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自殺未遂のどん底から社会復帰した話

 

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http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1361196837/


1 :名も無き被検体774号+:2013/02/18(月) 23:13:57.46 ID:l1uAy0UR0
需要ないと思うけど自分の中で区切りがついたから話させて欲しい。

ストックあるから淡々と書くよ


5 :1:2013/02/18(月) 23:16:32.70 ID:l1uAy0UR0
りあず今のペッ

26歳♀

職業について はあとで出るので


6 :1:2013/02/18(月) 23:17:37.33 ID:l1uAy0UR0
機械専攻で高専に入学した。

私のクラスは女子ひとり。

工業系は女子が少ないというのは覚悟してたけど、いざ一人となると心細さマックスだった。

同じクラスに、中学の時に仲が良かった男子がいた。

身バレ怖いから そいつのことは「スペースキャンサー大明神」を略してスペキャンと呼ぶ。わかる人にはわかる。

中学校が一緒なのはスペキャンだけだったから、最初の2ヶ月くらいはスペキャンと話をして生活していた。

スペキャンは調子のいいコミュ症で、ほかの男子とつるもうとせず いつも一人だった。

私もなかなかの人見知り体質だったので、スペキャンの友達を紹介してもらってクラスに馴染んでいこうと思っていたけど、スペキャンは友達をつくろうとする気配もなく、ずっと一人だった。


