二重人格
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最初は、私のことを持ち出されると激しく抗った妻が、何の躊躇いもなく私と男を比較して淫らな言葉を叫ぶのでした。
小1時間もほぼ連続して交わりながら、木原はまだ一度も射精していません。
その間、萎えることもなく緩急様々に女を攻め続けることなど、私には及びもつかぬことでした。
私には与えることのできない途方もない悦楽を受けてのたうつ妻の女体を打ちのめされながら私は見つめ続けました。
「あぅっ、いいっ……いいのぉ……あなたの逞しくて固いのがいいのぉっ!」
「ああっ、突いてぇ……グリグリしてぇ……大っきいチンポでグリグリしてぇ!」
快楽に狂わされているとはいえ、あの上品な妻の口から便所の落書きのような卑猥極まりない言葉を吐かせるとは……。
木原も最後のモードに入ったらしく、遙海の両腿を抱え上げると激しいピストンを連続して繰り出していきます。
逞しい牡に本気で追い上げられて妻は、もう言葉にもならない呻きを立て続けに上げながら、シーツを掻き毟ってのたうち回りました。
「いっ、いくわ……いっちゃう……あ、あなた……あなたも来てぇ!」
「どこに欲しいんだ?」
「ああっ、中っ……中よぉ……遙海の中にいっぱいちょうだい!」
美しい顔を引き攣らせて、狂ったように妻は中出しをおねだりするのでした。
やがて、低い唸り声とともに男の腰が大きく二度、三度と打ち付けられ、そして、ぴたりと止まりました。
「ぁー……!」
巨大なこわばりから迸る煮えたぎった樹液を膣奥に受けて、声にならない断末魔の叫びを上げて遙海は逝きました。
身も心も融け合うような二人の絶頂は深く長く続きました。
やがて、大きくため息をつくと木原は、結合を解き遙海の傍らに身を横たえました。
エクスタシーの海に漂う遙海が満足げに木原の胸に顔を寄せます。
黒々とした恥毛は愛液と汗でべっとりと濡れそぼり、秘裂は傷口のように開いて、その中から白濁した男の絶頂のしるしがドロリと流れ出しました。
その少し下、左の尻の膨らみが始まる間際に、小さなほくろが見えます。
それは愛しい妻の、私しか知らないはずだった愛らしいしるしでした。
その後、シャワーを浴びて汗を流した二人は、再び体を合わせ、たっぷりと濃密な時間を過ごしました。
これ以上、詳しく書くことは控えますが、
手錠や縄で緊縛された妻は、ローターやバイブ、見たこともない淫らなオモチャを秘裂は、おろか、アナルにまで使われて乱れ狂い、数えきれぬほどの回数、絶頂に押し上げられていました。
そして、信じられないことに、木原はその間、最初の一度を含めて四回も精を噴き上げていたのです。
私より、はるかに年上なのに、木原という男は驚くべき精力の持ち主でした。
とても私には及びもつかない木原の巨根と絶倫さに、牝として妻はすっかり屈服させられてしまったのでしょうか。
膣内深くに二回、シックスナインからの淫らなフェラチオでは妻の口に一回、そして、最後はバックから深々とアナルを突き立てて……。
この時、妻は秘裂にも太いバイブを突き入れられたまま絶頂し、快楽極みに股間から失禁のしぶきを飛ばしながら失神していました。
もう、何を見せられても驚きません。
すべてのタブーを取り払い、ありとあらゆる性愛の限りを尽くして、極太のこわばりをアナルにまで受け入れて乱れ狂う画面の中の女が、私の知る淑やかで知的な妻・遙海と同一人物であるとは、どうしても信じることができないのです。
--------------------
それから、3日3晩かけて私は、レンタルルームから持ち帰ったビデオのすべてに目を通しました。
驚くことに その中で妻は、木原だけではなく複数の男と関係を持っていたのです。
それだけではありません。
ビデオの中には、レズビアンプレイも含め、複数の男女とのアブノーマル極まりないプレイも納められていたのです。
妻たちが事故死したあの日、直前まで二人が交わっていたラブホテルの清掃員は、もう一人、女性が同室していたのではと感じていたと言いますが、彼女の勘は正しかったのでした。
死に至るドライブの直前、昼下がりの密室で、妻たちは男1人に女2人という、常軌を逸した淫らな複数プレイを楽しんでいたに違いありません。
唯一、ビデオに登場する妻の相手には、男女ともにどれも全く面識がなかったことが、私にとって救いにもならない救いでした。
妻は、ビデオの中で今まで通りの美しい女でした。
そして、同時に、悦楽の限りを貪欲に求め尽くす限りなく淫らな女でもありました。
私の前では上品で貞淑な妻を演じながら、どうしてこれほど淫乱な女の内面を隠しおおせて生きることができたのでしょうか?
