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誤解の代償
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妻は泣き伏せてしまい、言葉がもう出そうも有りませんでした。


「僕は何もしていないよ。でも今更そんな事どうでも良いじゃないか。お前もその方が良いだろう。」

妻は泣き腫らした目で、虚ろに私を見ながら

「・・・・そんな事ないわ。私は貴方以外の人と一緒になるなんて考えた事無いもの。

だから私辛くて・・・。気が変になる位辛くて・・・・。貴方・・もう許してくれないわよね。

でも嫌、このままでは嫌、絶対に嫌。私に、私にもう少し時間を下さい。

お願いします。お願いします。・・もう少し時間を・・・」

妻は何を言っているのでしょう。男を愛しているのなら、私と別れる方が都合が良い筈です。

お金の事が心配で、何とか時間稼ぎを考えているのでしょうか。妻の真意が分かりません。

「志保、時間は無い、もう時間は無いよ。今後の事は、明日話そう。」

言いたい事も、聞きたい事もまだ有りましたが、もう話し合う気力が私には残っていませんでした。

妻の真意は分かりませんが、今の私の気持ちは到底許す気にはなれません。

妻と過した思い出等、これから私を苦しめる多くの事が襲って来るのでしょうが、その時の正直な気持ちです。


泣き伏している妻を残して、汚れた寝室ではなく娘の使っていた部屋に入りました。

気持ちの中を嵐が渦巻き、なかなか眠る事が出来ずにいましたが、何時の間にか眠ってしまった様です。

何かの気配に目を覚ますと、私に寄り添う様に妻が横になって泣いていました。

私が寝たふりをしていると、

「貴方ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・。」

妻は呟く様に言っています。

先程の妻の話では、明らかにあの男を愛していると思いました。

今迄の妻の態度も、いくら私を疑っていたからと言っても、余りに冷たいものでした。

どうしてこんな事を言うのか、理解出来ませんでした。


妻の気持ちを考えているうちに、また眠ってしまった様です。

妻も泣き疲れたのか、私の横で寝息を立てています。

私はそっと起き出そうとすると妻も眼を覚まし、

「貴方、私・・・」

何か言い出す前に、私がさえぎりました。

「もう何も言わなくて良い。」



それだけ言って浴室に向かいました。

シャワーを浴びてリビングに行くと、妻が朝食の用意をしています。

その朝食は、私に踏み込まれなければ、あの男と取る筈だった物でしょう。

「朝飯なら要らないぞ。あの男のおこぼれなんか食えないからな。」

どうしても、意地が悪くなってしまいます。

私の言葉を聞いて、妻の動きが止りました。

「・・・ごめんなさい。でも、そんなつもりは無いの・・・。」

「そうか。でも要らない。それから、昨日言っておいたマンションの部屋に来た人に電話するから、此処に来て貰おうか?それとも何処か外で会おうか?」

「いいえ、そんな事は良いです。色々考えたけど、もっと早く私が意地を張らずに貴方と話し合っていれば・・・。もう遅いかもしれないけれど、何も無かったって今は信じたいと思います。」

本当に私の話だけで、信じる事が出来るのでしょうか?

「本当に遅かったな。」

冷たい怒りがそう言わせました。

そう言うと、妻は目に大粒の涙が溢れました。

こんなに早く結論を出しても良いのかどうか、私には考える余裕は有りません。

私は昔から怒りを力に変えて生きて来た所が有ります。その後で反省する事が幾つも有りましたが、今もそうする他に方法を知りません。


暫らくして、佐野から電話が有り、昨日からの事を話そうとも思いましたが話せませんでした。

落ち込んだ声だったのか、佐野は何かを感じた様で、

「そうか。・・・お前達が来ると思って、楽しみにしていたんだけどな。疲れているんじゃしょうが無いな。・・・お前大丈夫か?何か有ったんじゃ無いのか?」

心配そうな声で問い掛けて来ましたが、

「大丈夫だ。心配掛けて済まなかったな。」

そう言って電話を切りました。


横で聞いていた妻は、私に殴られて腫れた顔を、冷やそうともしないで泣いています。

本来なら佐野からの電話は、これからの楽しい時間を予感させる筈のものです。

でも今は、それすらも現実を思い出させる事になってしまいます。

私がガックリとソファーに腰を落とすと、妻が堰を切った様に話し出しました。

「もう駄目なの?どうしても駄目なの?・・・

私どうしたら良いの?何か許してもらえる方法は無いの?

