


「・・・分かっています。分かっているけど・・・・。もう1度チャンスを下さい。もう1度だけ、お願い!ねえ、お願い!」


気持ちの中に、妻と別れたくは無いと言う葛藤が無い訳では有りません。

しかし、男に貫かれている所を見てしまっては、寝取られ趣味の有る人間は別でしょうが、普通は許す事が出来るでしょうか

私には出来ません。


「あの男に愛情は無いのか?好き放題やっておいて、僕を愛しているからと割り切れるのか?

そんなものじゃ無いだろう?特別な感情も無く、抱かれる女ではないだろう?

そんな気持ちのお前とやって行ける程 大きな包容力は持ち合わせていないんだよ」


「ごめんなさい。貴方の言う通り、直ぐには気持ちの整理は出来ません。一度愛してると思った人だから・・・・、ごめんない・・。

こんな事言わない方が良いと思うけれど、・・でも、・・・でも・・貴方への気持ちは昔と変わりません。」


正直な気持ちなのかも知れませんが、こんな時は、あの男の事は何とも思っていないと言うのが、一般的な常識じゃ無いのかと思い、何を勝手な事を言ってるのかと私の気持ちに また強い怒りが沸き起こりました。


「あいつの家庭は、おそらく駄目だろう。そんなに忘れられないなら、一緒になれば良いだろう。別れてしまえば僕に とやかく言う権利は無いからな。」


それを許せる程、私は寛容では有りませんが、言わないといられませんでした。

他の男を愛した妻を許す事は出来ません。

そもそも、女がこんなに素直に許しを求められるのでしょうか?男よりも余程したたかな生き物の筈です。


「もう貴方を裏切りません。もう疑ったりもしません。あの人と一緒になるなんて事は絶対有りません。」


その時 電話が有りました。

妻が出て何やら話していると、私に変わる様に合図をして来ました。

電話を変わると、相手は田中の奥さんで、今日家に来たいとの事でした。

私は まだ妻と話さなければならない事が有ったので、夕方来てくれる様に伝えました。


「聞いていたと思うけれど、夕方に来るそうだ。

それ迄に僕達の方をはっきりさせよう。今お前の話を聞いていて思ったんだけれど、チャンスを与える事も出来ない訳じゃ無いのかもしれない。

でも僕はお前の顔を見ると、今迄の事を思い出してしまう。

その時,また言いたくない事も言うだろう。そんな生活は お互いに不幸なだけだと思う。

僕だって別れるのは辛いさ。お前を許して このままでいたい気持ちも有る。

だけれど、別れた方が幸せになれるなら、その方が良いと思う。別れて どんなに辛くても、時間が解決してくれるだろう。

その時にお互い、新しい出会いも有るかも知れない。そうなれば、新しい幸せのスタートを切れると思う。」


妻は涙を溢れさせ聞いていましたが、私が言い終わると悲鳴の様な声を出しました。


「嫌!そんなの絶対嫌!」


>>次のページへ続く
 
 


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