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6歳の娘がクリスマスにサンタに宛てた手紙を覗いてみたら
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152 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)15:52:08 ID:aTY(主)
272 名前:名無しステーション 投稿日:2006/09/30(土) 20:18:59.96 ID:bJ2UhMug
泣けないやつは父親の温かみを知らない


535 名前:名無しステーション 投稿日:2006/09/30(土) 20:20:15.23 ID:cc1ylDup
>>272
母子家庭の俺に何か一言を


611 名前:名無しステーション 投稿日:2006/09/30(土) 20:20:51.66 ID:vbR8eun6
>>535
お前が父親になるんだよ




159 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)15:59:46 ID:aTY(主)
358 名前:名無し職人[sage] 投稿日:2006/09/22(金) 18:53:44
婚約していた彼は余命3ヶ月と宣告された。

彼女は毎日の様に見舞いに訪れ、残り少ない彼との日々を過ごしていた。

『何かこんな事になっちゃって悪いな…好きな人が出来たら、俺の事なんか気にしないで結婚して幸せになってくれよな』

『そうだ、もし結婚したい男が出来たら、いつも待ち合わせに使ってた喫茶店に連れて来いよ。俺が背後霊になって そいつの事調べてやるから(笑)

それで、お前を幸せにしてやれそうな男だったら、なんつったけなあの曲…

ほら、いつもあの喫茶店で流れてたお前の好きだったやつ…

それが流れたら合格の合図な(笑)』


彼が亡くなってから数年が経ち、彼女には新しい恋人が出来ていた。

結婚も考えていたが、亡くなった婚約者の事が気になっていた。

彼女は、婚約者と待ち合わせに使ってた喫茶店に恋人と入り、あの曲が流れれば この人と結婚しようと決めていた。

恋人『そろそろ行こうか?』

彼女『え?…あ、そうね…』

二人の思い出の曲は流れなかった。彼女は悲しい反面、何かほっとした様な複雑な心境だった。

恋人の車に乗り、走り出すとラジオから思い出の曲のイントロが流れてきた。

びっくりした彼女はボリュームをあげる。

『え〜、それでは次のリクエストは〜、ラジオネーム天国より愛を込めてさんから。

メッセージ読みま〜す。今日は遅くなってゴメン。曲の名前が分かんなくってさぁ〜。

大丈夫、絶対幸せになれるよ。俺は遠くから見守ってあげる事しか出来ないけど。

目の前にいる人を信じて頑張るんだよ、お幸せに』



162 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:01:55 ID:aTY(主)
56 名前:Mr.名無しさん[sage] 投稿日:2006/09/23(土) 14:24:52
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。

彼は昔 両親を亡くして、祖父母に育てられていました。

そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。

それが反対の理由でした。

「何も結婚して すぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。

結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににも そう言い放ったんです。

その2日後でした。

彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。

仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。

探して探して探して空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。

歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。

その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ

結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。

もう10年近く前の話です。

祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。

その時の手紙です。

57 名前:Mr.名無しさん[] 投稿日:2006/09/23(土) 14:25:27
●●へ(彼の名前)

ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。

貴方のお父さんとお母さんが死んだ時

私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。

ばあちゃんは年であるしお金もない

何も何も持ってはおりません。

貴方への愛情だけです。

そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた

とてもとても良い子に育ってくれました

そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。

でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。

幸せになってください。

ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。

とてもとても幸せでした。

妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。



166 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:05:15 ID:aTY(主)
572 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2006/10/19(木) 16:56:51 ID:/0Z5dSrn
私は姉と弟の三人兄弟。

5歳になった頃、当時8歳だった姉が入院した。

入院というものがよく分からなかった当時、見舞いに行っても全く普段と変わらない様子の姉が何故家に帰れないのかが分からずに不思議だった。

そして見舞いに行くたびに枕元に増えていく、両親が姉のために買って来るおもちゃが うらやましくて仕方なかった。


ある日 いつものようにお見舞いに行くと、姉が私におもちゃを差し出して言った。

「○○(私の名前)、これあげる。」

私は嬉しくて仕方なくて、喜んで そのおもちゃを受け取った。

「○○にね、全部上げる。お姉ちゃんのもの全部上げるよ」

いつもと変わらない様子で、にこにこ笑って そういった。


それから数週間後、姉は亡くなった。生きていた姉に会えたのは、これが最後だった。

それから十数年たって、姉がかかった「白血病」がどんな病気なのかを知った。

それが切っ掛けで私は看護師をしている。

一生続けられる仕事をくれたのは姉だと思っている。




175 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:10:11 ID:aTY(主)
900 :本当にあった怖い名無し :2006/10/29(日) 22:11:31 ID:7Ym3pKBh0
母のお弁当

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。

友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。

ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。

私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。

すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし

彩りも悪いし、とても食べられなかった。

家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。

私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので

「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」

と ついきつく言ってしまった。

母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。


それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。

母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。

中を見ると弁当のことばかり書いていた。

「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」

日記は あの日で終わっていた。



177 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:12:05 ID:aTY(主)
66 名前:大人になった名無しさん[sage] 投稿日:2005/09/02(金) 00:59:33
小学4年の時、何かの事情でお祖父さんと二人暮しの女の子がいた。

ある日、そのお祖父さんが倒れて救急車で運ばれた。その子が泣き叫ぶ姿が印象的だった。

お祖父さんは結局そのまま亡くなってしまった。

ちょっとして学校に出てきてが、友達や先生が心配してもダンマリ。

先生が「可哀想に、みんなで励ましてあげないといけないよ。」と言った途端、「私、可哀想なんかじゃない!可哀想なんかじゃないから!」と泣き叫んだ。

不思議にそれ以降のその子の思い出は無い。転校でもしたんだろう。

彼女は可哀想なんかじゃない、幸せの形は幾通りもあるのだ。

そう思いたくて仕方がなかった。



188 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:21:18 ID:aTY(主)
357 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/01/21(日) 03:49:48 ID:Yg1AiGmFO
仲間外れはねぇ。確かに皆から無視される、というのは きついからなあ・・・。

しかし、無視する(される)のにも、大概相応の理由はあるし・・・。

開き直って孤独でいくしかないよーな。

二人組が作れなかったり、昼飯を独りで食べないといけないけど・・・。

>>次のページへ続く
 
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