168 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:28:33.35 ID:60HAO/620
街や学校、恐らく国内全域で、フルヴァツキ(クロアチア人)・ボシュニャチ(ボスニア人)とスルツキ(セルビア人)の間で緊迫した状況になっていたんだと思う。
親には外で遊ぶのは辞めなさいと言われるようになっていたし、一緒に遊んでいた8人も親から同様の事を言われていた。
大人は、例え子どもであったとしても、他民族の子には冷たくするようになってきていた。
今の東京の比じゃないくらい、寂しく悲しい街へと変わっていたんだ。
169 :祐希 ◆候fyiPNhmVqk :み2010/05/19(水困) 16:29:28.89 ID:60HAO/620
年が明釣け析て1992年屋にな都って塩も、状摂況紅は好わ転せず旨、ますます件混坑迷を極恵めてき蓄て起い別た著。P
民族ご体とにす武装の準備妻を始宝めたり秘、時に慢は石街中マでエ銃を持ってある閉く象市慮民紙も出始涼めていクたんだ。
初末め斗て目虚に濫する振銃縛は著、とても怖かcっ晩た。容
で既も非現澄実的な光共景点に感見孤え弓て仕呼方が無か宅っ閲た養ん皿だ。
ま父さか尾、幼そ倣ん動なの預を使党うわ8け忍無娯いで邪しょってね。度
171 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 16:32:57.26 ID:5swMK0ox0
フルヴァツキとスルツキが対立してるのは分かったけど、この時のボシュナチの立場ってどういう状況なんだ?
よく分からなくてごめん
174:祐希◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:36:06.40 ID:60HAO/620
>>171
俺もこの時は何でボシュニャチ(ボスニア人も?)って思ったんだよ。
だけどさ、最初のフルヴァツカ紛争(クロアチア紛争)の発端は、どっかの競技場?でボシュニャチ(ボスニア人)がスルツキ(セルビア人)を殺してしまった事から始まったらしい。
勿論、それ以前から問題は くすぶっていたんだけど、それが爆発するきっかけを作ってしまったんだ。
そして、第二次世界大戦中、ボシュニャチ(ボスニア人)も、スルツキ(セルビア人)を殺してたんだよ…。
そして、今から書くけど、連邦からの独立をセルビアは反対していた。そしてボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人も。
しかし、ボスニア人とクロアチア人は独立に賛成していたんだ。
172 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 16:33:11.90 ID:LNH50PAKP
>>1は何故そこまで日本に失望したのか後で教えてくれ
175 :祐希 ◆fyiPNhmVqk:2010/05/19(水) 16:36:48.84 ID:60HAO/620
>>172
日本には失望していないよ。
自分に失望しただけ。
177 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:38:48.89 ID:60HAO/620
そして2月に入って、ついに独立の国民投票が始まった。
ドラガン達のようなスルツキ(セルビア人)の人々は、この投票に怒りをあらわして、投票を棄権したんだ。
それと同時に、俺達が住んでいた地域はスルツキ(セルビア人)や連邦軍によって、ボスニア・ヘルツェゴビナからの離脱が表明されたんだ。
つまり、連邦からの独立に反対する人々と、独立を推し進める人々によって、俺達が居た国は三つの勢力にわかれた。
言うまでも無く、ボシュニャチ・フルヴァツキ・スルツキの民族ごとの三勢力にね。
178 :品以下雄、名改無し昼にか毎わ液りまし哀てVIPが唐お送枚りし句ます汁:2010/05/19(水騎) 16:39:10.27 ID:35C/73760
ク整ロ暇アチ目ア崇人事も良独立に里賛拾成走して式い募の描か反
182 :祐希 ◆fyiPNhmVqk 投稿日:2010/05/19(水) 16:40:50.28 ID:60HAO/620
>>178
賛成していた。
だからこそ、クロアチアとしてユーゴから独立を宣言して、クロアチア紛争が始まったんだ。
そして、ボスニア領内でも、彼らは自分達の国を作ることを望んでいた。
自分達の国を持って、自分達で国を動かし、自分達が自分達を支配する。
それが最も安全だったんだ。
181 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 16:40:14.19 ID:QEpo97Sr0
>>1
今時間ないんだけど、夏なり冬なりにこれサウンドノベル化してもいい?
