誤解の代償
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「分かりました。そちらの話が終りましたら、こちらに寄る様に伝えて頂けますでしょうか。」
毅然とした態度で答えましたが、怒りが伝わって来るものでした。
男に代わるかどうか聞きましたが、「それは結構です。」と冷淡な声で言い、この夫婦は、また元に戻る事が有るのだろうか?恐らくは駄目だろうと、自分の所を棚に上げ余計な事を思ってしまいましたが、すぐに現実に引き戻されます。
「俺が入って来た時の偉そうな態度は何を考えてだ?」
「・・・私は昔から喧嘩をしても負けたことが有りません・・・。それでつい・・。もしもご主人を黙らせる事が出来たら、志保にも良い所を見せられると思って・・・。うわっ。」
私は男を殴りつけていました。
「40面下げて何をガキみたいな事を言っているんだ。お前みたいなのが勤めていられる会社は中身が知れるな。それとな、他人の妻を呼び捨てにするなよ!」
「申し訳有りません、申し訳有りません。つい何時もの習慣で。」
田中の名刺に課長と言う役職が書いて有り、恐らくは私よりも年下であろうこの男は、あの規模の会社では間違い無くエリートなのでしょう。
仕事も出来るのでしょうが、それだけに自分を過大評価してしまっているのでは無いかと思います。
だから、自分には何でも出来る様な錯覚に陥り、私が寝室に入って行った時に、あの様な態度が取れたのではのでは無いでしょうか?
それならば大人としての考え方を、しっかりと教えなければなりません。
「お前の家庭は、これからどうなるのかな?
奥さんが帰りに寄る様に言っていたよ。あの感じだと もう終わりだろうな。
今度は、仕事も終わりにしてやるよ。俺もそう休みは取れないが、こうなった以上そうも言っていられない。
月曜日にお前の会社に行くから上司に言っておけ。
当然、慰謝料の事も有るが、それは奥さんから、この女にも請求が有るだろうから後回しだ。
これから奥さんの所に行って良く相談しておけ。結果は、会社に行った時に聞いてやる。」
「私の妻から慰謝料の事は言わせません。ですから会社の方には・・・・お願いします。お願い致します。」
「駄目だな。何を偉そうに。奥さんを説得出来る位なら別居なんかしているか? さあ、もう今日は帰って良いぞ。だけどな、これだけで終ると思うなよ。」
男は、だらしなく泣き始めましたが帰ろうとしません。
奥さんに知られてしまったのは もう、どうしようも有りませんが、会社に来られるのは余程困るのでしょう。
こう言うタイプの男は、肩書きに執着するのかも知れません。
私もそうですが、会社の名前と肩書きで仕事が出来ているのを、全て自分の実力の様に錯覚しがちです。
「何をしてるんだ?まだ俺を舐めているのか?早く帰れよ。あっそうか、お前まだ出してないから最後迄やらせろってか?おう、良いぞ。見ていてやるから、やってみろ。」
こうなったら、トコトン苛め貫いて、少しでも自分の気持ちをスッキリさせようと思いましたが、男は慌てて服を着ようとしています。
「ここは更衣室じゃないんだ!外で着ろ!」
男の髪を掴み、引きずる様にして玄関から外に放り出しました。
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男を放り出してから、激情に駆られ、妻をどう問いただすべきか考えていなかったので、私は一旦リビングに入りました。
ソファーに座り、冷静にならなければと思うのですが、この怒りはどうしょうも有りません。
嫉妬や寂しさ、虚しさ等の感情は、不思議と有りません。ただ、復讐心から来る強い怒りが有るだけです。
その他の感情は これから感じて来るのかも知れませんが、今は怒りだけです。
暫らく経ってから、妻がリビングに入って来ました。
「あなた、私、私・・・・」
泣いていて言葉にならない様です。
「何時からだ?どうしてこうなった?僕はお前を信じていた。まさかこんな事とは・・・。」
怒りの感情しか無かった筈なのに涙が溢れて来ました。私の涙に気がついた妻は、声を出して泣きながら、
「・・・私・・寂しかった・・・本当に、寂しかったの・・・・」
私は何か言おうと思うのですが、涙がこぼれ出て声になりません。
気を落ち着かせようと洗面台で、顔を水で洗っていると、妻が背中に縋り付いて来ましたが振りほどいてしまいました。
「さっき迄、男に抱かれていて よくそんな事が出来るな。」
本当は、抱き締めてやる位の余裕が有っても良いのかもしれませんが、また怒りが強く支配して来ます。
「何が寂しかったんだ?お前は寂しければ、何でもするのか?どうしてこうなったのか始めから説明してみろ!」
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妻の話は、“最後に貴方の所に行った時、何時もよりも部屋が綺麗に整頓されているのに気が付きました。
それだけなら何の事は無いのですが、冷蔵庫の中に明かに買って来たものとは違う料理の残り物が有り、キッチンの引き出しにはクッキングペーパが入っていました。
料理をしない貴方が買っておく物では有りません。誰か女性が来て行ったのは確かです。
私は貴方に、「誰か来たの?」と聞くと、「ああ、会社のに居る婆さんが、“残り物で良かったら食べて。”と言ってくれたのでお願いしたら、部屋に来て温めてくれたんだ。」
そう言う貴方は、妙に不自然で動揺している様でした。貴方の言う歳を取った女性では無いと思いました。何故かと言うと、洗面台のブラシに長い髪の毛が付いていましたから。
料理を温めに来た人がブラシに痕跡を残して行く筈は無いんじゃ無いでしょうか?
