僕とオタと姫様の物語
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675 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/04(月) 23:21:26
出社して同僚と手のひらを合わせるようにして叩き合い 明けおめ と挨拶してデスクに座ってPCを起動する。
たった1週間ほど前にも、ぼくはここにいた。
あの日を大昔のように感じる。
たしか姫様からの営業メールが届いた日だった。
年末にひとつ面倒があり、晦日から日付が新年へと変わるまで同僚達と粘ったその痕跡がTFTに表示される。
素晴らしい仕事ぶりじゃないか。
誰しも仕事の精密な歯車になることは難しい。その困難さの履歴だ、これは。
ぼくは指の先で更新されたドキュメントを追い背後に立った背の高い男と含み笑いを交わした。
なんの問題もなかった。ぼくらの努力は報われて、万事は順調。
そんなわけでぼくは帰ることに決めた。なにがなんでも、すぐに電車に乗り、暖かい自室のベッドで眠ると決めた。
信頼できる同僚のアドレス宛に、そのいいわけを書いた短いメールを送信したときだったかな ケータイが震えて、メールを受信した。
>クマ返せ~
>電話しなさいってメモしたでしょ
姫様からだった。胸に生暖かい鼓動が一拍あって、それは鳥肌をともなって四肢の先まで広がった。
続けてもう一通。
>ただいまデート美少女無料キャンペーン中!
>1分以内にレスくれたヒロくんには、美少女添い寝の特典付き!
>会いたいよ~。ヒロぉ
30秒ジャストでレスした。
会いたい とだけレスしてから、場所を追伸した。
美少女って微妙な表記には触れなかった。フロッピィのこともあるし。
676 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/04(月) 23:22:15
自宅最寄り駅のカフェ。
改札を通過する乗降客が見渡せる席に姫様はいた。
ぎこちなく手を振るぼく。
彼女は急いでやって来て、ぼくの額に手を当てると困ったような顔をした。熱があるね。ぜんぜんよくなってない。と言った。
彼女はスーパーに寄ってから行くと言い、タクを捕まえて ぼくを押しこんだ。風邪もここまでひどいと、歩くことさえつらい。
彼女はその日、フロッピィのことは ひと言も口にしなかった。
ぼくはというと、気まずさを感じながらも やはり口にはできなかった。そうしたとたん、彼女の触れてはいけない何かが溢れる気がしたからだ。
ぼくの知らない何か。だけど とてつもなく厄介だということは、なんとなく分かった。
彼女自身、おとぎ話の最初の滑りだしを どうやって扱うか もてあましているようにも見えたからだ。
どうしたことか罪の意識はあまり感じられなかった。もしかすると、ぼくは彼女の口から事の真相の一部始終を聴きたいと考えているのかもしれなかった。
目黒で過ごした夜の底に転がった、なめらかな彼女の背中。
ぼくはバッグの中身から逃げるように、彼女の細くて華奢な腕を求めた。
あの夜からぼくは ほんとうは知っていた。うすうす勘づいていた。
あの中身は ぼくには重すぎるんだってこと。
そして彼女にとっても。
でも、ぼくは そいつをブートしてしまった。
どこかでカチリと音がして、不可視のサーボモータが静かに作動をはじめ、長い夜を巻き取ってゆく。
もちろん停止スイッチなんてない。夜が巻き取られて消えてなくなってしまうまで機械の動作は続く。
そのとき ぼくは どこで何をやってるんだろうな。
少なくとも姫様は ぼくの側にはいない気がした。
頭が痛かった。熱はひどくなる一方だった。
タクが見覚えのある郊外型ショッピングモールの入り口で小さく旋回して震えて止まる。
姫様は ぼくのためにレモンと蜂蜜と それから何か細々とした雑貨を紙袋に詰めて戻ってきた。
それからショートケーキの小箱。
この前手ぶらだったから。と彼女は言った。
ぼくは鞄からクマを取りだして両手で支え、ぺこりとお辞儀させた。彼女の気遣いには、ちゃんとお礼しなきゃいけない。
彼女はクマの頭を見て笑った。
新しい帽子。ペプシのキャップ。
クマは ちょっとした帽子コレクターになりつつある。
・
今日書いてるときに流れていた曲
