私は報告書を出して読み上げました。
「一年ぐらい前から股関節が悪くなり、
ずっと通院していたが六月に検査入院。
そのまま七月には手術を受け、リハビリを経て先月末に退院。
近所の人の話しにとると、絶えず笑い声が聞こえて来る仲の良い夫婦で、
休みの日は奥さんの手を引いて、
仲良く散歩している姿をよく見掛けるとも書いてあるぞ」
妻が私の足を放すのと同時に、思い切り木下を殴っていました。
「久美、騙していたようで悪かった。
でも私は遊びじゃなかった。
それだけは信じて欲しい。
別れようと思っていた時に妻が身体を壊したので、
男として放ってはおけなかった。
今すぐは無理でも、いつか妻と別れて・・・・・・・」
この男にとって私以外に恋愛経験の無い妻を騙す事は、赤子の手を捻る事よりも容易い事だったでしょう。
しかし,今の妻は、彼の愛を少しずつ疑い始めています。
ただ、一年にも及ぶ甘い言葉と半年以上にも及ぶ身体の関係で、
彼の事を全て嘘だとは認められず、
心の中で自分と戦っているようでした。
「性欲だけで久美を抱きやがって!欲望だけで俺の家庭を壊しやがって!」
また私は木下の胸倉を掴みましたが、彼は私を無視して迷い始めた妻に訴えかけます。
「違う!久美、信じてくれ。
私は真剣に君を愛している。
確かに妻とは長年一緒にいたから情はある。
でも愛してはいないし、夫婦としては終わっている。
私が愛しているのは久美だけだ」
妻は既に気付いているのでしょう。
しかし,支払った代償が余りにも大きく、すぐには認められないだけなのです。
「奥さんを連れて来られないのなら、
今からみんなでおまえの家に行こう。
奥さんを交えて話せば全てはっきりする。
離婚話など無かった事や、
家庭内別居状態だったなんて嘘だった事も」
私が木下を放すと、彼は妻の方を向いて正座しました。
「正直に話す。
離婚はまだ私の胸の内にあっただけで、身体を壊した妻には話していない。
でも,久美に対する愛は嘘じゃない。
ずるい考えだったが、嘘をついてでも久美が欲しかった。
それだけ久美を愛していた。
嘘をついている罪悪感でずっと苦しんでいたが、
その苦しみよりも、
久美を手放したくない気持ちの方が大きかった」
しかし,妻は彼とは目を合わさずに俯き、太腿に涙が零れ落ちます。
彼に甘い言葉を囁かれ、散々騙され続けていた妻も、
ようやく性欲処理の道具にされていた事を自分に認めたのです。
「このような事をしてしまっては、
ご主人とは一緒にいられないだろうから、
久美の今後の生活はきちんと看させてもらう。
妻の身体が完全に回復したら、
すぐにでも離婚を切り出して責任を取る。
私を信じて、それまではこのままで我慢して欲しい」
夫である私が目の前にいるにも拘らず、
妻に対してこのまま愛人でいろと言っているのです。
木下にとって十八歳も若い妻の身体は、
自分の置かれた立場も分からないほど魅力に溢れているのでしょう。
この期に及んでも別れられないほど、
妻とのセックスは充実したものだったに違いありません。
しかし,架空の離婚話に同情し、
進んで身体を差し出して性欲の捌け口になっていた妻も、
流石にこの苦しい言い逃れに騙されるほどは、
馬鹿ではありませんでした。
「帰って!」
「久美・・・・・・」
「もういやー!」
「近々奥さんとも話す事になる。
それと、報告書によれば仕事中に妻と会社を抜け出して、喫茶店でホテルに誘っていたらしいな。
就業中に部下の人妻をホテルに誘うなんて、
そのような事を許している会社の責任も大きいと思うから、
そちらにも一度お邪魔する事になる」
私は出来る限り冷静に話そうとしていましたが、手は怒りで震えていました。
