俺を拾った女の話を書く
文字通り、俺はある女に「拾われた」
当時、ロックバンドをしていた俺は、ライブの打ち上げの途中、メンバーと別れて ひとり酒を飲んでいた。
「ある悩み」を抱えてた俺は打ち上げ特有の馬鹿騒ぎに付き合う気になれず、ひとりで静かに悩み事の整理をしたかった。
打ち上げにはライブスタッフやメンバーの関係者、ライブには必ず足を運んでくれる固定ファンなど、売れてないバンドにもかかわらず結構な数の「知らないひと」がいて、その知らないひとと話をするのが少し苦痛だった。
脱退したメンバーの後釜という俺の立場では、内輪トークの盛り上がりは ただの疎外感しか生まなかった。
打ち上げを早々に切り上げて、俺は馴染みのバーで悩み事を肴に、酒のペースを忘れて飲み続けていた。
記憶に残っている最後の映像は、カウンターに置かれたスコッチの琥珀色だった。
目を覚ますと、あっ生きてた、という女の声がした。
「歩道でね、いまどき見ないくらいの見事な行き倒れっぷりだったよ」
女は笑いながら言った。
「あなたを中心に人だかりが出来ててさ、誰かが警察呼んで、とか言ってたから、友達と一緒にあなたを拾ってきちゃったの」
「あっ、でも大丈夫、エッチな事はしてないからね。」
女は一方的に話した。
何か飲むかと尋ねられ、水が欲しいと頼むと代わりに黒い液体を差し出された。
。
「特製黒酢蜂蜜ジュースだよ」
女は得意気に言った。
歳は同じか少し上か、という感じだった。
長い髪は多少ウェーブがかっていて、小綺麗にまとめあげられていた。
慌ただしく部屋を片付けたり俺の世話をやく その容姿は、細身で背丈も幾分あった。
「じゃあ、もう仕事にいくから。鍵、置いておくからお店まで返しに来てね。」
「あと、黒酢蜂蜜ジュース好きに飲んでいいからね。部屋は勝手に触らないように。じゃ、行ってきます」
そう残すと女は足速に部屋を後にした。「お店」の場所も名前も告げずに。
ひとり部屋に残された俺は、今自分が置かれてる現実を順を追って整理してみた。
ライブの打ち上げがあった。途中で抜けてバーに行った。女の部屋にいる。スジが通らない。
飲み過ぎて記憶がなくなることは、初めてではない。道に倒れていたというのは流石に初めてだが、起こり得ない事ではない。
しかし、見ず知らずの人間に介抱され、更には泊めてもらったというのは、有難いを通り越し少々不気味さを感じた。
こんな事が起こり得るのだろうか。
自分に置き換えて考えてみても、それは起こり得ない事だった。見ず知らずの女が道で倒れている。介抱くらいはするかもしれない。
けれども最終的にはは警察に任せるであろう。素性の知れない人間に関われば親切が仇となり返ってくることはままある。
異性であれば当然、性的な問題もあるだろう。俺が変質者だったら彼女はレイプされていたかも知れない。
あるいは、美人局の様な事が これから起こるのだろうか。
ヤクザがこの部屋に乗り込んで来て、ひとの女に手を出しやがって、と金を脅し取られるのだろうか。
しかし、彼女は「エッチはしていない」と言った。
それはつまりセックスをしていないという事だろう。
よく分からなかった。
とりあえず場所の把握をする必要がある。
ここの住所まで分からないにしろ、だいたいの位置が分かれば昨日の足取りが掴めるかもしれない。
借りた鍵で部屋の施錠をして、外に出て見る事にした。
足取りはすぐに掴めた。
打ち上げ会場、バー、女の部屋、それから駅。
多少ジグザグはするが ほぼ直線で結ぶことができる位置関係だ。
おそらくバーから駅に向かう途中で倒れていたのだろう。
そばには誰かが吐いた吐しゃつ物が片付けられないで残っている。
おそらくは俺のものであろう。
俺は一度女の部屋に戻ることにした。
居場所が分かり帰る方法も掴めたけれど、問題は「鍵」をどうするか、という事だった。
女は鍵を返せと言った。だが、肝心の女の居どころが分からない。
開け放しで帰る訳にもいかない。かと言って持ち帰る訳にもいかない。
鍵を掛け、新聞受けに放って置いたとして、鍵がスペアキーでなければ、困るのは女の方だ。
何よりも、女にもう一度会って礼を言いたかった。
俺は女が帰ってくるまで待つことにした。
女の部屋は小綺麗に片付けられていた。
百円均一の廉価店で買った様なものを上手に工夫して収納を確保していた。
大量のCD。音楽が好きなのであろうか。
それから、これもまた、大量の女性ファッション誌。
そして、十数冊の文庫本。小説だろうか。
シェイクスピア、トルストイ、カフカ、スタインベック、カミュ・・・全て、聞いた事はあるが読んだ事はないものだった。
そして全てが教科書に出てきそうな海外の作家のものだった。