東大まで行った俺が人生奈落の底まで落ちた体験談書いてく
現在31歳
借金約3500万
車なし
アパート住まい
妻とは別居
学生時代からまぁ一般的に見て優秀()だった俺は地元で一番の進学校(高校)に入学し、適当に学生生活を楽しみつつ現役で東大に行った
大学へ入ってからも特に勉強を頑張る事も無かったが学校のレベルには十分追ていけていた
と言うよりも大学の中でも優秀な部類だった
2年になったある日大学で勉強するのに意味を見出せなくなって親戚の兄貴が勤める会社へアルバイトの様な感じで手伝いに行くことが多くなった
その会社は小さなヘッジファンド会社で、一般の人から出資を集ってある程度の額を集め運用して配当を出すような会社だった
最初は週2くらいで手伝いに行っていたんだが、仕事が凄い面白く感じたのと、大学生活に飽きていたのと、週2なのに月で30万くらい給料を貰っていたのとで、次第に大学より仕事が優先になってきた
大学2年の秋くらいになると、殆ど大学には行かずに仕事をするようになっていた
家族が凄い心配するから一人暮らしを始め、大学へ行っているって事にしながら
4週くらいで仕事へ行っていた
その時で月に50万以上はもらってた
そしてついに大学3年になる事は無く、家族の猛反対を押し切り学校を辞めてその会社に就職した
当時は まだファンドが今みたいに一般的ではなく、危険なイメージも少なかったので、本当に面白いように儲かった。
会社に入って2年ほどは基本的に言われた事だけをそつ無くこなしてる感じだったが、3年も経つと金の流れやファンドの事を色々覚えて今の会社の欠点ばかり目に付くようになった
こんな会社飛び出して自分でやってやろうとも考えたが、
親戚に紹介してもらった事や、社会人経験0の俺を育ててくれた事などでそれだけは思い止まっていた
だけどどうしても自分で考えたファンドの商品を試したくて
何度も上にプレゼンして
その商品を会社として販売出来るようになった
そのファンドの具体的な説明はしないが、その商品が大当たり
開始半年ほどで今までの会社の売り上げ3年分以上を稼ぐことに成功する。
それ以降も半年スパンくらいで新しい商品を販売し、それがことごとく当たり続ける
当時の給料で月約200万くらい
やべえなwww
当時まだ20代前半だったが、部下も数名だが出来た
俺が入った時より会社の人数も3倍くらいに増えた
まあもともと小さい会社だったんだけどね
社長に役員になって欲しいといわれた
俺は この会社にずっといるつもりは無かったのでずっと断り続けていた
とんとん拍子で進んでいたんだけど、会社が大きくなったからか、社長と専務が派閥っぽい感じになった。
俺は はっきり言ってどっちも興味なかったんだけど親戚が専務派だったので何となく専務派っぽい事になってたらしい。
派閥もどんどん進み、専務が独立して会社を立ち上げることになった。
俺は そのタイミングで辞めようかとも考えていたんだけど、社長から自分に代わって社長になって欲しいといわれた。
役員はうざったいけど 社長ならいいやみたいな安易な考えでおkする
俺は25くらいで40名くらいいた会社の社長になった
俺が社長になったことで専務も独立を諦めた
まあ俺が行くと思っての独立だったんだろうけど
当時の給料年収約3500万
会社を自由に動かせることと、前から疑問に思っていた今の会社のスタイルの改善に努めた
国内ファンドだけだったが海外ファンドにも手を出した
グレーな事にも手を染め始め、税務局や証券会社からメスも入ったが弁護士の知人やグレーな知人の力、もって生まれた弁舌で難無く乗り切る
そんなある日ヘッジファンドの法律が変わる
詳しくはググってくれ
簡単に言うと1ファンドで49人以上の投資家を集めてはいけないという事になったんだ
これは普通のファンド会社には大ピンチなんだが俺みたいに屁理屈屋には通用しない
49人以下のファンドを沢山作って今まで通り運用
メス入れに関しては金と人を駆使してお引取りしてもらってた