戦争の体験談を語るわ
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135 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 15:50:55.72 ID:60HAO/620
>>132, 133
うん。メルヴィナは長女でさ、弟が確か何人かいたんだ。
だからかもしれないけど、色々と観察して、何時も一人冷静に俺達の見守り?じゃないけど、注意とかしてくれた。
とても優しくて、強い子だった。
134 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 15:48:09.65 ID:60HAO/620
サニャは大丈夫って言ってたけど、結局 雪合戦は近くで座って見てることになってさ。
カミーユも雪合戦をやめて、サニャと一緒に座ってたな。
今思えば、子どもって素直で正直だなぁ。
137 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 15:55:25.97 ID:60HAO/620
この時期は、ソニアママの言いつけで、危ないから秘密基地には行かないって皆約束させられてたな。
そして気づけば5月。
この国で過ごして1年が経過していた。
毎日が充実して、予定が一杯あって、忙しい日々だったと思う。
それでも、当時の俺にとっては、この一年がとても長く感じた。
充実した一年ではあったけれど。
138 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 15:56:33.48 ID:60HAO/620
俺の家に8人を招待して、皆でお祝いパーティーみたいのをしたんだ。
父さんは料理が下手だっていうのに、気合を入れて日本料理を作ったりしてさ、でも皆の口には合わなかったらしく、全員引きつった顔をしていたよ。
俺も不味くて引きつった表情してしまったけれどね。
それでも、父さんは俺が友達を作って、そして毎日仲良く過ごしている事に喜んでくれているようだった。
139 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 15:57:45.51 ID:60HAO/620
この時は、ずっとこの幸せな期間が永遠と続くと思っていたよ。
>>132, 133
うん。メルヴィナは長女でさ、弟が確か何人かいたんだ。
だからかもしれないけど、色々と観察して、何時も一人冷静に俺達の見守り?じゃないけど、注意とかしてくれた。
とても優しくて、強い子だった。
134 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 15:48:09.65 ID:60HAO/620
サニャは大丈夫って言ってたけど、結局 雪合戦は近くで座って見てることになってさ。
カミーユも雪合戦をやめて、サニャと一緒に座ってたな。
今思えば、子どもって素直で正直だなぁ。
137 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 15:55:25.97 ID:60HAO/620
この時期は、ソニアママの言いつけで、危ないから秘密基地には行かないって皆約束させられてたな。
そして気づけば5月。
この国で過ごして1年が経過していた。
毎日が充実して、予定が一杯あって、忙しい日々だったと思う。
それでも、当時の俺にとっては、この一年がとても長く感じた。
充実した一年ではあったけれど。
138 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 15:56:33.48 ID:60HAO/620
俺の家に8人を招待して、皆でお祝いパーティーみたいのをしたんだ。
父さんは料理が下手だっていうのに、気合を入れて日本料理を作ったりしてさ、でも皆の口には合わなかったらしく、全員引きつった顔をしていたよ。
俺も不味くて引きつった表情してしまったけれどね。
それでも、父さんは俺が友達を作って、そして毎日仲良く過ごしている事に喜んでくれているようだった。
139 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 15:57:45.51 ID:60HAO/620
この時は、ずっとこの幸せな期間が永遠と続くと思っていたよ。
140 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 15:58:52.24 ID:60HAO/620
6月末頃だったと思う。
隣のフルヴァツカで戦争が始まったんだ。
隣国だけれど、自分達には特に関係がないものだと思っていた。
141 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:00:47.75 ID:60HAO/620
しかし、実際にはそう簡単な問題ではなかったんだ。
街だけでなく、学校のクラスにおいても、スルツキ・フルヴァツキ、そしてボシュニャチの間で気まずい状況になり、ついにはクラスの席が民族ごとに別れる様な状態になってきた。
143 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:02:14.63 ID:60HAO/620
言うまでも無く、今までのように放課後一緒に遊ぶ事は出来なくなったんだ。
ただ、それでもまだ大きな紛争にはなっていなかった。
まだフルヴァツカだけの話で済んでいたんだ。
145 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:04:32.35 ID:60HAO/620
だから、民族間の陰での対立が始まる兆候が見えてからも、俺達は大人に隠れて こっそりと秘密基地に集まっては、9 人で遊んでいた。
自分達には関係ない話だったんだ。
俺達にとって大切なのは、民族や宗教じゃなくて、目の前にいる友達だった。
だから、何があっても俺達は仲間だ。一緒に助け合っていこう。ずっと一緒だ。
そういった約束を交わしたんだ。