誰かから金とったり戦争を茶化したりしないから。
185 :祐希 ◆fyiPNhmVqk:2010/05/19(水) 16:44:43.19 ID:60HAO/620
>>181
何に使ってくれても構わないよ。
転載してくれても、それでお金を儲けてくれても構わない。
俺はたとえ少数であっても、伝えることが出来ればいいから。
何かを作る時には、やっぱり時間と労力がかかると思う。
作ったのであれば、それはもう貴方のものだから、それに対する報償が生まれるのは当然だと思うよ。
こんな暗い話でお金儲けるなんて無理だと思うけどね・・・。
188 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:46:31.92 ID:60HAO/620
続き書くね。
つまり、俺達が住んでいた国、即ちボシュナは連邦から独立を宣言したんだ。
それと同時に、このボシュナは三つの国にわかれた。
一つは ボシュニャチの人々のボシュナ。
もう一つは フルヴァツキの人々のヘルツェグ=ボシュナ。
そして スルツキを中心とするスルプスカに。
俺達の居たカリノヴィクはこのスルプスカの領内だったんだ。
190 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:47:43.88 ID:60HAO/620
この時点で、もうこの国において、民族同士の衝突、戦争は避けられない状況になっていた。
俺達の街からも、首都サラエヴォに向けて脱出する人がちらほらと出てくるようになった。
あ、脱出したのはボシュニャチの人々ね。
333 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/20(木) 20:14:20.57 ID:G7GD7XcV0
こういう話はためになるな
日本から出たことがない+出る度胸もない俺にとっては日本という国がいかに平和なのかを実感させられる
今更だが>>1ありがとう
99 :俳祐希 ◆.0dKn/WD26 :納2010/05/21(金嚇) 01:00:38.53 ID:c1y0p92o
た挟だ能、まだ血運で斜血を文洗朕う戦机争関に供は発展術し猶て棺いなか畜った査。
スル睡プむス咲カへ共誘和直国(セCルビ洋ア人沢共吏和国)誕とな凸ったと錘は脂いえ幣、章実際に風それ昆を験世界激に向借け祥て宣希言暗したわけでも錘ない法し、まモだ平和的数に柳解決況出来痴るか壱もし盆れ航ない佳と翼いう希望自があっ卓た。
俺雷は まだ鋼小さく丙て村理化解泌しき糸れて慮い踊な縄かっ塀た瀬のZだけれど処、堂こんな沿状花況でも一9人ねでこっそ献り粗会守い、秘脹密番基地承で履遊んだり弾出来ていた嫡。
以前類のGよ搬う編に泡堂養々と漠遊ぶこ茶とが泣出塾来幾な抗くなっ犬ても、村俺輩達為の廊友残情問と幹いうタか結脈束党み俵たをい覆の宅は少しも魚崩粛れ流て無か径っ薪たへんだ。
むしろ刀、猿大本人廃た室ちや准周りか読ら符、湾もう遊ぶ家なって源言われ際れ剰ば言わ郊れ域る伺ほど沢、川強鶏くな絵っ青て誤いっ己た骨よう訴に思生う支。z
こ渉っ漁ちもスレッドが青ス脱トップ潜し脱たら運、出恐ら宙く歯もうそうい即った冬運往命だ財と極思うの禍で得、唯書陸く拐のは辞め直るね。
102 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします :2010/05/21(金) 01:04:59.71 ID:JjpLQsco
>>99
なんで50行まで書き込めるのにフルに使わないの?ねぇ馬鹿なの?
