親父は俗に言う仕事人間だった
俺が保育園の頃は単身赴任で遊んでもらった記憶もない
たまにこちらが赴任先に遊びに行ったりした記憶はあるが、夜中まで職場で働いているのをただ見ているだけしか記憶にない
確か3年くらい単身赴任してた気がする
その後 もつと遠くに赴任しないといけなくなり、今度は家族でそっちに引っ越す事になった、その時たしか俺は6歳
単身赴任ではなくなったが、朝夜なく働いていたせいで やはり親父と遊んでもらった記憶はない、
たまの休みも1日寝ているような親父だった
引っ越した先で俺は年長組から新しい保育園に入園する
そこで そこから10年続くイジメが始まる
まぁ保育園児がやれるイジメなんざタカが知れてるが同じ保育園児からしてみりゃ しんどい事には変わりない
何とか保育園を卒園したけど、お前らもそうだと思うけど学区の関係で小学校のメンツは基本保育園の持ち上がりだ
イジメもやはり続く、他の保育園や幼稚園から来たやつも加わり結構な事になってた
その頃位から、俺は親父が苦手になってきてた
学校何だからテストがある、当たり前なんだけどな
どっちかってーと俺は優秀だったと思う、90以下の点数を持ち帰る事はなかったと思う
勉強するのは将来の自分のためなんて理屈が理解できる訳もなく、両親に褒められたいから100点を取る
これが子供の頑張る一番の理由だと、俺は思う
でも現実は違ったんだよ、
100点を持って帰っても
当たり前だろう
100点じゃないと
なぜ100点ではないのかという話しをされるだけだった
両親に褒められない
この事から自分は本当は出来ない子なんじゃないか、ダメな子なんじゃないか、出来損ないなんじゃないかと思い始めていた
同時に保育園から続いていたイジメもあり本当に参っていた、
小1くらいの時に本当に死んでしまいたいと考え始めていた
親父にそれを話すと
イジメられる方にも問題がある。甘えるな
という旨のことを言われた
本当に本当に地獄だった
中学に上がり小学校の頃からの自分はダメなんだという思考のせいか、本当に勉強が出来なくなっていた、
親父がそれを見過ごす訳もなく、親父の指導で勉強をする事が多くなった、それがたまらなく嫌だった
親父はまるで自分の部下に言うような口調で俺に勉強を指導した
二人称は貴方
言葉は冷たく全て敬語
俺は本当に親父と話すのが嫌だった
悩み事や やりたい事も親父には話せなかった
好きにすれば?
これが親父に何か言った時の返事
悪い事をする訳でもないのに、責められている気がしていた
今でも覚えてる言葉がある
子供は育てるのが義務だから
これを言われた時、ああこの人は義務が無ければ俺を育てないのか、そう思った
>>16
医者がめっちゃ尽力して患者を助けた時「仕事ですから」っていう感じで別に義務感に駆られてお前を養育してたって訳では無いやろ
>>17
今はそう思う。でも当時は本当に堪えたよ
>>16
ああ
わかるわかる
こういう何げない一言の方が記憶に残る
>>24
何でだろうな、すげー心に残ってるんだけど、今はなんかわかる気がするんだよな