6歳の娘がクリスマスにサンタに宛てた手紙を覗いてみたら
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230 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:23:21 ID:aTY(主)
35 名前: プロ棋士(兵庫県)[sage] 投稿日:2008/02/28(木) 22:10:42.69 ID:ZHEG/1mt0
小学生のとき自分のお誕生日会を自分で企画して友達10人くらいに声掛けたけど
誰も来てくれなかったな
母親に「ケーキ10人分だと高くつくからプリンでいいよ!」って言ってたりしちゃってたりなんかして・・・
231 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:24:11 ID:aTY(主)
35 名前: プロ棋士(兵庫県)[sage] 投稿日:2008/02/28(木) 22:10:42.69 ID:ZHEG/1mt0
小学生のとき自分のお誕生日会を自分で企画して友達10人くらいに声掛けたけど
誰も来てくれなかったな
母親に「ケーキ10人分だと高くつくからプリンでいいよ!」って言ってたりしちゃってたりなんかして・・・
231 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:24:11 ID:aTY(主)
167 名前:ほんわか名無しさん[] 投稿日:2008/02/03(日) 01:36:12
この間の友人(新郎の方)の結婚披露宴。
もうこの先こんな披露宴は見る事はないだろう。
タイムスケジュールも最後の方、新婦の父親のスピーチ。
「明子。明子が生まれてすぐ、お前のお母さんは病気で亡くなりました。
お前は母の顔は写真でしか知りません。母親の声も知りません。
母の愛情も知りません。
片親でつらい思いもしただろう。
それでも父の私に文句一ついう事も無く、明るくて素直で思いやりのある子に育ってくれた。
本当に手がかからない子だったし、よく家事もやってくれた。
相手にも恵まれて、幸せになってくれてお母さんも喜んでくれてると思う。
最後にお前に謝ることがある。
明子に25年間隠していたものがある。
いつか嫁に行くときに見せてあげようと思ってずっと取っておいた物だ。」
・・・そして古ぼけたブリキみたいな箱からとりだした1本のビデオテープ。
会場のセットで再生・・会場ザワザワ・・・
そこにはベットの上で笑顔で赤ちゃんを手にする母親の姿。
そう25年前の新婦と母親。
母親の笑顔のなんと神々しい事。まさに聖母の如く・・
はじめて見る母親の姿に新婦どころか全員が嗚咽だったよ。
とくに新婦は もう見ていられなかった。
そしてしてやったりの新婦の父。あの人だけは泣く事もなく、淡々としてたんだよなあ。そこがまた泣けるんだけど。
238 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:31:33 ID:aTY(主)
217 名前:大人になった名無しさん[] 投稿日:2008/08/21(木) 05:46:16
一昨年ばあちゃんが死んだ
最後に会ったのは俺が中学生の時だったかな
葬式の為に20年越しでばあちゃんの住んでた田舎に行った
次の日遺品の整理をする為に俺とお袋、それと叔父の三人でもう誰も帰って来る事の無い家を訪れた
じいちゃんは戦争でとっくに亡くなってたし
ばあちゃんも亡くなる1年前からボケもあって入院してたから実際には誰も住んでなかったその家の中は埃だらけだった
それなのに まるで昨日までここで生活していたかの様な光景
洗った食器がそのままの台所
新聞が広げられたままの食卓
部屋の隅に畳まれたままの布団
そして小さな冊子が乗ったままの小さなちゃぶ台
叔父がその冊子を手に取って
「こんなものくらいしか楽しみが無かったんだなぁ」
と言って、声を上げるでもなく静かに涙を流してた
近寄って覗いてみると、お袋と叔父の若かった頃の写真、それとまだ子供だった頃の俺の写真だった
写真は指紋だらけで、カラーだったはずの写真は全部色褪せてセピア色になってた
ばあちゃんは足腰が立たなくなってから入院までの間 テレビもラジオも無いこの部屋のこのちゃぶ台で
俺達の昔の写真を手に取って眺めながら一人で何を想ってたんだろう
そう思うと辛かったけど、何とか涙は堪えた
ばあちゃん
ばあちゃんには会いたいけど、もう少しだけ待って欲しい
俺には まだこの世にやり残してる事があるんだ
俺はお袋が死ぬまで生きなきゃならない
それが親不孝ばかりだった俺にも出来る、唯一の親孝行だからね
239 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:31:58 ID:aTY(主)
母が死んだ。
43歳だった。
10日まで元気だったのに。急に逝ってしまった
11日の朝、いつもみたいに御飯作って母さん起こして「ごはんできたぞ」とでもいくら呼んでも返事がなかった。
いつも文句言いながらも絶対に起きてくるのに
おかしいと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなってた
俺がまだ2歳のときに父親が死んで女手一つで俺を育ててくれた母さん。
よく口論もしたし引っ叩かれもした。ほんとよく喧嘩した
会社の帰りに飲みにいって終電なくなると毎回俺が呼び出された
あきる野に住んでるってのに新宿だ、吉祥寺だと。アホかと。
そして金きついのに大学いかせてくれた。
金ないんだから働くよと言ったら、引っ叩いてまで俺を大学に行かせようとした母さん
今年大学をキッチリ卒業して就職してこれからやっと親孝行できる身になったのに
なのに母さんは急に死んでしまった
友達や親族とかにこの顔見せるのはさすがに辛いからここだけで叫ばせてくれ
かなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしい
どうしよう。なんかもうなにしていいのかわからない
今年の夏は母さんを旅行に連れてってやろうと思ってて
もう計画だってちゃんと立っててあとは7月待つだけだった
結局 俺はなにもしてあげられなかった。
母さんの生命力吸い取るだけ吸い取って。
一人前に俺がなると生命力吸われすぎて交代のように母さんだけ消えてしまった
やっと親戚も全員帰ってくれて これでやっと一人で泣ける
なんか泣くのガマンしすぎた
これ書きながら涙とまらない
母さん幸せだったのかな。幸せにしてあげたかったな。
242 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:35:38 ID:aTY(主)
321 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/07/07(月) 11:26:14
以前、ある地方紙で紹介されていた6歳の女の子の詩。
「おかあさんへ」
げんきになって よかったね
でもほしだから
かおは あわせられないね
わたしまた あなたのかお
みたいな
病気で亡くなった母親に宛てたものらしい。
闘病中とは違う、安らかな顔を見て「げんきになって よかったね」と書いたんだそうだ。
244 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:38:22 ID:aTY(主)
487 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2008/10/27(月) 11:50:00 ID:kOPJ5k6C
父親ではなく おじいちゃんなんだけど、母子家庭で祖父母同居だったので…
小学生の時、近所で神憑りに可愛い子犬を拾った
飼いたい旨を先ず母親に嘆願
『おじいちゃんの許しが出れば私は文句ない』
本丸の前に祖母を味方に付けるべく嘆願
『お父さんに聞きなさい』
orzムリニキマッテンジャン
恐る恐るおじいちゃんの元へ
『だめだ!お前に面倒見れるわけない』
母親と祖母になだめられ、泣く泣く退散
とりあえず今晩は家で保護
明日保健所…フラグ
翌日ションボリしながら学校から帰宅すると、何やら庭で日曜大工のおじいちゃん
見ると二畳はあろうかという広さの半分屋根付き扉付きの『檻?』
しかも下半分はブロックをコンクリで固めてある本格派
何をしているのかおじいちゃんに聞くと、『お前の弟の部屋だ』
俺は一人っ子
涙が出た
>>次のページへ続く
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