2chの男女恋愛に関わる 復讐話寝取られ話旅スレ に特化した話題を掲載していきます。
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6歳の娘がクリスマスにサンタに宛てた手紙を覗いてみたら
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71 :名無しさおーぷん :2016/01/03(日)12:52:04 ID:aTY(主便)
552 おさかなくわえた名無しさん :2008/10/04(土) 01:26:53 ID:kEGTIebt
子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。

それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。

それほど簡単なことを私はしてこなかった。


76 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:00:14 ID:aTY(主)
カーチャンの七不思議

夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる

夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる

俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる

俺が逆切れしても困ったように笑ってる

俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる

いまだに俺の誕生日祝ってくれる

俺より長生きしてくれない


77 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:01:17 ID:aTY(主)
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。

見た目普通の写真なんだけど、実はその時 父が難病(失念)を宣告されていて

それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。

俺と妹は まだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。

当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と ぶっきらぼうだったらしい。

母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床で この写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。

祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、

崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。





82 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:04:26 ID:aTY(主)
自殺考えていた頃に おふくろから電話

( ´・ω・`) 「かあさん・・・。オレが生まれた時どう思った・・・?」

「そうねえ・・・。やっと会えたねって・・。それから・・。」(゚-゚*)

( ´・ω・`) 「・・・・・・?」

「この子の為なら自分の命は捨てられるって思ったかなww」(゚-゚*)

Σ( ´・ω・`)

( ´:ω;`) 「・・・・・・・・・・。」

「・・・・・?どうしたの アンタ?」 (゚-゚*)

( ´・ω・`) 「な・・・なんでもないよ じゃあね・・・。」


電話切ったあとひたすら泣いた・・・・。オレに自殺する権利などない・・・・。

オレは生きる・・・・。せめて親が死ぬより後に


83 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:05:32 ID:aTY(主)
俺は親父が好きじゃなかった。

お袋とだったら何でも話せるのに、親父と本音で話したことなんてなかった。

親父は俺が18のとき死んだ。

心臓が急に止まったらしく、何の処置もできないまま死んだ。

その時は涙は出なかった。

ただ、泣きじゃくるお袋を可哀想だとは思った。

俺が21のとき、いい加減親父の部屋を片付けようってなって家族で片付けていた。

俺はワインを見つけた。

俺が中学の修学旅行で土産に買ってきたものだ。

お袋は言った。

―お父さんな、それアンタと飲むのを楽しみにしとったんやで。

なぜか涙が出てきた。

俺は親父の墓前でそれを飲んだ。


86 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:10:05 ID:aTY(主)
484 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/05/20(土) 04:51:07 ID:xeEhC3a10
そのときの部長は すっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。

飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。


ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。

あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。

それから1週間後、部長の最後の出勤日。

退社のセレモニーが終わると みんなそそくさと帰って行ったが部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。

送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。

しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。

俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。

原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。

話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。

ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。

横に添えられたメモにはこう書いてあった。

「これぐらいは いただいても良いはずだ」

俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。


91 :無し@おーぷん2016/01/03(日)13:13:07 ID:aTY(主)
二次大戦が終わりくの日本の国して来る復員務についていた、る暑い来事た。

、毎毎日ねて来る留守家族々に貴方息子さんは、ご主なった死んだ、死ん、死んだと伝えるい仕事をていまし

家族多くは、ほとんどやせおとろえ、しい服の人が多かった。

る時くとから頭だけ見えるく貿らいの女がチョコンと立って私のマジ、マジ見つめてた。

「あ、小の。おとは、フィリヒに行ったの

とうゃんは、○○なの

いえには、おじんと、おばあちるけど、たべものがいので、、ねるの

れでそれで、たしに、こ手紙をもとうゃんのことをきいておいでいうので、あたしたの」

に汗をしたらせて、一息にこれいう大きく肩で息た。

はだまっ机の上に差ししたい手か葉書見る復員らの通知書があった。

住所は、東京の中野であった。

私は帳簿をめ寿、氏名のと、比島ルソンのバ綿゙オで、戦死にってい

たの父さんは---」

いいか少女顔を見た。

まっな顔ッパの下に綿切れの眼をに開いて、私のくちるをつめていた。

に答えばならぬ。えねならぬと体戦慄を精一おさえ声で答えたかから

「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです

といって、声がつづなくなった

間少、一杯に開いたを更に゚ッと開きしてわっべそかきなった。

涙が、眼一ぱいにれそうになる必死にこらえていた。

れを見てる内に私の、涙あふれてほほをつたわりめた。

私の方が声をあげて泣きたくなった

しか女は、「あたおじいちいわれて来たの。とうちゃまが、戦死していたら、係のおじゃまに、ちゃまの戦死したところと、戦きょう、じょうきょうすね、かいて、もらっておで、といわれたの