「慰謝料は後日,文章でそれ相応の額を請求する。
それと俺が殴った事だが、謝る気はないから訴えるならご自由に」
木下が帰ると妻は寝室まで走って行き、
後を追うと妻はベッドに顔を伏せて泣いていましたが、
私はそのような妻に追い討ちをかけます。
「返事が遅くなったが、離婚は承諾してやる。
おまえのような女に大事な子供達は任せられないから俺が育てる。
もう少し大きくなったら、母親はセックスに溺れて男を作って出て行ったと、
俺から本当の事を教えてやるから、
今は何も話さずに出て行ってくれ」
それを聞いた妻は泣き叫んでいました。
私は卑怯な男かも知れません。
妻と木下の関係が終わりそうになった事で、
強く出られるようになったのです。
「それと、今まで散々世話になったから、今から久美の実家に行って離婚の報告をしてくる」
これは脅しではありませんでした。
今までは妻を失う失望感の方が大きくて、
私から他の男に移っていった、
気持ちの裏切りが最大の問題でした。
しかし,妻の心の行き場が無くなると、
急に妻と木下がしていたセックスの事が気になり出して、
身体も私を裏切り続けていた事に怒りが増したのです。
「子供達は眠ってしまったから、このまま泊まっていかせたら?」
私が子供を迎えに来たと思っていた義母はそう言いましたが、
玄関の外で泣いている妻を見付けて笑顔が消えます。
私は妻を実家に預かってもらって別居するつもりでいましたが、
厳格な義父は妻を許さずに親子の縁を切ると言い、
妻を思い切り平手で殴りました。
「二度とこの家の敷居は跨ぐな!」
義母も泣き叫びながら、泣き伏した妻の背中を何度も叩いています。
「あんたって子は・・・・・・どうして?・・どうして?」
「ごめんなさい・・・・ごめんなさい」
結局妻は実家にも戻れず、しばらく我が家にいさせて欲しいと、頭を下げたままま顔を上げる事が出来ません。
それからの私は,子供達の前だけでしか妻と口を利かなくなり、
当然寝室も別にして、完全な家庭内別居を決め込んでいました。
妻は自分の生活費を稼がなければならないので,会社を辞められず、
本当は妻に会社を辞めて欲しい私も、
一応離婚を言い渡してある手前、
妻のその後の生活もあるので言い出せません。
ただ,妻は別の部署に移動させてもらって,木下とは完全に切れたようで、
償いのつもりかこれまで,以上に私の世話を焼こうとするのですが、
私は頑なに妻の世話になるのを拒否していたので、
妻は毎日のように私の為に作った料理を捨てていました。
「今年のお正月はホテルに泊まるぞ。それも大きなホテルに」
木下とは会えば会うほど、この男が妻の身体を嘗め回し、
妻の中に入ったという悔しさでおかしくなりそうだった私は弁護士に全て任せ、
相手も弁護士を立てて来たために弁護士同士の話し合いになり、
会社には乗り込まない事を条件に、
妻とは二度と二人で会ったり連絡を取り合ったりしないと誓約書を書かせ、
弁護士に言わせると離婚が決まっていない場合は、
破格の金額だと言う三百万の慰謝料を受け取っていたので、
妻が相手の奥さんに支払った慰謝料と弁護士料、
その他興信所の費用を差し引いても百五十万以上残り、
正月はホテルで豪華な食事をするつもりでいました。
「いつ行くの?」
「三十日からだ」
子供達は大喜びで、妻も久し振りに笑顔を見せます。
「ただし、お母さんはお仕事で行けないから、お父さんと三人だ」
一気に妻の表情は曇り、涙目になって洗い物を続けました。
そして,その夜、久し振りに妻と話し合いを持ちましたが、妻はほとんど泣いていて話しになりません。
「このままずるずると暮らしていても、子供達にも良くない。
おまえはいつになったら出て行く気だ?