・・・私別れたく無い!そんな事出来ないわ!」


「お前は、あの男を愛しているんだろう?何故そんな事を言うのか、理解出来ないな。」


「いいえ、私は貴方を・・・・。貴方を疑いさえしなければ、こんな事には・・・。私が馬鹿でした。今更言ってもしようが無いかも知れないけれど・・・馬鹿でした。」


私が言うのも何ですが、妻は純な女でした。

もしも、私が浮気していると信じていれば、かなり苦しんだと思います。その気持ちが分からない訳では有りません。

でも、私の事を疑って、他の男の言う事を信じてしまったのは、妻の気持ちの何処かに、それを望む隙が有ったのでは無いかと思います。

「ここ何ヶ月か、月に1度会うか、会わないかの夫婦だ。その間、あの男とは何回寝た?

僕が何度来て欲しいと言っても、色々理由を付けて来てくれなかった。その理由が あの男との事だった。

僕の所に来るよりも、男と逢う方を選んだのだから、お前の言ってる事は信用出来ない。それが当たり前なんじゃないか?

正直 お前の言っている意味が、今の僕にはまったく理解出気ないんだよ。」


私は また娘の部屋に入り横になると、昨日の妻と男の痴態が頭の中に蘇って来て苦しめます。

妻と出会ってこんな事が起こる迄、本当に幸せでした。

それまで小さなトラブルが無かった訳では有りません。でも、お互いの信頼感と夫婦ならではの安心感が有り、乗り切る事が出来ました。

これからは、そうは行かないと思います。


だいたい、妻が『許して欲しい』と言ってる事自体、何かその裏に有るのでは無いかと思ってしまいます。今迄、そんなふうに妻を思った事が有りません。

今回も、不信な行動を疑いこそすれ、最後の瞬間迄信じたいと、思っていました。

そんな自分が悲しく思えて来ます。


夫婦の思い出は、愛の形を出会いの時の様な、熱い感情では無く、それ以上の深い愛情に変えています。

だから、別れは辛いのでしょうが、いや、辛いと言う様な簡単なものではなく、身を引き千切られる様な、全てを無くしてしまう様な激情に駆り立てるのでしょう。

この激情から逃げ出すには、どうであれ、妻を許してしまうか、別れる事しか無いのでしょうか?

それならば、私は別れる方を選ぶ人間だと思います。そんな生き方で、何度も失敗した事も有ります。自分の欠点だとも思います。

でもこの歳まで生きて来て、今すぐに改めろと言われても、そう簡単に出来ない事は、誰よりも自分が良く知っています。

しかし、これからの事に背を向ける事は出来ません。妻と話さなければならない事が、まだまだ有ります。


私はリビングに戻りました。

妻はソファーに座り、焦点の合わない表情で一点を見詰めています。

「この前 電話で言った通り、来月に戻って来る。それ迄にハッキリさせたい。僕は別れようと思っているけど、お前はどうだ?正直に言って欲しい。」


「・・・私は、別れたく無い。そんな事、考えた事無い。でも、貴方にそう言われても仕方が無いと思います。貴方の思う様にして下さい。」



「分かった。離婚届けにサインして送ってくれ。その後は、お前の人生だから、僕の感知する事では無いけれど、どうするつもりだ?あいつと一緒になるのか?」


「そんな事は考えていません。貴方に離婚されてもあの人と一緒になる事は有りません。それと変な事を言っても良いですか?」


「良いよ。思っている事は何でも言えよ。」


「昨日 貴方が私達の浮気現場に入って来た時、久振りに貴方の荒々しさを見ました。

あの人が粋がって掛かって行った時に簡単にいなしました。

貴方は覚えているかしら?私は昔を思い出したの。

まだ一緒になる前、二人でデートしている時にチンピラに絡まれた事が有ったでしょう?

