16 名前:前スレ969 投稿日:2010/01/21(木) 21:46:49
そんなわけで初めて繋がったのは結婚式後の初夜だった。
もうそれまで七年間なんてどうでもよくなるくらい、最高の夜だった。
で、ことが終わると、嫁が泣いているのも印象的だった。
ただ ここで俺の七年間の忍耐の成果を無駄にしかねない嫁の発言。
「怒らないで聞いてね? ほんとに初夜に処女捨てれるなんて思ってなかった」
…おい。
確かに結婚まで貞操を守るのは小さい頃から思っていたことだし、出来ることなら成し遂げたいとは思っていたらしい。
自分の考えが古いのはわかってて、友達にもおかしいって言われてたし、たぶんそのうち俺に襲われちゃうよって友達に言われてそんなものかなとも思ったらしい。
その時はその時でずっと大事にしてもらおうと考えていたが、一向に俺が行動を起こさず我慢し続けるものだから、ひょっとして自分に魅力が無いのかとか意味不明な悩みももったとか。
自分でそういうこと言い出しておいてね。
時々 お酒が入ったときとかは誘惑もかけてたとか。俺に取っちゃあらゆるスキンシップが誘惑でしたけどね。
そんな話聞いてもうあっけに取られた。
怒らないで聞いてね? って最初に言われたけども、お前七年間ですよ?
七年間。
七年間お前の貞操観念を大事にしようと我慢し続けてきたのに、実は襲われてもよかっただと?
怒ったね。怒りながら笑ったね。
童貞を失った充実感とか、さっきまで最高の夜とか思ってた自分は、今死んだ!状態。
そんな俺を見て申し訳なかったのか、大事にされてるんだと感じてうれしくて仕方ないなんてフォローもかましてきた。
だがそんなもので俺の怒りが収まるわけも無く、その怒りを指先と舌先に集中して徹底的にお仕置きをしたのが初夜のお話。
ついさっきまで童貞だった癖に、嫁を三回いかせたのは正直俺すごくね?ってその時は思ってた。
まあ嫁が感じやすいだけだと思うけど。
正直嫁以外の女を知らないからどうともいえない。
ちなみに怒りはしたけど、きれたり怒鳴るとかそういうのはなかった。
なんじゃそりゃー、とはいったような気がする。
あと嫁の予測の上を行ったという謎の達成感も覚えてた気がする。
17 名前:前スレ969 投稿日:2010/01/21(木) 21:49:48
さて、ここまで書いたけど正直これ馴れ初めといっていいのか不安になってきた。
でももう書いちゃってあるから一応乗せていきます。スレ違いなら言ってください。
そろそろ結婚の話をしないとですね。
嫁が大学院まで出たので、約六年の同棲の後に実家に帰ったんだが、帰るなり家族が俺達の結婚の話をし始めたのが確か始まりだったかな。
俺達の中では漠然とするとは決めていたが、いつとかどうするとかそういうのはまったく決めてなかった。
そういうわけで、家族のほうが盛り上がっていた。親だけでなく、弟やら妹もなぜか盛り上がっていた。
妹「やっと結婚かー。嫁が義姉さんになるのかー」
とか
弟「結婚すんのかよwww兄ちゃん趣味悪すぎwwww」
とかすき放題言われた。
この弟妹には付き合うと報告したときも
妹「やっと付き合ったかー。お兄ちゃん鈍感すぎ」
とか
弟「ふざけんなww嫁が義姉になるとかぜってぇやだよwwそうなったら兄弟の縁を切ることも考えるwwwwっつか兄ちゃん趣味悪すぎwwww」
とかすき放題言われた。
妹はすでに嫁の俺に対する気持ちを知ってたらしく、嫁が元彼と付き合って別れるたびに悩む姿を見て「悩ませる兄氏ね」って思ってたらしい。
弟は弟でこれが本当に変態で。
俺を怒らせて殴られたり絞められたりぼこられるとすごい喜ぶという度し難い変態だ。
