教師と学生の関係でも、結局は私はただの女だ
「コンコン」
ドアをノックする音がした。
一瞬ためらって、返事をする。
「どうぞ」
自分の部屋に誰かが訪ねてくる時、私は極度に緊張する。
学校の個人研究室なので、どんな人が来たとしても、門前払いというわけにはいかない。
相手が誰なのか分かるまでの数秒間、脈拍はちょっとした運動をした後ぐらいに跳ね上がる。
「こんにちは」
入ってきたのは、Tだった。そういえば、放課後に勉強の相談にのる約束をしていたっけ。
「ああ、いらっしゃい」
Tも何だか緊張した顔をしている。それを見て、私の脈拍はまた少し速くなった。
「ええと、試験勉強は順調?」
「何やったらええんか分からんからやってない」
勉強道具を取り出しながら、Tはぶっきらぼうに答える。
でも、その言葉の端には、何かを思い詰めているような雰囲気が漂っていた。
まずいなあ、と私は思う。
コイツは勉強の話をしに来ただけじゃない。
私は努めて平静を装った。
「ダメやなあ。じゃあ、教科書見せて。」
Tに渡された英語の教科書を開くと、最初の方は行間にびっちりと訳が書いてあった。
でも、今回の試験範囲には、何も書いていないページが多い。
「ノートはとってないの?」
「とるわけないやん」
「せめてさあ、訳は全部書きなさいよ。あ、ここの訳間違ってる…」
「うそお!?」
Tが教科書をのぞき込む。いつの間にか私の横にぴったりと椅子をつけて座っている。必要以上に距離が近い。
まずいなあ、と私は思う。でも、自分から体を離すことは何だかしたくなくて、近い距離のままで話を続けた。
「あ、ここも間違えてる…」
「ええ!!」
触れるか触れないかの距離にTの顔があった。
「もういいよ、英語は捨てた」
そう言いつつも、Tは嬉しそうだ。
せっかく心配してやっているのに、と歯がゆい気持ちになる。
この時間、この場所で、私は教師だ。
担任から「よろしく」と言われたこともあるが、このところ私は、横にいる学生の世話を焼いている。良い教師の顔をして。
でも、この学生に対しては、不純な気持ちが混じっていないとは言えなかった。
「私、まだ仕事が残ってるんだよね」
Tは勉強の話を終えたがっている。
次の話題、いや、次の行動に向けて体勢を整えようとしている。それを感じ取った私は身構えた。
「まあ、テストがんばってね」
早く帰ってくれと言わんばかりの言葉。我ながら、冷たいヤツだと思う。
「仕事、がんばってね。終わったら言って」
Tは私の横を離れて、部屋の中で物色をはじめた。
取りあえずは切り抜けられたようだ。私はほっとして、できるだけゆっくりと仕事をしながら、どうやってこの状況から逃げ出すかを考えた。
この部屋で何かがあっては、まずいのだ。
「まだ終わらないの?」
Tのやわらかい指先が私の髪に触れた。ビクンとして慌ててよけ、後ろを振り向く。
「う、うん。まだだよ」
突然の事態に動揺を隠せない。そのことに、また動揺して、心臓がバクバクいっている。
いつの間にか、Tは私のすぐ側に立っていた。
私が必要以上に体をそらしたので、それに驚いたTも、数歩後ずさった。
「そっか。大変だね」
私の心臓はまだバクバクいっている。でも、動揺しながらも、私はTの指の感触を反芻していた。
胸がきゅんとなる。だめだ、私は教師なのだ、と思いつつも、もう一度触って欲しい、もっと感じたい、という気持ちが私の中で広がっていく。
Tとは、10歳も離れている。
それに、友だちや同僚ではなく、教師と学生の関係だ。
イケナイコトヲシテイル。罪悪感。
でも、結局は、私はただの女だ。
「あー終わった」
その言葉を聞きつけて、Tがまた横に寄ってくる。
「お疲れ様」
Tの目が私の目を見つめる。
私は、「やってはいけない」という感情と「やりたい」という欲望の間で心が乱れ、困ったような顔をして、Tを見返した。
Tは、その視線に少しためらいを見せたが、次の瞬間、私に抱きついてきた。