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僕とオタと姫様の物語
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173 名前:70 ◆DyYEhjFjFU  sage 投稿日:04/10/09(土) 03:46:25
母の嬉しそうな高い声が響いて しばらくあとに階段を昇ってくる足音が聞こえた。

がさがさと音がするのは きっと右手にぶら下げてたコンビニ袋の擦れあう音。

RedHotChiliPeppersのScarTissue。

終わり数十秒の切ないギターの音が階段の足音に重なる。いつかMTVで見たあの映像を思い出した。

荒野を疾走するぼろぼろのオープンカーとネックの折れたギター。

奏者は演奏が終わると なんのためらいもなくギターを走行中の車から後方へと、水面に流すみたいに捨ててしまう。

やたらかっこいい終わり方。

ぼくだって何か物事の終わりには あのくらいかっこよく決めるくらいのことはできると信じてた。


「ただいま」


でもどうだろう。彼女との最後の瞬間にぼくはしっかり立ってることができるか?


「ちゃんと寝てましたか?」


涼しげにさよならって言うことができるか?


「ねね。見てみて」


そんなのまず無理だ。ありえない。


「みかんとリンゴたくさん買ってきたよ。すごい安かったの」


彼女のフロッピィが、彼女をいつか呑みこんでしまうんじゃないかと ぼくはやっぱり不安でしかたない。

病院で聞いた彼女の小さかった声が頭のなかで おまじないの呪文のように唱えられたけど、その効果は頼りなくて怪しい。


「あ、ナイフとお皿」


曲はScarTissueからOthersideへ。

ぼくも頭を切り換えないとな。

考え過ぎだよ。風邪のせいで気が弱くなってるんだよ。たぶんきっと。



174 名前:70 ◆DyYEhjFjFU  sage 投稿日:04/10/09(土) 03:49:06
驚くほど慣れた手つきで彼女はリンゴの皮をむいた。左手のリンゴがくるくる回転して、等幅の皮が切りとられてゆく。

彼女は左手からリンゴを離さずに四分割した。ナイフで。

種の詰まったところまで さくっと切りとって やや大きめな四分の一個がぼくの口もとに運ばれた。

リンゴはひんやりしていて爽快感が口の中に広がる。味はあまり感じなかったけど、唾液管がめいっぱい開いて酸味があることを教えてくれた。

彼女も そのうちの一片にかじりつく。しゃくしゃくと音がして、美味しい?と彼女の声が聞こえる。

ぼくは眠くなる。

彼女がそばにいると安心しきって眠くなる。

ぼくが目を閉じて呼吸を低く、布団の中で もぞもぞして眠ろうとしたとき 彼女は いつになく優しい声でぼくにこう言った。


明日からちょっと会えなくなるかも。短い間だからすぐに帰ってくるよ。

日本に戻ったら真っ先にヒロのところへ…

そこまで言って彼女は黙りこんでしまった。



175 名前:70 ◆DyYEhjFjFU  sage 投稿日:04/10/09(土) 03:50:28
日本へ。戻ったら。

オタのメールを思い出した。


嬢様はインドへ旅行の予定。

もしそうなったら、おれは名探偵の仲間入りだ。

フロッピィから根こそぎダウンロードされた不可解なデータの中から それっぽい答えを引っ張ってきたオタ。

オタ。おまえは名探偵だったようだ。



彼女は日が落ちてしまう前に帰っていった。

名残惜しそうにコートに時間をかけて腕を通し しばらくぼくの頬に顔をくっつけててくれた。

帰ってくるまで待っててね。と彼女は言った。

彼女にぼくの風邪が感染しないといいけど。

インドって暑いんだっけ?



