僕とオタと姫様の物語
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284 名前:70 ◆DyYEhjFjFU 投稿日:04/09/04(土) 03:36
渋谷駅に到着しても、姫様はムズがって降りようとしなかった。
眠いのだ。仕方ないので、持ち上げて運ぶ。
うー。と姫様のうなる声。
今朝から、ずっと泣いてたからね。すこし気分転換しよう。
そんなわけで、ぼくらはハンズ近くのアーケードに繰り出した。
迫り来るゾンビを撃ち殺すゲーム。そいつをまず ふたりでやった。
はたで見てると簡単そうなんだけど、実際に遊んでみるとけっこう難しい。
弾のリロードが遅れてやられたり、避けようとして自分の体が動いたり。
一番つらかったのは銃を水平に長時間構えることだった。姫様は すぐに耐えられなくなって、腕を降ろしてしまう。
で、ゲームオーバー。
すぐに追加コインを投入して再度参戦しても、あっという間にやられてしまう。
ぼくは途中から射撃を中止して、彼女を見ていた。笑顔が戻っていて、楽しそうで、熱中している。
腕は平気かい?と大声で聞くと、「よゆ~」とやはり大声が返ってきた。無理して誘ってよかった。
レースゲームをやり、それから ちっとも拾えないUFOキャッチャーに粘着して喉が渇いたところで、アーケードを後にした。
東急デパート前でタクを拾い、昨夜姫様が誘ってくれたあの店へ。
彼女は昨夜のような無茶は もうしなかった。
あの彼女の変わりにバーテンがやって来て、ぼくに名詞をくれた。
普通サイズの変則で、ひょろ長く、白黒のキザったらしい名詞。
彼の発音は今風で、浩二でも、孝治でもなく、自分はコウジだと名乗った。
注文があればなんでも。彼はそう言って店のホールカウンタへ歩いて行き、そこに腰を降ろした。
彼が けたたましい音楽の中に去ると、姫様は中指を立てて、ぼくにこう言った。
「あいつ、ちょーきらい」
ぼくは この店の中に間違いなくある、どこかしら冷たく感じる、よそ者に容赦ない排他的な空気より肌に合わない音楽の方が気になった。
でも、1曲だけぼくにも分かる曲があった。
YesのYou and I。
ぼくが生まれるずっと以前に書かれた曲。大好きだ。へぇ。こんな場所でも かかったりするんだな。
ぼくが口ずさむと姫様が、おや、という顔をして。
それから突然「カラオケ」に行こうと言い出した。
291 名前:70 ◆DyYEhjFjFU 投稿日:04/09/04(土) 18:42
店を出ようとドアを開くと、雨脚が強くなってた。
今年の正月は なんだかずっと こんな空模様だ。弱い雨が降ったりやんだり、忘れてると強く降って気にすると弱くなる。
カラオケ店は歩いてすぐらしいけど、雨の中歩くとなると辛い距離だ。寒さも水滴と湿度のせいで堪えるし、姫様の鼻の頭はもう真っ赤だった。
その時 後ろから誰かが声をかけてきた。
「よう」と言って傘を差し出してくれたのは、昨夜の彼女だった。
店の屋根というか、突き出したわずかなでっぱり伝いに歩き そこで止まってるぼくらを見かねて、傘を持ってきてくれたらしい。
「事務室の窓から見えるんだよね」
彼女はそう言って笑った。
「助かるよー、カナ。仕事はもう終わり?」
「うん。事務室で着替えて煙草吸ってた。邪魔しちゃ悪いと思ってさ、声はかけなかった」
カナと呼ばれた子は、防寒用のアーミーコートを着ていて動物の毛が縁に巻かれたフードいっぱいにドレッドが広がってて雌ライオンにも たてがみがあるとしたら、きっとこんな感じだ。
引き締まった体。女っぽい服装じゃないのに、でもどこか色っぽい。
怒らせると、Xmanのウルバリンよろしく凶暴なライオンに変身しそうだ。
カナと姫様は しばらく立ち話をしていた。
会話の途中、カナがコートのポケットからフロッピィを取り出して姫様に渡すのをぼくは見逃さなかった。
煙草を受け取るみたいに、特に気にとめる様子もなくバッグに放りこむ彼女。白い封筒にそれは包まれてたけど、間違いなかった。
持ちやすいように封筒が折られてたために、サイズと形状からフロッピィだと特定できる。
「カナさ。暇だったらカラオケ一緒に行かない?あとは帰って寝るだけでしょ?」
彼女はバイバイする代わりに、カナにそう言った。
「カラオケ?これから?」
「うん。ヒロが歌いたくて仕方ないんだって」
