戦争の体験談を語るわ
(14ページ目) 最初から読む >>
\ シェアする /
116 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:11:41.59 ID:NjK0YLoo
だからこそ、俺は何度も「信じてくれなくていい、感じてくれ」と発言したんだ。
そして話の中には、疑わしい点を幾つも織り交ぜ、多くの人が疑いをもつようにした。
ただ、すぐに結論が出ないように、直感的に創作と判断する事が出来たとしても、事実に基づいた証拠を持って「創作」とならないように、気をつけたけれどね。
(vipで始めに建てた「思い出を妄想する」というスレや、12月に街でクリスマスの準備を皆が始めたとかね。
カリノヴィクではクロアチア人は当時とても少なかったんだ。
だから、12月にクリスマスの準備を行うのは、一部のクロアチア人だけで、町全体がそうなるわけではない。
人口の半数近いセルビア人たちは、1月7日がクリスマスだしね。
民族が少ない分、その違いは目立つ。)
117 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:13:14.96 ID:NjK0YLoo
信じるのであれば、その中で調べて、自分で考えて、そして「疑惑」に近づくかもしれないし、疑うのであれば、その「疑惑」が次第に確信に近いものになっていくように書いたんだ。
それでも、決定的に「創作」と思われないように心がけたつもりだけど。
(ちなみに、日本政府の行動・報道の有無は疑惑であって、確信に繋がるものではないよ。
当時、実際にユーゴスラビアに取り残された日本人もいたし、確か本も出ていたかな。
それを知る人はどれだけいるだろう。
拉致被害者、昔から被害者家族が訴えかけていたのに、マスコミはいつから大々的に取り上げるようになっただろう?政府はいつから行動したかな?別に政府やマスコミを非難するつもりはないよ。
ただ、政府やマスコミが全てを報道・調査・保護するわけじゃないってことなんだ。
そういうのに関心が出たのは、そう昔ではないんだ)
118 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:14:30.31 ID:NjK0YLoo
しかし、この問題は民族問題も含む非常に難しい問題だ。
そして現在も続く問題だ。
だからこそ、どの民族が「悪」だとか「善」にならないように、注意を払い、尚且つ 暴動でどの民族を賞賛・批難・中傷するつもりはないと書かせてもらった。
そして戦争における戦争犯罪の描写には、脚色を加えないようにした。
というのは、「悪」として断罪されないようにね。
少なくとも、俺の書いた文で善悪を判断し、どちらかの民族を断罪するといった事が極力ないように。
119 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:15:33.64 ID:NjK0YLoo
「我思う、ゆえに我あり」って言葉がある。
この言葉に対する感じ方、捉え方も人それぞれだと思う。
しかし、疑うというのは、自分で考えるという事なんだ。
信じる・信じないといった判断に行き着く前に、疑うプロセスを持つことが大切なんだ。
当然の事であるかもしれないけど、中には直ぐに感化されるといって人を笑いつつ、自分もある種においては直ぐに感化されるといった人がいる。
感化されるのは悪い事ではない。しかし、疑い調べ、考えずに判断するのは、将来自分に降りかかってくるんだ。
勿論、話を読んで反応なり自分の中で考えてくれたものに、間違いなんてものは存在しないんだ。
ただ、「自分で調べて考える」+α(行動する)という事が、如何に重要かを、普段意識していない人には、意識して頂きたかった。
普段から考えている人にしてみれば、とんだ災難だったと思う。
それはこの場を借りてお詫び申し上げます。ごめんなさい。
だからこそ、俺は何度も「信じてくれなくていい、感じてくれ」と発言したんだ。
そして話の中には、疑わしい点を幾つも織り交ぜ、多くの人が疑いをもつようにした。
ただ、すぐに結論が出ないように、直感的に創作と判断する事が出来たとしても、事実に基づいた証拠を持って「創作」とならないように、気をつけたけれどね。
(vipで始めに建てた「思い出を妄想する」というスレや、12月に街でクリスマスの準備を皆が始めたとかね。
カリノヴィクではクロアチア人は当時とても少なかったんだ。
だから、12月にクリスマスの準備を行うのは、一部のクロアチア人だけで、町全体がそうなるわけではない。
人口の半数近いセルビア人たちは、1月7日がクリスマスだしね。
民族が少ない分、その違いは目立つ。)
117 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:13:14.96 ID:NjK0YLoo
信じるのであれば、その中で調べて、自分で考えて、そして「疑惑」に近づくかもしれないし、疑うのであれば、その「疑惑」が次第に確信に近いものになっていくように書いたんだ。
それでも、決定的に「創作」と思われないように心がけたつもりだけど。
(ちなみに、日本政府の行動・報道の有無は疑惑であって、確信に繋がるものではないよ。