だから上の発言もニコニコしながら俺に殴られていた。
この変態は嫁をからかうのが大好きで、一度嫁に、
嫁「ねぇ、い○まちお?ってなに?」
って聞かれたときもこいつが原因だった。
そのときもにこにこしながらロメロスペシャルで俺の上を舞うことになった。
18 名前:前スレ969 投稿日:2010/01/21(木) 21:53:32
ごめんまた話がそれた…
そういうわけで家族が盛り上がってたんだけど、俺達はそうでもなく家族と当事者とで温度差があった。
というか、俺達いつか結婚する気があるとは言ったけど、家族達はもうすぐにでも結婚するものだと思ってたらしい。
というか俺が結婚について考えなかった。別にそのうちするだろう、と思ってた。
嫁はなんだか周囲が盛り上がるのに行動に移さない俺が気に食わなかったらしく、日に日にぶすくれていった。
なんで不機嫌なるんだとわからなかったが、妹に「馬鹿、ほんと鈍感」って言われつつ理由を教えてもらい
「早くプロポーズしてあげなよ」って炊きつけられて一気に話が進んだ。妹にたきつけられるとかほんとへたれ。
プロポーズした日はよく覚えている。
2008年の五月三十日金曜日だった。
嫁が卒業して約二ヵ月後くらい。
夜に嫁と一緒にドライブに行き、夜景を見ながらすごいかしこまってプロポーズした。
きざな演出とかそういうのは考える時間も無かったし恥ずかしくてできなかったから、ただプロポーズの言葉と指輪を渡しただけ。
それでも嫁は喜んでくれて、泣いた。
やっぱり泣き笑いをしていた。
あとはもう、善はいそげってことで時間を作っては結婚式に向けての準備をした。
嫁母に挨拶に行ったときは、もう自分の母親のように思ってるはずなのにすごい緊張した。
いつに無くまじめな顔の嫁母を前に、なぜかがちがちの嫁を隣に、嫁との結婚を許してくださいと頭を下げた。
嫁母「こうなることはわかっていたはずなのに、いざ言われると感慨深いものがあるわ。どうぞ、ふつつかな娘ではありますがよろしくお願いいたします」
と、丁寧に頭を下げられた。
嫁もうちの両親に改めて挨拶をしていたが、
父「嫁ちゃんとなら、何も言うことはない。どうぞ、よろしくたのむ」
母「息子をよろしくお願いします」
といわれて、ちょっと泣いていた。普段気が強い癖して泣き上戸なのよね。
20 名前:前スレ969 投稿日:2010/01/21(木) 21:55:56
そんなこんなで結婚式をあげるまではかなり早かった。
早かったけどほんといろいろあった。
希望は三月頃だったけど、どうしても予定通り式場が取れなくて二月の頭ということで無理やり予定を立てた。
あと、この頃から今までに増して喧嘩をするようになった。
俺よりも嫁のほうが仕事が忙しく、こまごまとしたことは俺が決めてたんだ。
ただ、それが嫁の希望に沿わないことが多かったらしく、ぎゃんぎゃん文句を言われた。
俺も普段は聞き流すはずなのに、この時期はなぜか反論して言い争ってしまい、このままでほんとに結婚なんて出来るのかと不安になった。
まあお互い不安だったんだろう。
そういうのも解決してくれたのは親父だった。
いざこざがおおくなってきたのをどこから聞いたのか、ある日俺を急に飲みに連れ出し、
父「結婚式ってのはな、新婦のためにやるもんだ。不安なのも分かるが、ここが最初の関門だ。踏ん張れ」
っというようなことを三時間語られた。
それが効果あったかどうかはわからないが、俺が折れて収まることが多くなって無事に結婚式を迎えることが出来た。
結婚式ではまたしても家族が面白かった。
