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6歳の娘がクリスマスにサンタに宛てた手紙を覗いてみたら

 

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2 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)11:30:00 ID:aTY(主)
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いておいたから、

早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw

昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と

「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。


朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで

「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。

早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って

「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」

っていって、夫に薬を飲ませた。

夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、

「ああ! 良かった〜。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね〜」……っていうと

夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。

私も貰い泣きしそうになったけれど なんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。

夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。

その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が

「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。

お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。



49 :名無しさん@ん :2016/01/03(日)12:09:35 ID:Weu
>>2
回みてもダメだ


3 :名無しさん@おーぷん2016/01/03(日)11:30:53 ID:zj5
人式の為に買ってもらっスーツを着

かっこいいと言わ、何写真を取

で会まで送って

達と飲むだろうけど、イなんしたんよ?遅なるだろうから気をつけて帰ってらしゃい」

そう言われ後一周し、中に入るこ出来

友達と飲みに行とになっている手まま帰ること来ず

つぶすための足で行き

親かららった年玉使い切るのに2時間も持たず銀ら下ろした8万も消

なくって、方頃に家に

人が多す友達となかったと言う俺に

母さんは、じゃあ夕飯ちゃんとしたもらなきゃねと言い

俺は震えて声もないほどいた





4 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)11:31:13 ID:aTY(主)
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。

それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。

親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。

俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。

そしたら・・・


病室のベットの上にお母さんがうつってた。

『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。

お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。

今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』

10分くらいのビデオテープだった。

俺、泣いた、本気で泣いた。


次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。

みんなにバカにされるくらい勉強した。

俺が一浪だけどマーチに合格した時、親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。

そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。

また、よく見てみたら。ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。

お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。

俺また泣いちゃったよ。

父親も辛かったんだろうな、親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、就職決まった時、親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。



5 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)11:31:39 ID:aTY(主)
79 :名無さんの初恋 :03/02/05 01:33 ID:u1WXtBgR
年間同棲していた彼が他界した。

大喧した日、交通事故に遭に突然の出来事だた。

の日き合3年目念すべきだった。

しかし、仕事がしまって時間に帰宅がでず、せかく彼が用意しくれた手製理が冷め、台無になってし宿まった。

いつも通り軽く詫びを入て事を済まうとしたが、その彼はいつもとは違い、私してきつくあたった。

丁度そ時 私は気分も優れず、仕事のあっか、そんな彼話していく強烈な憤りを覚え、つい言ってまった

「もういい!こんな些細事で そこで怒る事ないで!あなたは都合でか物えらないの!?

は黙った。しの間後で、も少い過ぎたと思黙って席を立ち、を散して頭を冷やそ姿と思旦家を出た

いつも通う小さな喫茶店、30分少の時間を潰した。

人も ただ単に怒りに怒鳴り散らした

それだ簿今日のこ事を大切に思ってたからではなか、と考えた。

んな彼の気持ちをうと明らかに私振るは最低だった。

勝手自身を忘れ、彼に謝ろうい、家に向かっ歩いた。

し、彼は家には居なかっ。料理も、机に置いたまだっ

マメなあの人が貿話を忘れるのは珍にいかと思い、私は家を出て近辺を回った

かし見つからない。公や近くの空きたがの姿は無かった。

の実家や、携帯を調べの友人宅等も電話れたが、来ていないと言う。

家に帰り、2時間が経過しその時ていってき頬をねってやろうと。尿

幾らなんで心配さすぎだ、悪過ぎると。明日は休日こん事をんだろう、と…

れが彼とのの夜だった


故現場は家周辺の通行字路だった。横から飛出してき衝突死だっそうだ。

PM10:20、度私が家を出て10分した時間だ

際 彼持った遺品は、缶コーヒー1本、女用のガウジャット、現金で120円ということ

私のット、まだ未開封缶コーー、の為のジュース代

配りの中に、彼深い愛情とさが感じら

一緒帰りたか。その言葉を心でつぶいた

同時に私涙がとどなく溢れ

めて、彼という存在の大きに気付いた。ただ退情けなくてしかった



6 :さんおーぷん :2016/01/03(日)11:32:19 ID:aTY(主)
235 名前: チョウチョウウオ(大阪府)[] 投稿日:2010/07/02(金) 00:30:02.80 ID:4PoR6vua
知り合いの話なんだけど