146 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:06:44.06 ID:60HAO/620
ごめん。言い忘れてたけど、
俺は日本人で、
ソニア、サニャ、メルヴィナ、カミーユ、メフメット、カマルはボシュニャチでムスリム
ミルコはフルヴァツキでローマ・カトリック
ドラガンはスルツキでスルプスカ・プラボスラニナ
147 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:08:02.12 ID:60HAO/620
あ。スルプスカ・プラボスラニナっていうのは、セルビア正教ね。
俺達は友達であり、お互いに信頼し合う仲間だったけれど、同じ言葉を話しているとはいえ、違う民族、そして違う宗教を信ずる集まりだったんだ。
149 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:10:15.12 ID:60HAO/620
夏休みに入っても、去年のように一緒に表立って遊ぶという事は出来なくなっていた。
少しずつではあるけれど、着実のこの国でも民族間の対立、宗教の対立、そして過去の負の因縁の対立が次第に高まってきていた。
大人たちは違う民族間で極力話さないようになっていたし、話してはいけない雰囲気になっていたんだ。
150 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 16:11:20.22 ID:JeXMzKRoP
ドラガンだけがセルビア人なのか。
151 :祐希 ◆fyiPNhmVqk:2010/05/19(水) 16:13:27.96 ID:60HAO/620
>>150
うん。
実際、俺達の地域は5割くらいがボシュニャチで、4割がスルツキ、1割がフルヴァツキみたいな感じだったと思うんだ。
だから、俺の地域では少なくともスルツキは少数派ではなかったよ。
152 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:14:19.09 ID:60HAO/620
父さんは、もしかしたら戦争になるかもしれない。
お父さんは仕事をやめる事が出来ないが、祐希は日本へ帰りなさい。って何度も言われた。
でも、俺は友達を残して自分だけ日本に帰るなんて出来なかった。
それに戦争というものを理解していなかったんだ。
戦争にならないようにすればいいでしょ。そんな風に思っていた。
基本的に同じ民族、殆ど同じ宗教の人々が暮らす日本で育ったから、理解できなかったんだ。民族間の対立というものを。
子どもだったしね。
153 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 16:16:22.71 ID:P0/+v6OY0
親父の仕事聞いてもいい?
161 :祐希 ◆fyiPNhmVqk:2010/05/19(水) 16:22:17.73 ID:60HAO/620
>>153
研究者だった。
といっても、自然科学系だったんだけど、資料がある部屋とかには入っちゃ駄目って言われたりしてたから、ボスニアの研究機関で仕事してるってことしか知らなかったよ。
62 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:23:29.67 ID:60HAO/620
そして9月になった。
今まではフルヴァツキの軍とフルヴァツカ在住のスルツキの人々との衝突だった紛争が、9月末頃にはフルヴァツカ軍とスルツキを主体としたユーゴ連邦軍の戦争へと発展したんだ。
この国では、ボシュニャチが人口の過半数を占めていて、俺の住んでいたカリノヴィクも例外じゃなかった。
日が経つに連れて、街の中ではフルヴァツキとスルツキの人々の関係が悪化して、時々通りで大人同士が喧嘩をするようになってきていたんだ。
165 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:25:43.22 ID:60HAO/620
そして10月に入ると、ボシュニャチが大半を占めるこの国では、連邦から脱退しようという声が広がって、ついに政府が主権宣言みたいのをしたんだ。
つまり、連邦内の国家じゃなくて、一つの独立した主権を有する国家となるという宣言なんだ。
父さんから説明されても、当時は理解できなかったけれどね。
その宣言によって、街の中は さらに緊迫した状況になった。
学校の中でも、子どもであるにも関わらず、民族どうして一緒に行動して、そして喧嘩が起きたりしていたんだ。
つい最近までは一緒に遊んでいたのに。
168 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:28:33.35 ID:60HAO/620
街や学校、恐らく国内全域で、フルヴァツキ(クロアチア人)・ボシュニャチ(ボスニア人)とスルツキ(セルビア人)の間で緊迫した状況になっていたんだと思う。
親には外で遊ぶのは辞めなさいと言われるようになっていたし、一緒に遊んでいた8人も親から同様の事を言われていた。
大人は、例え子どもであったとしても、他民族の子には冷たくするようになってきていた。
今の東京の比じゃないくらい、寂しく悲しい街へと変わっていたんだ。
169 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:29:28.89 ID:60HAO/620
年が明けて1992年になっても、状況は好転せず、ますます混迷を極めてきていた。
民族ごとに武装の準備を始めたり、時には街中で銃を持ってあるく市民も出始めていたんだ。
初めて目にする銃は、とても怖かった。
でも非現実的な光景に見えて仕方が無かったんだ。
まさか、そんなのを使うわけ無いでしょってね。
171 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 16:32:57.26 ID:5swMK0ox0
フルヴァツキとスルツキが対立してるのは分かったけど、この時のボシュナチの立場ってどういう状況なんだ?
よく分からなくてごめん
>>次のページへ続く
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