当時、実際にユーゴスラビアに取り残された日本人もいたし、確か本も出ていたかな。
それを知る人はどれだけいるだろう。
拉致被害者、昔から被害者家族が訴えかけていたのに、マスコミはいつから大々的に取り上げるようになっただろう?政府はいつから行動したかな?別に政府やマスコミを非難するつもりはないよ。
ただ、政府やマスコミが全てを報道・調査・保護するわけじゃないってことなんだ。
そういうのに関心が出たのは、そう昔ではないんだ)
118 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:14:30.31 ID:NjK0YLoo
しかし、この問題は民族問題も含む非常に難しい問題だ。
そして現在も続く問題だ。
だからこそ、どの民族が「悪」だとか「善」にならないように、注意を払い、尚且つ 暴動でどの民族を賞賛・批難・中傷するつもりはないと書かせてもらった。
そして戦争における戦争犯罪の描写には、脚色を加えないようにした。
というのは、「悪」として断罪されないようにね。
少なくとも、俺の書いた文で善悪を判断し、どちらかの民族を断罪するといった事が極力ないように。
119 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:15:33.64 ID:NjK0YLoo
「我思う、ゆえに我あり」って言葉がある。
この言葉に対する感じ方、捉え方も人それぞれだと思う。
しかし、疑うというのは、自分で考えるという事なんだ。
信じる・信じないといった判断に行き着く前に、疑うプロセスを持つことが大切なんだ。
当然の事であるかもしれないけど、中には直ぐに感化されるといって人を笑いつつ、自分もある種においては直ぐに感化されるといった人がいる。
感化されるのは悪い事ではない。しかし、疑い調べ、考えずに判断するのは、将来自分に降りかかってくるんだ。
勿論、話を読んで反応なり自分の中で考えてくれたものに、間違いなんてものは存在しないんだ。
ただ、「自分で調べて考える」+α(行動する)という事が、如何に重要かを、普段意識していない人には、意識して頂きたかった。
普段から考えている人にしてみれば、とんだ災難だったと思う。
それはこの場を借りてお詫び申し上げます。ごめんなさい。
120 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:16:33.31 ID:NjK0YLoo
さて、この一連のユーゴスラビア紛争は、まだ完全に解決した問題ではなく、継続した問題だ。
恐ろしいことに、ボスニア内では死んだのか、生きているのか生死不明の人も未だに存在している。
そして、国全体でどれだけの人がいるのかも、正確には把握されていない。
混乱は まだ完全には収束していないんだ。
表面上は平穏に生活していても、民族間の禍根が消えたわけではないんだ。
何より、戦後になって明るみに出た事実も多くある。
そして今も尚逃げている戦争犯罪者がおり、裁判中の人もいる。
ボスニア内からセルビアへ逃げ、そしてコソボで再び「悪」とされ、現在少なからず弾圧を受けているセルビア人も存在する。
被害者であると主張しながらも、セルビア人に対して虐殺を行ったクロアチア人も…存在する。
セルビア人に対する戦争犯罪で捕まったボシュニャク人もいる。
121 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:18:11.52 ID:NjK0YLoo
ボスニアが、世界がどうだから、日本は○○だ。
平和ボケだとは言わない。
幸福だとか不幸だとかの尺度は、人によって、地域によって、国によって全然違うからさ。
しかし、もしボスニアの紛争についてよく知らないという人がいれば、これを機会に興味関心、そして自分で調べて考えて欲しいと個人的に願った。
関係ないと切り捨てるもよし、自分はこうすると結論を出すもよし、悩むもよし。
ただ、知る機会、考える機会になってくれればと勝手ながら思った。
戦争を茶化すというのは、愚考であり許されない行為だ。
しかし、その戦争について知る、知らされる機会は、人によって多かったり、少なかったりする。
だからこそ、今回は敢えてその愚行をした。
この紛争について知っている人は、非常に憤りを感じたかもしれない。
「もっと淡々として、残酷だった」といったように、言いたい事は沢山あるはずだ。
戦争を舐めるなと。
俺自身、あの内容を書くのは非常に悩んだ。
PTSD的な情緒不安定な言動を織り交ぜたり、ある意味劇的な内容のまま書くというのは、許されない行為であるとも感じた。
だけど、それ以上に知ってもらいたいという結論に至った。
沢山の情報がある中で、興味関心を抱いてもらう、知ってもらうというのは非常に難しい。
砕けた文章で感情移入しやすく、最後まで興味を持って読んでもらえる様に書こうとする事は、結果的には陳腐な内容だと感じる人も多くでるかもしれない。
それでも、最後まで読んでもらえればいいかなと思った。
122 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします:2010/06/14(月) 01:18:44.57 ID:2P.7GoDO
PTSDみたいな反応の仕方も創作だったのか?