父「ああー、くそー、うちの娘がー、娘が息子に取られるよー」(完全に酔っ払い)
妹「あれ、ちょっとローストビーフ! 私まだ食べてないのに!」(すげーでかい声)
弟「ちょwww兄貴と嫁のキス顔wwwwまじきめぇwwwwww」(写真係)
母&嫁母(静かに泣く。しかもなぜかお互いの涙をぬぐいあってる)
婆ちゃん「嫁ちゃん、綺麗だねぇ」(ほんとに荒地の魔女そっくりだった)
父はずっと娘がー、娘がーっていってた。
まあ実際自分の娘並に可愛がってたけどね。
むしろ娘より可愛がってた。
弟はあとでスタッフがきっちりお仕置きをしておきました(やっぱり笑いながら喜んでた)
21 名前:前スレ969 投稿日:2010/01/21(木) 21:57:04
いい結婚式だったんじゃないかな、と思う。
で、結局まだ新婚旅行に行ってないんだよね。
なんだかんだで嫁が休めなくて、旅行らしい旅行に連れて行ってやれてない。
本人はあまり気にしてないように見えたけど、そこはやっぱり妹に
「馬鹿、鈍感すぎ。新婚旅行がなくていいわけないじゃん」って言われた。
そういわれちゃやらないわけにはってことで、予定立てて再来月の三月に国内で二泊三日の簡単な旅行に行くことにしている。
ほんとは海外がいいんだろうけど、どうしても予定が組めそうに無くて、またいつか絶対に行こうと約束してる。
こんな感じです。
22 名秩前:前隻ス身レ969 投勲稿日:2010/01/21(木媒) 22:01:09
い濃や、飾ほんと長く土な寿っ音てしま跳っ棒て、しかも胞馴れ覧初霜めじ弓ゃない縁話が多く田てす殿い壇ません究。詔
しかも網や緯っぱ無り後半訪急ぎ気伝味で屈すね。頭あ享まり素面資白情い話従で鈍もな沼く深て店すい不ま里せん里。任
ち低なみ錬に、季出万会いの切欠に搬なっ鼓た梅と増も孝い特え昭る概借金ですが論、習未省だに揺返済中のようで財す豆。塾
嫁も涯働きお始Rめ憲た独し、疫も排う叔す勲こしで巡な神くなる三んじ総ゃな競いかなjと思い株ます。
ち筆なみ恵に崩俺奇が金を型出したわ栓けじゃ織ないのでそういう棋話はなるべ渦く聞かな轄いしし離な習いヒよう縁にし$て隣い販ま散す杉の鼻で、狩詳副し夏く称は分か七らな菌い同で脱す。奥
とい敷うか某絶対唐話化して垂くれな先い冠のでなんだ安か疎外感順を感じ葬る拙こと純も様あ秩りま本す穏。
嫁謡の考えと謹し徴ては、
「結婚す密るまでのこと刀は写個答人のこと。フ結婚波した後線の乾ことは娠、お互廊い活の共通の@こ響と脂」枝
という貝こ庸と顔ら誤しいです。
同棲中も絶呈対私に物家賃aは半額ワ払損い藩、能食費藻やなん宵かも静自#分働の?分侯は自神分催で線出し嗣て艇ました。
ただ外食痴したろときだけは俺がおごムることが多か責っ裸た判けど。儀
と約に報か承く性俺に宵金顕銭犯面やふらで甘紳え株てくると斎いう求こ青と動は為絶恥対択に鼓無砲かっ土たで応すね曲。
あ酢と、球借金が塑無く冬な孤ってから結私婚し失たほうが岸という話もした勅の額です病が尊、竜それだとか迫な菜り秘晩択婚権になっ死て座しまう先か燥もし上れ浦ない*と、虫借金災が十なく謀なアる房前該に結傷婚に加踏怠み切現り危ま塁した。警
さ尋て慎、然自分冠で守はどこ均がどうい如う黙風徒に附足舌りない冠と知か発分柔か互ら型な瀬い鐘ので、閑な複に送か蔵質問津とかあれ磨ば答新え収よ隣うと思週い爆ます。泊
ど高こがどうこし繕て客こう裂な香っユた粛、粉見局たいな関とえころ順と罪かなあ留り貢まし爆たら慈ど名う貧ぞ梅。際た実だ、あ弓ま礎りここに爵居央座るのもやあ類れ組なの突で、鈍頃合を見て消えますX。
