人としてやってはいけないことをしてきた半生を語る
始めに言っておくが半端なく長いしつまらないと思う。
今更こんな在り来たりな話ですまないが聞いてくれる人がいたら幸いだ
そんな前置きするぐらいならさっさと書けよ
聞いてやるから
まず生まれから。ど田舎に生まれた。自然しかないような場所だ
生まれた時は地域で一番裕福な家で何かに不自由するということはなかった
父の実家が商売をしており父は実家の援助を受けて喫茶店を開業していた
聞いてくれてありがとう
幸い喫茶店も軌道に乗り随分繁盛していたらしい。らしいと言うのは自分がまだ幼かったからだ
幼い自分はよく母の実家に預けられ泣いていたみたいだ。
まぁ何不自由なく育っていた自分に変化が起きる。
家で保育園の友達とテレビを見ていた際に友達からテレビの音が大きいよと言われた。
この時3歳で母が気になって病院に連れて行ったみたいだ
結果は経度の難聴だった。この時は補聴器は必要ないとの判断だった
保育園でも いじめらしいいじめもなかったし 普通に生活していた
喫茶店も順調で大変繁盛していた。
だがここで生活に変化が起きる。
父の兄が喫茶店と実家の木材店の経営を交換しないかと話を持ち掛けてきた
両親は相当迷ったらしいが父は 祖父を尊敬していたみたいで家業を継げるならということでその話に乗ったらしい。
それが失敗だった
帳簿を開いてみると父の兄が継いでからの業績が最悪だった。
5億あった貯金がかなり減っており 変わりに借金が5億あったそうだ。
それでも両親はやっていこうと頑張って働いた。今でも父の働きは凄かったと思う
何年前かしらんが5億の借金はすごいな
ここまでのあらすじ
軽度な難聴な私は裕福な家に生まれた。
数年後、家業が大赤字だった。
>>21
わかりやすいな
お前さんの三行まとめに期待
見てくれてありがとう
そうして自分は小学校に入学する。小学校は本当に最悪だった。
1年の時に一部の生徒と担任にいじめ抜かれた。自分だけ連絡帳の字が汚いと5時まで残された
他の生徒が1時には下校する中 自分だけ延々5時まで連絡帳を書いては消して
提出したら また不合格をもらいまた消してを繰り返した
毎日毎日それを繰り返していた。
ある日母が連絡帳を見た際に驚いた。
あまりにもボロボロになった連絡帳を見て母が学校に抗議に行った
すると担任は字が汚いから仕方ないと言った。でも自分より字が汚い生徒はいくらでもいた
納得がいかない母は校長に抗議すると言うと担任はある提案をした
班を変えることになった。連絡帳の確認は班長の仕事で班長の許可が貰えるまで帰れなかった
私は班長に何故 嫌われているか当時は わからなかったが毎日居残りをさせられていた
そこで担任が出した答えが班変えだった。
6人1班で全6班だった班なのだが私1人だけの班が出来た。班長も班員も私だけだ。
担任はこの事は親には言うなときつく口止めされた
当時の自分は何故口止めされたのかわからなかったが それでも早く帰れるようになるのが嬉しかった
自分だけの班が出来て暫く平和に暮らしていた。
友達も少しは出来たし楽しかった
でもそれは長くは続かなかった。
次に担任がしてきたことは 私の耳の事を悪く言うことだ
担任からツンボがうつるから他の生徒には近寄らないよう言われた
そんな事あるわけないのに自分はそれを信じて友達とは疎遠になった
さらに元班長だった生徒がクラスの全員に私と遊ばないように指示を出したらしい
分かりづらくてすいません。
班長は駄目出しを3時まで続けてあとは担任と2人で残り続けた。
学校が終わる時間は正確には2時15分だった。
25年も前のことなんで記憶が曖昧ですいません
何故か元班長には誰も逆らえなくて みんな言う事を聞いていた
田舎だから学年1クラスしかなく そのまま3年まで1人で過ごした
3年の時に転校生がきた。その転校生と仲良くなった
ある日、転校生が元班長から私と仲良くするなと言われたらしい
転校生は何故そんなことを言うのかと口論になり元班長の言うことを聞かなかった
そしたら転校生も他の生徒が寄り付かなくなり一層仲良くなった。
ずっと2人で遊んでこの転校生は親友だと言えるくらい遊び続けた
これで寂しくないと思っていた矢先、転校生は再び転校してしまいまた私は1人になった
そのまま1人で小学校卒業まで過ごした。
中学校も小学校のメンバーが全て一緒に進学した
でも他の学区の子も入ってきてまた友達は出来た。
中学校が人生の中で1番平和だったと思う