僕の愚かな生き方を聞いてほしい
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初めての書き込みですが、誰でもいいから聞いてもらえればと思います。
僕は、小学生の時は、勉強が好きで、クラスでもよくしゃべる方でした。
5年生の終わり頃、自分から塾に行きたいと親に言いました。
入塾当初は、中学受験のことは僕も親も考えていませんでした。
塾の先生の言われるがまま、周囲の生徒と同じように受験しました。
3つの学校を受けて、第1志望に落ち、残り2つは合格できました。
受験が終わった後に、公立に進むか私立に進むか悩みました。
僕は、クラスの友達と一緒の公立に行きたい気持ちがありました。
自分でも死ぬべきと分かってます。聞いてくれる人が一人でもいれば、続けさせてもらいたいと思います。
当時、僕の住む田舎では、中学受験する子は珍しく、知らぬ間に他の同級生が僕の受験のことを知ってました。
そして、受験直前くらいから、僕は私立に進むという理由で、周囲と距離が生まれていきました。
昼休みや放課後に一人で過ごす時間が増えていったような気がします。
当時の僕は そこまで深く考えていませんでした。
けれど、卒業式の日、仲良い友達同士で話す中、僕は誰に話し掛けても無視されました。
小学校最後の日、クラス全員から無視されて大変ショックを受け、強烈な思い出となりました。
結局、中学は私立に進学しました。
強いショックを引きずったままでしたが、中学では新しい友達もでき、勉強も頑張っていました。
最初は普通くらいだった成績も、頑張ることで少しづつ良くなりました。
けれど、それまで成績が良かった同級生からは疎ましい存在に映ったようでした。
言葉や暴力の嫌がらせを受けたりしました。
その中には友人だと思っていた人もいました。
中学2年の夏休みが明けた次の日から、僕は学校に行かなくなりました。
なんでこれ書こうと思ったの?
誰かに聞いてほしいから書こうと思いました。
いい話でもないし、よく見る程度の話かもしれませんが、とりあえず続けさせてもらいます。
不登校になった理由は色々あったと思います。
家庭内で両親がうまくいっていないことや、小学校の卒業式の思い出がトラウマになったこと。
勉強を頑張っても、どこか満たされない思いがあること。
色んな事が絡み合って、何もやる気が起きなくなり、息切れしたんだと思います。
当時、電車通学してましたが、自宅と駅の間にあるお店のおじさんが、僕の表情が暗くて心配していたことを母親に話していたようでした。
不登校になってからは、毎日家で過ごし全然家外出しなくなりました。ほとんど寝て過ごしていました。
両親も教師も当初は本人の意思に任せるような感じでした。
けれど、長期化するにつれて、どうにか学校に行くように両親も動きました。
中学3年生の途中になり、無理やり連れて行かれる形で久しぶりに学校に行きました
1年ぶりくらいに学校に行き、付き添いの父が、皆の前で僕のことをよろしくとお願いしてました。
自分も周りの同級生も どうしらいいいのか分かりませんでした。
その日は、何となくイスに座って一日過ごしていたと思います。
それでも、多少の変化はあり、少しづつ学校に行くようになりました。
週に1日か2日行くといった感じで、欠席の日の方が多かったです。
中高一貫だったため、欠席日数が多くても、成績が悪くても、高校には進学できました。
高校生になっても出席と欠席を繰り返していました。
けれど、今のままではいけないと自分でも思うようになり、何かきっかけを見つけようとクラブ活動に加入しました。
楽しいこともあったし、日頃の活動は自分なりに頑張ったつもりでした。
けれど、大会に出場したり、人前で発表することなど、より積極的な活動は自分には重荷でした。
うまく変われない自分に気付くと、自分が嫌になりました。
部活動の顧問や先輩からも、話し方が変とか、表情が暗いと時々言われました。
自分では普通のつもりでも やっぱり変なのかと、人に言われるとショックを受けました。
どうにか自分を変えたいと思っても、なかなかうまくいきませんでした。
続けたまえ
ありがとうございます。
勉強の方も うまくいきませんでした。
授業に出ていなかったため、出席しても内容をきちんと理解できませんでした。
中学から高校になって、内容も難しく、スピードも速く感じられ、さらに遅れるようになりました。
赤点も取りましたが、中高一貫だったので、レポートなどの救済措置がありました。
出席日数が足りない教科もありましたが、何とか2年生に進級できました。
2年生になっても出席と欠席を繰り返し、勉強もどんどんついていけなくなりました。
負の連鎖につかまったようでした。
ダメ人間の烙印を押されたような感じで、周りからもそんな目で見られました。
自分の世界が少しずつ しぼんでいくような、そんな感じでした。
再び学校から足が遠のき、自分の部屋の中の世界に閉じこもるようになりました。
孤独な暗い世界に閉じこもっていると、次第に自分の存在意義も生きている意味も分からなくなってきました。
ある日、衝動的な行動を取った僕は、救急車で運ばれました。
どこか様子がおかしかったのか、母が異変にすぐ気付いたお陰でした。
その日から学校には行かなくなりました。