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そんなわけで初めて繋がったのは結婚式後の初夜だった。
もうそれまで七年間なんてどうでもよくなるくらい、最高の夜だった。
で、ことが終わると、嫁が泣いているのも印象的だった。
ただ ここで俺の七年間の忍耐の成果を無駄にしかねない嫁の発言。
「怒らないで聞いてね? ほんとに初夜に処女捨てれるなんて思ってなかった」
…おい。
確かに結婚まで貞操を守るのは小さい頃から思っていたことだし、出来ることなら成し遂げたいとは思っていたらしい。
自分の考えが古いのはわかってて、友達にもおかしいって言われてたし、たぶんそのうち俺に襲われちゃうよって友達に言われてそんなものかなとも思ったらしい。
その時はその時でずっと大事にしてもらおうと考えていたが、一向に俺が行動を起こさず我慢し続けるものだから、ひょっとして自分に魅力が無いのかとか意味不明な悩みももったとか。
自分でそういうこと言い出しておいてね。
時々 お酒が入ったときとかは誘惑もかけてたとか。俺に取っちゃあらゆるスキンシップが誘惑でしたけどね。
そんな話聞いてもうあっけに取られた。
怒らないで聞いてね? って最初に言われたけども、お前七年間ですよ?
七年間。
七年間お前の貞操観念を大事にしようと我慢し続けてきたのに、実は襲われてもよかっただと?
怒ったね。怒りながら笑ったね。
童貞を失った充実感とか、さっきまで最高の夜とか思ってた自分は、今死んだ!状態。
そんな俺を見て申し訳なかったのか、大事にされてるんだと感じてうれしくて仕方ないなんてフォローもかましてきた。
だがそんなもので俺の怒りが収まるわけも無く、その怒りを指先と舌先に集中して徹底的にお仕置きをしたのが初夜のお話。
ついさっきまで童貞だった癖に、嫁を三回いかせたのは正直俺すごくね?ってその時は思ってた。
まあ嫁が感じやすいだけだと思うけど。
正直嫁以外の女を知らないからどうともいえない。
ちなみに怒りはしたけど、きれたり怒鳴るとかそういうのはなかった。
なんじゃそりゃー、とはいったような気がする。
あと嫁の予測の上を行ったという謎の達成感も覚えてた気がする。
17 名前:前スレ969 投稿日:2010/01/21(木) 21:49:48
さて、ここまで書いたけど正直これ馴れ初めといっていいのか不安になってきた。
でももう書いちゃってあるから一応乗せていきます。スレ違いなら言ってください。
そろそろ結婚の話をしないとですね。
嫁が大学院まで出たので、約六年の同棲の後に実家に帰ったんだが、帰るなり家族が俺達の結婚の話をし始めたのが確か始まりだったかな。
俺達の中では漠然とするとは決めていたが、いつとかどうするとかそういうのはまったく決めてなかった。
そういうわけで、家族のほうが盛り上がっていた。親だけでなく、弟やら妹もなぜか盛り上がっていた。
妹「やっと結婚かー。嫁が義姉さんになるのかー」
とか
弟「結婚すんのかよwww兄ちゃん趣味悪すぎwwww」
とかすき放題言われた。
この弟妹には付き合うと報告したときも
妹「やっと付き合ったかー。お兄ちゃん鈍感すぎ」
とか
弟「ふざけんなww嫁が義姉になるとかぜってぇやだよwwそうなったら兄弟の縁を切ることも考えるwwwwっつか兄ちゃん趣味悪すぎwwww」
とかすき放題言われた。
妹はすでに嫁の俺に対する気持ちを知ってたらしく、嫁が元彼と付き合って別れるたびに悩む姿を見て「悩ませる兄氏ね」って思ってたらしい。
弟は弟でこれが本当に変態で。
俺を怒らせて殴られたり絞められたりぼこられるとすごい喜ぶという度し難い変態だ。
