僕とオタと姫様の物語
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170 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/09(土) 03:45:36
彼女が戻ってきたとき ぼくはベッドに座って窓の外を見ていた。
低くたれた灰色の雲が風景に一様な光をまわしている。そのせいか景色は遠近感のない一枚の写真みたいに見えた。
写真の右端には駅へとむかう道があって、ごちゃごちゃの民家の先に消えている。
姫様はその道を歩いて、突然写真の中に姿をあらわした。
かなりの距離を隔てても、ぼくには その移動する点が姫様だとすぐにわかった。
道に沿ってゆっくりと歩く姫様。歩くときに正面を見ない癖があって、ちょっと危なっかしい。
道ばたの木や花や、ぼくにはまったく興味のない何かしら彼女的に「可愛いモノ」を探りながら歩く癖。
右手には白いコンビニの袋が握られていて、果物みたいな何かが入ってて ちょうどそのくらいの重さで前後に揺れている。
カーテンを閉じる。
CDをトレイに乗っけて再生する。
ベッドに潜りこむ。
布団から頭を出しておおきく呼吸すると喉が ふいごみたいに ひゅーと音を立てた。
たしかにだるい。
でも心臓は大きく高鳴ってた。
風邪のせいじゃないことはわかる。もうじき姫様がここにやって来るからだ。
病院の爺さんの言ってたことは まったく正しかった。いまや39度に到達しそうな勢いの熱そのものを、ぼくは忘れようとさえしている。
ぼくは健康体そのもの。立って歩くと ちょっとふらつくだけ。
一秒だって早く姫様の顔が見たい。
173 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/09(土) 03:46:25
母の嬉しそうな高い声が響いて しばらくあとに階段を昇ってくる足音が聞こえた。
がさがさと音がするのは きっと右手にぶら下げてたコンビニ袋の擦れあう音。
RedHotChiliPeppersのScarTissue。
終わり数十秒の切ないギターの音が階段の足音に重なる。いつかMTVで見たあの映像を思い出した。
荒野を疾走するぼろぼろのオープンカーとネックの折れたギター。
奏者は演奏が終わると なんのためらいもなくギターを走行中の車から後方へと、水面に流すみたいに捨ててしまう。
やたらかっこいい終わり方。
ぼくだって何か物事の終わりには あのくらいかっこよく決めるくらいのことはできると信じてた。
「ただいま」
でもどうだろう。彼女との最後の瞬間にぼくはしっかり立ってることができるか?
「ちゃんと寝てましたか?」
涼しげにさよならって言うことができるか?
「ねね。見てみて」
そんなのまず無理だ。ありえない。
「みかんとリンゴたくさん買ってきたよ。すごい安かったの」
彼女のフロッピィが、彼女をいつか呑みこんでしまうんじゃないかと ぼくはやっぱり不安でしかたない。
病院で聞いた彼女の小さかった声が頭のなかで おまじないの呪文のように唱えられたけど、その効果は頼りなくて怪しい。
「あ、ナイフとお皿」
曲はScarTissueからOthersideへ。
ぼくも頭を切り換えないとな。
考え過ぎだよ。風邪のせいで気が弱くなってるんだよ。たぶんきっと。
彼女が戻ってきたとき ぼくはベッドに座って窓の外を見ていた。
低くたれた灰色の雲が風景に一様な光をまわしている。そのせいか景色は遠近感のない一枚の写真みたいに見えた。
写真の右端には駅へとむかう道があって、ごちゃごちゃの民家の先に消えている。
姫様はその道を歩いて、突然写真の中に姿をあらわした。
かなりの距離を隔てても、ぼくには その移動する点が姫様だとすぐにわかった。
道に沿ってゆっくりと歩く姫様。歩くときに正面を見ない癖があって、ちょっと危なっかしい。
道ばたの木や花や、ぼくにはまったく興味のない何かしら彼女的に「可愛いモノ」を探りながら歩く癖。
右手には白いコンビニの袋が握られていて、果物みたいな何かが入ってて ちょうどそのくらいの重さで前後に揺れている。
カーテンを閉じる。
CDをトレイに乗っけて再生する。
ベッドに潜りこむ。
布団から頭を出しておおきく呼吸すると喉が ふいごみたいに ひゅーと音を立てた。
たしかにだるい。
でも心臓は大きく高鳴ってた。
風邪のせいじゃないことはわかる。もうじき姫様がここにやって来るからだ。
病院の爺さんの言ってたことは まったく正しかった。いまや39度に到達しそうな勢いの熱そのものを、ぼくは忘れようとさえしている。
ぼくは健康体そのもの。立って歩くと ちょっとふらつくだけ。
一秒だって早く姫様の顔が見たい。
173 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/09(土) 03:46:25
母の嬉しそうな高い声が響いて しばらくあとに階段を昇ってくる足音が聞こえた。
がさがさと音がするのは きっと右手にぶら下げてたコンビニ袋の擦れあう音。
RedHotChiliPeppersのScarTissue。
終わり数十秒の切ないギターの音が階段の足音に重なる。いつかMTVで見たあの映像を思い出した。
荒野を疾走するぼろぼろのオープンカーとネックの折れたギター。
奏者は演奏が終わると なんのためらいもなくギターを走行中の車から後方へと、水面に流すみたいに捨ててしまう。
やたらかっこいい終わり方。
ぼくだって何か物事の終わりには あのくらいかっこよく決めるくらいのことはできると信じてた。
「ただいま」
でもどうだろう。彼女との最後の瞬間にぼくはしっかり立ってることができるか?
「ちゃんと寝てましたか?」
涼しげにさよならって言うことができるか?
