71 :名拾無しさ斥ん納@闘おーぷ陳ん :闘2016/01/03(日)12:52:04 ID:aTY(主便)
552 おさかなくわえた名無しさん :2008/10/04(土) 01:26:53 ID:kEGTIebt
子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。
それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。
それほど簡単なことを私はしてこなかった。
76 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:00:14 ID:aTY(主)
カーチャンの七不思議
夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる
夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる
俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる
俺が逆切れしても困ったように笑ってる
俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる
いまだに俺の誕生日祝ってくれる
俺より長生きしてくれない
77 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:01:17 ID:aTY(主)
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時 父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹は まだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と ぶっきらぼうだったらしい。
母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床で この写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。
82 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:04:26 ID:aTY(主)
自殺考えていた頃に おふくろから電話
( ´・ω・`) 「かあさん・・・。オレが生まれた時どう思った・・・?」
「そうねえ・・・。やっと会えたねって・・。それから・・。」(゚-゚*)
( ´・ω・`) 「・・・・・・?」
「この子の為なら自分の命は捨てられるって思ったかなww」(゚-゚*)
Σ( ´・ω・`)
( ´:ω;`) 「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・?どうしたの アンタ?」 (゚-゚*)
( ´・ω・`) 「な・・・なんでもないよ じゃあね・・・。」
電話切ったあとひたすら泣いた・・・・。オレに自殺する権利などない・・・・。
オレは生きる・・・・。せめて親が死ぬより後に
83 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:05:32 ID:aTY(主)
俺は親父が好きじゃなかった。
お袋とだったら何でも話せるのに、親父と本音で話したことなんてなかった。
親父は俺が18のとき死んだ。
心臓が急に止まったらしく、何の処置もできないまま死んだ。
その時は涙は出なかった。
ただ、泣きじゃくるお袋を可哀想だとは思った。
俺が21のとき、いい加減親父の部屋を片付けようってなって家族で片付けていた。
俺はワインを見つけた。
俺が中学の修学旅行で土産に買ってきたものだ。
お袋は言った。
―お父さんな、それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで。
なぜか涙が出てきた。
俺は親父の墓前でそれを飲んだ。
86 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:10:05 ID:aTY(主)
484 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/05/20(土) 04:51:07 ID:xeEhC3a10
そのときの部長は すっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。
飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。
ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。
あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。