私はそれほど鈍感で馬鹿な夫だったのでしょうか?
--------------------
「解離性同一性障害」。
ふとこの言葉が頭をよぎりました。
一般には「二重人格」という言葉で知られ、複数の人格が一人の人間に現れるという精神的疾患です。
内面を隠して貞淑な妻を演じていたにしろ、複数人格が出現する病を病んでいたにしろ、知的で性の面では控えめな貞淑そのものの妻と、複数の男のみならず女とまで交わる淫乱極まりないふしだら女、この二つが妻・遙海の中に同居していたことは紛れもない事実のようです。
精神医学の専門書に依れば、「解離性同一性障害」の場合、重度の記憶喪失を伴うことが多く、主人格(この場合は貞淑な妻・遙海)と交代人格(淫乱極まりない女・遙海)の間では、記憶が継承・共有されないとされていますが、ビデオを見る限りそうとは言えず、精神医学を専門としない私には、かえって謎が深まるばかりでした。
--------------------
いつまでも休んでいるわけにもいかず、それから一週間後、私は仕事に復帰しました。
ただ、当分は病院側の配慮で昼間だけの勤務にしてもらえたので、夕方からは自由な時間を持つことができました。
その間、医学生時代の友人で精神科医をしている何人かに、「解離性同一性障害」のことを電話で尋ねましたが、妻のことを打ち明ける気持ちには どうしてもなりませんから、一般論としての質問になり、彼らの答えもまた一般論としての答えで、妻の謎を解く手がかりには ほとんどなりませんでした。
友人たちは口々に、「実際に会って診察してみないことには何とも言えない」と言います。
医師としては当然の答えですが、それが叶うはずもありません。
興信所に頼んで妻のことを調べてもらおうとも考えましたが、すでに死亡していては調査のしようがなく、妻の相手達の調査を依頼するには、妻の映ったビデオを見せるしかなく、とてもそんな気持ちになりません。
八方ふさがりのまま日を過ごしているうちに、妻の四十九日が過ぎていきました。
--------------------
その日、難しい症例の患者の治療方針について後輩の主治医とのカンファレンスが長引き、いつもより帰りが遅くなりました。
すっかり暗くなった道をマンションへ戻る車内に携帯の着信音が鳴り響きます。
さては患者が急変したのかと急いで出ると、相手は知らない女の声でした。
「突然お電話してごめんなさい。奥様のことで、どうしてもお知らせしておきたいことがありましてお電話しました。お手間は取らせませんから、これからお会いできませんか?」
その声は柔らかく落ち着いた声でした。
一瞬、躊躇いましたが私は、女の申し出を受け入れ、指定された小料理屋へ車を走らせました。
「竹下様ですね。お連れ様がお待ちです。ご案内します」
女将にそう言われて奥の小さな座敷に入ると、30代半ばと見える女性がきちんと正座して私を待っていました。
その顔を見るなり私は、あっと声を上げそうなくらい驚きました。
卵形の整った顔にすっきりと通った鼻筋、切れ長の大きな瞳に艶めかしい唇。
見るからにキャリアウーマンという上品なスーツを着こなした彼女は、あのビデオの中で妻とともに複数の男達と淫らなプレイを繰り広げていた女の一人に他ならなかったのです。
「ごめんなさい。突然、お呼びしたりして……それに、私のことはもうご存じですね」
「……」
突然こみ上げてきた激情に駆られて声もなく突っ立っている私に落ち着いた様子で席を勧め女は続けます。
「私は、並木純子と申します。お怒りは ごもっともですが、どうしてもお話ししておかなければと思いまして……」
「あの手紙を出したのは君だな」
絞り出すような声で私は尋ねました。その声には殺意すらこもっていたかも知れません。
