2chの男女恋愛に関わる 復讐話寝取られ話旅スレ に特化した話題を掲載していきます。
easterEgg
 
 

おすすめ記事

 
 
 

おすすめ記事(短め)

 
 
 
 
 

こちらもどうぞ

 

 

幼少時代から中国、アメリカで育った自分が、狂った親の手から逃れるためにとった行動とは
(4ページ目)  最初から読む >>

 

\ シェアする /


52 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/12/13(日) 22:26:07.70 ID:T/oHD9IF.net
早くこの家から逃げなきゃ。

そう思って必死に方法を探して見えたのが大学進学。

州で一番いい大学が全寮制で、そこなら学歴大好きな親も行かせてくれるし自分も親から離れられる。

しかも、日本で言う早慶レベルの大学だから、将来いい就職先も見付けられるし、そしたら完璧に離れられると思って、その日から本気で勉強した。

そこで壁が立ちふさがる。

本当は留学生の枠で入れば、トイフルの点数で入れるんだけど、チビがアメリカ国籍持ってるって理由で(そこは面倒くさい色々省くけど)、現地の学生扱いされてしまう。

つまり、言語のハンデを考えてくれないってこと。

私、アメリカに二年間いて、トイフル受けて そこそこの点数は取れたけど、アメリカのセンター試験は英語重視で四教科中三教科が英語みたいなものだった。

結果、第一志望は落ちた。

ギリギリ志望校のボーダーは超えたけど、審査内容で学校の成績とか、自己アピールとか そういうのもあるから、ボーダー越えても受かるとは限らないんだよね。

州で二番目にいい学校は受かったから、あんまり母親に文句は言われなかったけど。

ボーダー結構越えてたから、給付金も もらえたしね。

そこは家から近かったし、全寮制でもないから私は実家暮らしのままだった。


53 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/12/13(日) 22:31:41.75 ID:T/oHD9IF.net
高校を卒業して大学に。

アメリカの大学は想像以上に難しくて、単位を落とさないだけで精一杯だった。

当然成績とかもC評価ばかりで、母親からめちゃくちゃ怒られた。

流石に その年になると、殴られるとかはなかったけど、かわりに言葉の暴力が酷かった。

父親に捨てられて母親が養ってくれたという考えがこびりついてたから、「私が養った。お金もかけた」みたいな事を言われると、どうしても反論できなかった。


その時、母親のもう一つの特徴として、私より五、六歳くらい年上の息子のいる母親と仲良くしては、私を連れて遊びに行ってた。

その時の母親が毎回言う言葉が

「この子はね、女子校育ちで男と手を繋いだこともないのよー」

その頃になると、母親はよく大学卒業して、お母さんが探した男と結婚して、それで いつまでもお母さんのそばで暮らしてねとよく言っていた。

私はだんだんそれが恐ろしくなった。




54 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/12/13(日) 22:35:46.90 ID:T/oHD9IF.net
自分は大学を卒業しても逃げられるのだろうか?

よく母親に「あんたは一人で生きていけない」って言われるけど本当にそうなのだろうか?

そんな事を考えてると、勉強にも集中出来なくなって、成績はがた落ち。

アメリカの国立大学は、一定の単位が取れないと、強制1年間休学システムがあって、私は見事にそれに引っかかってしまった。

今まで10時間以上毎日必死に勉強して、やっとついていけてたレベルだから、当然と言えば当然の結果だ。

母親は大荒れ。圧力がすごくて、私はその日から自分はこの一年以内に自殺するかもな、と本気で悩んだ。

夜中に首吊り実験とかもしてた。


55 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/12/13(日) 22:38:53.57 ID:T/oHD9IF.net
ちなみに その時が大学二年生の途中。

その時ずっと励ましてくれたのが、日本にいた唯一の親友。

「帰国子女なら こっちの大学余裕でしょーwww 辛いなら戻っておいでーw」と言われて、日本に帰ろうと突然閃いた。

その日から、私はニートだと申し訳ないし、バイト始めるねと言って、今度はアメリカンレストランでウェイターを始めた。

ちなみに、大学入る前に免許はもう取った。


56 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/12/13(日) 22:42:00.03 ID:T/oHD9IF.net
バイトのお金は全部貯めた。

毎日朝9時から夜10くらい働いてた。

店長がすごい いい人で、私が事情を話すと、お金が必要だから入れる日は全部入りなさいって言って、シフトも優先にしてくれた。

半年も働けば、日本円にして60万は稼げた。

でも60万で何が出来るんだろう。

飛行機代だけでも10万はかかる。残り50万だとアパートを借りるので精いっぱいだ。

そもそもアパートの保証人はどうするんだろう。

でも、急がないと一年というタイムリミットが過ぎる。

そこで思い付いたのが実の父親。


57 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/12/13(日) 22:47:08.19 ID:T/oHD9IF.net
私は祖母から実の父親の電話番号を聞き出した。