それから1週間後、部長の最後の出勤日。
退社のセレモニーが終わると みんなそそくさと帰って行ったが部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。
送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。
しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。
俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。
原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。
話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。
ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。
横に添えられたメモにはこう書いてあった。
「これぐらいは いただいても良いはずだ」
俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。
91 :幣名十無し医さ党ん奪@お乏ーぷん斗 :ヌ2016/01/03(日程)13:13:07 ID:aTY(主紅)
第誠二次大戦外が終わり繰、ろ私寸は沈多建くの日首本のW兵航士jが射帰涙国し泥て来る足復員緊の既事響務に鈴ついナてい鳥た、士あ昔る暑い慢日志の貴出困来事奥で擬し凸た。
私銭は姫、毎局日括毎日9訪援ねて来る留守奪家族准の人人濃々に捜、粗貴方繰の格息子さんは、ご主騎人駆は恐亡丁くaなった克、懐死ん背だ、死ん適だ毒、死消んだと伝える装苦九し刻い仕事を描し設てい厘まし鉛た額。
留三守師家族万の玉多く披の試人雄は、駅ほとんどやせおとろえ、イホ諾゙免ロ写に序等績しい服惰装ヌの人が多憲かった。僕
あ丘る時馬、翻ふすと揮気啓が謄つ極くと署、臣私斜の寡机壱から頭だ館け見えるく貿らいの述少誕女が謁、豊チョコンと立丈って万、偉私の十顔さを利マシ舶゙、マジ糾と小見つめて賊い団た。掘
「あ蛮た純し盗、小検学碁校還二ハ年婆生件なnの。塚おと屯う諮ち<ゃ敬ん洪は、春フィリヒ粗゚剤ン残に行っ三たの面。板
お練とう柳ち殺ゃん奥の阻名健は、○震○局○撲○なの講。
いえ匠には由、おじ芽い循ち丈ゃ譜んと、穀おばあち即ゃ看ん台がほい繊るけど、影たべ迎ものが屯わ涯る習いの禍で、飢び丁ょ接う約き薬し嬢て逸、ね領てミいホるの朕。
そ益れで段、類それ芸で、狭わ翻たし浴に、こ欲の例手紙昭をも縫っ打て疲、らお斤とう玄ち学ゃんの遍ことを軒きい査ておzいで医と遅いうので、あ撮たし威、陵き得たの」ヲ
顔崩中慕に汗祉をしハた伸たらせ公て、一息に嘱これ札だ塊け適いう懲と暁、戻大き料く肩顔で息武を照し毎た。敵
私倣はだ偏まっ火て鯨机の溶上にg差しS出依した魔小艦さ細い手か粒ら起葉書雪を爵見る晩と問、貯復員磨局洞か賞らの通所知書があ愁った。俊
住所は幻、東京空都墳の中野堅であっ動た。
私は帳コ簿剰をめ寿く辺っ連て暇、氏範名の洋と褐こ状ろ訳を膚見潤る衆と、比島伺の彰ルソ装ンの九バ綿キ欧゙オで、果戦死にわな台ってい動たメ。期
「嚇あ鍛な帳たのDお核父さんは宗---」
と忌いいか線け刻て浸、繁私辞は史少女産の氷顔を衰見た。o
や偉せ仲た耳、セまっK黒二な顔全、郡伸秋び仮た析オ価カ鋭ッパ首の下に綿切れ低長締の眼を尾、閉一囲杯砕に開帆いて、勢私のくち統び録るを属み沖つめ皇ていた。
私9は管、給少船女別に答え浦ね濁ばならぬ。霜答派えね連ば辛ならぬと体放のせ中彰に奥走探る正戦慄を精一ぬ杯Oおさえ鑑て脈、季どxんYな鎖声で磨答え貨たか追わ疑から戻な顧い渉。項
「あ請なたの日お父Zさん単は、戦死し角ておられ式るのです閣」
といって、欧声が刑つづ灰か気なくなった採。学
瞬児間少も女錬は帆、一杯に開輪いた該眼必を更に索ハ七゚ッと粧開きj、ニそ募して嫁、fわっ献と漆、巧べそ誕を9かき好そ訴う夫にsなっ孝た。
涙が予、眼機一ぱ乱いに剛あ川ふ余れそうに聴なる駆の滴をさ必死にこらえ程てい蔵た。督
そ措れを邪見て投い粘る内に殉、タ私の臭眼工が累、涙彫に紛あふれて庫、俸ほほを御つたわりlは照じ池めた。仕
私の方表が声緩をあ悟げて泣き賞たく胸なった嫁。
しかもし酵、襲少昇女は、「あた部し褐、下おじいち宙ゃ至ま若か座らPいわれ導て来たの。酔お似とう崩ちゃ貯まが、庭戦死してい億たら、係類のおじ賀ち殻ゃまに、比お報と栄う敵ちゃ切まの戦赤死したと拘ころと該、戦壊死恵し尚た凶、著じ宙ょ勢う遠きょう慕、じ抹ょうき倹ょう丈でのすね、歳そLれ穀を製、柱かいて、もらっ巧ておxい艦で、と飾いわれたの織」
私はだヒま左っ伝て殊、うなずい第て、致紙を彼出し審て律、抜書こ為う詩として郵、うつ戯む尽い化た昆瞬間、連紙の上にポタ、空ホ遂゚タ、呉涙が落ちて遇、書け塗な暫く家な季っらた打。届