言ってないよ。歌いたいなんて欲求は生まれてこのかた一度だって持ったことない。
そりゃ、部屋で好きな曲が流れてれば口くらい動かすけど、歌いたいって気持ちとは ちょっと違う。
カナが笑いながらぼくを見、ぼくの顔つきから姫様の冗談を見抜くと
「おっけい。いいよ。わたしも歌いたい気分」
意見が一致したとたん、ふたりは雨の中カラオケ店目指して一直線に だだだと駆け出した。傘なんて必要ないじゃん。
二人のあとを とぼとぼついて行くぼく。
292 名前:70 ◆DyYEhjFjFU 投稿日:04/09/04(土) 18:45
椎名林檎、椎名林檎、椎名林檎と3曲続いた。
4曲目はまた姫様で、椎名林檎だった。
5曲目のカナの椎名林檎がはじまると、姫様が楽曲リストをぼくに投げつけてきた。
「ヒロも歌うの。ほら早く入れて」
冗談ぽく「椎名林檎なんて歌えないよ」と言うと、熱唱中のカナが突然大笑いした。
「なんでもいいですよ。好きな曲。ほら入れて」
マイクを通した でかい声で急かされる。そういえば はじめてカナを見たときも急かされたっけ。だけど困ったことになった。
気取るわけじゃないけど、この楽曲リストは ぼくには無意味。
邦楽は聴かないから、知ってる曲なんて たぶん登録されてない。だからカラオケには ほとんど行ったことがなかった。行っても まわりをしらけさせるし。
中学の頃、ぼくはイギリス産ロックにはまった。
過ぎ去った時代の過去の遺物。ザ・フーにはじまって…
それにしても、何か探すかと ぱらぱらめくるフリだけでもする。
そこで五十音リストのアーティスト欄の「E」にイーグルスを見つけた。へぇ。イーグルスなんてあるんだ。
一曲だけでも歌っておかないと。ってことで「言い出せなくて」を姫様に指で示した。数桁の識別コード。これなら なんとか歌えそうだ。
姫様は慣れた手つきでリモコンのスイッチを押す。
入力が完了した途端、緊張に襲われる。
どこにいてもそうなんだよな。目立ってしまうシチュエーションでは、ぼくは必ず緊張する。緊張することが おかしな場合でも、心拍数が急カーブを描いて高まり、挙動不審に陥る。
可愛い女の子ふたりのいる密室で、心拍数の高まる男は たくさんいるだろうけど挙動不審になる男は、たぶん少ないだろうな。
器の小さい男。楽しめない男。まわりをしらけさせる男。
つまりぼく。
イントロがはじまると、緊張はピークへ。
そこからは もう覚えてない。テレビモニタに表示される英文の歌詞を必死に追った。
聴いたことのない曲が流れると、自然と視線が集まる。マイクを持った者に。
こういうことは以前にも経験したことがある。歌い始めた途端、皆は興味を失うんだ。そんな曲知らない。何歌いたいわけ?って具合に。
293 名前:70 ◆DyYEhjFjFU 投稿日:04/09/04(土) 18:48
歌い終わると、次の入力がされてないのか、異様な静けさが戻ってきた。
ぼくは たった一曲のために汗までかいてた。かっこわるすぎだ。
場を取り繕おうとして、次の曲、彼女達の好みを入力するために触ったこともないリモコンに手を伸ばす。
次の曲は?と促すように、その実、哀しみに満ちたすがるような視線をふたりに送る。
その瞬間だったと思う。
カナが「すげぇ」と言った。
「かっこいいじゃん」
それから口調を変えて、ぼくを見て
「イーグルスわたしも好きですよ。あの。in the city 歌えないです?」
思ってもみなかった感想と展開。
英語の歌詞は大好きだとカナが言ってくれた。
うん。歌えると思う。あろうことか ぼくは2曲連続の暴挙に出た。
姫様は にこにこ笑ってた。
そこで注文してあった簡単な料理が遅れて届き、三人はゆっくり盛り上がっていった。
椎名林檎は さすがに飽きたみたいで、Jwaveで聴いたことのある当時のヒットナンバーが延々と続く。
女の声は好きだ。高い域でさえずるようなアリア。
心地よくて ぼくはいつの間にか眠ってしまってた。
いつか見た夢。
子供の頃、近所の空き地に寝転がって見上げた冬の空。
羽ばたく雀。姫様が手を握ってくれてたと思う。たぶん。
彼女の気配がすぐ側にあってマイクの振動と体を揺するタイミングがシンクロして伝ってくる。
派手な雷が近所に落下して、停電の中、闇に包まれて母の側で眠った幼かったあの日の夕方
あの闇と同質の、暖かい安心してじっとしていれる闇が ここにもあって ぼくはどこまでも深く、彼女の傍らで眠った。
