6歳の娘がクリスマスにサンタに宛てた手紙を覗いてみたら
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53 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:17:15 ID:aTY(主)
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら
母は「母ちゃんバカでごめんね」と言って涙を少しこぼした
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった
55 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:25:25 ID:aTY(主)
俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。
高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・
会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。
「ママの作ったスパゲッティー大好き!」
口の周りを赤くしてスパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に母の炊き込みご飯が食べたくなる。
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら
( '∀`) J('A` )し
.(_ _) ( ) .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
母は「母ちゃんバカでごめんね」と言って涙を少しこぼした
( 'A`) J('A` )し
.(_ _) ( ) .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって一生懸命に勉強した。
||||\ ('Д`;) ベンキョウ ベンキョウ
────┐ヽ( )
│くく□
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた
[大]_
('∀`) J('ー`)し
( ) (人)
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そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。
('A` )
J('A`)し ( )
/⌒⌒⌒⌒⌒ヽ ||
// ̄ ̄ ̄フ /
/ (___/ /
(______ノ
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった
('ー`;;)
J('A`)し ( )
/⌒⌒⌒⌒⌒ヽ ||
// ̄ ̄ ̄フ /
/ (___/ /
(______ノ
55 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:25:25 ID:aTY(主)
俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。
高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・
会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。
「ママの作ったスパゲッティー大好き!」
口の周りを赤くしてスパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に母の炊き込みご飯が食べたくなる。
57 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:28:40 ID:Weu
こういうのをたまに見ないと親孝行できんな
60 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:36:32 ID:aTY(主)
俺の近所に住んでた爺さんの話。
一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。
卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激には なんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。
・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。
「若、ご立派になられましたな。」
61 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:42:05 ID:aTY(主)
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。
カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。
片桐被告が「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
63 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:45:16 ID:aTY(主)
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/31(金) 22:45:42 ID:m9xn3nnJ
何かさ、孤立してるのが親にバレちゃうのってむちゃくちゃいたたまれないよね。
うちは母親が小中高大と友達に恵まれたらしくて、すごい楽しい学校生活だったって話を聞かされてたから余計に孤立してることが恥ずかしくて、色々策を弄して「友達いっぱいで毎日楽しい☆」って振舞ってた。
けど、よりにもよってクラス参観の時に「はい二人組つくってー」があって当然のごとく孤立して、クラスメートの母親は勿論、自分の母親にも孤立してるのがバレた。
授業参観が終わって学校から帰ってきたら、先に帰ってた母親が泣いてた。
理由を聞いたら、「わたしの子どもの時と全く同じだ。お前が友達できないのは わたしの遺伝だ。本当に申し訳ない」だって。
実は母親もずっと孤立人生を歩んでて、でも子ども(私)に そんなこと言えるはずなくて事実とは違う、自分の憧れてた学校生活を話してたらしい。親子で号泣したよ。
64 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:45:45 ID:aTY(主)
347 名前:日出づる処の名無し 本日のレス 投稿日:2006/04/24(月) 10:13:02 GdOGCRhU
>>329
ちなみに、俺を立ち直らせたのは、女の言葉
「アンタみたいな愚痴るしか能の無いゴミいい加減ウザイから あたしの目の前から消えてくれない。
はぁ、愛しているから見捨てないでくれ、そうあたしのこと愛しているんだ、じゃぁ、お願いがあるんだ。目障りだから、芯でくれない。
あぁ、そうだ、生命保険の受け取り、私にしてから芯でちょうだい。それなら、保険金入るから。
あっ、ごめん、そんなこと無理だもんね、アンタに電車に飛び込むだけの度胸ないもんね。
とにかく、消えて」
(実際には、もっときつい表現です。w)
そんな感じで、罵詈雑言を浴びせられて落ちるとこまで落ちた俺のですが、その時 ある感情が沸いてきたんですよ。
「あの、糞アマ、人のこと馬鹿にしやがって、必ず見返してやる。ここから、這い上がってやる。そして、あいつの前に現れて、もうキミみたいなアバズレには興味がないと言ってやる。」
それから、借金を整理するために兄に土下座してお願いして保証人になってもらい銀行ローンに一本化、自動車工場の期間工になって給料の90%を借金の返済に、2年で完済
それから、苦労して数年後 それなりの社会的地位と財を成した俺は彼女が働いていた店に行った。
店はまだあり、ママもまだ元気だった。ツケにそれなりの利子を付けて払った俺にママは言った。
「あの子はね、本当はアンタとは別れたくなかったんだよ。でも、このままではあの人、本当に駄目になってしまうってね、あんたに三行半突きつけた夜は それは荒れて酷かったんだよ。
でも、あの子の判断は正しかったみたいだね。今のあんたを見て本当にそう思うよ。
良かった。あれから、数年して田舎に帰ったよ、今はわからない。」
俺は、「もし、連絡が取れることがあったら、ありがとう、と伝えてくれ」と言って店をでた。
究極のツンデレ、ありがとう
>>次のページへ続く
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