だから上の発言もニコニコしながら俺に殴られていた。
この変態は嫁をからかうのが大好きで、一度嫁に、
嫁「ねぇ、い○まちお?ってなに?」
って聞かれたときもこいつが原因だった。
そのときもにこにこしながらロメロスペシャルで俺の上を舞うことになった。
18 名前:前スレ969 投稿日:2010/01/21(木) 21:53:32
ごめんまた話がそれた…
そういうわけで家族が盛り上がってたんだけど、俺達はそうでもなく家族と当事者とで温度差があった。
というか、俺達いつか結婚する気があるとは言ったけど、家族達はもうすぐにでも結婚するものだと思ってたらしい。
というか俺が結婚について考えなかった。別にそのうちするだろう、と思ってた。
嫁はなんだか周囲が盛り上がるのに行動に移さない俺が気に食わなかったらしく、日に日にぶすくれていった。
なんで不機嫌なるんだとわからなかったが、妹に「馬鹿、ほんと鈍感」って言われつつ理由を教えてもらい
「早くプロポーズしてあげなよ」って炊きつけられて一気に話が進んだ。妹にたきつけられるとかほんとへたれ。
プロポーズした日はよく覚えている。
2008年の五月三十日金曜日だった。
嫁が卒業して約二ヵ月後くらい。
夜に嫁と一緒にドライブに行き、夜景を見ながらすごいかしこまってプロポーズした。
きざな演出とかそういうのは考える時間も無かったし恥ずかしくてできなかったから、ただプロポーズの言葉と指輪を渡しただけ。
それでも嫁は喜んでくれて、泣いた。
やっぱり泣き笑いをしていた。
あとはもう、善はいそげってことで時間を作っては結婚式に向けての準備をした。
嫁母に挨拶に行ったときは、もう自分の母親のように思ってるはずなのにすごい緊張した。
いつに無くまじめな顔の嫁母を前に、なぜかがちがちの嫁を隣に、嫁との結婚を許してくださいと頭を下げた。
嫁母「こうなることはわかっていたはずなのに、いざ言われると感慨深いものがあるわ。どうぞ、ふつつかな娘ではありますがよろしくお願いいたします」
と、丁寧に頭を下げられた。
嫁もうちの両親に改めて挨拶をしていたが、
父「嫁ちゃんとなら、何も言うことはない。どうぞ、よろしくたのむ」
母「息子をよろしくお願いします」
といわれて、ちょっと泣いていた。普段気が強い癖して泣き上戸なのよね。
20 名前:前スレ969 投稿日:2010/01/21(木) 21:55:56
そんなこんなで結婚式をあげるまではかなり早かった。
早かったけどほんといろいろあった。
希望は三月頃だったけど、どうしても予定通り式場が取れなくて二月の頭ということで無理やり予定を立てた。
あと、この頃から今までに増して喧嘩をするようになった。
俺よりも嫁のほうが仕事が忙しく、こまごまとしたことは俺が決めてたんだ。
ただ、それが嫁の希望に沿わないことが多かったらしく、ぎゃんぎゃん文句を言われた。
俺も普段は聞き流すはずなのに、この時期はなぜか反論して言い争ってしまい、このままでほんとに結婚なんて出来るのかと不安になった。
まあお互い不安だったんだろう。
そういうのも解決してくれたのは親父だった。
いざこざがおおくなってきたのをどこから聞いたのか、ある日俺を急に飲みに連れ出し、
父「結婚式ってのはな、新婦のためにやるもんだ。不安なのも分かるが、ここが最初の関門だ。踏ん張れ」
っというようなことを三時間語られた。
それが効果あったかどうかはわからないが、俺が折れて収まることが多くなって無事に結婚式を迎えることが出来た。
結婚式ではまたしても家族が面白かった。
父「ああー、くそー、うちの娘がー、娘が息子に取られるよー」(完全に酔っ払い)