貴方を信じたい気持ちと、疑う気持ちが心の中で渦を巻きました。家に帰ってからも、その事が頭から離れませんでした。
こんな時、一緒に暮らしていれば、気持を整理出来る安心感を持てたかも知れませんが、離れて暮らしていると、どんどん悪い方に考えてしまいます。
でも、この時は まだ半信半疑で、今度は、貴方と話し合って、はっきりさせようと思ってました。
電話が掛かって来て その話をしようと思っても、私にその隙を与え様としない貴方に、疑惑は気持の中で どんどん大きくなってしまいました。
今度貴方の所に行った時にしっかり問いただそう、しっかり話し合おう。そうしないと私の気持ちが、おかしくなってしまう。仕事にも身が入らない。
わたしの誤解なら、それに越した事はないし、もし、貴方が浮気しているなら耐えられない事だけど、まずは止めて貰わないと。
そんな事を考えている時、会社の課の仲間で飲み会をしようと言う事になり、あなたの所に行かなければと思っていたのですが、たまにしか無い飲み会なので断り難く出席する事にしました。
酔いも少し回った頃に、田中課長がわたしの所に来て、「志保さん、このごろ元気が無いようだけど、何かあったの?」
やはり、会社の中で自分では普通にしているつもりでも沈んでいた様です。
「実は、余りに元気が無い様だから、君を励まそうと思って飲み会を開いたんだよ。何か心配事が有るのなら何でも言って来て。僕に出来る事なら相談に乗るから。それも上司の仕事の内だからね。」
飲んでいても何時もと変わらぬ紳士的態度の優しさに、気持の沈んでいた私は凄く嬉しく感じました。
次の日に、貴方の所に行こうと思っていたのですが、前日飲み過ぎていたので頭が痛く行く事が出来ませんでした。
週明け仕事が終ると、課長が声を掛けて来ました。
「どう?少しは元気が出たかな?一寸だけお茶でも飲みに行こうか。」
会社の中ではエリートで、また人望の厚い課長に誘ってもらって嬉しく感じたわたしは、二つ返事で誘いに乗りました。
近くの喫茶店に入っても、物静かで紳士的な態度は何時もと変わり有りません。
「志保さん、何か有ったの?今日は少しだけ明るかったけれど、それでも たまに暗い顔していたよ。家庭の事なら僕が口を出せる事では無いけれど、もし相談出来る事なら言ってみてよ。そのほうが気が楽になると思うけど。」
勿論わたしは、課長に言える筈も無く、
「ありがとう御座います。休みの日には、主人の所へ行ったりして疲れが溜まっているんだと思います。ご心配掛けて申し訳御座いません。」
その日は、そんな話だけで家に帰りました。
その週の内にまたお茶に誘われ、
「今週も、ご主人の所へ行くの?こんな事、僕が言える立場じゃ無いんだけれど、疲れているのなら止めた方が良いと思うんだ。
その内に仕事で失敗してしまうと大変なのは自分自身だからね。
それと良かったら、金曜日に仕事が終ったら一寸付き合ってくれないかな。話が有るんだ。」
「分かりました。」
仕事を失敗したら等と言われたら、そう言うしか仕方が有りませんでしたが、私の事を心配してくれる課長に、悪い気はしませんでした。
金曜日に課長の行きつけの居酒屋で、私は以外な事を聞きました。
「実はね、僕の所、別居しているんだよ・・・。言い難いけれど僕の浮気がばれちゃてね。
志保さんを心配している場合じゃ無いんだけどね。
でも、僕の所は何とか謝って許してもらえそうだ。
本当に馬鹿な事をしてしまったよ。
実は僕が何故こんな話をしたかと言うと、志保さんの元気が無いのはご主人が浮気したからじゃ無いかと思って。
違ったらご免ね。ご主人単身赴任だそうだから少し心配に成っちゃてね。」
「・・・・・・・・・」
余りに図星なので、言葉が出て来ません。
「そうなんでしょう?」
私は酔いのせいも有り 頷いてしまいましたが、まだ、自分が疑っているだけで確証が無い事を言うと、
「何故疑ったの。何か理由が無いと疑わないと思うんだ。変な話僕は経験者だから少しは分かると思うよ。」
余り深刻にでは無く軽い感じで言うのが、私の言葉を出やすくさせました。
感じていた疑問を言うと、
「それは間違い無いな。こんな綺麗な奥さんがいるのに。男ってどうしょうも無いね。」
口に出した分、気持が少し楽になった様に感じましたが、その反面、貴方が浮気していると疑う気持ちが大きく成長して行きました。
その日も課長は、余り遅い時間にはならない様に帰してくれ、浮気をしたのは悪い事だけれど、本当に反省しているようで好感を持ちました。
