中学生のころ、ウチの店によく来る親子連れがいた
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確かに付き合っていた彼女には、後輩ほど思い入れや親近感はなかった。
信じては もらえないかもしれないが、後輩とは偶然以外では手もつないだこともなかった。
キスはもちろん、セックスなんて考えられないような まさに純愛だった。
中学からの付き合いで、毎日一緒にいるので何度もそういった衝動に駆られたこともあったが理性で何とか押さえ込んでいた。
今考えてみると、エッチなことをして嫌われるのが怖かったからなのかもしれない。
しかし、女の人の手を握ったこともないまま高校を卒業した俺でも、性欲はしっかりあり、どこかで発散したくてしょうがなかった。
そんなときに友達から紹介されて彼女と出会った。
彼女は後輩とは全くタイプが違い、非常に積極的だった。
会ったその日のうちに腕を組んできて、キスもした。
次の日には彼女の部屋に呼ばれて泊まるような関係になった。
彼女は俺の欲望の全てを知っているかの如く、全てを満たしてくれた。
彼女も好きだったのだと思う。何度でも応じてくれていた。
しかし、欲望が満たされるとすぐ、後輩の顔が思い浮かんでいた。
彼女のことが好きだったのか? と考えると、好きだったのだと思う。
しかし、後輩を思う感覚とは まるで違うものであったことは確かだ。
それが「友情」と「愛情」の違いなのか、「愛情」と「家族愛」の違いなのかは分からなかっが・・・
非常に申し訳ない言い方だが、彼女のことはセックスフレンドと思っていたのかも知れない。
とても勝手な考え方だが・・・
お袋が泣いて言葉にならなくなると親父が
「どっちを選ぼうとおまえに自由だ。
ただし、よく考えて選べ。
中途半端なことをして『やっぱり変える』なんてことをして○○ちゃんをまた泣かせたら俺が承知しない。
本当に好きな子を選べ」
と俺を睨みつけながら言った。
俺は また後輩のそばで看病していた。
後輩は眠っていた。
不思議とこんな恵まれた環境にありながらスケベな感情は一切、湧き上がってこなかった。
そばにいて顔を見ているだけでとても幸せだった。
俺はそのまま床に転がって眠ってしまった。
気付くと後輩はベットにはいなかった。
店にいって見ると後輩とお袋が口論をしていた。
「もう1日休め」「もう大丈夫」の言い合いだった。
結局、親父の一言でもう1日、俺の部屋で休むことになった。
俺は看病を命令された。
その日、1日中後輩と話していた。
中学の頃みんなに冷やかされたことや、学生時代の思い出話、遊びにいったときの話、楽しいことも辛いことも、思い出は いつも後輩と一緒だった。
俺が中2、後輩が中1の時からずっと一緒にいたのだから当然と言えば当然だが、俺は そのことに気がつくと心の中が決まった。
その日も後輩をうちに泊め、1晩中話をしていた。
家に帰った方が休めたかもしれないが・・・
次の日、俺は付き合っていた彼女に別れてくれるようにお願いしに行った。
ごねられたらどうしようかと内心思っていたが、あっさりとOKされた。
あとで友達に聞いた話だが、俺の他にも付き合っている人がいたらしい。
俺は急いで帰って後輩を呼び出した。
そして彼女と別れたことを言って俺と付き合って欲しいと告白した。
後輩は呆然としていたが、しばらくして泣きだした。
「私なんか駄目です。私なんか駄目です」と繰り返すばかりだった。
とにかく考えてもらうことにして その日は送っていった。
家に帰り、親父達に彼女と別れたことと後輩に告白したことを報告すると2人とも喜んでいた。
しかし、
「おまえが今までして来たことを考えると、○○ちゃんに振られても ちっともおかしないんだから覚悟しておけ!」
と親父に言われた一言が心に深く刺さっていた。
次の日、後輩は いつもより1時間早く来た。
うちは朝4時から仕事なのだが、3時前にはもう来ていた。
昨日の返事をしたいということだった。
答えはNoだった。
理由を聞くと 小さい頃からお世話になっているところの息子に、これ以上迷惑をかけられない。
お付き合いなんて厚かましくてとんでもない。
ということだった。
親父達が「今日は2人でゆっくり話し合え」と休みをもらったので俺の部屋で話をすることにした。
俺は、今まで付き合っていた彼女のことが原因だと思っていた。
だからそのことをとにかく謝った。
全てを後輩に話し、このことが原因だったら そう言ってくれと頼んだ。
彼女とのことが原因だったら「身から出たサビ」と言うことなので すんなりあきらめようと思っていた。
しかし、お世話になったとか何とかという無理やりな理由はやめて欲しかった。
後輩は、彼女が原因ではないと言った。
彼女のことは とても悔しかったらしい。
自殺しようと思ったこともあったらしい。
けれども俺に「彼女と別れてくれ」と わがままも言えないので我慢していたらしい。
後輩は かなり遠慮深いので、本当に俺と付き合うことを厚かましいことと思っていた。
俺は そういうことなら俺からお願いしているんだから、俺の願いを聞いてくれ と頼み込んだ。
するとやっとOKをもらった。
その日、うちでは お祝いになった。
後輩の家族も招いて、豆腐屋のおじさん一家も招いて「交際記念パーティー」となった。
俺のお袋と後輩のお袋、後輩は ずっと泣きながら話していた。
そのとき、後輩の弟がおじさんに気に入られ、豆腐屋のバイトをはじめることになった。
俺と後輩との交際は学生のころと同じで、手もつながないデートをしていた。
しかし、なぜか性欲は満たされている気がした。
もちろん、毎日オナペットにはしていたが・・・
俺もタイミングが悪く、プロポーズしようとしていながら なかなかできず10年がたってしまった。
彼女との交際は相変わらずだったが、愛情は深まって行くばかりだった。
うちの店も配達なども多くなり、店がかなり手狭になったので新築することにした。
この機会に後輩のお袋さんも うちで一緒に住んだらどうかという親父の提案に俺は大賛成をした。
このことを後輩に教えた。
そして一気にプロポーズをした。
いつものように後輩は泣きだした。
「私なんか駄目です」病がはじまったので、思い切って抱きしめた。
しばらくして「お願いします」と小さな声でOKをくれた。
俺は約10年間持ち続けた婚約指輪をやっと渡すことができた。
後輩は「私なんか駄目です」病だったが、後輩のお袋さんは「滅相もない」病の持ち主だった。
結婚の許可は すぐにもらえたが、同居に関しては1ヶ月以上かかった。
後輩のお袋さんも うちの住み込み従業員ということでやっと納得してもらって、今はうちの両親、俺達夫婦、お袋さん、妹2人の7人で暮らしている。
もうすぐ8人になるが。
ちなみに弟は おじさんの娘と交際中だ。
婿養子になるらしい。
カテゴリー:人生・生活 | タグ:すっきりした話, 純愛, ちょっといい話,
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