2chの男女恋愛に関わる 復讐話寝取られ話旅スレ に特化した話題を掲載していきます。
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悲惨過ぎる貧乏生活の体験談
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82 :名無しさん@おーぷん :2014/10/10(金)22:34:45 ID:Uwdyq5drH
夫の給料手取りで11万

乳吞み児を抱え極限状態の節約に疲れ果て

どうしようもなく疲れ果て

吸い寄せられるように向かったのは夢と魔法の国

最後に一度でいいから行ってみたかったから

でも

持っていたお金では入場料が足りなかったんだ

馬鹿でしょう?





83 :名無しさん@おーぷん :2014/11/02(日)10:32:43 ID:WW1mMu8pI
まだ乳飲み子の私を連れ母実家に行くも、内縁の妻とラブラブしたい実父から追い出された両親。

私父は家を買ったが離婚して性を戻した母にその家を乗っ取られ、嫁いびりされまくって心を病んだ私母とまたその家から追い出された両親。

もちろん家のローンはまだまだ残っている。

さらに父の母は働いてないので仕送りもしている。

移動は毎日タクシー贅沢三昧。

時はたち、貧しいながらも幸せに暮らし妹もできたがやはり貧乏お金が足りない。

もちろん共働きだ。

結婚指輪も質に入れたが取り戻せなくて結局流れた。

私達親子以外の親族皆、DV離婚ストーカーや警察の世話になりナマポやメンヘラな子供や自殺や病気や事故死や不倫だ泥棒だいろいろ…本当にいろいろあった。

呪われてるとしか思えないことばかりいまだにおきている。

一族皆子供など作らなくてひっそりと途絶えてしまったほうがましだと思う。






84 :名無しさん@おーぷん :2014/11/09(日)00:00:45 ID:Mez8Hy1v0
食べるのにも困る貧乏は本当に辛い。子どもに申し訳ない。死んでしまいたい。




