神様の仮宿になっていた話をしたい
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「情を寄せたからだよ。綺麗、悲しい、寂しい、悔しいってそのお狐さんに向けて長年情を寄せた。そこまで思われて悪く思う神さんはいない」
「それなら他の神社とかには余り行かない方がいいんですかね」
「日本の神さんは結構大雑把だから大丈夫だよ。でも大雑把で大らかだけど基本は嫉妬深いものだから、他所に信仰を向けるのはやめた方がいいと思う」
「そういうもんですか」
「君のお狐さんは、君と色んな所に行くのを楽しんでるように思う」
その時点で日本中色々なところに行っていた。
その全てが同伴状態だったと思うと、なんだか少し恥ずかしくなってくる。
小豆さんに霊感があるのか聞いてみたけれど、
「見える事も感じる事もないよ。ただそう思うんだ。その感覚はあんまり疑わないようにしてるだけ」と返された。
確かに小豆さんは見えるとかそういう言葉を使っていなかった。
一貫して「思う」だった。
開場時間が差し迫ってきたので、小豆さんとはその辺りで別れた。
別れ際「あんま深く考えずに普通に過ごすといいよ」と言われた。
正直この時点で、小豆さんの話は全く信じていなかった。
神様が付いていると言っても特に良い事があるわけでもなし。生活は底辺だ。
でもよくよく考えると、再び神田神社に行ってから地元に戻るようになった。
犬猫には嫌われるようになった。
そして極め付けは実家のぴーちゃんだ。
ぴーちゃんは私の首と髪の間に入って寝るのが好きだったのに、実家に戻って以降近寄ってさえくれなくなった。愛鳥に明確に避けられている。
本当に一緒にいるのかもしれない。
信じきるわけではないけれど、極力地元を歩くようになった。
地方に行く時は初めて行く場所を回るよう心掛けた。
一度は行ったことある観光名所なんかももう一度足を運ぶようにした。
季節の花や綺麗な庭園を、色々なものを見せたいと思った。
翌年の節句祭り後、神社は修復された。
昔以上に白く綺麗な外壁に、剥き出しだった白い世界はまた隠された。
私は完全な零感だ。
祖父が亡くなった時も、みんな何かしら虫の知らせを感じて真夜中に起きたというのに私だけスルーされた。
何もなく一人爆睡していた。
実の祖父にすらスルーされた私に神田様との遭遇フラグが立つはずもない。
姿を垣間見たとか感じたとか何かしらあればこの覚書も盛り上がるのだろうけど、悲しいことに何もない。
神田様が一緒にいる事を意識して清く正しい生活を送るようになったとか、そんなことも欠片もない。
やはり私は底辺だった。
基本は年始→節句→ツアーが基本の流れだったので、節句祭りを見届けてその年も小豆さんに会った県に行くことになった。確認したくなった。
社が修復されて神田様が戻ったのかどうかを。
その年の小豆さんはエメラルドグリーンのジャージだった。
社務所に訪いを入れた私を見て「まだ見つからんかぁ」と言い放った。
社には戻っていないらしい。
1年前と同じ縁台に座って、神社が修復されたことを話した。
簡単に見れなくなったことも寂しかったけれど、やっぱりあの白さは覆い隠すべきだと思う。
あんなに綺麗なものは極力人の目に晒さない方が、綺麗なままでいられる気がする。
そのようなことを話すと小豆さんは「分かる分かる」と同意してくれた。
「女子高生のスカートと一緒だな。見えそうで見えないから見たくなるんだよな。パンツ丸見えで歩かれるとガッカリするから」
全然違う。
その年は小豆さんと神社の金儲けについて話した。
金がないと直せない、古い神社には人が来ない、人が来ないと金が入らないという負のループに弱小神社は陥っていると愚痴られた。
「破!とか出来るんすか」
「そんな便利なこと出来たらこの神社大儲けしてるよ」
「形だけでも御祈祷とかすればいいじゃないですか」
「めんどくせぇよー」
来年もきっとこの神社は寂れたままなんだろうと思った。
次の年の夏だった。
実家でぐだぐだしていたら、急にぴーちゃんが肩に乗り私の髪を毛づくろいし出した。
珍しいこともあるもんだと思った次の瞬間、はっとした。
もういないんだ。
だからぴーちゃんが寄ってきたんだ。
こんなあっさりしてるものなんだと思った。
それ以外のことは特に何も思わなかった。
ぴーちゃんが寄ってきたこと以外、特に何も変わりはなかったから。
その年のツアーでも、小豆さんの県に行った。
1年振りに会った私の顔を見て「そうかぁそうかぁ」と呟いて、また缶コーヒーをくれた。
いるともいないとも、小豆さんは明言しなかった。
なので社に戻ったのだと確信出来た。
お互いそのことに付いては一切触れなかった。
小豆さんのジャージはこの年もエメラルドグリーンだった。
見つかった人間はどうなるのだろうという話をした。
知る術もないけれど、出来れば酷い目に遭っているといいなと思う。
「神罰があるとかないとか言い出しても水掛け論だからその辺りはどうでもいいけども、俺はあると思っていた方が人生楽しいからそう思うことにしてるよ」と小豆さんは返した。
私もそう思うことにした。
神社を燃やすというメンタルを持った人間がどういう人なのかはわからないけど
犯人は家具の角に足の小指毎日ぶつけてればいい。
正直今も、神様と一緒にいたなんてあんまり信じてない。
現実世界でこんな話大声で出来ない。
でも信じることと、あると思う事はまた少し別だと思うから、そういうこともあるんだなぁと思うようになった。
あんなに思い焦がれた神様に、一時でも使われたのならこんなに嬉しいことはない。
修復してからの節句の祭りでは、拝殿奥の扉が開かれて石像が公開されるようになった。
一年に一回、遠くからあの白い世界を見ることが出来る。
切り取られた白さはやっぱり綺麗で、この感覚は片思いに似てるんだとその時に気付いた。
今年のツアーでも小豆さんに会った、バンドのツアー日程を調べて私が来るのを待ち構えていた小豆さんは、今年は袴姿だった。
「ちゃんと正装も見せとかんとな!」と言うけれど、袴の色が茶色?言葉にすると茶色としか書けないけれど、なんというか茶色?と首を傾げたくなるような色だった。
おっさんはセンスがない。
センスのない神職は「神さんは気まぐれで我儘なもんだから、またこっそり君と全国回るかもしれないよ」と言った。
そう思った方が楽しいから、そうであると思うことにする。
多分私は一生、あの白さに片思いし続けるんだと思う。
そういうお話。
神様に利用されても何の利得も無くイブも一人で過ごすアラサーの盛り上がりに欠ける話に付き合ってくれてありがとう。
神の白さか
>>61
本殿の奥って屋根無いから野晒しなのに真っ白なんだよね
神々しい白さってあると思う
おもしろい
素敵な体験だね
すごく面白かった。不思議な話だね〜。
確かに神社の立ち入れないところって神秘的で厳かで魅力的だよなぁ。白いとなおさら魅力的かも。
いずれ何かあるかもよ。
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news4viptasu/1450952845/
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