シャルロットマーティン/Charlotte Martin 「on your shore」
751 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/06(水) 00:08:39
タクが玄関前に横づけして止まると母が待ちかまえていたように玄関から出てきた。まるで ぼくの帰宅を知ってたみたいだ。
なんでだろう?たぶん不思議そうな顔してたんだろう。ヒロのお母さんに電話で連絡しておいた。と彼女は言った。
二度も突然やって来るわけにはいかないんだし。お互い様でしょ。と言って彼女は つくったような無表情になった。
彼女の顔から笑顔が消えると ひどく冷たく見える。彼女は ぼくが見たフロッピィのことをほのめかした。
ヒロのシステム手帳とケータイの中身ををすべて拝見しました。ヒロの住所と会社の住所。太田君の住所と、その他すべてのアドレス。重要なところはぜんぶわたしのメモリに転載済みなんだから。
まぢですか。
すると、ぼくのお気に入りのパンチラサイトもばれたんだろうか。ってことは、ほんとは制服ミニスカ好きってこともばれたんだろうか。
飲んでるときに教えてもらい、たしかURLを手書きで1ページに大きく書いたはずだ。彼女ならURLを一度開いてみるくらいのことはやったかもしれない。
それからオタ。ごめんよ。おまえの圧縮前の名まで知られてしまった。
ぼくは叱られた子供みたいに、シートで小さくなるしかなかった。クマを握ったままなので よけい間抜けに見えたはずだ。
母の小言が ぼくをとらえる前に、2階自室へ急いだ。
姫様も心得てて、母の注意を自分に集め、いつの間にか台所へとふたりで消えてしまった。
シャツを脱ぎ捨て、ネクタイを放り投げ、ユニクロのスウェットに着替える。
カーテンを開けると、灰色のたくさんの雲に反射した光が部屋の中に溢れた。よく晴れた日の日射しは部屋に暗い影をつくる。
曇った日のほうが部屋の中は明るい。均一にまわった光の中では、ぼくの部屋は あまりにもふつーに見えた。
なんの面白みもない、個性の欠片すらない仕事に忙しい独身男の部屋。やたらと山積みになってる音楽CDも、沢山の雑誌も音楽に造詣深いっていうよりは刹那的な趣味。
むしろオタクの嫌な臭いが漂ってきそうに見える。
ベッドに潜りこむと、ぼくは落ちるように眠った。
眠りに落ちながら、階下で姫様の笑う声を聞いた。
細くて高いのに ちっともうるさくない。子守歌には最適の音域。
その子守歌には間違いなく、ぼくを包みこんで落ち着かせてくれる魔法のような力があった。
眠りの導入をうながしてくれる、日なたの匂いにも似た清潔な安心感があった。
752 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/06(水) 00:09:15
汗をかいていた。
夕食を運んできてくれた彼女の気配で目覚めたとき布団の中は もう病人の匂いに湿っていた。
彼女は ぼくの胸に、冷たいひんやりとした指先を置き「ヒロかわいそう」と言った。
「ごめんね。今夜はずっといっしょにいてあげるね」と言った。
ごめんね、と謝るのは横須賀の夜のことかな、と思った。
そう聞いたとき、ぼくは彼女が横須賀を訪れたことをやっぱり ちっとも後悔してなくて、満足しているんだと確信した。
だからここにいるよ。
ヒロのそばにいるよ。
そんな意味かなと思った。
本意がつかめず、いぶかって姫様をみつめると、自然に目が合った。
優しげなのになんとなく怒ってる感じもする、カラコンでもないのに、うっすらとブラウンの混じった大きい瞳。ぼくの知らない風景をたくさん映してきたんだろうな。
渋谷の町はずれのドラム缶と焚き火に燃えあがる、いろんな欲望の光彩。虹彩に刻まれた残酷な風景。閉じることもかなわなかった。
姫様は そのぜんぶを受け止めるには若すぎたんだと思う。
すすり泣きと落胆。
そうやっていくつもの晩を過ごしてきたんだろうな。
いまでも帰る家すらない。
姫様はいつだって、家には帰りたくないと言った。
それを実行に移すために若い女の子がとれる選択肢はたぶん、いくつもない。
姫様の瞳の奥に眠る風景。
ネオンサインと、その明滅に沈む渋谷の街。
でも、よく考えてみろ。とぼくは自分に言った。
ぼくにしたところで、それは同じなんだ。ぼくだけが特別じゃないんだ。