肯定のしるしに頷くと女は女将に、料理と酒の手はずを頼み、私の様子に恐れる素振りも見せずに話し出しました。
「奥様のことお悔やみ申し上げます。親しくさせていただいていたので、あんな風にお亡くなりなって私にとってもショックでした」
「どういうつもりなんだ。妻をあんな風に弄んでおいて、今更、お悔やみもないだろう!」
「そう思われても仕方ありませんわ。でも、私たちは奥様のことを大切に思ってましたし、奥様も私たちとのことをとても楽しんでおられたんですよ」
沸々と湧き上がってきた怒りに私は声を荒げてしまいます。
「それはそうだろう。良かったな、変態同士、精いっぱい楽しめて。それとも知らずに、上品で貞淑な妻を演ずる遙海にコロッと騙されて、さぞかしマヌケな亭主だと思ったろうよ」
「それは違います!」
言下に否定した女の口調には有無を言わせないものがあり、私は思わず口を閉じます。
「それは違います。奥様はご主人を騙していたんじゃありません。奥様はご主人のことを誰よりも深く愛してらっしゃいました。いえ、奥様はご主人だけを愛してらっしゃったのです」
「バカな気休めは、ほどほどにしろ!それじゃ、妻は解離性同一性障害だったと言うのか?デタラメを言うんじゃない。妻の記憶は途切れてなんかいないじゃないか!」
怒りに拳を震わせる私に女は言いました。
「さすがですね、竹下先生。確かに解離性同一性障害の場合、一般的には二つの人格間で記憶の共有はあり得ないとされて来ました。しかし、精神疾患の場合、けっこう例外もあるのです。最近は症例もいくつか報告されています」
「何だって? 君は医者か?」
「はい、こう見えましても精神科医の端くれです。奥様の場合も、出現した交代人格には、本当の意味では、ご主人との記憶は継承されていません。しかし、そこには、新しく形成されたご主人との関係の記憶があったのです」
「……」
料理が運ばれてきて、彼女と私の会話はしばし中断されました。
「分かりにくい言い方になって済みません。つまり、奥様の主人格と交代人格の間には、本当の意味の記憶の継承はないのですが、交代人格で奥様は、あなたとの真実の記憶、つまりあなたと奥様との間に実際にあった事柄ですが、その裏返しの記憶、いわば鏡像のような記憶を継承していたのです」
もう、何を見せられても驚きません。
すべてのタブーを取り払い、ありとあらゆる性愛の限りを尽くして、極太のこわばりをアナルにまで受け入れて乱れ狂う画面の中の女が、私の知る淑やかで知的な妻・遙海と同一人物であるとは、どうしても信じることができないのです。
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それから、3日3晩かけて私は、レンタルルームから持ち帰ったビデオのすべてに目を通しました。
驚くことに その中で妻は、木原だけではなく複数の男と関係を持っていたのです。
それだけではありません。
ビデオの中には、レズビアンプレイも含め、複数の男女とのアブノーマル極まりないプレイも納められていたのです。
妻たちが事故死したあの日、直前まで二人が交わっていたラブホテルの清掃員は、もう一人、女性が同室していたのではと感じていたと言いますが、彼女の勘は正しかったのでした。
死に至るドライブの直前、昼下がりの密室で、妻たちは男1人に女2人という、常軌を逸した淫らな複数プレイを楽しんでいたに違いありません。
唯一、ビデオに登場する妻の相手には、男女ともにどれも全く面識がなかったことが、私にとって救いにもならない救いでした。
妻は、ビデオの中で今まで通りの美しい女でした。
そして、同時に、悦楽の限りを貪欲に求め尽くす限りなく淫らな女でもありました。
私の前では上品で貞淑な妻を演じながら、どうしてこれほど淫乱な女の内面を隠しおおせて生きることができたのでしょうか?