「ねね。見てみて」
そんなのまず無理だ。ありえない。
「みかんとリンゴたくさん買ってきたよ。すごい安かったの」
彼女のフロッピィが、彼女をいつか呑みこんでしまうんじゃないかと ぼくはやっぱり不安でしかたない。
病院で聞いた彼女の小さかった声が頭のなかで おまじないの呪文のように唱えられたけど、その効果は頼りなくて怪しい。
「あ、ナイフとお皿」
曲はScarTissueからOthersideへ。
ぼくも頭を切り換えないとな。
考え過ぎだよ。風邪のせいで気が弱くなってるんだよ。たぶんきっと。
174 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/09(土) 03:49:06
驚くほど慣れた手つきで彼女はリンゴの皮をむいた。左手のリンゴがくるくる回転して、等幅の皮が切りとられてゆく。
彼女は左手からリンゴを離さずに四分割した。ナイフで。
種の詰まったところまで さくっと切りとって やや大きめな四分の一個がぼくの口もとに運ばれた。
リンゴはひんやりしていて爽快感が口の中に広がる。味はあまり感じなかったけど、唾液管がめいっぱい開いて酸味があることを教えてくれた。
彼女も そのうちの一片にかじりつく。しゃくしゃくと音がして、美味しい?と彼女の声が聞こえる。
ぼくは眠くなる。
彼女がそばにいると安心しきって眠くなる。
ぼくが目を閉じて呼吸を低く、布団の中で もぞもぞして眠ろうとしたとき 彼女は いつになく優しい声でぼくにこう言った。
明日からちょっと会えなくなるかも。短い間だからすぐに帰ってくるよ。
日本に戻ったら真っ先にヒロのところへ…
そこまで言って彼女は黙りこんでしまった。
175 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/09(土) 03:50:28
日本へ。戻ったら。
オタのメールを思い出した。
嬢様はインドへ旅行の予定。
もしそうなったら、おれは名探偵の仲間入りだ。
フロッピィから根こそぎダウンロードされた不可解なデータの中から それっぽい答えを引っ張ってきたオタ。
オタ。おまえは名探偵だったようだ。
彼女は日が落ちてしまう前に帰っていった。
名残惜しそうにコートに時間をかけて腕を通し しばらくぼくの頬に顔をくっつけててくれた。
帰ってくるまで待っててね。と彼女は言った。
彼女にぼくの風邪が感染しないといいけど。
インドって暑いんだっけ?
彼女がいなくなったあとの暗がり。
ぼくはその中でただ横になってることに耐えられなかった。
PCを起動してオタにメールした。だからどうなるってわけでもなかったけど。
・
今日書いてるときに流れていた曲
キーン/Keane 「hopes and fears」
258 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/09(土) 23:29:31
彼女のいない夜。
ぼくは部屋から一歩も出ることがなかった。
CDケースの山の中から てきとうな一枚を取りだして再生してみる。ところが どれを再生しても、何回やっても気分が晴れることはなかった。
ぼくはカード占いでもやるみたいにCDを取りだしソリテアでくる日もくる日も音楽を再生した。
こんな経験、誰にでもあるんじゃないかな。
ありえるはずのない未来を占って川岸で小石を拾い、目標の岩にうまく命中できたら、秘密の恋が叶うとか。
だけどぼくの指先が当たりに触れることはなかった。どの曲も騒々しくて静かすぎた。
ぼくは脳下垂体がイカれたみたいに音を食べ続けた。決して癒されることない飢え。
おまけに不安まである。
ぼくが熱と体調不良を押して職場に顔を出したのは彼女のことをごっそり忘れてしまいたいからだった。
朝、爺さんのいる病院に顔を出して「安静に」を貰おうとしたら爺さんは姫様の顔が見たいと言った。
独り占めしないで先の短い年寄りにも鑑賞させろと笑いながら言った。
ぼくは落ちこんだ。
だから出社したんだ。爺さんめ。
不思議と仕事に没頭していると体調が持ち直してくる気がした。
実際、日中は微熱で治まっていてくれたし関節の痛みも鋭敏になった触感も、鈍いさざ波程度。
そして数日が経過する頃には、マジでなんともなくなり 爺さんには回復のお墨付きを貰うまでになった。
だけど夜ひとりでいると鬱に襲われた。
音を貪ることに飽きると、ぼくは死体になって眠った。
260 名前:70 ◆DyYEhjFjFU sage 投稿日:04/10/09(土) 23:30:35
オタがレスをくれたのは確か そのあたりだったと思う。
つらかった熱が引きはじめ、体調がゆっくりと回復しはじめた頃。遅い昼食にラーメンを食べてたとき。
ぼくは同僚からの連絡だと勘違いして、しばらくケータイを放置しておいた。ところが差出人はオタだった。
>気にしなくていい。
>助手席を綺麗にするとき つられゲロりそうだったけど。
>PCのアドレスに長めのレスを入れた。
オタのレスは長かった。
きっと長い付き合いの中では最長。
オタは姫様がインドへ行ったことを残念だ、として そこから先は手元のデータからでは もう何も分からないと締めくくってあった。
その他は、オタなりに ぼくを慰めてくれようと努力している文面。
もういいんだよ、オタ。
オタの気遣いがなによりも嬉しかった。
オタはレスの最後に こう付け加えてあった。
もし罪悪感が残ってるなら嬢様のことだけ考えればいい。嬢様はもうフロッピィをおれたちにちらつかせてはくれない。
嬢様がおまえのことを気にいってるなら なおさらだ。
どんな小さなことでもいいから何か残ってないのか?
例えば嬢様のデートクラブの名詞とか。
おまえはそこへ電話したんだろう?
でなけりゃ直接行って嬢様を選んだんじゃないのか?
そこに何か残ってないのか?
他の子を買って、嬢様のことをちょっと訊いてみるとか。
バレたら さぞや悲しむだろうけどな。
>>次のページへ続く
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