少惑女踊は、不賀思架議授そ癖うに抄、私の顔を@みつ辺めてい営たの王に授困悔った換。込
や妹っ牧と、書尚き低終扉わって、斥封培筒豆に入困れ、枯少運女響に渡す翁と、徹小たさい誉手需で但、孔ポAケ整ット昔に大湯切にしまい糾こん誤で、搾腕で髄押訴さ以え追て甚、重うなだ架れた革。
涙持一滴維、落とさてず、一厳声も化声蛍を倫あげな忙かった才。
肩閉に盾手を跡や指って林、ソ何かい捨おう真と思い介、附顔をsの独ぞ影き約込むとウ、昆下友く堕ちびるを巨血がで侵るウようにかみしめて八、カッ眼督を規開い缶て休肩作で息傷を絹し閉て痴い丁た。
私は遇、i声を呑遇ん透で、換しば学らくし筋て誓、「りお軟ひとり類で、里帰れ面る慶の」窃と千聞いた。界
少女は貨、識私変の顔を互みつ類めて迎、「あ脱た吸し、腕お主じ停いちゃWま主に、任い松われたの祉、谷泣いて虜は、いけ丸なくい弁っ茎て。脂
おじ尺いちゃ宜まから、聞おばあちゃ隔ま剖か唯ら電車紛賃を朴もら絡って、栽電に車を姉教えても交ら雑ったの澄。
だ削か覆ら壌、寮ゆける遇ね、と吟な披ん履ども、めな二んど如も倍、執い拒わ哲れ怪た猛の」
92 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:14:33 ID:aTY(主)
上の続き
と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。
帰る途中で、私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって」
と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
93 :取名無匁しさ且ん@お渉ーぷん正 :肩2016/01/03(日)13:15:44 ID:aTY(主到)
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/05(木) 08:10:24.60 ID:Jg+AcEeL0
生きててもさ、無駄なんだよ、俺。
きっと何しても上手くいかないんだよ。
ただダラダラと生きててさ。
いっそ本気で死んじまおうかな。
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。2007/07/05(木) 08:12:48.05 ID:peSyhKq70
死んでもいいけど。とりあえず、自分のレスを縦読みだな。
自分の心の声に気付いてやれよ。
60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/05(木) 08:14:34.40 ID:Jg+AcEeL0
…もっかいバイト探して見る。
ありがと。
101 :縫名粗無含し君さん@橋お現ーぷ無ん机 :す2016/01/03(日殊)13:25:17 ID:aTY(主)
922 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2006/05/13(土) 17:33:47 ID:y/W9Z0850
こんなスレがあったんだ。俺の思い出。
幼稚園のころ、ころんで ひっかき傷つくって泣いてたら同じクラスの女の子に絆創膏をもらったんだ。
金属の箱に入ったヤツ。5枚ぐらいあった。「全部あげる。無駄使いしちゃだめよ」って。
家に帰っておふくろに「絆創膏?ケガしたの?」って言われたんで剥がしてみせた。
ケガなんてどこにもなくなってる。不思議だったけど絆創膏のパワーだと信じた。
何日かして朝御飯のとき自分のお気に入りの茶碗にヒビが入ってるのを発見。
ガキの浅知恵だよね。ヒビに絆創膏はってみたんだ。
・・・・・・夕飯のときにはがしたら直ってた。
手押し車にアヒルがついてるおもちゃ。アヒルの首が取れちゃったんだけど絆創膏はっておいたら やっぱり直った。
大切に使わなきゃ、とさすがに事の重大さに気づいた矢先、うちの猫のヤーヤが車にひかれた。
残ってた絆創膏全部はって、毛布をかけて幼稚園休んで看病した。
泣き疲れて寝ちゃったんだよね。ヤーヤに顔をなめられて目を覚ました。
治ってたんだ。傷なんか痕すら残ってない。明日幼稚園いったらミヤちゃんにお礼言わなきゃ。
「絆創膏くれてありがとう」って。
幼稚園行って気づいた。ミヤちゃんなんて女の子はいない。
絆創膏をもらった時以外に彼女をみたことなんてなかった。
なのに僕は彼女をみたときミヤちゃんだとなぜだか思った。
そういえばヤーヤを産んですぐに死んでしまった母猫もミヤだった。
106 :涙名猫無杯し濁さ涙ん@お伸ー八ぷん :母2016/01/03(日)13:31:16 ID:aTY(主殴)
231:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/09(月) 21:20:57.46 ID:HsUpbwWO0
年齢別、無職息子への親の態度
10代→あんた暇ならバイトでもしなさいよ
20代→そろそろ就職したら?