電話する時、小5の時の事を思い出して、同じ事言われるかも知れないと覚悟した。

父親が電話に出る。

私は、お父さんに会ってみたいと言うと、父親は快く了承してくれた。

中国までの飛行機チケットも出してくれるという。

私は母親にちょっと父親がどんな人か会ってくるね、と告げると、母親に「やっぱり犬と同じね、小さい時から躾けないと、主人の事に柔順じゃなくなる」と言われて、やっぱりここを離れるのは正解だなと思った。


中国の空港で父親が待ってくれていた。

父親の家にいると、15歳年下の奥さんと、双子の妹と弟がいてびっくりした。

あー、やっと安定した家を持てたから、私が来てもいいってことねって納得もした。




59 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/12/13(日) 22:52:49.76 ID:T/oHD9IF.net
二週間滞在する予定だった。

父親はあの後、刺繍セットの商売を始めて、結構上手く行ってる感じで、家も広かった。

で、ここから父から聞いた過去の話。

あの後 母親にも確認したから、簡単にまとめると

父親がどこからか嗅ぎ付けたか知らないけど、母親が日本に行ったと知る。

それで自分も行きたいと母親に「やりなおそう」と手紙を出す。

その言葉を信じて、母親お金を払って父親の分の申請も出す。

でも父親こっちに来ると学校にも行かないで、毎日バイト。

単位取れなくて進学できず、ビザが切れても不法滞在でバイトを続ける。

それでお金が貯まったら一人でまた勝手に中国に帰って行った。


父親は母親と目指してた物が違ってたから、を連発してたけど、こいつクズだなって思った。

母親は自分を二度も騙した男と自分を重ねてたんだろうなって思った。

性格とか確かにそっくりだったしw


60 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/12/13(日) 22:58:19.45 ID:T/oHD9IF.net
中国人大好きな親族集まりで、すごく幸せです、お母さんも厳しくしてくれて とてもいい母親ですって幸せアピールして、父親の面子を潰さないようにした。

それで父親の前では、誰にも出来なかった不幸自慢を とことんしまくった。

突然降って現れた妹と弟の面倒もよく見た。

私から見たら、恐ろしい程躾が出来てない子達で、幸せに育ったんだろうなって憎かった。

もう手伝えることあれば何でも手伝った。

結構観光スポットもある場所だったけど、どこも行かずに毎日父親と店番した。


それで最終日に「今まで申し訳ない」と日本円200万円相当を現金で渡してくれた。


62 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/12/13(日) 23:05:48.51 ID:T/oHD9IF.net
私は心の中で喜びに喜んだ。

汚い人間かもしれないけど、お金なければ何も出来ないわけだし。

そのまま私はアメリカに帰って、母親に日本帰る宣言をした。


母親は当然大反対。

母親の用意してくれた人生だと、私はずっとアメリカで生きて、アメリカで死んでく予定だったからねw

君のお金は一銭も使いません。自分で生きていきます。自立するんです。って言ったら、

「今まであんたに使ったお金返せ」と言われた。

「子供を育てるのは親の義務でしょ?」と言ったら母親は びっくりして言葉を詰まらせた。

多分、私が長年一度も反発した事ないから、驚いてたと思う。

こっちは生死をかけての戦いのつもりだったから、心臓バクバクだったけど頑張った。

頭は妙に冴えてたしwww


「私だけお金払って!あの男はいいわよね!あなたを引き取らなかったから お金も払わないで済むし!不公平だ」みたいな事言ったから

「これからは あの男にもちゃんと払ってもらうからご心配なく。養育費は私のお金でお母さんのお金じゃないしね。不公平じゃないよ」と言ってやったら完璧に黙った。

チビは隣で「今まで育てたのに、感謝もしないとはやっぱり実の娘じゃないから」って呟いてたけど

「16歳の時の話し合い、まだ録音残ってるからな。いい気になるなよ」って言ったら、顔真っ赤にして黙った。


63 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/12/13(日) 23:09:53.96 ID:T/oHD9IF.net
私は部屋に籠ると、一番早い飛行機チケットを買った。

出発は三日後だった。

さっそく荷物をまとめると、6歳の妹が泣きながら部屋に入って来た。

それで私に紙を渡してくれて、見ると「Good-by Letter」って書いてあって

内容は「お姉ちゃんがいなくなるのは すごく寂しいけど、お姉ちゃんはお姉ちゃんのしたい事があるから がまんします。

でもやっぱりかなしいです。かなしいけど がまんします。

日本にいっても私の事忘れないでね。べんきょうがんばって」

みたいな事が書いてあって、その場で妹抱き締めて二人で泣いた。

妹は本当にいい子で、いつも私の後ろを付いて回るような子で大好きだった。

ちなみに その手紙はいまでも宝物です。



>>次のページへ続く
 
カテゴリー:人生・生活  |  タグ:マジキチ, 修羅場・人間関係,
 


\ シェアする /


関連記事

 
































easterEgg記事特集ページ

 

新着記事

 

 
 
 
 
 

こちらもどうぞ

 

 

おすすめ記事1

 

 
 

おすすめ記事2

 


 

おすすめ記事3

 


 

人気記事(7days)

 

 

新着記事