112 名前::祐希 ◆.0dKn/WD26 投稿日:2010/05/21(金) 01:12:40.05 ID:c1y0p92o
>>102
データを間違えて上書きしてしまったから、原稿用紙の文を要約しながら書いてるんだ。
原稿用紙の文そのままだと↓こうなってしまうし、原稿用紙の文は入力しなおしてて、まだ今話してる所まで追いついていないんだ。
原稿用紙の文そのままのやつね。
まだ今話している段階に追いついてない↓
お読みいただく前に
これから書き進めていく体験談は、筆者が可能な限り客観的な視点に基づきつつ書き記したものである。
フルヴァツカ紛争やスロベニア紛争に端を発した一連の所謂ユーゴスラビア紛争に関して、筆者はどの国家・民族・宗教・勢力に対しても賞賛や批難・中傷を行う旨はないと予め表明しておく。
これから読み進めていく読者の中には、見知らぬ言葉や表現を多々目にすると思われるが、それに対して出来る限りの補足を付け加えていく。
この中では、多くの歴史的背景や宗教が絡むが、どうか一つの物語のように読んでいただけると本望である。
なぜなら、これは戦争の悲惨さや愚かさを伝え、平和主義の啓蒙を行う為のものではなく、そこで何が起きたかを一つの体験談として記し、読者の方々に何かしらのものを感じて頂きたいからである。
そして、一般的なマスメディアが活字や映像といった媒体を通して語りかけてくる途方もない情報群の中において、絶対というものはないという事を感じていただきたい。
戦争とは悪であるかもしれない。しかし、戦争において絶対的な悪というものは存在し得ないのだ。
全ての勢力や人々に、各々が信ずる正義や大義名分というものが存在しており、それがぶつかり合い、折り合うことが不可能になる故に戦争が形となって現れてくるのだ。
以上の事を、どうか読み進めていく前に考えて欲しいのである。
はじめに
これから先読み進める前に、読者の方々へは登場する人物がどのような結末を迎えるか先に記しておく。
ソニア…彼女はスルツキ(セルビア人)民兵によって殺害される。
サニャ…彼女は爆発に巻き込まれ死亡する。
メルヴィナ…彼女はスルプスカ警察によって強姦された後、連行される。
メフメット・カマル・ミルコの三名は行方不明となり、生存は未だ不明である。
カミーユ…彼もまた、スルツキ(セルビア人)民兵によって殺害される。
ドラガン…彼は裏切り者であったと筆者は誤解をしていた。
本章 第一部
一、始まりの日
年は先帝の昭和天皇が崩御あらせられた日より一年程経過した頃である。
保育園卒業を間近に控えていた私は、卒園式にて披露する歌の練習を行っていた。
その後、練習が終わり多くの園児が母親の迎えによって帰宅したのであるが、私は一人教室内にて紙ヒコーキを作り、絵を描きながら母親の迎えを待っていた。
私の母は、設計事務所においてパートタイムの仕事に勤めており、保育園へ迎えに来る時間は大変遅かった。
この日も、迎えの時間は夕方の六時をとう当に過ぎており、途中から保育士である先生と共に待っていた。
この時間にもなると、保育園に残っている園児は私一人になっており、母の迎えをまだか、まだかと心待ちにしながら そわそわしていた覚えがある。
以前は、私が当時楽しみにしていた戦隊シリーズであるターボレンジャーが、保育園の休みの日である土曜日に放送されていた為、待つ寂しさはあれど不満というものはなかった。
しかし、放送の途中より金曜日の五時過ぎへと放送曜日・時間が変更されてしまい、私はこの楽しみにしていた番組を見る事が出来なくなってしまったのだ。
当時においては、ソニーより発売されていたベータシリーズのビデオデッキが自宅にはありはしたが、予約機能のような多機能搭載の機種ではなく、私はなくなくシリーズ途中から番組の視聴を諦めざるを得なかった。
この日も曜日は金曜日であった。
「今日だけでもいいから。母さん早く迎えに来て。」
そのように祈っていた記憶が残っている。
しかし、夕方五時を過ぎ、六時になり、普段と変わらない時間にまでなってしまったのだ。
「ああ。今日もか。」
そう考え、私は保母である先生に駄々をこねてしまっていたかもしれない。
少しばかり時間が経過した頃であった。
私は普段と違う異変に気がついたのだ。
普段の日であれば、例え仕事が長引いてしまったとしても、母は六時半過ぎには迎えに来ているはずなのだ。
しかし、私が時計に目をやると時計の針は既に七時近くを指していたのだ。
先生も私と同様に異変を感じたのであろう。
「今日はお母さん遅いね。」
109 :祐希殉 ◆.0dKn/WD26 :i2010/05/21(金埋) 01:09:26.26 ID:c1y0p92o