123 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:20:56.51 ID:NjK0YLoo
>>122
最後に答えるよ。あと15分もかからないと思うから。
123 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:20:56.51 ID:NjK0YLoo
そういった独善的な考えの元で、書かせてもらった。
そして、敢えて真偽をはっきりさせず、20日近くも放置させてもらった。
創作というのは簡単だが、「なんだー」で終わって欲しくなかったからだ。
釈然としない中で調べ、考え、その上で何かを感じて頂きたかった。
vipを選んだのも、本ではこういった手法は出来ないからだ。
そして、本である事が疑いの心を薄れさせてしまうという可能性もあった。
万人を満足させるのは、悲しいけれど不可能だ。
だからこそ、俺の行った行為に対しても、様々な意見があると思う。
紛争中、国連(United Nation)をもじり「United Nothing」という言葉が現地で言われた。
世界は自分達を見ていない。
当事者にとって、些細なことであっても、「俺たちは君達を見ているぞ」という気持ちは、代えがたいものがある。
そういう気持ちを持ってくれる人が居たら嬉しい。
決して、NATO爆撃が支援として正しいか否かは言わないというか、言えないけどね。
125 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします:2010/06/14(月) 01:23:04.49 ID:jAvXTRo0
他所の国は確かに大変だけど、とりあえず同じ日本人の為に何かできてから考えようと個人的には思ったけど。
126 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:23:29.40 ID:NjK0YLoo
これから更にユーゴスラビア紛争について学ぼうとしている人へ。
これから自分で調べて目にしていく内容は、かなり残酷で無常で、そして淡々としているかもしれない。
子どもが自己犠牲的な行動をするのは、実際にもあった。
しかし、現実はそう簡単に英雄的な行動は取れないんだ。
母親は収容所へ連れて行かれレイプ、父親は暴行又は殺害、子どもを廃墟に連れて行き、その中に手榴弾を投げ込むなんて事例も多々あった。
実際は、当事者の感情なんて関係なく淡々と物事が進んでいく。
報道として伝えられない真実が数多くある。
それは、意図であったり、報道する事によって触れてはいけない部分を告発する事になってしまう事にもなるからだ。
その告発が、救いを必要とする人を、救えなくしてしまう事もある。
子どもでも容赦なく殺害やレイプの対象になる。
子どもが子どもで居る事が許されない。
民族混在の中で、異民族どうしで結婚、付き合うカップルも居た。
彼らはどうなったのか?
ある者は目の前で恋人を殺され、ある者は一緒に逃げて両方とも殺される。
まるで嘘のような事実が突きつけられる。
129 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:25:25.38 ID:NjK0YLoo
そしてこれが一方的なものではなく、民族間で応報として繰り広げられる。
セルビアが一方的にやった、なんて言うメディアもいるけれどね。
だったらクロアチアでセルビア人が虐殺されたのは何だったんだと聞きたいけれど、そういった報道する側には、セルビア悪という意図が組み込まれてるわけでさ。
参考にしたり、きっかけにするのは良いとしても、全てを信じずに まずは疑って自分で色々と調べた上で判断して欲しいです。
教訓という言葉は不適切かもしれないけれど、こういった事があったというのを知って、今の生活で、そしてこれからの生活で活かして欲しい。
ある男の子の言葉がふと蘇ることがある。
神が相手を許せと言うなら、相手を許さずに同じ事をする僕達を許せ
そして神は結局何も出来ない。
神の意志でこの苦難を起こしているのだとしたら、
神は僕にとって悪魔だ
130 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:26:22.89 ID:NjK0YLoo
あー、そうそう、何で伝えたいのに努力しないで出版を諦めるって言葉があったけど、
何故多くの戦争体験者が死が近くなった時になって体験を語るのか。
何故、亡くなった後に手記が見つかるのか。
何故、一部の体験者しか世に体験を広めようとしないのか。
それらを考えれば、それに対する答えは自ずと見えてくると思うよ。
それを情けないと論するもよし、同情するもよし、どうでもいいと思うのもよし。
その難しさは、レイプされた女性が顔と実名を出して世間に体験談を出すのと近いかもしれない(悪いたとえだけど)。
世間に知られる、そして思い出す過程で体験がフラッシュバックする。
それらに耐えられる人は、そう多くないのかもしれない。
そして実話詐欺という言葉。
世の中にフィクション以外の何があるのだろう?