ぼくは金を支払い、気の済むまで彼女を渋谷の夜の中に縛りつけようとしている。
>>次のページへ続く
出社して同僚と手のひらを合わせるようにして叩き合い 明けおめ と挨拶してデスクに座ってPCを起動する。
たった1週間ほど前にも、ぼくはここにいた。
あの日を大昔のように感じる。
たしか姫様からの営業メールが届いた日だった。
年末にひとつ面倒があり、晦日から日付が新年へと変わるまで同僚達と粘ったその痕跡がTFTに表示される。
素晴らしい仕事ぶりじゃないか。
誰しも仕事の精密な歯車になることは難しい。その困難さの履歴だ、これは。
ぼくは指の先で更新されたドキュメントを追い背後に立った背の高い男と含み笑いを交わした。
なんの問題もなかった。ぼくらの努力は報われて、万事は順調。
そんなわけでぼくは帰ることに決めた。なにがなんでも、すぐに電車に乗り、暖かい自室のベッドで眠ると決めた。
信頼できる同僚のアドレス宛に、そのいいわけを書いた短いメールを送信したときだったかな ケータイが震えて、メールを受信した。
>クマ返せ~
>電話しなさいってメモしたでしょ
姫様からだった。胸に生暖かい鼓動が一拍あって、それは鳥肌をともなって四肢の先まで広がった。
続けてもう一通。
>ただいまデート美少女無料キャンペーン中!
>1分以内にレスくれたヒロくんには、美少女添い寝の特典付き!
>会いたいよ~。ヒロぉ
30秒ジャストでレスした。
会いたい とだけレスしてから、場所を追伸した。
美少女って微妙な表記には触れなかった。フロッピィのこともあるし。
676 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/04(月) 23:22:15
自宅最寄り駅のカフェ。
改札を通過する乗降客が見渡せる席に姫様はいた。
ぎこちなく手を振るぼく。
彼女は急いでやって来て、ぼくの額に手を当てると困ったような顔をした。熱があるね。ぜんぜんよくなってない。と言った。
彼女はスーパーに寄ってから行くと言い、タクを捕まえて ぼくを押しこんだ。風邪もここまでひどいと、歩くことさえつらい。
彼女はその日、フロッピィのことは ひと言も口にしなかった。
ぼくはというと、気まずさを感じながらも やはり口にはできなかった。そうしたとたん、彼女の触れてはいけない何かが溢れる気がしたからだ。
ぼくの知らない何か。だけど とてつもなく厄介だということは、なんとなく分かった。
彼女自身、おとぎ話の最初の滑りだしを どうやって扱うか もてあましているようにも見えたからだ。
どうしたことか罪の意識はあまり感じられなかった。もしかすると、ぼくは彼女の口から事の真相の一部始終を聴きたいと考えているのかもしれなかった。
目黒で過ごした夜の底に転がった、なめらかな彼女の背中。
ぼくはバッグの中身から逃げるように、彼女の細くて華奢な腕を求めた。
あの夜からぼくは ほんとうは知っていた。うすうす勘づいていた。
あの中身は ぼくには重すぎるんだってこと。
そして彼女にとっても。
でも、ぼくは そいつをブートしてしまった。
どこかでカチリと音がして、不可視のサーボモータが静かに作動をはじめ、長い夜を巻き取ってゆく。
もちろん停止スイッチなんてない。夜が巻き取られて消えてなくなってしまうまで機械の動作は続く。
そのとき ぼくは どこで何をやってるんだろうな。
少なくとも姫様は ぼくの側にはいない気がした。
頭が痛かった。熱はひどくなる一方だった。
タクが見覚えのある郊外型ショッピングモールの入り口で小さく旋回して震えて止まる。
姫様は ぼくのためにレモンと蜂蜜と それから何か細々とした雑貨を紙袋に詰めて戻ってきた。
それからショートケーキの小箱。
この前手ぶらだったから。と彼女は言った。
ぼくは鞄からクマを取りだして両手で支え、ぺこりとお辞儀させた。彼女の気遣いには、ちゃんとお礼しなきゃいけない。
彼女はクマの頭を見て笑った。
新しい帽子。ペプシのキャップ。
クマは ちょっとした帽子コレクターになりつつある。
・
今日書いてるときに流れていた曲
シャルロットマーティン/Charlotte Martin 「on your shore」
751 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/06(水) 00:08:39
