6年前の今日から人生が大きく狂ってしまった
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やっと落ち着いてはじめての春だなと思ったので立ったら書く
長くはなるけど
入学直後の6年前の この日に大学を中退した
関東の国立大志望だったが、結局マーチにしか受からずやめてしまった
実力不足はわかってて その大学も嫌だったわけじゃないし、四国から出てきて東京の生活は希望しかなかったのに なぜか気持ちが上向かなかった
やっと軌道に乗り始めるかというタイミングで退学届を出した
そんでアパートも引き払ってしまおうと思って大家さんに話した
大家さんは家賃は貰ってるし別に今すぐ出ていかなきゃいけないわけじゃないから4月いっぱいは好きにしていいと言ってくれた
3日ほど何もせずカップ麺だけ食って過ごした
今でもなぜか思い出せないのだが、ふと海外にでも行ってやろうかと思って その日に有楽町のパスポートセンターに向かった
なんなら その日のうちに飛行機乗ってやろうとまで考えてたが それはさすがに無理だった
とりあえず焦ってもと思い 高校時代のバイト軍資金、お年玉を集め、さらに4月いっぱいはバイトに明け暮れて万全の体制を作ることにした
バイトは1ヶ月限定なんて生ぬるい条件で雇ってくれるところが そうあるわけでもなく
近所の料理屋とかいくつかかけあってみて、4月いっぱい手伝ってくれというところが見つかった
下北にあるバルのような店だったが どうもコロナでなくなってしまったみたいだな
そっからはとにかくバイト
そして海外に行く万全の体制を整えるために海外でも使える用の銀行口座を開設したりバックパック買ってみたり
高校時代の金とお年玉合わせて300万くらいあったから気持ちの余裕はあった
パスポートも無事受取り、バイトも終了
そんなにバイト先での思い出はないが、マスターに大学辞めたって話をしたら「人生なんてそんなもんだから、まだまだ気楽に遊べ!」って言ってくれて背中を押してくれた
すまんな飲みながら書いてるんや
スペック
26歳男
175cmくらいのフツメン
四国出身
英語は話せる
大学は東大ではないが国立目指してた
仕事は個人事業主だけど まともに働けてる
でこの間に場所選定した
いろいろ考えたんだけどミャンマーに行くことにした
決め手はチャイティーヨーパゴダってとこに興味があってな
ビザ取るのだるかったけどなんとか取れた
大家さんにも挨拶していざ出発となると結構さみしいもんでな
大した旅をするつもりでもなかったのに次この風景見るのいつなんだろって思って
明日は ゆっくりだから結構ぬるく進めてるわw
ちょっとずつ書きだめとく
羽田からタイ経由のヤンゴン行き
飛行機嫌いだから とにかくめちゃくちゃ怖かった
タイでは それなりの時間トランジットだったけど いきなり金使うのもなんだからとりあえずぶらぶら
3時間くらい暇を持て余していざヤンゴンに
すげーのなヤンゴンって
タイはなんとなく空港っぽさあったけど、ヤンゴンってほんと首都とは思えん空港でさ
でもなんか夜だってのに どこも賑やかですごいわくわくしたのを覚えてる
宿は特に取ってなくて(ほんとはダメ)、ドミトリー適当に探してたら1泊1000円くらいのとこ見つけて そこにとりあえずビザぎりぎりの1ヶ月滞在することを決めた
ちょっと書き溜めてくるな
その日は とりあえず屋台で飯を食った
うめーのなミャンマーの飯って
まあとか言ってるけど その日は怖くて焼き鳥みたいなのしか食えなかったけどww
次の日朝起きたら仕事でミャンマーに来てるスリランカ人に話しかけられて
事を話したら「クレイジーだなww」って
飯おごってやるよって言われて そいつ(たしかジャンとかだった)うだうだとヤンゴンの街を過ごしてた
ジャンが休みの日は動物園とか出かけたりバー行ったりしていろいろ友達出来てさ
今でこそ あんなになってるが あの当時のミャンマーは本当に活気あふれてて すべてが希望に見えた
ミャンマーにしては一泊1000円ってたかくね?
>>16
あとから知ったけど実際やや高い
けどあの時は そんなもんかなって思ってたし設備もキレイだったしそこにした
でもそんなジャンも いつまでもいるわけじゃなくて一旦帰国すると
Facebookでも聞けばよかったかなと思ったんだが、なんか一期一会っていうしなんとなく聞けなかった
まあこいつとは後に再開するんだが
まあ自分でも驚いたんだが気づいたら2週間経ってて
あれ?チャイティーヨー行ってねえなって
とにかくそれ達成しないのはまずいって思ってすぐにチケットセンターみたいなとこ行った
とりあえず片道でいいからと伝えて(まあ英語伝わんねえの)、バスのチケットを取ってその日の夜発のバスでヤンゴンを出発した