その後も仕事帰りに何度も逢っていましたが、課長は紳士的で下心が有る様に感じませんでした。
その頃になると、あなたが絶対浮気をしていると思い込み出した私は、あなたの所に行くよりも課長と逢っている時間の方が何か充実している様に感じてしまいました。
そんな或る日、仕事中に課長が暗い顔をしているのが気になりました。
その日 仕事が終ると課長から「また付き合って欲しい。今日は時間大丈夫かな?」と誘って来て、心配していた私は断るつもりは有りません。
その日は、食事をした後に珍しく2軒梯子して2軒目でようやく課長が、暗い顔をしていた理由を話してくれました。
「・・・あいつとやり直せると思っていたんだが駄目みたいなんだ。やっぱり僕の事を許せ無い様だ。これから僕は・・・。悪いのは僕だから仕方が無いんだけど寂しいよ・・・」
本当に寂しそうで落ち込んでいる課長を見ていると、私に出来る事は何か無いかしらと思い、
「志保さん。悪いんだけど もう少し付き合ってくれないか?」
もうかなり遅い時間になっていましたが、断りませんでした。
お店を出ると私の肩に手をまわして来て、抵抗しない私に唇を重ねて来ました。
「これから何処かに行こうか?」
課長が初めて私を、女として誘って来ました。
1度唇を許したからなのか、余り抵抗を感じる事が有りませんでしたが、
「課長、まだ奥様と どうなるか分かりませんよ。そんな時に何を言ってるんですか。それに、今日は途中で主人に″飲み会が有るから遅くなる”って、電話入れておきましたが、朝に電話を掛けて来るかも知れないから。」
そう言って断りました。
「そうだね。ご主人に心配掛けるのも悪いしね。」
会社では弱音を吐かない課長が、本当に寂しそうで母性本能とでも言うのか良く分かりませんが、何かいとおしくなり、それが何を意味するのか分からなかった訳では有りませんでしたが、
「家に来て飲み直しますか?」
私から誘ってしまいました。
その夜は、私にとって忘れられないものになりましたが、朝、目を覚ますと貴方に対して罪悪感でいっぱいになりました。
でも、『貴方も浮気しているのだから。』
そう自分に言い聞かせて、その内に何度も関係を持ってしまいました。
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妻の話を聞いていて、私は絶望のどん底に叩き落とされた様な気持ちでした。
私に対する態度を見ていて、もしも不倫をしているならば、もう相手の事を愛しているのだろうと思っていましたが、何か事情が有って そうなってしまったと言う事も考えられます。
そんな、淡い期待も吹き飛んでしまいました。
『私にとって忘れられないもの』
その言葉が全てを物語っています。
こうなっては、今更何を言ってもしょうがない事です。
嫉妬、虚しさ、寂しさ、怒り、色々な感情が湧き起りましたが、もうどうしようも無い事です。
ただ、このまま黙って引き下がる事は出来ません。
「僕とお前の家に何故引き込んだ。僕に対して どれ程、屈辱的な事か分からない訳は無いだろう?
その上お前は、あの男を庇ったよな。とことん馬鹿にしてくれた。
お前とあの男は絶対許さない。法律的にも社会的にも責任は取ってもらうのは当然だが、それ以上の事もさせてもらう。
まずは この家は売る事にする。お前とあいつが乳繰り合ってた所には住めないからな。
売れた金の半分はやるから、残りのローンはお前が払え。
僕とあいつの奥さんに慰謝料を払って、家のローンもとなると大変だろうが、もう僕には関係無い。
仕事は早く探した方が良いぞ。今の会社は当然首だろうからな。
それと、僕の浮気を疑っている様だが、本当に何も無いよ。
確かに、誤魔化そうとしたのは悪かった。あの時は、そうでも言わないと変に疑われる様な気がした。謝るよ。
でも何も無い。明日でも、あの日 部屋に来た人を呼ぶから自分で聞いてみろ。それでも疑うのならしょうが無いけれどな。」
妻を寝取られた私に言う事が出来るのは、これが精一杯でした。
「・・・庇うなんて。あの人を庇うつもりなんか無かった。でも私怖くて・・・・。ごめんなさい・・・。
あの人を家に入れたのは、貴方が何時も電話を掛けて来るから・・・。貴方に知られたく無かったから・・・。
貴方は私に嘘を言う事が無かった。だから、あの時凄くショックで、寂しかった・・・・。
言い訳になってしまうけれど、貴方に復讐する事で自分の気持ちを保ちたかった・・・・」
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