その時,正式に離婚しようと思うから、そろそろ期限を切らないか?」
妻は,このまま子供達と暮らしたいようでしやが、
自分から離婚を言い出した手前、私に何も言えません。
私もこれは本心ではなくて、ただ妻を責めたいだけでした。
「本当なら今年一杯で縁を切り、
来年からは新たな気持ちで生きて行きたかったが、
今からではそうもいかないだろ。
どうだ?一月いっぱいで離婚して出て行く事に決めては」
私は妻が泣いて謝り、私に縋りついて離婚を撤回する姿をみたかったのですが、
やはり自分が酷い事をしたと分かっているので、
撤回してもらう事は無理だと諦めているのでしょう。
結局,妻は何も言わず、ただ泣いていただけで終わってしまい、
年末には私と子供達だけでホテルに行きました。
しかし,普段無視していても妻のいない年末年始は味気なく、
独りで毎日泣いているのではないかと思うと楽しめません。
それは,子供達も同じだったようで、
三日まで滞在する予定だったのを元旦の夕食を済ませた後、
キャンセルして帰ろうかと言ってみたところ二人は嬉しそうでした。
しかし,家に着くと、八時を過ぎているというのに妻の姿がありません。
当時は今のように携帯も無かったので、
妻が何処に行ったのかも分からずに、
一応,実家に行ってみましたが、やはり妻は来ていませんでした。
「こんな時間にどうしたの?」
「新年のご挨拶に。それと、今夜子供達を預かってもらえますか?」
「またあの子が何か!」
私は本当の事を言えませんでした。
あれ以来、義父は私と顔を合わせる度に謝り、
義母は子供達から見えないように手を合わせます。
そのような両親に、このような時間に妻がいないなどとは言えません。
「今夜は久美と、二人だけで映画にでも行こうかと」
それを聞いた二人は嬉しそうに涙ぐみましたが、私は愛想笑いをする事すら出来ません。
一人家に帰って妻の帰りを待っていましたが、
結局,その夜妻が帰って来る事は無く、
夜が明ける頃にいつしか眠ってしまった私は、妻の驚く声で目が覚めます。
「あなた!」
目を開けると真っ青な顔をした妻が震えて立っていて、
眠ったばかりのところを起こされたので,
訳の分からなかった私も徐々に今の状況を思い出し、
気が付くと妻の髪を鷲掴みにして、玄関に向かって歩き出していました。
「違うの。これは違うの」
「何が違う!木下と会っていただろ!」
「ごめんなさい・・寂しかったの・・・・・寂しくておかしくなりそうで」
妻を外に放り出すとドアを閉め、
ノブを強く握ったまま扉に背を向けて、
溢れる涙を何度拭いても、涙が止まる事はありません。
約束を破られた私は目には目をで、仕事始めの日に会社に乗り込みました。
たまたま,創業者で厳格なワンマン社長だったのと、
以前,二人が就業中にもかかわらず、
何かと理由をつけて会社を抜け出してデートしていた事も発覚したことで、
妻は退職を勧められると,それを受け入れ、
木下も降格された事から自ら退職を選んだそうです。
こうして,私達の結婚生活は終わりを告げ、
妻には慰謝料を請求しない代わりに財産分与は放棄させ、
子供達の親権は私がとったので、
子供達の世話は妻の両親に世話になるという、
世間から見れば変わった生活が始まりました。
しかし,これも今考えれば、妻との縁を完全に切りたくなかったからかも知れません。
妻はと言えば、事務の仕事を見つけて,友達の家で世話になっているようでした。
ようでしたと言うのは、この離婚での一番の犠牲者は子供達だと思い、
子供達には本当の事は話せずに、
この家の中でならいつ会っても良いと許可してあったので、
妻は毎晩通って来ては子供達の世話をしていたので、
毎日のように顔は合わせていたのですが、
意地を張って妻とは口を利く事も無かった私は、
妻が子供達に話しているのを立ち聞きしただけだからです。
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