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別れた妻
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「好きだったからね。」
今の妻は、その手のことには、あまり興味がないらしく、ポプリか何かを置いたままです。
「ところでどうしてわかったの。俺がいるって。」
「ばかねえ、こういうところよ、すぐ噂になるわ。」
前妻がトレイにコーヒーを載せて運びながら言った。
「はす向かいの奥さんがね、『お気をつけて。なにか男が角に隠れてお宅の方を一生懸命見てるようでしたわよ。』って言ってたの。
それから外に出るときはちょっと注意していたの。
そしたら、この前、見たのよ、その男を。自分の目を疑ったわ。」
と言って彼女はクスクスと笑います。
「そしたら、今日もいるから、どうしようか迷ったけど、あなたの携帯に電話をしたのよ。」
そうか、まだ俺の携帯番号を控えていてくれてたのか・・・。と、私は妙に嬉しい気持ちになりました。
「で、どうしたの。まさか前妻の不幸な姿を確かめに来たっていうんじゃないでしょうね。」と、彼女はコーヒーを口に運びながら悪戯っぽく言いました。
「冗談きついなあ。そのことは本当に今でも心から済まないって思ってる、このとおり。」
そう言って私は膝に手をついて頭を深々と下げました。
「もういいわよ、済んだことなんだから。」
妻は、遠くを見るような目をして私の方を見てそう言いました。
「あ、そういえば会社の方はいいの?」
妻が気がついてそう言いました。
「あ、そうだ。電話しなきゃ。」
別れても彼女は昔のままだった。昔から彼女はいつもそうやって私の周りのいろいろなことに気を配ってくれているのでした
私は、会社の部下に
「ちょっと病院に寄ってくるので、遅くなる。時間がわかったらまた電話する。」と電話を入れ、コーヒーの残りを口に運びました。
「ところで、奥さんとはうまくいってるの?」彼女が私に聞きました。
「あ、ああ、うん。」
それから私達は、お互いのこれまでの話をしました。
私と今の妻との話は、彼女も知っていることでしたが、彼女と今の夫との馴れ初め、そして結婚の話は、私が初めて聞く話で、聞きながら私の心はせつなく疼き続けました。
それによれば、今の夫は彼女の会社の得意先の会社の人で、彼女が仕事の関係で何度か出入りするうちに食事に誘われ、そして交際を進めるうちにプロポーズされたということでした。
「安心を絵に描いたような人なんだけどね、結婚したら仕事も辞めてくれっていうし。でもね、ああいうことがあったからかしら、そういう平凡で安心な人に惹かれたのかもね。」
彼女がうっすらと微笑みながら私にそう言いました。
「ほんとうにゴメン。」
私は、そう言ってまた頭を下げました。
「あ、ううん、あなたを責めているんじゃなくって。」
彼女は、そう言ってくれましたが、私は、済まない気持ちでいっぱいで、しばらく下を向いていましたが、そのうち不覚にも涙が鼻をつたって私の手に落ちました。
「馬鹿ねえ・・・。」
それを見つけた彼女が小さな声で言います。
「ごめん、なんと言って謝ったらいいか、自分でもわからないんだ。」
私はうつむいたまま言いました。涙がまた一つ手の甲に落ちました。
「何泣いてんのよ、突然やってきたと思ったら・・・。」
でも、そう言っている彼女の声も涙声になっていて、そっと目頭を押さえると横を向きました。
そうやって私達は、しばらく無言のまま、窓から穏やかに差し込む朝の日の中でたたずんでいました。
「ねえ、どこかに一緒に行かない?」
彼女が手を上に上げ背伸びをしながら言いました。
「えっ。」
私が驚くと、彼女は、呆れた顔をして
「馬鹿ね、ドライブよ。会社休んじゃえば。別にどってことないでしょう、もう遅れてるんだし。」
「あ、うん。」
と私がうなずくと、彼女は
「じゃあ、着替えしてくるから待ってて。」と言って出て行った。
寝室に行ったのかな、と私は思いました。
前妻が今の夫と夜を過ごす寝室に興味が湧きましたが、まさか「見せてくれる?」と聞くわけにもいきません。
彼女が着替えをしている寝室には、ベッドがあって、ひょっとしたらダブルベッドかな。
