体罰教師に復讐した話
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小学校高学年の時の担任が所謂体罰教師だった
30代だったかの体育会系教師(男)でとにかくすぐキレる
怒鳴るだけで済む日はまだ機嫌がいいほう。
一番ひどいお決まりのお仕置きがあった
教室の壁際に生徒を立たせて、首を片手で持って背中を思い切り壁に叩き付ける。
そのまま持ち上げて首吊り状態にするというもの
宿題を忘れたり、学級会中に私語したり、とにかく少しでも きっかけがあれば男女関係無く首輪の刑だった
体罰教師は以下「首輪」って書くわ
もう20年近く前で、当時は今ほど体罰問題が取り沙汰されて無くて同級生皆こんなものかと諦めていた
俺は大人しい子供で特にソツなく行動していたので首輪が担任になってから1年ちょっとは 首輪の刑を受けずに済んでいた
あ、うちの小学校は2年ごとにしか担任変わらないから5、6年の2年間は首輪が担任だったんだよ
6年生の5月か6月だったかな。
月曜日の給食の時間にそれは起こった
前の週まで俺のいた班が給食当番だったから皆 洗濯したかっぽう着を持って来ないといけなかった
しかし班の1人がかっぽう着を忘れて来たんだ。
もちろん俺はちゃんと洗って持って行ってた
「あーあ、首輪が怒るぞ」心の中でそう思っていた。
正直他人事だと思ってたし
しかし その日の首輪は最高に機嫌が悪かったようだ。原因は知らん
首輪は俺を含む班の全員を壁際に並ばせた
「同じ班なんだから これは連帯責任って言うんだ!覚えとけ!」
そう言って端から順に班員6人全員首輪の刑にされた
俺は3番目くらいだったと思う。
首を太い指でつかまれ、壁に叩き付けられた。
後頭部を壁に強打して一瞬星が飛んだ
そのまま壁沿いにギリギリと持ち上げられ、つま先が床から離れそうなくらいまで足が浮いた
上空でパッと手を離され、俺はそのまま地面にへたり込んでゴホゴホ咳き込んだ
初めての首輪の刑はとにかく苦しくて痛かった。それ以上に屈辱だった
小6で身長160に達していた俺と首輪の身長は10センチも変わらないしかし首輪は体育会系なだけあって圧倒的にパワーが違った。
そもそも抵抗なんてすれば それ以上のお仕置きをされるかもしれない
班員全員を首輪の刑にして気が済んだのか、その日はそれで終わった
しかし、連帯責任なんて わけのわからない理由で初めて首輪の刑を受けた俺は絶対に復讐してやると心に誓った
まずは計画を練った。
普段から過剰な体罰を受けて首輪に恨みを持っていた生徒は少なくないから声を掛ければ協力者は得られるだろう
しかし所詮小学生だ。
数人で復讐したら首輪や他の先生にチクったり親に話したりする奴は絶対にいるだろう
単独でやるしかない。そう考えた
それから数日して、俺は自分の分である給食の牛乳をこっそり机に隠した
食中毒なんかも当時はそんなに五月蝿くなかったから放課後クラブ終わりまでに飲めばおkみたいな風潮だったし、飲んだか捨てたかを確認されることもなかった
そして放課後、俺はその牛乳をロッカーと壁の隙間に放り込んだ
教室の後ろにランドセルが入るサイズの全員分のオープンロッカーが並んでおり、そのロッカーの背中側の壁の間に数センチの隙間があったんだ
そんな埃だらけのところを普段触るやつなんていなかった。
確か時期は6月頭頃
それ以降 俺は前以上にソツなく毎日を過ごすようになり、首輪の刑に処されることも激しくキレられる事もなく夏休みを迎えた
定番の悪ガキどもは相変わらずしょっちゅう首輪の刑にされてたし、何だかよくわからない理由で授業中に首輪が ふじこふじこ言ってることはあったけど
よく覚えてるのは、うちの学校は卒業までランドセル必須なんだけど学期の終わり数日とか登校日だけは自前のカバンでもいいってルールがあったんだ
授業が短縮になると荷物も減るし、登校日なんかはプリントもらうくらいだし
男子もだけど女子は特に「自前のカバンって何だか大人っぽいから」と言う理由で毎年それを楽しみにしてた。
お互いのカバンを見せ合うのも楽しみのひとつだった
首輪も俺らが5年生の時は他の先生同様許可してた。
それなのに、誰かが夏休み間近のある日
「先生、明日は掃除だけなのでランドセルじゃなくてもいいですか?」
って聞いた瞬間
「ランドセルだってカバンだって荷物が入れば何でも同じだろおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!
何でランドセルは嫌なんだ!!!!
言ってみろ!!!!!!いや!!!
わかるように作文用紙に書け!!!!
俺が納得したら許可してふじこふじこ!!!!!!!!」
みたいな感じだった。
質問した女子はビビッて「いえ、ランドセルでいいです…」ってことで うちのクラスだけは 皆空っぽのランドセルで夏休み直前の数日を過ごしていた
夏休みが明けてさらに時期を置いて10月頃。
いよいよ計画を実行に移す時が来た
ひと夏を越させた牛乳を首輪に飲ませるのだ
まず、自分が給食当番の時にやっては真っ先に疑われるのでそこは避けた
幸い(?)うちのクラスには
「給食当番でない人も積極的に配膳を手伝え。特に牛乳なんて誰でも配れるから」というルールがあった
俺はこの日のためにここ数ヶ月、「牛乳を早く配った者勝ちレース」なるものをクラスに定着させてあった
両手で抱え切れるだけの牛乳を持ってとにかく早く配るのだ
しっかりしたルールがないので勝敗はいつも曖昧だったけど意味も無く競うのが楽しいのかレースはすぐに定着し、毎日の定番になっていた