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渋谷駅に到着しても、姫様はムズがって降りようとしなかった。
眠いのだ。仕方ないので、持ち上げて運ぶ。
うー。と姫様のうなる声。
今朝から、ずっと泣いてたからね。すこし気分転換しよう。
そんなわけで、ぼくらはハンズ近くのアーケードに繰り出した。
迫り来るゾンビを撃ち殺すゲーム。そいつをまず ふたりでやった。
はたで見てると簡単そうなんだけど、実際に遊んでみるとけっこう難しい。
弾のリロードが遅れてやられたり、避けようとして自分の体が動いたり。
一番つらかったのは銃を水平に長時間構えることだった。姫様は すぐに耐えられなくなって、腕を降ろしてしまう。
で、ゲームオーバー。
すぐに追加コインを投入して再度参戦しても、あっという間にやられてしまう。
ぼくは途中から射撃を中止して、彼女を見ていた。笑顔が戻っていて、楽しそうで、熱中している。
腕は平気かい?と大声で聞くと、「よゆ~」とやはり大声が返ってきた。無理して誘ってよかった。
レースゲームをやり、それから ちっとも拾えないUFOキャッチャーに粘着して喉が渇いたところで、アーケードを後にした。
東急デパート前でタクを拾い、昨夜姫様が誘ってくれたあの店へ。
彼女は昨夜のような無茶は もうしなかった。
あの彼女の変わりにバーテンがやって来て、ぼくに名詞をくれた。
普通サイズの変則で、ひょろ長く、白黒のキザったらしい名詞。
彼の発音は今風で、浩二でも、孝治でもなく、自分はコウジだと名乗った。
注文があればなんでも。彼はそう言って店のホールカウンタへ歩いて行き、そこに腰を降ろした。
彼が けたたましい音楽の中に去ると、姫様は中指を立てて、ぼくにこう言った。
「あいつ、ちょーきらい」
ぼくは この店の中に間違いなくある、どこかしら冷たく感じる、よそ者に容赦ない排他的な空気より肌に合わない音楽の方が気になった。
でも、1曲だけぼくにも分かる曲があった。
YesのYou and I。
ぼくが生まれるずっと以前に書かれた曲。大好きだ。へぇ。こんな場所でも かかったりするんだな。
ぼくが口ずさむと姫様が、おや、という顔をして。
それから突然「カラオケ」に行こうと言い出した。
291 名前:70 ◆DyYEhjFjFU 投稿日:04/09/04(土) 18:42
店を出ようとドアを開くと、雨脚が強くなってた。
今年の正月は なんだかずっと こんな空模様だ。弱い雨が降ったりやんだり、忘れてると強く降って気にすると弱くなる。
カラオケ店は歩いてすぐらしいけど、雨の中歩くとなると辛い距離だ。寒さも水滴と湿度のせいで堪えるし、姫様の鼻の頭はもう真っ赤だった。
その時 後ろから誰かが声をかけてきた。
「よう」と言って傘を差し出してくれたのは、昨夜の彼女だった。
店の屋根というか、突き出したわずかなでっぱり伝いに歩き そこで止まってるぼくらを見かねて、傘を持ってきてくれたらしい。
「事務室の窓から見えるんだよね」
彼女はそう言って笑った。
「助かるよー、カナ。仕事はもう終わり?」
「うん。事務室で着替えて煙草吸ってた。邪魔しちゃ悪いと思ってさ、声はかけなかった」
カナと呼ばれた子は、防寒用のアーミーコートを着ていて動物の毛が縁に巻かれたフードいっぱいにドレッドが広がってて雌ライオンにも たてがみがあるとしたら、きっとこんな感じだ。
引き締まった体。女っぽい服装じゃないのに、でもどこか色っぽい。
怒らせると、Xmanのウルバリンよろしく凶暴なライオンに変身しそうだ。
カナと姫様は しばらく立ち話をしていた。
会話の途中、カナがコートのポケットからフロッピィを取り出して姫様に渡すのをぼくは見逃さなかった。
煙草を受け取るみたいに、特に気にとめる様子もなくバッグに放りこむ彼女。白い封筒にそれは包まれてたけど、間違いなかった。
持ちやすいように封筒が折られてたために、サイズと形状からフロッピィだと特定できる。
「カナさ。暇だったらカラオケ一緒に行かない?あとは帰って寝るだけでしょ?」
彼女はバイバイする代わりに、カナにそう言った。
「カラオケ?これから?」
「うん。ヒロが歌いたくて仕方ないんだって」
言ってないよ。歌いたいなんて欲求は生まれてこのかた一度だって持ったことない。
そりゃ、部屋で好きな曲が流れてれば口くらい動かすけど、歌いたいって気持ちとは ちょっと違う。