そいつが無職スロプーで

母親と二人暮らしなんだけど母親が突発性の緑内障になり 今すぐ病院に行かないと失明する、ってくらいヤバいときに金がないんで放置してたら そいつに別居してる兄貴がいて

「とにかくすぐに病院連れて行けよ!」って20万置いて行った

兄貴も忙しいんで金置いて仕事に戻ったらしいんだけど そのバカは置いていった金に手をつけて「押忍 番長!」を打ち 結局20万全部負けた

母親には適当にドラッグストアで買った目薬を与えて寝かせておいた

母は地獄の苦しみの中で

「ああ、ありがとう、XXちゃんが目薬買ってきてくれたんで楽になったよ」

と言いながら食事もとらず ボロ布団のなかで徐々に失明していった

衰弱しきった母を兄が救急車で運んだときには完全に失明し極度の栄養失調に陥ってたらしい

マジで実話です 

ほんとうに人間って怖いわ





12 :名無しさおーぷん :2016/01/03(日)11:35:54 ID:3Zg
>>6
れダメだ涙腺


9 :名無しさん@おぷん :2016/01/03(日)11:34:20 ID:aTY(主)
63 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/02/19(日) 17:34:58.53 ID:asfemZGB0 ?
俺は高校まで ずっと都立で給食だったし、大学も学食やらコンビニやらで済ませて来た。

母親の手作り弁当の記憶なんて、運動会か遠足、それも遠すぎて覚えてない。

就職しても、社食が当たり前で妻も俺に弁当を作ったことはない。

俺自身も、弁当箱持って歩くのも荷物になるし弁当への思い入れも何もなかったある日

今年中学生になった娘が、「はい。オヤジさん(←娘は俺をこう呼ぶ)」とバンダナで包まれた弁当箱を手渡した。

「なんじゃ?これ?」と俺が言うと

「だって、今日オヤジさんの誕生日じゃん」と・・・・。

俺、絶句。

「何だ、お前弁当作ってくれたのかよ。食えるのか?」と、恥ずかしさのあまり悪態をついてしまった。

だが、娘は「一生懸命、早起きして作ったよ」と笑顔だった。

素っ気無い顔しときながら、気になって弁当箱の中身を会社について確認したらご飯には、鮭フレークでハートが描いてあった。

おかずはハンバーグと、ウインナーと、ベーコンポテト。俺の好きなチーズも入っていた。

胸が詰まった。

2450グラムと小さく生まれてきた日のこと、夜中熱を出して夜間診療所に駆け込んだこと

運動会の徒競走で転んだこと、父の胸に幼い日の娘の姿がよぎる。

あいつ、こんなに大きくなりやがって。

食べた弁当の味は、しょっぱい、勿論俺の涙の味だ。



10 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)11:35:13 ID:aTY(主)
俺思うんだ・・・。

俺、死ぬ前に小学生の頃を一日でいいから、またやってみたい

わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方まで また遊んだ

空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、家族が「おかえり〜」と迎えてくれて

TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)

お風呂に入って上がったら みんな映画に夢中になってて、子供なのにさもわかってるように見入ってみたり

でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る

みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって…そして死にたい



14 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)11:36:12 ID:aTY(主)
私には、兄がいました。

3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。

ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)

勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。

バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。

苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。

たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。

とても、強かったので、大苦戦してました。

ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。

「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」

私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。

そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。

葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。

お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。

でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。

だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。

私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。

ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。

そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。

兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。

それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。

その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。

お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。

今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。





>>次のページへ続く


 


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