85 :名無し :2014/11/10(月)12:08:38 ID:qFj7LcLsV
母がdv女で高校のうちから逃げるように一人暮らし。

高校生だから働ける時間も限られてる土日は遊ぶ暇なく早朝から働いてる。

それでも毎日小麦粉と水、米とふりかけそんな生活。

これからは新聞配達もやろうと思う。頑張ります。






87 :名無しさん@おーぷん :2014/11/11(火)05:00:54 ID:OVjg8gsc6
#85 応援しているぞ。

俺も、君と同じような年に独立する知恵と勇気があれば、なよっちい大人にならなかっただろうなと後悔と君に対する羨ましさを感じる。

もちろん、君の状況がよいと思っているわけではないが。本来成人になるまでは親の看護あってのものと思うから。

しかし、君は強いと思う。頑張れ応援しているからね。

でも折れそうになった時は、周りの人に甘えてもいいんだよ。負けないでね。






86 :名無しさん@おーぷん :2014/11/11(火)04:34:47 ID:OVjg8gsc6
父は、いつも出張で家には居ない人だった。

来る日も来る日も仕事で四半期に数日しか家には居ず他の日はいつも仕事の筈なのに

うちには、全然金を入れず、祖母の年金で生計を立てていた。

貧乏子だくさんとはよくいったもので、腹違い含め兄弟が多かった。

この父は、家に帰れば仕事の材料費と称し、金の無心を繰り返していた。

普通働いていれば、家に金を入れる筈なのに、持ち出してばかりでいることに子供心に矛盾を感じた。

なので、家はいつも食うに困る状態だった。パンの耳が夕食だった時期もあった。


極度の貧乏は心が荒む、精神状態が母はいつも不安定でいつも私につらく当たった。

今でいう、言葉のDVなど、今私は実の子にも同じことを繰り返そうとしている。

しかし連鎖を断たねばとクリニックに通いながら子育てをしている。

子供に本当に申し訳ない。

生活は一応安定しているが、虐待ってのは身に染みた垢のようにとれない。

非常に悲しいことだ、ここへ書いたことは、過去の生活のほんの一部、始終を書けば精神崩壊を招きそうなので

ここらでやめる。生活を安定させれない親は親稼業をやめるべきだと心の底から思う。





88 :名無しさん@おーぷん :2014/12/04(木)19:36:02 ID:aaN
貧乏って、惨めだが下が見えてるだけでどうにかなるよ。

俺はマイナス三千万から復活した。

メシは、コンビニ廃棄食材たいへんお世話になりました。

バイトで週一の深夜勤務は楽しいが朝のピークタイムは地獄だった

バイトの賄いはデフォだし。

電車代浮かす為に隣駅まで歩いたり、スーパーの見切り品なんて贅沢だなーと思う。

破産したけど、ナマポまで行かず

保険は払えないかったし、電気代水道代ガス代なんかどれか切れてた。

水道はなかなか止まらないが停まると精神的にきつい。





90 :名無しさん@おーぷん :2014/12/05(金)20:42:18 ID:KkX
4人兄妹で兄3人、私末っ子。

母曰く「女の子が生まれるまでと思って」

その割に差別された。

兄達は変速自転車、ボタンいっぱい腕時計、クラブ活動、与えられていたが私は一切なし。

小学六年でお年玉を叩いて自転車を買うも1ヶ月で盗難。

友達と遊びに出掛けても、一緒に同じものを買えない。

服は近所のおねいさんのお下がり。時代遅れ過ぎて学校で注目の的、ある時、今日から自分で服決める!と宣言したものの、新品の服は買ってもらえず、外出は指定ジャージ。


友達と遊びに行く私服がないので、友達を作らない事にした。話しかけられないように、目を合わせない。一匹狼人生始まる。

学校で使うものがない。はさみ。今でも見掛けると買いたくなる。

スケート。どこからか貰ったらしい昭和初期のかと思う位ボロいお下がり。メッキも剥げまくり。

基本的におこずかいもおやつも何もない。



でも母は毎日二箱タバコを吸う専業主婦。

貧乏なのになぜか146センチ位で60キロ以上をキープしている。

私は親戚が来る度に、ガリガリでしょ〜!ちゃんと食べてんの?!と毎回驚かれる。体格が二学年下の平均並み。



父がギャンブル依存症。数千万の借金発覚。

以後も数年おきに数百万単位で新たな借金発覚。

家族の前で「もうしません」と土下座する父を見た。

でもギャンブルと借金は続く。



高校になって、お金が無さ過ぎ、新聞配達をしたいと申し出るも却下。

私には無理な大変な仕事だと、いかにも大事にしてるていのセリフを吐かれる。

いくら欲しいんだ?と、まるで金の亡者かのように言われる。

皿洗いをしたら月に五千円あげるから、新聞配達はやめなさいと言われたが、

兄妹仲の良くない自分にとってヤツらの食い散らかした皿を洗うなど、屈辱以外の何でもなかった。が、金欲しさに数ヶ月実行。



