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6歳の娘がクリスマスにサンタに宛てた手紙を覗いてみたら
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65 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:46:07 ID:aTY(主)
あの日 俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった

学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった

母親に問い詰めると、弟が欲しがったので あげたと言った

その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った

母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕食も食べずに部屋に篭もった


それから何時間か経った

俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた

「母さんが轢かれた・・・!」

あの時の父親の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう

俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた

医者は最後に傍にいてあげて下さいと言い、部屋を出た

それから少しして、母親は息を引き取った


その後、母親があの時間外にいた事を父から聞いた

買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事

現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事

救急車の中で ずっとごめんねと呟いていた事

その時、俺のためにはアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた

そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある

母さん、ごめんな

俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。



66 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:48:04 ID:aTY(主)
Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。

俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。

夜中に かーちゃん起こして病院連れてってもらうなんて しょっちゅうだったし、小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんか でれないし、みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。

んで、小五になってから ほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、そのまま3週間入院する事になって。。。

んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど

二人はおばあちゃんとおじさん、んで もう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。

俺、昔から すげぇ人見知りが激しい上に 物凄い照れ屋で、なかなかその同室の人達と仲良くなれないで一人で勉強してるかゲームボーイやってるかだったのよ。

そん時 家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけどヒマだし もっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。

んで入院して一週間立った頃、俺がゲームボーイやってる時は なんかその同室の女の子が じーっとこっち見てる事に気づいたんよ。

俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。

もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。

そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。

でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。

パーティーは人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、仲間は人間・女「さやか(彼女の名前)」

あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。

それから どんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、色んな話もするようになった。

学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事…

それからの時間は あっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。

看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中 彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。

でもグッと堪えて「オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」って そのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。

それから何回もお見舞しに行こうと思った。

…でもいざ行こうかと思うと なんか照れくさくて行けなかった。




68 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:49:51 ID:aTY(主)
上の続き

連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。

せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ

病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。

もうとっくに退院してたのかな…?と思って とりあえずナースセンターで聞いてみた。

「遠い所にいった」とか うまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。

その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。

俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が

「ああ、そういえば さやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、って言われた物があるのよ」 と言って俺にそれを渡してくれた。

借してあげたゲームボーイとSaga2だった。

俺はそれを受けとって家に帰った。

帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。

懐かしいあのOPの音楽。それと一緒にでてくるロード画面。

一つは彼女と俺が一緒にプレイしたデータ。あの時からほとんど変わってない。

懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになった

もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。

最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。

パーティー四人の名前がこうなっていた。

「リョータ」
「いろいろ」
「ありがと」
「バイバイ」

…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。

お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。



69 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:51:01 ID:aTY(主)
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんてなかった

だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた

絵は上手じゃない

ただ、どうにかして形に残したかったらしい


ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた

絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで

小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された

めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた

友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた

パートから帰って来た母さんが それを見つけて、泣きだした

破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた

翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた

「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」

申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った



71 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:52:04 ID:aTY(主)

552 おさかなくわえた名無しさん :2008/10/04(土) 01:26:53 ID:kEGTIebt
子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。

それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。

それほど簡単なことを私はしてこなかった。



76 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:00:14 ID:aTY(主)
カーチャンの七不思議

夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる

夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる

俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる

俺が逆切れしても困ったように笑ってる

俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる

いまだに俺の誕生日祝ってくれる

俺より長生きしてくれない



77 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:01:17 ID:aTY(主)
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。

見た目普通の写真なんだけど、実はその時 父が難病(失念)を宣告されていて

それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。

俺と妹は まだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。

当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と ぶっきらぼうだったらしい。

母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床で この写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。

祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、

崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。




>>次のページへ続く
 
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