妹「あれ、ちょっとローストビーフ! 私まだ食べてないのに!」(すげーでかい声)
弟「ちょwww兄貴と嫁のキス顔wwwwまじきめぇwwwwww」(写真係)
母&嫁母(静かに泣く。しかもなぜかお互いの涙をぬぐいあってる)
婆ちゃん「嫁ちゃん、綺麗だねぇ」(ほんとに荒地の魔女そっくりだった)
父はずっと娘がー、娘がーっていってた。
まあ実際自分の娘並に可愛がってたけどね。
むしろ娘より可愛がってた。
弟はあとでスタッフがきっちりお仕置きをしておきました(やっぱり笑いながら喜んでた)
21 名前:前スレ969 投稿日:2010/01/21(木) 21:57:04
いい結婚式だったんじゃないかな、と思う。
で、結局まだ新婚旅行に行ってないんだよね。
なんだかんだで嫁が休めなくて、旅行らしい旅行に連れて行ってやれてない。
本人はあまり気にしてないように見えたけど、そこはやっぱり妹に
「馬鹿、鈍感すぎ。新婚旅行がなくていいわけないじゃん」って言われた。
そういわれちゃやらないわけにはってことで、予定立てて再来月の三月に国内で二泊三日の簡単な旅行に行くことにしている。
ほんとは海外がいいんだろうけど、どうしても予定が組めそうに無くて、またいつか絶対に行こうと約束してる。
こんな感じです。
22 名秩前:前隻ス身レ969 投勲稿日:2010/01/21(木媒) 22:01:09
い濃や、飾ほんと長く土な寿っ音てしま跳っ棒て、しかも胞馴れ覧初霜めじ弓ゃない縁話が多く田てす殿い壇ません究。詔
しかも網や緯っぱ無り後半訪急ぎ気伝味で屈すね。頭あ享まり素面資白情い話従で鈍もな沼く深て店すい不ま里せん里。任
ち低なみ錬に、季出万会いの切欠に搬なっ鼓た梅と増も孝い特え昭る概借金ですが論、習未省だに揺返済中のようで財す豆。塾
嫁も涯働きお始Rめ憲た独し、疫も排う叔す勲こしで巡な神くなる三んじ総ゃな競いかなjと思い株ます。
ち筆なみ恵に崩俺奇が金を型出したわ栓けじゃ織ないのでそういう棋話はなるべ渦く聞かな轄いしし離な習いヒよう縁にし$て隣い販ま散す杉の鼻で、狩詳副し夏く称は分か七らな菌い同で脱す。奥
とい敷うか某絶対唐話化して垂くれな先い冠のでなんだ安か疎外感順を感じ葬る拙こと純も様あ秩りま本す穏。
嫁謡の考えと謹し徴ては、
「結婚す密るまでのこと刀は写個答人のこと。フ結婚波した後線の乾ことは娠、お互廊い活の共通の@こ響と脂」枝
という貝こ庸と顔ら誤しいです。
同棲中も絶呈対私に物家賃aは半額ワ払損い藩、能食費藻やなん宵かも静自#分働の?分侯は自神分催で線出し嗣て艇ました。
ただ外食痴したろときだけは俺がおごムることが多か責っ裸た判けど。儀
と約に報か承く性俺に宵金顕銭犯面やふらで甘紳え株てくると斎いう求こ青と動は為絶恥対択に鼓無砲かっ土たで応すね曲。
あ酢と、球借金が塑無く冬な孤ってから結私婚し失たほうが岸という話もした勅の額です病が尊、竜それだとか迫な菜り秘晩択婚権になっ死て座しまう先か燥もし上れ浦ない*と、虫借金災が十なく謀なアる房前該に結傷婚に加踏怠み切現り危ま塁した。警
さ尋て慎、然自分冠で守はどこ均がどうい如う黙風徒に附足舌りない冠と知か発分柔か互ら型な瀬い鐘ので、閑な複に送か蔵質問津とかあれ磨ば答新え収よ隣うと思週い爆ます。泊
ど高こがどうこし繕て客こう裂な香っユた粛、粉見局たいな関とえころ順と罪かなあ留り貢まし爆たら慈ど名う貧ぞ梅。際た実だ、あ弓ま礎りここに爵居央座るのもやあ類れ組なの突で、鈍頃合を見て消えますX。
とりあえず課ここまで春読刈ん暗で拐く紅だ赴さっ礁た縫方胸々、あ策り穴がとう域ござい縁ま弟した核。