19で虫垂炎になるまで、殆ど病院という場所へ行った事が無い。死にそうな時限定。

一度もブラを買ってもらった事がない。

高校で360人中二番の成績だったが、両親の辞書に専門学校や大学の文字はない。

やっと好きな絵が描ける就職先をみつけ、求人票を母に見せたが、遠距離だからと却下。可愛い娘をそばに置いておきたいとのたまった。

やっと夢と自由を手に入れられるチャンスをあっさり奪われた。

習い事でもなんでもさせてやるから家にいてくれとまで。

求人票は父に見せる以前に門前払い。呪った。

現実は習い事どころか給料など全く残らない生活







91 :名無しさん@おーぷん :2014/12/05(金)20:48:33 ID:KkX
こんな思い出は二十歳前まで。

ここから、そして三十代からがもっとすごい。





92 :名無しさん@おーぷん :2014/12/06(土)15:10:16 ID:Fxi
毒親系は、同情はするよ。

でも、貧乏レベルがブルジョア

たばこ買えるなら、風呂入りたいが貧乏の心情

皿洗って金貰えるなら、喜んでするし、プライドなんかで腹は膨れない






93 :名無しさん@おーぷん :2014/12/07(日)12:50:18 ID:yKb
これは貧乏話の氷山の一角。

当然お風呂にも滅多に入れない。

貧乏なのに親が自分の服(お寺の婦人会に行くため。妻子持ちの住職に好意があるのが見え見えで気持ち悪く、腹立たしかった。)や

タバコやパチンコにお金を使うのは解せないが、親の権限だから文句も無駄。

ある時服を買ってくれと言ったら物凄く不機嫌になり、それでも嫌々デパートに連れて行ってくれた。

そんなに不満がられてまで要らないと思い私がもたもたしていると、早く選びなさい!と怒られた。

しかし服なんて何を選べばいいのか、何をどう着ればよいのか、何が似合うのか、全く分からなかった。

ただ同じクラスの女の子が着ていた、あのニットのようなタンクトップが欲しかった…。


中学は三年の頃には制服つんつるてん。高校は弁当もなかった。自分で用意しようにも食材がなかった。

兄の時は野球部で放課後まで頑張っているからとお昼の分と二つ作って持たせあげていた。補欠なのに。

貧乏レベルは土管で野良犬と暮らしていた人と比べればブルジョアかもしれない。

でもその方がずっと幸せな気がしていた。北海道では一晩で凍死するけど。

貧乏でも幸せな家族、人生はある。生きてゆける力を失う事なく、明るく前向きに生きられるなら






94 :名無しさん@おーぷん :2014/12/07(日)12:51:35 ID:yKb
、貧乏も苦ではないのかもしれない。

でもうちにはそれもなかった。

唯一信頼していた母親すらも母でなくなり、精神は家族から隔絶していた。

たまたま同じ屋根の下に生まれただけの、赤の他人以上に他人だった。



毎日毎日、腹痛と心臓痛。

悪夢ばかりで深夜に廊下を挟んだ別室の兄にはっきり聞き取れるくらいの大声で怒鳴っていたらしい。



今41才。子供の頃からの対人恐怖、場面かんもく、うつ等を引きずりながらも、独りで働いて生きてきた。

虚弱で就ける仕事が極限られ、なんとか裏方の仕事を長年耐えてきたが昨年ストレスと過労により心身を壊し退職。



今でも暮らしレベルは低いままだが、全ては自分次第。

節約すれば貯金も出来る。やりくりすれば欲しい物も買える。

今は社会復帰の目処もたたず将来は心配だが、とりあえず家でペットのうさぎ達と毎日ゆっくり平和に暮らしている。

人生で今が一番幸せ。

いつか蓄えが尽き、うさぎも死んだら自分も死のうと思っている。





95 :名無しさん@おーぷん :2014/12/07(日)13:05:39 ID:yKb
因みにスケートは、北海道なので学校の体育の授業で必須。ありえない位ゴミだった。鮭の皮でつくったアイヌの靴の方が数百倍マシだ。

それでも母親っ子だった私は子供の頃はいつも母親にくっついていた。

ある時、買い物に出掛けた母の後ろをついてあるいていたら、いきなり母は振り向き、能面がはらわたを煮え繰り返したような顔で、静かにこう言った。

「何ブスッとして歩いてるの!!皆振り向いて見ていくんでしょ!!」

色んな意味で驚き過ぎて固まった。

理不尽にもほどがある。

あんたがこんな顔に生んだんじゃないか。

あんたがこんな不幸面に育てたんじゃないか。

あんたが何も買ってくれないからじゃないか。

当然、自分にそんな不満な顔をして歩いていたつもりは全くないし、当時は貧乏でも親を恨んではいなかったし、貧乏が当たり前だった。

ブスッとした顔に、悪意は微塵もなかった。








>>次のページへ続く



 

 

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