真実は人を通してフィクションになる。
伝われば伝わるほど。
時間の経てば、時間が経つほどに。
セルビア人に虐殺された人にとって、セルビア=悪は事実だ。
ボシュニャク人によって虐殺された人にとって、ボシュニャク人=悪は事実だ。
クロアチア人に虐殺されたセルビア人・ボシュニャク人にとって、クロアチア=悪は事実だ。
真実には、沢山の事実がある。
そのどれかを報道する事は、事実に基づいているかもしれないが、片方だけを取捨選択して報道した場合、真実ではなく事実を元にしたフィクションになってしまうとも言える。
情報は取捨選択されてもたらされる。
事実を元にしているから、それが真実かといえば、それは本当に正しいのか?それを判断するのは、その情報に触れた人自身だと俺は思う。
131 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:27:27.14 ID:NjK0YLoo
プロパガンダに利用されかねないという事に関しては、プロパガンダとは そもそも人の感情に漬け込んで、そしてさも真実るかのように吹き込んでくる。
ここでフィクションだよと最初に言わないから信じる。
という姿勢であれば、いつでも騙される。
そして、最後に書き加えたところで、部分的に改変・もしくは切り抜きして流された場合、例えどんな部分であってもそれは「プロパガンダ」に利用される。
ヨーロッパでは更に過激な表現で、セルビア人に対する断罪に近い本も出ていたりする。
プロパガンダは危険か?では そのプロパガンダに反対的な考えは果たして危険じゃないのか?片方が流せば、もう片方も流す。
どちらが正しいかなんて、自分で判断するしかない。
なぜなら、プロパガンダを流す側にとっては、それが正しいからだ。
そして片方にとっては、その正しいことが間違いなんだ。
ネットには数多くの事実に基づいた「プロパガンダ」がある。
それを何も考えずに信じるか・それとも疑ってから判断するか。
皆はどうする?
手記は本当に事実か?あったかもしれないが、間違いもあるかもしれない。
自分の戦争犯罪は語らず、相手の戦争犯罪しか語らないかもしれない。
世の中、かもしれないだらけだ。それを判断するのは自分自身。
136 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:30:44.07 ID:NjK0YLoo
最後に、書き込みの何処が創作かを書く。
まず、話に登場した
ソニア(Sonja_Grebo)、
サニャ(Sanja_Edu)、
メルヴィナ(Melvina_Prazina)、
カミーユ(Camil_Trpkova)、
メフメット(Mehmet_Spaho)、
カマル、
ミルコ(Mirko)、
ドラガン(Dragan_Stanisic)
彼らは実在した。
そして彼らが このような体験をしたのは事実だ。
ミルコとその家族が殺害されたらしいというのも、伝聞ではあるが事実だ。
祐希という人間が日本国籍を持つ日本人というのは創作。
希望の祐(たすく)即ち希望の助けという意味を込めて仮名を使わせてもらった。
彼の名前は、希望という意味があったからね。
「what a wonderful world」がセルビア人の民兵村で歌われたというのは 部分的に事実だ。
全ての人が歌ったわけではない。
彼を保護した夫婦が、彼に対して歌ったものだ。
そして、その後も彼はこの歌を愛した。
これは真実というものが、彼を通して俺に伝わり、そして皆に読まれている。
よって、この話は事実を元にしたフィクションに過ぎない。
彼もしかり、俺も然り、全てを信じずに疑ってくれ。
191 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします:2010/06/14(月) 02:09:51.91 ID:OkbjK1k0
>>136 カミーユ、ドラガン、サニャ、ソニア、メルヴィナにあったことの大筋は その「彼」の語った通りなんだね。
さらにミルコとその家族が亡くなってたんだ…
137 :祐希 ◆.0dKn/WD26:2010/06/14(月) 01:31:54.88 ID:NjK0YLoo
なぜ彼らの話を元にしたのか、
それは俺もまた、彼から託されたからだ。
ボスニアの事も含め、より多くの人に知ってもらい、自分で考える大切さや、疑う大切さ、そういうのを感じてもらいたいと考えた。
あわよくば、民族宥和の理想の力になってもらえればってね。
まずは自分達から、この考えは当然だけど、世界に目を向けるのは、決して自分達の周りを見ないとは、同義ではないと思う。
これを書いたきっかけ。
それは「無知で申し訳ない」という言葉に対して、ある人が言った言葉が書くきっかけとなった。
「人は無知から始まる。
知る人は機会があったに過ぎない。
無知が罪と思うのであれば、伝えようと努力すればいい。
機会を与えられる側から、与える側になればいいだけだ。
無知は罪でもなければ、恥ずかしい事でもない。」
そしてもう一つ、
「周りにも不幸があるのに、全てを救うなんて出来ない」
という言葉に対して、
「なら君は、日本の保健所で殺される子猫を、
かわいそう。助けたい、と言う子どもに対して、
【悲しいけどそうしなければいけない。現実なんだ。】
と言うのか?
子猫を拾った子どもに、
もっと可哀想な動物は居ると言うのか?
それは正しいかもしれない。
しかし、正しい事が全て正しい、現実だから受け入れろで済ませてしまうのは、本当に正しいのか?」
こんな感じの事を言われた
(かなり曖昧な記憶なので、間違っているかもしれない)
>>次のページへ続く
\ シェアする /
関連記事
easterEgg記事特集ページ