彼女がいなくなったあとの暗がり。

ぼくはその中でただ横になってることに耐えられなかった。

PCを起動してオタにメールした。だからどうなるってわけでもなかったけど。



今日書いてるときに流れていた曲

キーン/Keane 「hopes and fears」



258 名前:70 ◆DyYEhjFjFU  sage 投稿日:04/10/09(土) 23:29:31
彼女のいない夜。

ぼくは部屋から一歩も出ることがなかった。

CDケースの山の中から てきとうな一枚を取りだして再生してみる。ところが どれを再生しても、何回やっても気分が晴れることはなかった。

ぼくはカード占いでもやるみたいにCDを取りだしソリテアでくる日もくる日も音楽を再生した。

こんな経験、誰にでもあるんじゃないかな。

ありえるはずのない未来を占って川岸で小石を拾い、目標の岩にうまく命中できたら、秘密の恋が叶うとか。


だけどぼくの指先が当たりに触れることはなかった。どの曲も騒々しくて静かすぎた。

ぼくは脳下垂体がイカれたみたいに音を食べ続けた。決して癒されることない飢え。

おまけに不安まである。

ぼくが熱と体調不良を押して職場に顔を出したのは彼女のことをごっそり忘れてしまいたいからだった。

朝、爺さんのいる病院に顔を出して「安静に」を貰おうとしたら爺さんは姫様の顔が見たいと言った。

独り占めしないで先の短い年寄りにも鑑賞させろと笑いながら言った。


ぼくは落ちこんだ。

だから出社したんだ。爺さんめ。

不思議と仕事に没頭していると体調が持ち直してくる気がした。

実際、日中は微熱で治まっていてくれたし関節の痛みも鋭敏になった触感も、鈍いさざ波程度。


そして数日が経過する頃には、マジでなんともなくなり 爺さんには回復のお墨付きを貰うまでになった。


だけど夜ひとりでいると鬱に襲われた。

音を貪ることに飽きると、ぼくは死体になって眠った。



260 名前:70 ◆DyYEhjFjFU  sage 投稿日:04/10/09(土) 23:30:35
オタがレスをくれたのは確か そのあたりだったと思う。

つらかった熱が引きはじめ、体調がゆっくりと回復しはじめた頃。遅い昼食にラーメンを食べてたとき。

ぼくは同僚からの連絡だと勘違いして、しばらくケータイを放置しておいた。ところが差出人はオタだった。


 >気にしなくていい。

 >助手席を綺麗にするとき つられゲロりそうだったけど。

 >PCのアドレスに長めのレスを入れた。


オタのレスは長かった。

きっと長い付き合いの中では最長。

オタは姫様がインドへ行ったことを残念だ、として そこから先は手元のデータからでは もう何も分からないと締めくくってあった。


その他は、オタなりに ぼくを慰めてくれようと努力している文面。

もういいんだよ、オタ。

オタの気遣いがなによりも嬉しかった。


オタはレスの最後に こう付け加えてあった。

もし罪悪感が残ってるなら嬢様のことだけ考えればいい。嬢様はもうフロッピィをおれたちにちらつかせてはくれない。

嬢様がおまえのことを気にいってるなら なおさらだ。

どんな小さなことでもいいから何か残ってないのか?

例えば嬢様のデートクラブの名詞とか。

おまえはそこへ電話したんだろう?

でなけりゃ直接行って嬢様を選んだんじゃないのか?

そこに何か残ってないのか?

他の子を買って、嬢様のことをちょっと訊いてみるとか。

バレたら さぞや悲しむだろうけどな。



262 名前:70 ◆DyYEhjFjFU  sage 投稿日:04/10/09(土) 23:32:45
クリスマスイブの夜。

ぼくはデートクラブの女の子を買ったことがある。

Hはなしっていう条件だったけど ふたりとも一瞬で意気投合して、ぼくらは不文律の一線を あっさり飛び越えた。

姫様がなぜ ぼくなんかを気に入ったのか

いまとなっては もうわからないけど

数時間後には ぼくらはホテルの部屋にいるほどの仲になった。


映画を見た後で姫様は ぼくに一枚のカードをくれた。

名詞っていうより電話番号とアドレスが書かれただけのインフォメーションカード。

薄っぺらい淡いカーキ色のマーメイド紙。

コピー機に手差しで突っこんだ手製で爪の先で黒い文字をひっかくとトナーが粉になって剥がれ落ちる。

このカードは ぼくの財布のカードホルダに刺さったままになってた。

完全に忘れてしまってた。

すぐにカードに書かれた番号に電話してみたけど呼び出し音に ときどき空電が混ざるだけ。

誰も出ることはなかった。

日をあらためても結果は同じ。



263 名前:70 ◆DyYEhjFjFU  sage 投稿日:04/10/09(土) 23:33:32
どこかおかしい。

カードには店の名も書かれていない。

ぼくは姫様の正体を突きとめたいわけじゃなかった。でも姫様の痕跡を追っていないと落ち着けなかった。

姫様は会いたくなったら ここに電話してと言った。

これが店の名詞だと勝手に思いこんでたのは ぼくのほうじゃないのか。

どこかで稼働し続ける姫様のフロッピィ専用のPC。そいつと同じで姫様もスタンドアロンじゃないのか。

でもさ。ここでぼくの推理はいつも頓挫する。

姫様はリッチなのに なんで ぼくなんかと遊んでるんだろう。オタは姫様が金持ちかどうかなんて、ほんとのところは分からないと言った。


姫様の影。

その世界の信用に成り立ってるのなら その金は無いも同然かもしれないと言った。



今日書いてるときに流れていた曲

ホワイトストライプス/White Stripes 「white blood cells」



306 名前:70 ◆DyYEhjFjFU  sage 投稿日:04/10/10(日) 23:10:51
ベッドに横になってると思い出すのは あのチャットルームだった。