私はそれほど鈍感で馬鹿な夫だったのでしょうか?
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「解離性同一性障害」。
ふとこの言葉が頭をよぎりました。
一般には「二重人格」という言葉で知られ、複数の人格が一人の人間に現れるという精神的疾患です。
内面を隠して貞淑な妻を演じていたにしろ、複数人格が出現する病を病んでいたにしろ、知的で性の面では控えめな貞淑そのものの妻と、複数の男のみならず女とまで交わる淫乱極まりないふしだら女、この二つが妻・遙海の中に同居していたことは紛れもない事実のようです。
精神医学の専門書に依れば、「解離性同一性障害」の場合、重度の記憶喪失を伴うことが多く、主人格(この場合は貞淑な妻・遙海)と交代人格(淫乱極まりない女・遙海)の間では、記憶が継承・共有されないとされていますが、ビデオを見る限りそうとは言えず、精神医学を専門としない私には、かえって謎が深まるばかりでした。
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いつまでも休んでいるわけにもいかず、それから一週間後、私は仕事に復帰しました。
ただ、当分は病院側の配慮で昼間だけの勤務にしてもらえたので、夕方からは自由な時間を持つことができました。
その間、医学生時代の友人で精神科医をしている何人かに、「解離性同一性障害」のことを電話で尋ねましたが、妻のことを打ち明ける気持ちには どうしてもなりませんから、一般論としての質問になり、彼らの答えもまた一般論としての答えで、妻の謎を解く手がかりには ほとんどなりませんでした。
友人たちは口々に、「実際に会って診察してみないことには何とも言えない」と言います。
医師としては当然の答えですが、それが叶うはずもありません。
興信所に頼んで妻のことを調べてもらおうとも考えましたが、すでに死亡していては調査のしようがなく、妻の相手達の調査を依頼するには、妻の映ったビデオを見せるしかなく、とてもそんな気持ちになりません。
八方ふさがりのまま日を過ごしているうちに、妻の四十九日が過ぎていきました。
--------------------
その日、難しい症例の患者の治療方針について後輩の主治医とのカンファレンスが長引き、いつもより帰りが遅くなりました。
すっかり暗くなった道をマンションへ戻る車内に携帯の着信音が鳴り響きます。
さては患者が急変したのかと急いで出ると、相手は知らない女の声でした。
「突然お電話してごめんなさい。奥様のことで、どうしてもお知らせしておきたいことがありましてお電話しました。お手間は取らせませんから、これからお会いできませんか?」
その声は柔らかく落ち着いた声でした。
一瞬、躊躇いましたが私は、女の申し出を受け入れ、指定された小料理屋へ車を走らせました。
「竹下様ですね。お連れ様がお待ちです。ご案内します」
女将にそう言われて奥の小さな座敷に入ると、30代半ばと見える女性がきちんと正座して私を待っていました。
その顔を見るなり私は、あっと声を上げそうなくらい驚きました。
卵形の整った顔にすっきりと通った鼻筋、切れ長の大きな瞳に艶めかしい唇。
見るからにキャリアウーマンという上品なスーツを着こなした彼女は、あのビデオの中で妻とともに複数の男達と淫らなプレイを繰り広げていた女の一人に他ならなかったのです。
「ごめんなさい。突然、お呼びしたりして……それに、私のことはもうご存じですね」
「……」
突然こみ上げてきた激情に駆られて声もなく突っ立っている私に落ち着いた様子で席を勧め女は続けます。
「私は、並木純子と申します。お怒りは ごもっともですが、どうしてもお話ししておかなければと思いまして……」
「あの手紙を出したのは君だな」
絞り出すような声で私は尋ねました。その声には殺意すらこもっていたかも知れません。