私はだ、うなずいて、紙を出し書ことして、うつ瞬間、紙の上にポタ、゚タ、涙が落ちて、書け

は、不うに、私の顔をみつめていたのった

と、書わって、に入れ、に渡すと、さいポットに大切にしまいこんで、腕でうなだれた

一滴、落とさず、一声もあげなかった

手をって何かいおうと思い顔を込むとちびるを血がでようにかみしめて、カッ眼開いで息た。

私は声を呑で、しばらくし、「ひとりで、帰れの」聞いた。

少女はの顔をみつめて、「あし、いちゃに、われたの泣いては、いけて。

おじいちゃまから、おばあちゃら電車賃をもらって、車を教えてもったの

ゆけるね、とども、んどの」


92 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:14:33 ID:aTY(主)
上の続き

と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。

私は、体中が熱くなってしまった。

帰る途中で、私に話した。

「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって」

と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。


93 :名無しさん@おーぷん2016/01/03(日)13:15:44 ID:aTY(主)
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/05(木) 08:10:24.60 ID:Jg+AcEeL0
生きててもさ、無駄なんだよ、俺。

きっと何しても上手くいかないんだよ。

ただダラダラと生きててさ。

いっそ本気で死んじまおうかな。


58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。2007/07/05(木) 08:12:48.05 ID:peSyhKq70
死んでもいいけど。とりあえず、自分のレスを縦読みだな。

自分の心の声に気付いてやれよ。

60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/05(木) 08:14:34.40 ID:Jg+AcEeL0
…もっかいバイト探して見る。

ありがと。


101 :さん@ーぷ2016/01/03(日)13:25:17 ID:aTY(主)
922 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2006/05/13(土) 17:33:47 ID:y/W9Z0850
こんなスレがあったんだ。俺の思い出。

幼稚園のころ、ころんで ひっかき傷つくって泣いてたら同じクラスの女の子に絆創膏をもらったんだ。

金属の箱に入ったヤツ。5枚ぐらいあった。「全部あげる。無駄使いしちゃだめよ」って。

家に帰っておふくろに「絆創膏?ケガしたの?」って言われたんで剥がしてみせた。

ケガなんてどこにもなくなってる。不思議だったけど絆創膏のパワーだと信じた。

何日かして朝御飯のとき自分のお気に入りの茶碗にヒビが入ってるのを発見。

ガキの浅知恵だよね。ヒビに絆創膏はってみたんだ。

・・・・・・夕飯のときにはがしたら直ってた。

手押し車にアヒルがついてるおもちゃ。アヒルの首が取れちゃったんだけど絆創膏はっておいたら やっぱり直った。

大切に使わなきゃ、とさすがに事の重大さに気づいた矢先、うちの猫のヤーヤが車にひかれた。

残ってた絆創膏全部はって、毛布をかけて幼稚園休んで看病した。

泣き疲れて寝ちゃったんだよね。ヤーヤに顔をなめられて目を覚ました。

治ってたんだ。傷なんか痕すら残ってない。明日幼稚園いったらミヤちゃんにお礼言わなきゃ。

「絆創膏くれてありがとう」って。

幼稚園行って気づいた。ミヤちゃんなんて女の子はいない。

絆創膏をもらった時以外に彼女をみたことなんてなかった。

なのに僕は彼女をみたときミヤちゃんだとなぜだか思った。

そういえばヤーヤを産んですぐに死んでしまった母猫もミヤだった。


106 :ん@おぷん :2016/01/03(日)13:31:16 ID:aTY(主)
231:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/09(月) 21:20:57.46 ID:HsUpbwWO0
年齢別、無職息子への親の態度

10代→あんた暇ならバイトでもしなさいよ

20代→そろそろ就職したら?

30代→本当に就職しなさいよ どんな仕事でもいいから

40代→お願い バイトでもいいから働いて家計の負担を減らして

50代→大丈夫かい?年金少なくてごめんね…お小遣いあげたいけど…

60代→財産残してあげられなくてごめんね


107 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)13:34:22 ID:aTY(主)
284:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/09(月) 21:51:13.69 ID:zqDMfwDe0
ずっと昔見た新聞のコラムに載っていた。

目の不自由な祖父、祖母と、生活保護をもらいながら住んでいる女子中学生がいて、二人の面倒を全部見てたが、ある日 生活保護のお金を引ったくりされた。

これが地方ニュースになって、カンパが集まった。

役所は、そのカンパが臨時収入だからと言って、生活保護を打ち切った。

カンパの何十万円かなんて すぐになくなって、その子は役所に相談に来たけれど、役所は臨時収入があったから再開できないと伝えた。

何度か役所に姿を見せたのは確かだが、その度に追い返したようであった。

生活保護を再開してもらえなかったことは、祖父母に言えなかった。

心配をかけたくなかったのか、どんな心境かは今となってはわからない。

目の見えない祖父母にはちゃんとオカズを作って食べさせながら、その子はずっと、自分は塩とご飯だけ食べていたらしい。

ある時、祖父母がそれに気が付いて、どうして自分だけそんな食事をしてるのか問いただした。

その子は笑ってごまかした、その夜、首を吊った。




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