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6歳の娘がクリスマスにサンタに宛てた手紙を覗いてみたら
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68 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:49:51 ID:aTY(主)
上の続き

連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。

せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ

病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。

もうとっくに退院してたのかな…?と思って とりあえずナースセンターで聞いてみた。

「遠い所にいった」とか うまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。

その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。

俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が

「ああ、そういえば さやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、って言われた物があるのよ」 と言って俺にそれを渡してくれた。

借してあげたゲームボーイとSaga2だった。

俺はそれを受けとって家に帰った。

帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。

懐かしいあのOPの音楽。それと一緒にでてくるロード画面。

一つは彼女と俺が一緒にプレイしたデータ。あの時からほとんど変わってない。

懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになった

もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。

最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。

パーティー四人の名前がこうなっていた。

「リョータ」
「いろいろ」
「ありがと」
「バイバイ」

…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。

お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。


69 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)12:51:01 ID:aTY(主)
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんてなかった

だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた

絵は上手じゃない

ただ、どうにかして形に残したかったらしい


ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた

絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで

小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された

めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた

友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた

パートから帰って来た母さんが それを見つけて、泣きだした

破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた

翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた

「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」

申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った


71 :名無さんーぷん :2016/01/03(日)12:52:04 ID:aTY(主)


552 おさわえた無しさん :2008/10/04(土) 01:26:53 ID:kEGTIebt
を喜ばせは難しい。不満そうな顔する

、親を喜ばせることは何と簡単なことだうか。

それなことを私はしこなか


76 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:00:14 ID:aTY(主)
カーチャンの七不思議

夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる

夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる

俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる

俺が逆切れしても困ったように笑ってる

俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる

いまだに俺の誕生日祝ってくれる

俺より長生きしてくれない


77 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:01:17 ID:aTY(主)
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。

見た目普通の写真なんだけど、実はその時 父が難病(失念)を宣告されていて

それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。

俺と妹は まだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。

当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と ぶっきらぼうだったらしい。

母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床で この写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。

祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、

崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。


82 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:04:26 ID:aTY(主)
自殺考えていた頃に おふくろから電話

( ´・ω・`) 「かあさん・・・。オレが生まれた時どう思った・・・?」

「そうねえ・・・。やっと会えたねって・・。それから・・。」(゚-゚*)

( ´・ω・`) 「・・・・・・?」

「この子の為なら自分の命は捨てられるって思ったかなww」(゚-゚*)

Σ( ´・ω・`)

( ´:ω;`) 「・・・・・・・・・・。」

「・・・・・?どうしたの アンタ?」 (゚-゚*)

( ´・ω・`) 「な・・・なんでもないよ じゃあね・・・。」


電話切ったあとひたすら泣いた・・・・。オレに自殺する権利などない・・・・。

オレは生きる・・・・。せめて親が死ぬより後に


83 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:05:32 ID:aTY(主)
俺は親父が好きじゃなかった。

お袋とだったら何でも話せるのに、親父と本音で話したことなんてなかった。

親父は俺が18のとき死んだ。

心臓が急に止まったらしく、何の処置もできないまま死んだ。

その時は涙は出なかった。

ただ、泣きじゃくるお袋を可哀想だとは思った。

俺が21のとき、いい加減親父の部屋を片付けようってなって家族で片付けていた。

俺はワインを見つけた。

俺が中学の修学旅行で土産に買ってきたものだ。

お袋は言った。

―お父さんな、それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで。

なぜか涙が出てきた。

俺は親父の墓前でそれを飲んだ。





86 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:10:05 ID:aTY(主)
484 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/05/20(土) 04:51:07 ID:xeEhC3a10
そのときの部長は すっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。

飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。


ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。

あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。

それから1週間後、部長の最後の出勤日。

退社のセレモニーが終わると みんなそそくさと帰って行ったが部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。

送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。

しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。

俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。

原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。

話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。

ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。

横に添えられたメモにはこう書いてあった。

「これぐらいは いただいても良いはずだ」

俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。


91 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:13:07 ID:aTY(主)
第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務についていた、ある暑い日の出来事でした。

私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、貴方の息子さんは、ご主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていました。

留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装の人が多かった。

ある時、ふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、チョコンと立って、私の顔をマジ、マジと見つめていた。

「あたし、小学校二年生なの。おとうちゃんは、フィリピンに行ったの。

おとうちゃんの名は、○○○○なの。

いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。

それで、それで、わたしに、この手紙をもって、おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」

顔中に汗をしたたらせて、一息にこれだけいうと、大きく肩で息をした。

私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、復員局からの通知書があった。

住所は、東京都の中野であった。

私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。

「あなたのお父さんは---」

といいかけて、私は少女の顔を見た。

やせた、まっ黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。

私は、少女に答えねばならぬ。答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。

「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」

といって、声がつづかなくなった。

瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。

涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。

それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。

私の方が声をあげて泣きたくなった。

しかし、少女は、「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」

私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。

少女は、不思議そうに、私の顔をみつめていたのに困った。

やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。

涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。

肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッ眼を開いて肩で息をしていた。

私は、声を呑んで、しばらくして、「おひとりで、帰れるの」と聞いた。

少女は、私の顔をみつめて、「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。

おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。

だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」


92 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:14:33 ID:aTY(主)
上の続き

と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。

私は、体中が熱くなってしまった。

帰る途中で、私に話した。

「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって」

と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。




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