死なせてしまった女に贖罪をさせてくれ
スレが立ったら、淡々と書いていく。
おかしなところがあったら、教えてくれ。
まず、俺が高校生だった頃まで話は遡る。
俺の名前は たかおという事にしておいて欲しい。
今回の話と直接関係ないので、特に家庭の事は語らないが、酷い家庭環境で育った俺は、小中学生と、暗く孤独な生活を送っていた。
友達と呼べる奴はいなく、思い出と呼べる楽しげなものなど皆無だった。
誰かと馴れ合うことを良しとせず、心も荒んでいたので、ケンカばかりしていたし、また、ケンカが滅法強かった。
ケンカが強い、と言うと、語弊があるかも知れない。
友達がいなかったので、誰かに嫌われたり、仲間外れにされることが怖くなかったし、いつ死んでも一向に構わないという気持ちでいたのでケンカに負けるという定義がなかったというのが本当のところかもしれない。
ただ、辺り構わずケンカを吹っかけるほど情熱があるわけでもなし、関わらなければ噛みつかないというスタンスだったので、周りから距離を取られていたし、それがまた有り難くもあった。
今にして思えば、それは心の未発達からくる、病の一種だったのかも知れない。
というのも、中学3年のとき、俺はこのままでは駄目だとはっきりと自覚していたからだ。
このままではいけない。やり直したい。友達が欲しい。人と話したい。誰かに認められたい。みんなの注目を集めたい。
何だか、一気に、自我が芽生えて、強烈に欲求が次々に産まれてきた。
幸い高校に上がるとき、俺は家庭の事情からくる、ある呪縛から自由になることを約束されていた。
自分の「したい」が許される状況を前に、様々な未来を夢想しては愉しんだ。
歌舞伎町のホストだな
>>14
ホストではない。田舎ものだ。
高校進学は色んな意味で区切りとなった。
俺は、同じ中学から3人しか行かない、新設校を選んで進学をした。
全てをリセットして新たなスタートを切るべく、俺の成績からしたら遥かにレベルが落ちる高校を、俺を知る人間が最も少ないという理由で選んで進学したのだ。
いわゆる高校デビューという奴を目論んでいた。
高校に上がってからは、人が変わったかのように明るく振る舞った。
すすんで冗談やエロトークをしたり、部活を一生懸命やったり、ケンカは一切せず、誰かを威嚇したり怒ったりしない、つまりは小中学生の頃と正反対の人間を目指していた。
今まで笑わなかった時間を取り戻すかのように、たくさん笑って、いつもニコニコしてるね、と色んな人から言っても貰っていた。
当然、同じ中学の奴らは、あいつは中学の時、あんな奴じゃなかった、なんて影口をたたいたが、狂犬だった頃の目で睨みを効かせたら すぐに何も言わなくなったし、誰も俺が本当は暗い人間だという事を信じたりはしなかった。
自然、俺の周りに人が集まってくるようになった。
小中学生だった頃は他人に距離を置かれていたので気づかなかったが、俺がイケメンである事こを周りに教えてもらったのもこの頃だ。
入学して半年もすると、数人の女の子から告白も受けた。
学校のレベルを下げたこともあり、成績もトップクラスであった。
足が速かったから、という理由で入った陸上部では敵無しで、一年の頃から、地方大会では優勝するレベルであった。
俺の高校デビューは華々しかった。
けれども、小中学生と友達のいなかった自分は、表面上は誰とでも仲良くしつつも、本当の心は誰にも開けないでいた。
学校でも有名な二枚目、スポーツも出来て成績も良い。
そんな自分を作り上げるしか自分のアイデンティティを保てず、いつしか、本当は下らない人間だという事がバレる日が来ることを怖れるようになった。
そんな、俺の内面を見抜いたやつが一人だけいた。そいつの名は、Kとしておく。
結果、Kとは高校3年間同じクラスで親友になるやつでもある。
Kは、何というか、俺とは反対の人間だった。
特に努力をしなくても、自然と人が寄ってくる天然物のイケメンだった。
ぐいぐい、人の先頭に立ったり、話題の中心になろうとしなくても、みんながKの事を認めていたし、誰隔てなく優しい男だった。
誰もKの悪口を言わなかったし、Kも誰の悪口も言わなかった。
俺は どちらかといえば、あまり、人に心を開くことが苦手だったし、その割には、どうですか、このハイスペックな俺、みたいな押し付けがましいところがあり、人の嫉妬を買うことも、ままあった。
そうしないと、下らない人間だという事がバレてしまうという強迫観念みたいなものに縛られていたのだと、今にしてみれば思う。