カナが笑いながらぼくを見、ぼくの顔つきから姫様の冗談を見抜くと
「おっけい。いいよ。わたしも歌いたい気分」
意見が一致したとたん、ふたりは雨の中カラオケ店目指して一直線に だだだと駆け出した。傘なんて必要ないじゃん。
二人のあとを とぼとぼついて行くぼく。
292 名前:70 ◆DyYEhjFjFU 投稿日:04/09/04(土) 18:45
椎名林檎、椎名林檎、椎名林檎と3曲続いた。
4曲目はまた姫様で、椎名林檎だった。
5曲目のカナの椎名林檎がはじまると、姫様が楽曲リストをぼくに投げつけてきた。
「ヒロも歌うの。ほら早く入れて」
冗談ぽく「椎名林檎なんて歌えないよ」と言うと、熱唱中のカナが突然大笑いした。
「なんでもいいですよ。好きな曲。ほら入れて」
マイクを通した でかい声で急かされる。そういえば はじめてカナを見たときも急かされたっけ。だけど困ったことになった。
気取るわけじゃないけど、この楽曲リストは ぼくには無意味。
邦楽は聴かないから、知ってる曲なんて たぶん登録されてない。だからカラオケには ほとんど行ったことがなかった。行っても まわりをしらけさせるし。
中学の頃、ぼくはイギリス産ロックにはまった。
過ぎ去った時代の過去の遺物。ザ・フーにはじまって…
それにしても、何か探すかと ぱらぱらめくるフリだけでもする。
そこで五十音リストのアーティスト欄の「E」にイーグルスを見つけた。へぇ。イーグルスなんてあるんだ。
一曲だけでも歌っておかないと。ってことで「言い出せなくて」を姫様に指で示した。数桁の識別コード。これなら なんとか歌えそうだ。
姫様は慣れた手つきでリモコンのスイッチを押す。
入力が完了した途端、緊張に襲われる。
どこにいてもそうなんだよな。目立ってしまうシチュエーションでは、ぼくは必ず緊張する。緊張することが おかしな場合でも、心拍数が急カーブを描いて高まり、挙動不審に陥る。
可愛い女の子ふたりのいる密室で、心拍数の高まる男は たくさんいるだろうけど挙動不審になる男は、たぶん少ないだろうな。
器の小さい男。楽しめない男。まわりをしらけさせる男。
つまりぼく。
イントロがはじまると、緊張はピークへ。
そこからは もう覚えてない。テレビモニタに表示される英文の歌詞を必死に追った。
聴いたことのない曲が流れると、自然と視線が集まる。マイクを持った者に。
こういうことは以前にも経験したことがある。歌い始めた途端、皆は興味を失うんだ。そんな曲知らない。何歌いたいわけ?って具合に。
293 名前:70 ◆DyYEhjFjFU 投稿日:04/09/04(土) 18:48
歌い終わると、次の入力がされてないのか、異様な静けさが戻ってきた。
ぼくは たった一曲のために汗までかいてた。かっこわるすぎだ。
場を取り繕おうとして、次の曲、彼女達の好みを入力するために触ったこともないリモコンに手を伸ばす。
次の曲は?と促すように、その実、哀しみに満ちたすがるような視線をふたりに送る。
その瞬間だったと思う。
カナが「すげぇ」と言った。
「かっこいいじゃん」
それから口調を変えて、ぼくを見て
「イーグルスわたしも好きですよ。あの。in the city 歌えないです?」
思ってもみなかった感想と展開。
英語の歌詞は大好きだとカナが言ってくれた。
うん。歌えると思う。あろうことか ぼくは2曲連続の暴挙に出た。
姫様は にこにこ笑ってた。
そこで注文してあった簡単な料理が遅れて届き、三人はゆっくり盛り上がっていった。
椎名林檎は さすがに飽きたみたいで、Jwaveで聴いたことのある当時のヒットナンバーが延々と続く。
女の声は好きだ。高い域でさえずるようなアリア。
心地よくて ぼくはいつの間にか眠ってしまってた。
いつか見た夢。
子供の頃、近所の空き地に寝転がって見上げた冬の空。
羽ばたく雀。姫様が手を握ってくれてたと思う。たぶん。
彼女の気配がすぐ側にあってマイクの振動と体を揺するタイミングがシンクロして伝ってくる。
派手な雷が近所に落下して、停電の中、闇に包まれて母の側で眠った幼かったあの日の夕方
あの闇と同質の、暖かい安心してじっとしていれる闇が ここにもあって ぼくはどこまでも深く、彼女の傍らで眠った。
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