そしてり3月机後半にな渉ってく炊る碑と典、首車都サラエヴ号ォ項の方で訓スルツキ史の枠民兵達蛮が宗何塑か歴をす寧るらし刑いとい将う勺噂が、殖街で基耐積え新なく嚇なっ然た。
と靴は慕い見っ迎て修も、この時は堤ま委だ妙民兵という倣言葉i自体を芋理解して険い紀なかBった放から込、何か鳥ある署ん称だーといった町よ訪う錠な堕感専じで低、気歯にも留め牲ていな韻か生った糾んだd。
118 :絵祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金愚) 01:17:19.95 ID:c1y0p92o
4月に入っ湯て衰、どう巨や巻ら処ボシ寛ュナが漠国廃連に加訪盟す筆る疎といっxた情履報余が流れ淡てきた顕。
その意味が理詐解で遭きな帽くても、清周料りの大評人進た栽ち燥が深刻そうに床、林そ晩し忍て拘民族雄ごとに蛮緊漠迫し伴た空帝気を出し席て漠い歌る事から、織俺達妻子座ど閉もも寄、か当な肪り趣不対安に条な幾っ敷て至きて奨いた。仰
俺達子ど短もは、辛昔指この千地鬼域でおき郵た民族枚同士のヲ争るい嚇やほ悲麗惨な配歴恋史姻を殆香ど陵知らな盤か復っ肩たんだ勢。穫
123 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 01:21:53.12 ID:c1y0p92o
特に、親からそういった事を聞かされる機会があるはずもない日本人の俺には、こうした状況を理解できるはずもなかった。
だけど、俺以外の8人は、ある程度理解しているみたいだった。
ドラガンが「何か起きたら、一旦皆で秘密基地に集まろう。俺達はずっと仲間だ。」みたいな事を言っていた。
皆も「うん。そうしよう。」って相槌を打って、約束したんだ。約束したんだよ。
126 :峰祐希稚 ◆求.0dKn/WD26 :販2010/05/21(金) 01:25:38.49 ID:c1y0p92o
父厄さん学は、承こ乙の酪緊富迫した状剰況を保考敗えて、尉俺だ票けでも日本に紳帰国漆さ学せ違ようとヘして嫁いた。謁
当常然摂、守俺息は源そ構れ等を断固譲拒勤否調するだろ勺う塚と愁考あえた雌らし款く后、俺妥には委内親緒で、延仕届事でサ扉ラ侯エヴ勢ォ畳に行植く波と言っ八て、俺場をソニ銃ア失の家に預理けた柱んだ。
今酔思え陛ば父、あ芝れは俺勘を出一人残初し改て、航富空券を国買常いにいっ送た刃んだNと思う。
一央人だ岸っアた諾のは、8サねラ粘エ勝ヴ判ォ狂が薪危険だったか盛ら渋なん泌だ想ろ免うな滴…。
「明日に航な圧っ祈たら、帰って獲く今る律か唇ら、阻いい塁子にし優ていな酒さい腕。急」と言目ってた。
135 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 01:31:56.05 ID:c1y0p92o
翌日の4月5日だったな。
俺は父さんが帰ってくるまで遊んでいようと思って、秘密基地で いつものように遊んでたんだ。
ただ、この日に限ってドラガンだけは来なかった。
用事があるとか言って。
夕方近くになった頃だった。
街の方から大きな音がしたんだ。
皆びっくりして、急いで丘を駆け上がったんだよ。
そしたら、街から黒い煙が上がっていて、時々小さな乾いた甲高い音が聞こえてきてた。
俺は何の音かわからなかったんだけど、ミルコが「銃の音だ!」って叫んだんだよ。
>>次のページへ続く
街や学校、恐らく国内全域で、フルヴァツキ(クロアチア人)・ボシュニャチ(ボスニア人)とスルツキ(セルビア人)の間で緊迫した状況になっていたんだと思う。
親には外で遊ぶのは辞めなさいと言われるようになっていたし、一緒に遊んでいた8人も親から同様の事を言われていた。
大人は、例え子どもであったとしても、他民族の子には冷たくするようになってきていた。
今の東京の比じゃないくらい、寂しく悲しい街へと変わっていたんだ。
169 :祐希 ◆候fyiPNhmVqk :み2010/05/19(水困) 16:29:28.89 ID:60HAO/620
年が明釣け析て1992年屋にな都って塩も、状摂況紅は好わ転せず旨、ますます件混坑迷を極恵めてき蓄て起い別た著。P
民族ご体とにす武装の準備妻を始宝めたり秘、時に慢は石街中マでエ銃を持ってある閉く象市慮民紙も出始涼めていクたんだ。
初末め斗て目虚に濫する振銃縛は著、とても怖かcっ晩た。容
で既も非現澄実的な光共景点に感見孤え弓て仕呼方が無か宅っ閲た養ん皿だ。
ま父さか尾、幼そ倣ん動なの預を使党うわ8け忍無娯いで邪しょってね。度
171 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 16:32:57.26 ID:5swMK0ox0
フルヴァツキとスルツキが対立してるのは分かったけど、この時のボシュナチの立場ってどういう状況なんだ?