30代→本当に就職しなさいよ どんな仕事でもいいから
40代→お願い バイトでもいいから働いて家計の負担を減らして
50代→大丈夫かい?年金少なくてごめんね…お小遣いあげたいけど…
60代→財産残してあげられなくてごめんね
107 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:34:22 ID:aTY(主)
284:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/09(月) 21:51:13.69 ID:zqDMfwDe0
ずっと昔見た新聞のコラムに載っていた。
目の不自由な祖父、祖母と、生活保護をもらいながら住んでいる女子中学生がいて、二人の面倒を全部見てたが、ある日 生活保護のお金を引ったくりされた。
これが地方ニュースになって、カンパが集まった。
役所は、そのカンパが臨時収入だからと言って、生活保護を打ち切った。
カンパの何十万円かなんて すぐになくなって、その子は役所に相談に来たけれど、役所は臨時収入があったから再開できないと伝えた。
何度か役所に姿を見せたのは確かだが、その度に追い返したようであった。
生活保護を再開してもらえなかったことは、祖父母に言えなかった。
心配をかけたくなかったのか、どんな心境かは今となってはわからない。
目の見えない祖父母にはちゃんとオカズを作って食べさせながら、その子はずっと、自分は塩とご飯だけ食べていたらしい。
ある時、祖父母がそれに気が付いて、どうして自分だけそんな食事をしてるのか問いただした。
その子は笑ってごまかした、その夜、首を吊った。
>>次のページへ続く
552 おさかなくわえた名無しさん :2008/10/04(土) 01:26:53 ID:kEGTIebt
子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。
それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。
それほど簡単なことを私はしてこなかった。
76 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:00:14 ID:aTY(主)
カーチャンの七不思議
夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる
夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる
俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる
俺が逆切れしても困ったように笑ってる
俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる
いまだに俺の誕生日祝ってくれる
俺より長生きしてくれない
77 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:01:17 ID:aTY(主)
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時 父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹は まだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と ぶっきらぼうだったらしい。
母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床で この写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。
82 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:04:26 ID:aTY(主)
自殺考えていた頃に おふくろから電話
( ´・ω・`) 「かあさん・・・。オレが生まれた時どう思った・・・?」
「そうねえ・・・。やっと会えたねって・・。それから・・。」(゚-゚*)
( ´・ω・`) 「・・・・・・?」
「この子の為なら自分の命は捨てられるって思ったかなww」(゚-゚*)
Σ( ´・ω・`)
( ´:ω;`) 「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・?どうしたの アンタ?」 (゚-゚*)
( ´・ω・`) 「な・・・なんでもないよ じゃあね・・・。」
電話切ったあとひたすら泣いた・・・・。オレに自殺する権利などない・・・・。
オレは生きる・・・・。せめて親が死ぬより後に
83 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:05:32 ID:aTY(主)
俺は親父が好きじゃなかった。
お袋とだったら何でも話せるのに、親父と本音で話したことなんてなかった。
親父は俺が18のとき死んだ。
心臓が急に止まったらしく、何の処置もできないまま死んだ。
その時は涙は出なかった。
ただ、泣きじゃくるお袋を可哀想だとは思った。
俺が21のとき、いい加減親父の部屋を片付けようってなって家族で片付けていた。
俺はワインを見つけた。
俺が中学の修学旅行で土産に買ってきたものだ。
お袋は言った。
―お父さんな、それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで。
なぜか涙が出てきた。
俺は親父の墓前でそれを飲んだ。
86 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:10:05 ID:aTY(主)
484 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/05/20(土) 04:51:07 ID:xeEhC3a10