9 :1:2013/02/18(月) 23:20:45.49 ID:l1uAy0UR0
思春期だからなのか知ら基本ラスみんなからに触るよな扱いをされてた。

キャ以外は話しかけくる人もいな宿かっ婿、こっちかられば答はしてくれで、その別にどうでよか


も ある日を境にペキャンの様子がおかしくなってきた

暑くて衣えしたくらいだたと思う。

ペキャン口の言うようになった。

い噂をすわけではなく直接私に言ってきた


それは容姿のことだっり学のことだったりでとにかくネチネチと嫌なを言うので私は無視するようた。





10 :1:2013/02/18(月) 23:21:23.22 ID:l1uAy0UR0
無視するようになって気付いたけど、スペキャンはハブられていた。

それどころか悪口とかいじめみたいなものも受けてるようだった。

八つ当たりかよーと思ったけど、かわいそうとかは思わなかった。

勉強はできるけど元々性格に難アリだったし。


スペキャンしか友達らしい友達がいなかった私も当然クラスで孤立していた。

でも他クラスの女友達とかはいたので、なんとかやっていた。

私はあんまり頭が良くなかったけど、他クラスの友達のサポートに助けられ それなりに楽しかった。

スペキャンはそれが気に入らなかったらしい。


11 :1:2013/02/18(月) 23:22:05.21 ID:l1uAy0UR0
ある日私のメガネケースがなくなった。

ゴミ箱の裏から出てきたんだけど、ケースの内側に貼っていたプリクラがなくなっている。

ふとゴミ箱を見るとビリビリになったものが捨てられていた。

中学時代の友達や過去に転校した親友とかとの大事な思い出だったからショックだった。

あとでわかったけど やっぱり犯人はスペキャン。

「プリクラ撮るとか意味がわからない」

「幼稚すぎるバカみたい」というようなことを言っていたけど全部無視した。

そういうことをする神経が信じられなかったし許せなかった。

他クラスにも友達のいないスペキャンを哀れみはじめてたけど、もうほっとこうと思った。


12 :1:2013/02/18(月) 23:22:39.25 ID:l1uAy0UR0
夏休み明、スペキ仲間が二人くらいできた。一緒にって私を虐げる仲間が。

ール用のコパスがバラバラに壊され隠さた。

教科は接着剤でくっられて使ならなくなった

罵倒の言葉も、悪口から、存在否定へとエスカレートし、暴力も始

度もれたされたり、ひど時には鋼ハの工具属材料で殴られた。(さすが全力ではない

転ばされるも移動教人前で転ばされてたんだ、周りは助けてれるどころかて見てた。

この時初めてもハブれていたんだと知った。

同時「味方はいんだな」とった


14 :1:2013/02/18(月) 23:23:22.19 ID:l1uAy0UR0
「お前が幸せそうにしているとムカつく」とよく言われた。

スペキャンは、私が他の人から疎まれていると知ると とても嬉しそうにし、私にいい事があると「生意気だ」と殴っていた。

昔から自分のことが あまり好きではなかったこともあり、スペキャンから罵倒されるたびに、「私は幸せになってはいけないんだ」と思うようになっていた。

この時は私も だいぶおかしくなってたと思う。

スペキャンは直球に「死ね」とは言わなかった。

でも「なんで生きてるの?」「お前生きてる価値ないよね」というようなことは言っていた。

だんだん「生きてるだけで迷惑なのにこれ以上変なことできない」と考えるようになり、友達にも相談ができなくなっていた。

それどころか嫌われたくない一心で友達と距離を置くようにまでなった。


私は次第にぼっちになった。


13 :名も無き被検体774号+:2013/02/18(月) 23:22:53.07 ID:+74W0outO
女で高専の機械専攻か

なかなか貴重な存在だな


15 :1:2013/02/18(月) 23:24:22.91 ID:l1uAy0UR0
>>13
ありがとう。やっぱり珍しいのか。


ある時 担任(男)に呼ばれた。

クラスメイトとやっていけてるか?という確認みたいなものだった。


適当に返事をしながら、(今されている仕打ちをすべて話そう…!)と思ったけど、

「まあハーレムみたいなもんだよなあ。よりどりみどりだろw」と言われ、

あ、こいつはダメだ。と思い、言うのはやめた。


クラスからは徹底的に無視、スペキャン達からは暴力と暴言が続いた。

「本当お前邪魔だよ」

「バカで豚でブサイクwwよく生きてられるなww」

私はもう限界だった。


16 :1:2013/02/18(月) 23:25:37.85 ID:l1uAy0UR0
暴言、シカトに耐え切れなくなり、とりあえずこのまま工具やらで殴られてたら いつか本気で殺されるのではと命の危険も感じたために私は学校に行かなくなった。

親の手前、最初は学校に行くフリをしていたけど、休ませて欲しい、と理由を話した。

母親はスペキャンの両親とも知り合いで、私がスペキャンと仲良しだったことも知ってたから、理由は「やっぱり女子ひとりはツラい。クラスに馴染めなくて正直しんどい」ということにした。