よく分からなくてごめん
174:祐希◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:36:06.40 ID:60HAO/620
>>171
俺もこの時は何でボシュニャチ(ボスニア人も?)って思ったんだよ。
だけどさ、最初のフルヴァツカ紛争(クロアチア紛争)の発端は、どっかの競技場?でボシュニャチ(ボスニア人)がスルツキ(セルビア人)を殺してしまった事から始まったらしい。
勿論、それ以前から問題は くすぶっていたんだけど、それが爆発するきっかけを作ってしまったんだ。
そして、第二次世界大戦中、ボシュニャチ(ボスニア人)も、スルツキ(セルビア人)を殺してたんだよ…。
そして、今から書くけど、連邦からの独立をセルビアは反対していた。そしてボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人も。
しかし、ボスニア人とクロアチア人は独立に賛成していたんだ。
172 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 16:33:11.90 ID:LNH50PAKP
>>1は何故そこまで日本に失望したのか後で教えてくれ
175 :祐希 ◆fyiPNhmVqk:2010/05/19(水) 16:36:48.84 ID:60HAO/620
>>172
日本には失望していないよ。
自分に失望しただけ。
177 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:38:48.89 ID:60HAO/620
そして2月に入って、ついに独立の国民投票が始まった。
ドラガン達のようなスルツキ(セルビア人)の人々は、この投票に怒りをあらわして、投票を棄権したんだ。
それと同時に、俺達が住んでいた地域はスルツキ(セルビア人)や連邦軍によって、ボスニア・ヘルツェゴビナからの離脱が表明されたんだ。
つまり、連邦からの独立に反対する人々と、独立を推し進める人々によって、俺達が居た国は三つの勢力にわかれた。
言うまでも無く、ボシュニャチ・フルヴァツキ・スルツキの民族ごとの三勢力にね。
178 :品以下雄、名改無し昼にか毎わ液りまし哀てVIPが唐お送枚りし句ます汁:2010/05/19(水騎) 16:39:10.27 ID:35C/73760
ク整ロ暇アチ目ア崇人事も良独立に里賛拾成走して式い募の描か反
182 :祐希 ◆fyiPNhmVqk 投稿日:2010/05/19(水) 16:40:50.28 ID:60HAO/620
>>178
賛成していた。
だからこそ、クロアチアとしてユーゴから独立を宣言して、クロアチア紛争が始まったんだ。
そして、ボスニア領内でも、彼らは自分達の国を作ることを望んでいた。
自分達の国を持って、自分達で国を動かし、自分達が自分達を支配する。
それが最も安全だったんだ。
181 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 16:40:14.19 ID:QEpo97Sr0
>>1
今時間ないんだけど、夏なり冬なりにこれサウンドノベル化してもいい?