肯定のしるしに頷くと女は女将に、料理と酒の手はずを頼み、私の様子に恐れる素振りも見せずに話し出しました。
「奥様のことお悔やみ申し上げます。親しくさせていただいていたので、あんな風にお亡くなりなって私にとってもショックでした」
「どういうつもりなんだ。妻をあんな風に弄んでおいて、今更、お悔やみもないだろう!」
「そう思われても仕方ありませんわ。でも、私たちは奥様のことを大切に思ってましたし、奥様も私たちとのことをとても楽しんでおられたんですよ」
沸々と湧き上がってきた怒りに私は声を荒げてしまいます。
「それはそうだろう。良かったな、変態同士、精いっぱい楽しめて。それとも知らずに、上品で貞淑な妻を演ずる遙海にコロッと騙されて、さぞかしマヌケな亭主だと思ったろうよ」
「それは違います!」
言下に否定した女の口調には有無を言わせないものがあり、私は思わず口を閉じます。
「それは違います。奥様はご主人を騙していたんじゃありません。奥様はご主人のことを誰よりも深く愛してらっしゃいました。いえ、奥様はご主人だけを愛してらっしゃったのです」
「バカな気休めは、ほどほどにしろ!それじゃ、妻は解離性同一性障害だったと言うのか?デタラメを言うんじゃない。妻の記憶は途切れてなんかいないじゃないか!」
怒りに拳を震わせる私に女は言いました。
「さすがですね、竹下先生。確かに解離性同一性障害の場合、一般的には二つの人格間で記憶の共有はあり得ないとされて来ました。しかし、精神疾患の場合、けっこう例外もあるのです。最近は症例もいくつか報告されています」
「何だって? 君は医者か?」
「はい、こう見えましても精神科医の端くれです。奥様の場合も、出現した交代人格には、本当の意味では、ご主人との記憶は継承されていません。しかし、そこには、新しく形成されたご主人との関係の記憶があったのです」
「……」
料理が運ばれてきて、彼女と私の会話はしばし中断されました。
「分かりにくい言い方になって済みません。つまり、奥様の主人格と交代人格の間には、本当の意味の記憶の継承はないのですが、交代人格で奥様は、あなたとの真実の記憶、つまりあなたと奥様との間に実際にあった事柄ですが、その裏返しの記憶、いわば鏡像のような記憶を継承していたのです」
「それは、どういうことだ?」
「実生活で奥様は、あなたのことを自分には過ぎた理想的な人として尊敬し、そして、唯一の男性として深く愛して来たのです。そのことは精神科医として断言できます」
「……」
「しかし、奥様には解離性同一性障害がありました。発症の素因は、恐らく思春期に於ける経験に遡るものだと思われます」
並木純子と名乗った女の口調は、クライアントと接し慣れた精神科医のそれでした。
いつしか私は怒りを忘れて彼女の言葉に真剣に耳を傾けていました。
「簡潔に言えば、思春期に受けたある特異な経験によって、奥様の心には決定的な傷が生じたようでした」
「年月が経っても、その傷は癒えることはなく、奥様の心の奥底に深く沈潜していきました。しかし、その傷を無理矢理隠そうとすることで奥様は、解離性同一性障害を発症することになったと言うのが私の診断です」
「……」
「奥様が、先生の病院に転勤して来られた理由をお聞きになっていますか?」
「ああ、大都市の病院の気ぜわしさに疲れたと言っていたが……」
「それも嘘ではありません。でも、本当に理由は他にあったのです」
「それは何なんだ?」
「それは私の口からは言えません。しかし、東京の病院であったあることが、最終的に奥様の解離性同一性障害を引き起こす原因になったのだと思います」
「つまり、思春期に心に深く傷を負った遙海は、それを忘れようとしていた東京の病院で、あることに出会って、逆にそれを引き金に人格の分離を引き起こしてしまったと言うのかね、君は?」
「大筋はそのとおりです。そして、奥様は、そのことから逃れようと、前の病院を辞めてあなたの勤務する病院に移ったのです。
そこであなたに出会い奥様は、あなたのことを誰よりも、唯一、深く愛するようになりました。