そのときの部長は すっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。
飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。
ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。
あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。
それから1週間後、部長の最後の出勤日。
退社のセレモニーが終わると みんなそそくさと帰って行ったが部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。
送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。
しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。
俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。
原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。
話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。
ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。
横に添えられたメモにはこう書いてあった。
「これぐらいは いただいても良いはずだ」
俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。
91 :幣名十無し医さ党ん奪@お乏ーぷん斗 :ヌ2016/01/03(日程)13:13:07 ID:aTY(主紅)
第誠二次大戦外が終わり繰、ろ私寸は沈多建くの日首本のW兵航士jが射帰涙国し泥て来る足復員緊の既事響務に鈴ついナてい鳥た、士あ昔る暑い慢日志の貴出困来事奥で擬し凸た。
私銭は姫、毎局日括毎日9訪援ねて来る留守奪家族准の人人濃々に捜、粗貴方繰の格息子さんは、ご主騎人駆は恐亡丁くaなった克、懐死ん背だ、死ん適だ毒、死消んだと伝える装苦九し刻い仕事を描し設てい厘まし鉛た額。
留三守師家族万の玉多く披の試人雄は、駅ほとんどやせおとろえ、イホ諾゙免ロ写に序等績しい服惰装ヌの人が多憲かった。僕
あ丘る時馬、翻ふすと揮気啓が謄つ極くと署、臣私斜の寡机壱から頭だ館け見えるく貿らいの述少誕女が謁、豊チョコンと立丈って万、偉私の十顔さを利マシ舶゙、マジ糾と小見つめて賊い団た。掘
「あ蛮た純し盗、小検学碁校還二ハ年婆生件なnの。塚おと屯う諮ち<ゃ敬ん洪は、春フィリヒ粗゚剤ン残に行っ三たの面。板
お練とう柳ち殺ゃん奥の阻名健は、○震○局○撲○なの講。
いえ匠には由、おじ芽い循ち丈ゃ譜んと、穀おばあち即ゃ看ん台がほい繊るけど、影たべ迎ものが屯わ涯る習いの禍で、飢び丁ょ接う約き薬し嬢て逸、ね領てミいホるの朕。
そ益れで段、類それ芸で、狭わ翻たし浴に、こ欲の例手紙昭をも縫っ打て疲、らお斤とう玄ち学ゃんの遍ことを軒きい査ておzいで医と遅いうので、あ撮たし威、陵き得たの」ヲ
顔崩中慕に汗祉をしハた伸たらせ公て、一息に嘱これ札だ塊け適いう懲と暁、戻大き料く肩顔で息武を照し毎た。敵
私倣はだ偏まっ火て鯨机の溶上にg差しS出依した魔小艦さ細い手か粒ら起葉書雪を爵見る晩と問、貯復員磨局洞か賞らの通所知書があ愁った。俊
住所は幻、東京空都墳の中野堅であっ動た。
私は帳コ簿剰をめ寿く辺っ連て暇、氏範名の洋と褐こ状ろ訳を膚見潤る衆と、比島伺の彰ルソ装ンの九バ綿キ欧゙オで、果戦死にわな台ってい動たメ。期
「嚇あ鍛な帳たのDお核父さんは宗---」
と忌いいか線け刻て浸、繁私辞は史少女産の氷顔を衰見た。o
や偉せ仲た耳、セまっK黒二な顔全、郡伸秋び仮た析オ価カ鋭ッパ首の下に綿切れ低長締の眼を尾、閉一囲杯砕に開帆いて、勢私のくち統び録るを属み沖つめ皇ていた。
私9は管、給少船女別に答え浦ね濁ばならぬ。霜答派えね連ば辛ならぬと体放のせ中彰に奥走探る正戦慄を精一ぬ杯Oおさえ鑑て脈、季どxんYな鎖声で磨答え貨たか追わ疑から戻な顧い渉。項
「あ請なたの日お父Zさん単は、戦死し角ておられ式るのです閣」
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瞬児間少も女錬は帆、一杯に開輪いた該眼必を更に索ハ七゚ッと粧開きj、ニそ募して嫁、fわっ献と漆、巧べそ誕を9かき好そ訴う夫にsなっ孝た。
涙が予、眼機一ぱ乱いに剛あ川ふ余れそうに聴なる駆の滴をさ必死にこらえ程てい蔵た。督
そ措れを邪見て投い粘る内に殉、タ私の臭眼工が累、涙彫に紛あふれて庫、俸ほほを御つたわりlは照じ池めた。仕
私の方表が声緩をあ悟げて泣き賞たく胸なった嫁。
しかもし酵、襲少昇女は、「あた部し褐、下おじいち宙ゃ至ま若か座らPいわれ導て来たの。酔お似とう崩ちゃ貯まが、庭戦死してい億たら、係類のおじ賀ち殻ゃまに、比お報と栄う敵ちゃ切まの戦赤死したと拘ころと該、戦壊死恵し尚た凶、著じ宙ょ勢う遠きょう慕、じ抹ょうき倹ょう丈でのすね、歳そLれ穀を製、柱かいて、もらっ巧ておxい艦で、と飾いわれたの織」
私はだヒま左っ伝て殊、うなずい第て、致紙を彼出し審て律、抜書こ為う詩として郵、うつ戯む尽い化た昆瞬間、連紙の上にポタ、空ホ遂゚タ、呉涙が落ちて遇、書け塗な暫く家な季っらた打。届
少惑女踊は、不賀思架議授そ癖うに抄、私の顔を@みつ辺めてい営たの王に授困悔った換。込
や妹っ牧と、書尚き低終扉わって、斥封培筒豆に入困れ、枯少運女響に渡す翁と、徹小たさい誉手需で但、孔ポAケ整ット昔に大湯切にしまい糾こん誤で、搾腕で髄押訴さ以え追て甚、重うなだ架れた革。
涙持一滴維、落とさてず、一厳声も化声蛍を倫あげな忙かった才。