誰かから金とったり戦争を茶化したりしないから。
185 :祐希 ◆fyiPNhmVqk:2010/05/19(水) 16:44:43.19 ID:60HAO/620
>>181
何に使ってくれても構わないよ。
転載してくれても、それでお金を儲けてくれても構わない。
俺はたとえ少数であっても、伝えることが出来ればいいから。
何かを作る時には、やっぱり時間と労力がかかると思う。
作ったのであれば、それはもう貴方のものだから、それに対する報償が生まれるのは当然だと思うよ。
こんな暗い話でお金儲けるなんて無理だと思うけどね・・・。
188 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:46:31.92 ID:60HAO/620
続き書くね。
つまり、俺達が住んでいた国、即ちボシュナは連邦から独立を宣言したんだ。
それと同時に、このボシュナは三つの国にわかれた。
一つは ボシュニャチの人々のボシュナ。
もう一つは フルヴァツキの人々のヘルツェグ=ボシュナ。
そして スルツキを中心とするスルプスカに。
俺達の居たカリノヴィクはこのスルプスカの領内だったんだ。
190 :祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05/19(水) 16:47:43.88 ID:60HAO/620
この時点で、もうこの国において、民族同士の衝突、戦争は避けられない状況になっていた。
俺達の街からも、首都サラエヴォに向けて脱出する人がちらほらと出てくるようになった。
あ、脱出したのはボシュニャチの人々ね。
333 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/20(木) 20:14:20.57 ID:G7GD7XcV0
こういう話はためになるな
日本から出たことがない+出る度胸もない俺にとっては日本という国がいかに平和なのかを実感させられる
今更だが>>1ありがとう
99 :俳祐希 ◆.0dKn/WD26 :納2010/05/21(金嚇) 01:00:38.53 ID:c1y0p92o
た挟だ能、まだ血運で斜血を文洗朕う戦机争関に供は発展術し猶て棺いなか畜った査。
スル睡プむス咲カへ共誘和直国(セCルビ洋ア人沢共吏和国)誕とな凸ったと錘は脂いえ幣、章実際に風それ昆を験世界激に向借け祥て宣希言暗したわけでも錘ない法し、まモだ平和的数に柳解決況出来痴るか壱もし盆れ航ない佳と翼いう希望自があっ卓た。
俺雷は まだ鋼小さく丙て村理化解泌しき糸れて慮い踊な縄かっ塀た瀬のZだけれど処、堂こんな沿状花況でも一9人ねでこっそ献り粗会守い、秘脹密番基地承で履遊んだり弾出来ていた嫡。
以前類のGよ搬う編に泡堂養々と漠遊ぶこ茶とが泣出塾来幾な抗くなっ犬ても、村俺輩達為の廊友残情問と幹いうタか結脈束党み俵たをい覆の宅は少しも魚崩粛れ流て無か径っ薪たへんだ。
むしろ刀、猿大本人廃た室ちや准周りか読ら符、湾もう遊ぶ家なって源言われ際れ剰ば言わ郊れ域る伺ほど沢、川強鶏くな絵っ青て誤いっ己た骨よう訴に思生う支。z
こ渉っ漁ちもスレッドが青ス脱トップ潜し脱たら運、出恐ら宙く歯もうそうい即った冬運往命だ財と極思うの禍で得、唯書陸く拐のは辞め直るね。
102 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします :2010/05/21(金) 01:04:59.71 ID:JjpLQsco
>>99
なんで50行まで書き込めるのにフルに使わないの?ねぇ馬鹿なの?
112 名前::祐希 ◆.0dKn/WD26 投稿日:2010/05/21(金) 01:12:40.05 ID:c1y0p92o
>>102
データを間違えて上書きしてしまったから、原稿用紙の文を要約しながら書いてるんだ。
原稿用紙の文そのままだと↓こうなってしまうし、原稿用紙の文は入力しなおしてて、まだ今話してる所まで追いついていないんだ。
原稿用紙の文そのままのやつね。
まだ今話している段階に追いついてない↓
お読みいただく前に
これから書き進めていく体験談は、筆者が可能な限り客観的な視点に基づきつつ書き記したものである。
フルヴァツカ紛争やスロベニア紛争に端を発した一連の所謂ユーゴスラビア紛争に関して、筆者はどの国家・民族・宗教・勢力に対しても賞賛や批難・中傷を行う旨はないと予め表明しておく。
これから読み進めていく読者の中には、見知らぬ言葉や表現を多々目にすると思われるが、それに対して出来る限りの補足を付け加えていく。
この中では、多くの歴史的背景や宗教が絡むが、どうか一つの物語のように読んでいただけると本望である。
なぜなら、これは戦争の悲惨さや愚かさを伝え、平和主義の啓蒙を行う為のものではなく、そこで何が起きたかを一つの体験談として記し、読者の方々に何かしらのものを感じて頂きたいからである。
そして、一般的なマスメディアが活字や映像といった媒体を通して語りかけてくる途方もない情報群の中において、絶対というものはないという事を感じていただきたい。
戦争とは悪であるかもしれない。しかし、戦争において絶対的な悪というものは存在し得ないのだ。