けれども、奥様は、解離性同一性障害という厄介な病を持っておられました。
そして、そのことであなたを傷つけることを何よりも恐れていたのです」
俄には信じられないことですが、並木純子の言葉には、ある一定の説得力があったことは事実です。
いや、彼女の論理に頷くことに、私は救いを見出そうとしていたのかも知れません。
「奥様はあなたを愛し、あなたとの生活を何よりも大切に思っていました。
けれども、過去に受けた心の傷は余りにも深くて、奥様の意志とは関係なしに解離性同一性障害を引き起こしました。
逆説的に言えば、交代人格が現れることで、かろうじて奥様は心のバランスを保っていたのだと思います」
「交代人格で現実の記憶の裏返しとも言える主人格の記憶を引きずっていたことも、ご主人を忘れたくないという奥様の強い意志に依るものだと思います」
「……」
「ビデオの中で奥様は、あなたを傷つけるような言葉を吐きながら行為に及んでおられたでしょう。そのことであなたは深く傷つかれた……。でも、あれがあなたに対する奥様の愛の表現なのです。歪んではいますが、奥様の深い愛の現れなんですよ」
「何だか都合の良い話になってきたな」
「それでは、あなたはこれまで奥様と一緒に暮らしてきて、奥様のことを少しでも疑ったことがありましたか?」
「……」
彼女に言われるまでもなく、確かに、遙海は理想的な妻でした。
激務としか言いようがない勤務医の仕事をよく理解していた遙海は、私が疲労やストレスをため込まないよう、実に細やかに気遣ってくれていました。
しかも、その心遣いは わざとらしさを感じさせない、とても自然なものでした。
私が家に何の憂いもなく仕事に打ち込めたのも、遙海のおかげでした。
強いて言えば、子どもができなかったことと、夜の夫婦生活が いささか淡泊に過ぎるというのが不満と言えば不満でしたが、それを補って余りある遙海の深い思いやりを感じながら私は暮らしてきたのです。
ですから、並木純子の言う通り、妻のことを疑ったことなど露ほどもありませんでした。
「竹下先生、あなたのお立場では、なかなか信じてもらえないと思います。けれども、私が言ったことに嘘偽りはありません。誇張もしていませんよ」
「信じがたい話ですが、どうか、奥様のために信じてあげてください。あら、料理が冷えてしまいますわ」
それから、運ばれてきた料理に手をつけながら、私と並木純子は会話を交わし続けました。
突然に呼び出され、本意ではなかったにせよ、遙海のことを話題にして、誰かとじっくりと話すことを心の底で私は待望していたのかも知れません。
その時、何を食べ、何を飲んだのか、私には ほとんど記憶がありません。それほどに私は並木純子の話に引き込まれていました。
「ビデオで私のこともご覧になったのね?」
「ああ、見たよ……」
食事がほぼ終わった頃、適当にアルコールも入った二人の間には、それまでの敵対する緊張感とは違う空気が流れ出しているようでした。
「恥ずかしいわ……」
そう言って顔を伏せた純子は、敏腕の精神科医ではなく成熟した一人の女でした。頬やうなじが少し赤らんでいるのはアルコールのせいばかりではないようです。
「あれは、君にとっても治療の一環だったのじゃないのか?」
それには答えず彼女は今宵のお開きを宣しました。口調とどおりの冷静なものに戻っています。
「明日はお互いに勤務がありますので、今日はこの辺りでお開きにしましょう。今日は突然だったのにお付き合いしていただいてありがとうございました」
「私が本当のことだけをお話したことを信じてください。奥様のために……」
「よろしければ、週末にお会いできませんか? もう少しお話ししたいこともありますので……」
承諾のしるしに頷くと彼女はパッと美しい顔を輝かせましたが、その顔には安堵とともに別の不思議な表情が浮かんでいました。
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