母親は泣いていた。気付いてあげられなくてごめん、と。

父親は学校の手続きを心配してたけど ゆっくり休めと言ってくれた。

今思えば母親は くっつけられた教科書を発見してたと思う。

でも二人共詮索とかはしてこなかった。ありがたかった。


学校を休んでいる間、スペキャンからメールが来ていた。

「サボり魔」とかそんな内容だった。他クラスの子からも心配のメールが来ていたけど、ほとんど疎遠になりつつあったので次第に来なくなった。

でもスペキャンからは来続けていた。

「サボってんじゃねーよ」とか「いい身分だな」とかそんなのだったけど、スペキャン以外はメルマガくらいしか来なかったから

次第に「学校来て欲しいのかな…」と捉えるようになってちょっと嬉しくなっていた。

わたしはおかしかった。





17 :1:2013/02/18(月) 23:26:23.45 ID:l1uAy0UR0
ある日スペキャンが家に来た

学校に置き忘れたものを持ってきたらしかった。

麻痺していた私は嬉しくて昔のように話をしようとした。

でもスペキャンは相変わらずだった。

私が学校から消えてから仲間も掌を返したらしい。溜まってたのかスペキャンの口からはノンストップ暴言。

すっきりしたらしく毒を吐くだけ吐いて帰っていった。

バカな私は究極に絶望した。


18 :1:2013/02/18(月) 23:27:25.02 ID:l1uAy0UR0
の次の日わたしは自殺未遂騒を起こした

住んたマンションからび降りたんだけどビビにたいした覚もなか綿ら、3階かに飛び降りて骨折程度で終わた。

絶したからかみたなとが覚めて、警察が

を揃稿えてから自殺と疑ったらしい。ンゴなんけど

その時は「ちょっと物を取ろ稿―」とかよくわないとを言っ

遺書もいし事故というこ付けたけど、ょっと派調だっし精神状態がとても悪かったのでらく入するこになった


入院していだは すぐイレで手首切ったりみ切うとしタオル噛まされたりと大変だった。

る日父が泣てるのか怒ってるのかよくい顔で「死にいなら言てこい。俺のつくった子供だが殺しやる」と言った。

れをいてかたしするをやめた。

病棟に入る話も出ていたが入院して大学院で改装工事の話がありその頃に自傷もしなくなので、結局 他所の心療内科の紹介状と薬を処方してもらい退


19 :1:2013/02/18(月) 23:28:36.20 ID:l1uAy0UR0
退院してから通院し始めた心療内科の先生は面白かった。

この人が私のどん底人生を大きく変えてくれた。

先生のことはロッシーとしとく。ごめん野爆大好きなんだw

ロッシーは天然じゃないけど とにかくジョークが好きで、説き伏せるのがうまかった。

「まだ死にたいか?」と聞いてきて、「嫌なことを考えてしまう時は死にたくなります。」と言ったら、「このイケメンが見れなくなるぞ?もったいないぞー?w」とか言う人だった。

ある時、究極に外に出たくなくて診察をバックれたことがあった。

約束の時間をすぎても病院側から連絡がくることはなくて、後日予約し直してコソコソ行ったら、「薬が切れたかw」と笑って迎えてくれた。

でも怒る時はしっかり怒る人で、何よりどんな話でも きちんと聞いてくれることが嬉しかった。

学校に行かなくなってから男性恐怖症と対人恐怖症になってしまったけど、ロッシーとは話が出来た。


20 :1:2013/02/18(月) 23:29:36.42 ID:l1uAy0UR0
そんなロッシーとその年の年末頃に学校の話をした。

ふわっと雑談をしている時に「そういえば、学校どうする?」と聞かれた。

「せっかく入学したから卒業したいです。でも もう居場所がないので…」と うやうやしていたら、復学を提案してくれた。

復学とは、留年と同じ感じで休学しはじめた学年に留まってやり直すこと。

学校も行ってないからストレートで卒業なんてできないのは わかっていたけど、環境がかわってうまくできる保障もないので、どうしようか悩んでいた。

そうしたら、

「もうあなたは一度死んだんだと思えばいい。新しいんだ。2回目の人生だぞー!いいなーw」って冗談ぽく言ってくれた。

その言い方がなんだか面白くて、まあ自分でもおまけの人生くらいに思ってたから頑張ろうって思えた。


21 :1:2013/02/18(月) 23:30:27.10 ID:l1uAy0UR0
もう一度やり直した学校生活は、良いものだった。

女子が居ないのには変わりがなかったが、スペキャンも居ない。

スペキャンは ちょいちょい攻撃をしてきたが、着信拒否をして こちらからは無視をし続けた。

クラスに馴染めたわけではなかったが、暴力を振るったり暴言を吐く人が近くにいないので やっていけたし、全てを知っているロッシーもいるから、

辛いことがあっても逃げ場があるという安心感があった。


でも結局 卒業するまでクラスの中に友達と呼べるような関係の人はできなかったし、最低限のコミュ力は戻ってきたけど男性恐怖症は治らなかった。


22 :1:2013/02/18(月) 23:31:17.30 ID:l1uAy0UR0
それでも留年することなく卒業した。

男性社会で生きていくことは無理だと感じた私は、在学中は「卒業するための勉強」をし、当たり障りのない卒業をした。

進路については、ここでもロッシーに助けられた。

4年生の就活時期に、恐怖症が なかなか治らないことを相談した。

就職以前に面接も受けれるか不安だし、もう社会的には生活できないのかという話をした。

ロッシーは静かに話を聞いて、こう言った。

「恐怖症だって言うけど、ちゃんと先生や同級生とコミュニケーションがとれてるじゃん。大丈夫だよ。」

私には恐怖症だと決め付けてしまってるところがあるとも言っていた。




>>次のページへ続く


 


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