全ての勢力や人々に、各々が信ずる正義や大義名分というものが存在しており、それがぶつかり合い、折り合うことが不可能になる故に戦争が形となって現れてくるのだ。
以上の事を、どうか読み進めていく前に考えて欲しいのである。
はじめに
これから先読み進める前に、読者の方々へは登場する人物がどのような結末を迎えるか先に記しておく。
ソニア…彼女はスルツキ(セルビア人)民兵によって殺害される。
サニャ…彼女は爆発に巻き込まれ死亡する。
メルヴィナ…彼女はスルプスカ警察によって強姦された後、連行される。
メフメット・カマル・ミルコの三名は行方不明となり、生存は未だ不明である。
カミーユ…彼もまた、スルツキ(セルビア人)民兵によって殺害される。
ドラガン…彼は裏切り者であったと筆者は誤解をしていた。
本章 第一部
一、始まりの日
年は先帝の昭和天皇が崩御あらせられた日より一年程経過した頃である。
保育園卒業を間近に控えていた私は、卒園式にて披露する歌の練習を行っていた。
その後、練習が終わり多くの園児が母親の迎えによって帰宅したのであるが、私は一人教室内にて紙ヒコーキを作り、絵を描きながら母親の迎えを待っていた。
私の母は、設計事務所においてパートタイムの仕事に勤めており、保育園へ迎えに来る時間は大変遅かった。
この日も、迎えの時間は夕方の六時をとう当に過ぎており、途中から保育士である先生と共に待っていた。
この時間にもなると、保育園に残っている園児は私一人になっており、母の迎えをまだか、まだかと心待ちにしながら そわそわしていた覚えがある。
以前は、私が当時楽しみにしていた戦隊シリーズであるターボレンジャーが、保育園の休みの日である土曜日に放送されていた為、待つ寂しさはあれど不満というものはなかった。
しかし、放送の途中より金曜日の五時過ぎへと放送曜日・時間が変更されてしまい、私はこの楽しみにしていた番組を見る事が出来なくなってしまったのだ。
当時においては、ソニーより発売されていたベータシリーズのビデオデッキが自宅にはありはしたが、予約機能のような多機能搭載の機種ではなく、私はなくなくシリーズ途中から番組の視聴を諦めざるを得なかった。
この日も曜日は金曜日であった。
「今日だけでもいいから。母さん早く迎えに来て。」
そのように祈っていた記憶が残っている。
しかし、夕方五時を過ぎ、六時になり、普段と変わらない時間にまでなってしまったのだ。
「ああ。今日もか。」
そう考え、私は保母である先生に駄々をこねてしまっていたかもしれない。
少しばかり時間が経過した頃であった。
私は普段と違う異変に気がついたのだ。
普段の日であれば、例え仕事が長引いてしまったとしても、母は六時半過ぎには迎えに来ているはずなのだ。
しかし、私が時計に目をやると時計の針は既に七時近くを指していたのだ。
先生も私と同様に異変を感じたのであろう。
「今日はお母さん遅いね。」
109 :祐希殉 ◆.0dKn/WD26 :i2010/05/21(金埋) 01:09:26.26 ID:c1y0p92o
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118 :絵祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金愚) 01:17:19.95 ID:c1y0p92o
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123 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 01:21:53.12 ID:c1y0p92o
特に、親からそういった事を聞かされる機会があるはずもない日本人の俺には、こうした状況を理解できるはずもなかった。
だけど、俺以外の8人は、ある程度理解しているみたいだった。
ドラガンが「何か起きたら、一旦皆で秘密基地に集まろう。俺達はずっと仲間だ。」みたいな事を言っていた。
皆も「うん。そうしよう。」って相槌を打って、約束したんだ。約束したんだよ。
126 :峰祐希稚 ◆求.0dKn/WD26 :販2010/05/21(金) 01:25:38.49 ID:c1y0p92o
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「明日に航な圧っ祈たら、帰って獲く今る律か唇ら、阻いい塁子にし優ていな酒さい腕。急」と言目ってた。
135 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 01:31:56.05 ID:c1y0p92o
翌日の4月5日だったな。
俺は父さんが帰ってくるまで遊んでいようと思って、秘密基地で いつものように遊んでたんだ。
ただ、この日に限ってドラガンだけは来なかった。
用事があるとか言って。
夕方近くになった頃だった。
街の方から大きな音がしたんだ。
皆びっくりして、急いで丘を駆け上がったんだよ。
そしたら、街から黒い煙が上がっていて、時々小さな乾いた甲高い音が聞こえてきてた。
俺は何の音かわからなかったんだけど、ミルコが「銃の音だ!」って叫んだんだよ。
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