覚えていますか?あの時、一瞬にチンピラを叩きのめして私を守ってくれました。

あれから、貴方との色んな事を思い出して胸が熱くなったの。理屈じゃ無くて、本当に愛しているのは貴方なんだって・・・・。

私・・・・、だから・・・やっぱり貴方と別れたく無い。やっぱり嫌、どんな事されても良いから、許して欲しい。もう1度チャンスを貰えないですか?貴方お願い!」


そう言って、激しく泣き始めました。

「お前は僕を疑っただけで、浮気をしてしまった。

何よりも僕はその現場を見てしまった。それもこの家でだ。

もし、反対だったらお前は許せるか?

たとえ疑いが有ったとしても確証も無く、こんな事をされたら許せるのか?僕は許す事は出来ない。」


「・・・分かっています。分かっているけど・・・・。もう1度チャンスを下さい。もう1度だけ、お願い!ねえ、お願い!」


気持ちの中に、妻と別れたくは無いと言う葛藤が無い訳では有りません。

しかし、男に貫かれている所を見てしまっては、寝取られ趣味の有る人間は別でしょうが、普通は許す事が出来るでしょうか

私には出来ません。


「あの男に愛情は無いのか?好き放題やっておいて、僕を愛しているからと割り切れるのか?

そんなものじゃ無いだろう?特別な感情も無く、抱かれる女ではないだろう?

そんな気持ちのお前とやって行ける程 大きな包容力は持ち合わせていないんだよ」


「ごめんなさい。貴方の言う通り、直ぐには気持ちの整理は出来ません。一度愛してると思った人だから・・・・、ごめんない・・。

こんな事言わない方が良いと思うけれど、・・でも、・・・でも・・貴方への気持ちは昔と変わりません。」


正直な気持ちなのかも知れませんが、こんな時は、あの男の事は何とも思っていないと言うのが、一般的な常識じゃ無いのかと思い、何を勝手な事を言ってるのかと私の気持ちに また強い怒りが沸き起こりました。


「あいつの家庭は、おそらく駄目だろう。そんなに忘れられないなら、一緒になれば良いだろう。別れてしまえば僕に とやかく言う権利は無いからな。」


それを許せる程、私は寛容では有りませんが、言わないといられませんでした。

他の男を愛した妻を許す事は出来ません。

そもそも、女がこんなに素直に許しを求められるのでしょうか?男よりも余程したたかな生き物の筈です。


「もう貴方を裏切りません。もう疑ったりもしません。あの人と一緒になるなんて事は絶対有りません。」


その時 電話が有りました。

妻が出て何やら話していると、私に変わる様に合図をして来ました。

電話を変わると、相手は田中の奥さんで、今日家に来たいとの事でした。

私は まだ妻と話さなければならない事が有ったので、夕方来てくれる様に伝えました。


「聞いていたと思うけれど、夕方に来るそうだ。

それ迄に僕達の方をはっきりさせよう。今お前の話を聞いていて思ったんだけれど、チャンスを与える事も出来ない訳じゃ無いのかもしれない。

でも僕はお前の顔を見ると、今迄の事を思い出してしまう。

その時,また言いたくない事も言うだろう。そんな生活は お互いに不幸なだけだと思う。

僕だって別れるのは辛いさ。お前を許して このままでいたい気持ちも有る。

だけれど、別れた方が幸せになれるなら、その方が良いと思う。別れて どんなに辛くても、時間が解決してくれるだろう。

その時にお互い、新しい出会いも有るかも知れない。そうなれば、新しい幸せのスタートを切れると思う。」


妻は涙を溢れさせ聞いていましたが、私が言い終わると悲鳴の様な声を出しました。


「嫌!そんなの絶対嫌!」

そう言うとテーブルに泣き伏してしまい、手が付けられません。今は何を言っても駄目でしょう。


「泣いていったて、何の解決にもならないぞ。」

私はそう言って、また娘の部屋に戻りました。

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夕方にと言って於いたのに、田中夫婦は早めの時間にやって来ました。

男の方は、ソファーに腰掛けようとしたのですが、それを奥さんが制して床に二人で正座しました。

「この度は、主人がとんでもない事を致しまして、真に申し訳御座いませんでした。」

奥さんは、床に頭を付けて謝りましたが、男の方は軽く頭を下げただけです。

その事に気付いた奥さんは、





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