タクが玄関前に横づけして止まると母が待ちかまえていたように玄関から出てきた。まるで ぼくの帰宅を知ってたみたいだ。
なんでだろう?たぶん不思議そうな顔してたんだろう。ヒロのお母さんに電話で連絡しておいた。と彼女は言った。
二度も突然やって来るわけにはいかないんだし。お互い様でしょ。と言って彼女は つくったような無表情になった。
彼女の顔から笑顔が消えると ひどく冷たく見える。彼女は ぼくが見たフロッピィのことをほのめかした。
ヒロのシステム手帳とケータイの中身ををすべて拝見しました。ヒロの住所と会社の住所。太田君の住所と、その他すべてのアドレス。重要なところはぜんぶわたしのメモリに転載済みなんだから。
まぢですか。
すると、ぼくのお気に入りのパンチラサイトもばれたんだろうか。ってことは、ほんとは制服ミニスカ好きってこともばれたんだろうか。
飲んでるときに教えてもらい、たしかURLを手書きで1ページに大きく書いたはずだ。彼女ならURLを一度開いてみるくらいのことはやったかもしれない。
それからオタ。ごめんよ。おまえの圧縮前の名まで知られてしまった。
ぼくは叱られた子供みたいに、シートで小さくなるしかなかった。クマを握ったままなので よけい間抜けに見えたはずだ。
母の小言が ぼくをとらえる前に、2階自室へ急いだ。
姫様も心得てて、母の注意を自分に集め、いつの間にか台所へとふたりで消えてしまった。
シャツを脱ぎ捨て、ネクタイを放り投げ、ユニクロのスウェットに着替える。
カーテンを開けると、灰色のたくさんの雲に反射した光が部屋の中に溢れた。よく晴れた日の日射しは部屋に暗い影をつくる。
曇った日のほうが部屋の中は明るい。均一にまわった光の中では、ぼくの部屋は あまりにもふつーに見えた。
なんの面白みもない、個性の欠片すらない仕事に忙しい独身男の部屋。やたらと山積みになってる音楽CDも、沢山の雑誌も音楽に造詣深いっていうよりは刹那的な趣味。
むしろオタクの嫌な臭いが漂ってきそうに見える。
ベッドに潜りこむと、ぼくは落ちるように眠った。
眠りに落ちながら、階下で姫様の笑う声を聞いた。
細くて高いのに ちっともうるさくない。子守歌には最適の音域。
その子守歌には間違いなく、ぼくを包みこんで落ち着かせてくれる魔法のような力があった。
眠りの導入をうながしてくれる、日なたの匂いにも似た清潔な安心感があった。
752 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/06(水) 00:09:15
汗をかいていた。
夕食を運んできてくれた彼女の気配で目覚めたとき布団の中は もう病人の匂いに湿っていた。
彼女は ぼくの胸に、冷たいひんやりとした指先を置き「ヒロかわいそう」と言った。
「ごめんね。今夜はずっといっしょにいてあげるね」と言った。
ごめんね、と謝るのは横須賀の夜のことかな、と思った。
そう聞いたとき、ぼくは彼女が横須賀を訪れたことをやっぱり ちっとも後悔してなくて、満足しているんだと確信した。
だからここにいるよ。
ヒロのそばにいるよ。
そんな意味かなと思った。
本意がつかめず、いぶかって姫様をみつめると、自然に目が合った。
優しげなのになんとなく怒ってる感じもする、カラコンでもないのに、うっすらとブラウンの混じった大きい瞳。ぼくの知らない風景をたくさん映してきたんだろうな。
渋谷の町はずれのドラム缶と焚き火に燃えあがる、いろんな欲望の光彩。虹彩に刻まれた残酷な風景。閉じることもかなわなかった。
姫様は そのぜんぶを受け止めるには若すぎたんだと思う。
すすり泣きと落胆。
そうやっていくつもの晩を過ごしてきたんだろうな。
いまでも帰る家すらない。
姫様はいつだって、家には帰りたくないと言った。
それを実行に移すために若い女の子がとれる選択肢はたぶん、いくつもない。
姫様の瞳の奥に眠る風景。
ネオンサインと、その明滅に沈む渋谷の街。
でも、よく考えてみろ。とぼくは自分に言った。
ぼくにしたところで、それは同じなんだ。ぼくだけが特別じゃないんだ。
ぼくは金を支払い、気の済むまで彼女を渋谷の夜の中に縛りつけようとしている。
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