肩閉に盾手を跡や指って林、ソ何かい捨おう真と思い介、附顔をsの独ぞ影き約込むとウ、昆下友く堕ちびるを巨血がで侵るウようにかみしめて八、カッ眼督を規開い缶て休肩作で息傷を絹し閉て痴い丁た。
私は遇、i声を呑遇ん透で、換しば学らくし筋て誓、「りお軟ひとり類で、里帰れ面る慶の」窃と千聞いた。界
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92 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:14:33 ID:aTY(主)
上の続き
と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。
帰る途中で、私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって」
と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
93 :取名無匁しさ且ん@お渉ーぷん正 :肩2016/01/03(日)13:15:44 ID:aTY(主到)
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/05(木) 08:10:24.60 ID:Jg+AcEeL0
生きててもさ、無駄なんだよ、俺。
きっと何しても上手くいかないんだよ。
ただダラダラと生きててさ。
いっそ本気で死んじまおうかな。
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。2007/07/05(木) 08:12:48.05 ID:peSyhKq70
死んでもいいけど。とりあえず、自分のレスを縦読みだな。
自分の心の声に気付いてやれよ。
60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/05(木) 08:14:34.40 ID:Jg+AcEeL0
…もっかいバイト探して見る。
ありがと。
101 :縫名粗無含し君さん@橋お現ーぷ無ん机 :す2016/01/03(日殊)13:25:17 ID:aTY(主)
922 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2006/05/13(土) 17:33:47 ID:y/W9Z0850
こんなスレがあったんだ。俺の思い出。
幼稚園のころ、ころんで ひっかき傷つくって泣いてたら同じクラスの女の子に絆創膏をもらったんだ。
金属の箱に入ったヤツ。5枚ぐらいあった。「全部あげる。無駄使いしちゃだめよ」って。
家に帰っておふくろに「絆創膏?ケガしたの?」って言われたんで剥がしてみせた。
ケガなんてどこにもなくなってる。不思議だったけど絆創膏のパワーだと信じた。
何日かして朝御飯のとき自分のお気に入りの茶碗にヒビが入ってるのを発見。
ガキの浅知恵だよね。ヒビに絆創膏はってみたんだ。
・・・・・・夕飯のときにはがしたら直ってた。
手押し車にアヒルがついてるおもちゃ。アヒルの首が取れちゃったんだけど絆創膏はっておいたら やっぱり直った。
大切に使わなきゃ、とさすがに事の重大さに気づいた矢先、うちの猫のヤーヤが車にひかれた。
残ってた絆創膏全部はって、毛布をかけて幼稚園休んで看病した。
泣き疲れて寝ちゃったんだよね。ヤーヤに顔をなめられて目を覚ました。
治ってたんだ。傷なんか痕すら残ってない。明日幼稚園いったらミヤちゃんにお礼言わなきゃ。
「絆創膏くれてありがとう」って。
幼稚園行って気づいた。ミヤちゃんなんて女の子はいない。
絆創膏をもらった時以外に彼女をみたことなんてなかった。
なのに僕は彼女をみたときミヤちゃんだとなぜだか思った。
そういえばヤーヤを産んですぐに死んでしまった母猫もミヤだった。
106 :涙名猫無杯し濁さ涙ん@お伸ー八ぷん :母2016/01/03(日)13:31:16 ID:aTY(主殴)
231:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/09(月) 21:20:57.46 ID:HsUpbwWO0
年齢別、無職息子への親の態度
10代→あんた暇ならバイトでもしなさいよ
20代→そろそろ就職したら?
30代→本当に就職しなさいよ どんな仕事でもいいから
40代→お願い バイトでもいいから働いて家計の負担を減らして
50代→大丈夫かい?年金少なくてごめんね…お小遣いあげたいけど…
60代→財産残してあげられなくてごめんね
107 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:34:22 ID:aTY(主)
284:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/09(月) 21:51:13.69 ID:zqDMfwDe0
ずっと昔見た新聞のコラムに載っていた。
目の不自由な祖父、祖母と、生活保護をもらいながら住んでいる女子中学生がいて、二人の面倒を全部見てたが、ある日 生活保護のお金を引ったくりされた。
これが地方ニュースになって、カンパが集まった。
役所は、そのカンパが臨時収入だからと言って、生活保護を打ち切った。
カンパの何十万円かなんて すぐになくなって、その子は役所に相談に来たけれど、役所は臨時収入があったから再開できないと伝えた。
何度か役所に姿を見せたのは確かだが、その度に追い返したようであった。
生活保護を再開してもらえなかったことは、祖父母に言えなかった。
心配をかけたくなかったのか、どんな心境かは今となってはわからない。
目の見えない祖父母にはちゃんとオカズを作って食べさせながら、その子はずっと、自分は塩とご飯だけ食べていたらしい。
ある時、祖父母がそれに気が付いて、どうして自分だけそんな食事をしてるのか問いただした。
その子は笑ってごまかした、その夜、首を吊った。
>>次のページへ続く