音楽系のBBSとチャットで構成された かなりいいかげんな、どこかのクラブサイト。

なにげにふらっと立ち寄って、すぐに出て行くつもりが どうしたことか そこに明け方まで滞在することになった。

何人かの女の子と雑談して、馬鹿馬鹿しくなり出ていこうとしたとき、ぼくは風変わりなハンドルネームを見つけた。


名は「窒息しそう」

メッセージは「ふつーにお喋りしてくれるひと希望」

たったそれだけの文字が みょうにひっかかって、ぼくはログインした。

他の書きこみは かなり過激で「今夜いっしょにいてくれる男の子」とか あからさまに一夜の値段を表示してるものまであったと思う。

後で聞いた話によると、そこは風俗嬢が待ち合わせに使うサイトだったらしい。

クラブ主催に見せかけたのはパトロールの目を欺くためか。

いや、クラブ主催はほんとうかもしれないけど そこの常連は風俗嬢とそのチラシ的な文字の羅列。

ぼくは知らずに そこへ迷いこんだ。



307 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   sage 投稿日:04/10/10(日) 23:11:44
そこで見つけたのは 渋谷のネオンサインが遠のいて消えてしまうほど綺麗なお姫様だった。

無料だったし、三時間くらい話こんだかな。

気づいたら明るくなりはじめてて、バイバイする直前に ぼくらはクリスマスイブにデートの約束をした。もちろん有料で。

姫様が捨てアドに画像を送信してきたとき、ぼくは目を疑った。

嬉しいというより、からかわれたという失意に沈んだ。

会えないのかもな。

当日ぼくは のこのこ出かけて行き、そして姫様を見つけて驚喜した。有料なんだぞ、と自分に言い聞かせた。指一本触れられないんだぞ、と。

でも高揚した気分は そんなことじゃ おさまらなかった。

テレクラの約束の成功率は2割にも満たないと聞いたことがある。

会った相手に満足したかってことになるとこの数字は さらに急カーブを描いて低くなるんだろうな。

この数字が正確だとすると、ぼくは奇跡に遭遇したことになる。



308 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   sage 投稿日:04/10/10(日) 23:12:26
仕事で打ち合わせがハネたあと会社に戻る前に ひとりでスターバックスに寄って それからHMVとかタワーレコードを冷やかしにいく。

学生の頃は中古CD屋で粘って月50枚近く買いこむこともあった。

何年か そんなことを繰り返すと月に何百枚買おうが、1枚だけだろうが好きになる曲の絶対量に変化がないことに気づいた。

働きはじめると、ぼくのうろつく場所はタワーレコードなんかの大型店舗に限られるようになった。

欲しい新譜は発売日から数日以内に買ってたから冷やかしに行くっていうのは ほんとだ。そんなときは買うことなんて滅多にない。

ぼくの部屋のCDの量は日に日に膨張する傾向にある。買いこむ速度よりも早く。



309 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   sage 投稿日:04/10/10(日) 23:13:41
ベッドの下やクロゼットや押し入れは本来入っていて当然のものが入っていない。

そこには、もう絶対に聴くことのないCDが整理されずに詰めこまれている。

今夜も その廃棄処分決定済みのCDの山の中から一枚を選んで再生する。買った記憶すらない一枚。はじめて聴く音。


そうやって何夜過ごしただろうな。

姫様の声を間近に聞いていたことが現実的じゃなくなって あの肌の感触とか、髪の毛の匂いとか そういう欠片を思い出すのが難しくなってきた頃 姫様はぼくに電話をよこした。

場所は空港のカフェ。

背景音はなく、おそろしく静かで姫様の声に はっきりと輪郭があって ぼくはCDの再生をストップした。


「会いたいよ。ヒロ。いますぐ会いたいよ」



310 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   sage 投稿日:04/10/10(日) 23:14:51
大急ぎで着替えて家を飛び出した。

飛行機の到着時間から考えても姫様が連絡をよこした時間は かなり遅かった。

質問はしない約束だし、不可解な行動はいまに始まったことじゃない。

ただ顔が見たかった。



待ち合わせ場所は恵比寿。

今夜は ゆっくりしたいからホテルを予約してあると言った。

最初に姫様の口からそのホテルの名を聞いたとき自分の耳を疑った。どこかの公園かオープンカフェの名かと勘違いした。

超高級ホテル。遠くから見たことしかない。


普段は滅多に着ることのない、それっぽいスーツを引っ張りだしクリーニングから戻ってきて そのままになってたシャツを着て ぼくは駅へと走った。


駅前の商店街は賑やかで いつもたぶん このくらい賑やかなんだろうけど ぼくの目には鮮やかに彩色されてより鮮明に見えた。

露店のホロに下がったハロゲンランプ。

呼びこみのおっさんの声。

チャリの長い列と生鮮食材の臭い。

ホームで電車を待つ時間がもどかしかった。

急げ。



今日書いてるときに流れていた曲

ホワイトストライプス/White Stripes 「white blood cells」



>>次のページへ続く
 
 


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