その上で、前妻は今の夫に抱かれてるんだ・・・、などと一人でモヤモヤと想像するしかできませんでした。
不思議なものです。彼女と夫婦だったときには、私の目の前で彼女が着替えをしてもお互い平気で、裸になった彼女を後ろから抱きすくめて怒られるくらいでしたが、今の彼女は私の目を避け、夫婦の寝室で着替えをしているわけですから。
人は、紙一枚で他人になると、振る舞いまですぐ他人行儀になれるのでしょうか。
もっとも、私と前妻の間には、空白の時間もそれなりに経過しているので仕方ないかもしれませんが。
そうそう、電話をしなければ・・・。
我にかえった私は、携帯で会社に、結局行けなくなったと電話を入れました。
部下は「大丈夫ですか、大事にしてくださいよ。」と言っていたが、私はあいまいに返事をして電話を切りました。
そこに着替え終わった彼女が現れました。
彼女は、私のお気に入りの薄い水色のブラウスに白のタイトスカートでした。
特にブラウスは、ほどよく胸の部分が開いていて、形のいい前妻のバストがわずかに露になるのが私のお気に入りでしたし、タイトスカートもきれいなヒップラインがはっきり出るので私は好きでした。
「そ、それ、懐かしいね・・・。」
彼女は、ちょっと赤くなったみたいでした。
私は、彼女について外に出て、小さな門の内側に止めてあった赤い車の助手席に乗り込みました。
車がとめてあった場所は、ちょうどガレージの屋根に隠れるようになって周りから、見られることもないようでしたが、私はドアの隙間からするりとシートに身を滑り込ませ手早くドアを閉めました。
彼女と一緒だった頃は誰はばかることなく一緒にいられたのに、今はコソコソと人目から隠れるようにしなければならないのですから、変なものです。
車に乗った私たちは話し合って、私たちが結婚前によくデートしていた港の公園に行くことにしました。
「車、やっぱり赤なんだね。」
車が動き出すと私は言いました。
「あ、これ? わたしが赤がいいって言ったら、あの人がそうしてくれたの。どうせ君が一番乗るんだからって言って。」
「やさしいんだね、いまの旦那さん。」
「まあね、ずいぶんわたしが年下だし、好きなようにさせてくれるってとこかしら。」
彼女は、前を向いたままかすかに微笑んだ。
私は、少しシートを後ろに倒し、運転している前妻の横顔を見つめていた。
「何そんなにジロシロ見てるの?久しぶりに見る元妻がそんなに珍しいの?」
彼女が笑いながらそう言いました。
私はそれには答えず、彼女の顔を見つめ続けていましたが、
「なんか綺麗になったね、君。」
「なーに言ってるの、キモチ悪いわねえ、急に。」
「ホントだって。」
「もういいわよ、奥さんに怒られるわよ、元妻を口説いたりしちゃあ。」
そう言ってまた笑います。
公園近くの駐車場に車を止めた私たちは、公園を横切り、海に面した場所に向かいました。
そこにはベンチがあって、私たちは海に沈む太陽と夕焼けをよくそこで眺めましたが、今日はそこは、午前の日差しで満ちていました。
ウィークデーの午前中ということもあってか、人もまばらでした。
私たちは、その中の一つのベンチに並んで腰掛けて、海を眺めました。
「この場所が好きだったわね、二人とも。」
「ああ、よく来たね。キスしに。」
「あは、そうだわね。」
と言って、彼女は遠くを見つめたまま微笑みました。
「ねえ。」
「何?」
彼女が遠くを見つめたまま聞き返します。
「キスしていい?」
彼女が微笑んだまま顔を私に向けます。
私は、顔を彼女に近づけ、唇を合わせると、彼女の首を軽く押さえて、長い長いキスをしました。
「あなたにしてもらったキスの中で、今のが一番よかったわ。」
彼女がそう言って笑った。
私は、彼女の手を握り、ベンチの背に体をあずけました。
「あーあ。」
私は大きな声を出して言いました。
「どうしたの、何があーあ、なの。」
「説明できないよ、あーあって言うしか。」
「変な人ねえ。」
彼女が笑います。
「気持ちいい風ね。」
私に手を握られたまま、遠くを眺めている彼女が言いました。
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