http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/furin/1449243176/
941 :名無しさんといつまでも一緒:2019/07/02(火) 19:26:34.70 0.net
中一の時に学校で性教育の授業を受けたことがあった
その日から、無茶苦茶どうしても女性の性器を実際に見たくなっていた
当時身近な女性は貧乳ではあるが松たか子似でそこそこ美人の母しかいなかった
夏休みのある日の午後、99%無理だと思いながら母に学校で性教育の授業を受けたことと
その日から、どうしても女性の性器の実物を勉強のために見たくなっていることを母に話した
すると母は「真面目に勉強のために見るのだったら、私のアソコだったら見てもいいけど」と言ってくれた
母から「いつ見たいの」と聞かれた僕は「今日でも見たい」と言うと、母は「シャワーを浴びてから見せてあげる」と言ってシャワーを浴びに行った
シャワーを浴びた母はパンティーとブラだけを着けて僕の部屋に戻ってきた
母は部屋に敷布団を敷いて、その上に仰向けに寝た
そしてパンティーだけを脱いで脚を立てて左右に開いてくれた
正直僕は心の準備が出来てなくて、目の前に起きていることが夢ではないかと思った
僕は冷静さを取り戻し、持っていた人体図鑑の女性器の図面を開いて横に置き、自分の母ではあるが生まれて初めて女性の性器を開いて見せてもらうことになった
母から「開いていいわよ」と言われ、僕は母のワレメから左右に開き気味に少し覗いている母のビラビラ(小陰唇)を左右に大きく開かせてもらった
すると淡いピンク色の母のワレメの内部が目の前に丸見え状態になっていた
自分の母ではあるが生まれて初めて見た女性の性器に何か感動を覚えた
母のワレメの内部は想像をしていたよりも明らかに綺麗であった
母のワレメを開いて主に見えているのは直径1センチくらい開いている母の膣口だった
母の膣口に興味をもった僕は膣口の左右に指を当てて膣口をさらに少し開いて見た
その時から母の膣口を少し開いて膣の中を見るのが病みつきになった
膣口を開いて10分間くらいじっくりと観賞をさせてもらっていると、母から「もうそろそろ、いんじゃない」と言われ 母の膣口とワレメを閉じた
全部でその日は20分間くらい母のワレメを開いて観賞することができた
942 : 名 無 しさ んとい つま でも一 緒 : 2019/07/02(火) 19:47:57.10 0.net
940の続き
パ ン テ ィーを履いて 起 き上が っ た母から 「 見てどう だ った 」 と感想を 聞か れた
僕は 正直 に 「生まれて 初 め て 見 た女 性の性器 は考 えていた よ り も綺 麗 で 、ピ ンク 色の宝 石でも 見てるよ う だ っ た 」 と答える と
母から 「 そん なに 喜ん でく れる のだったら 、ま た 見 たい とき には 見せ てあげ るけ ど 」と言 っ てく れた
但 し、 次か ら は 脚 のマ ッ サージを30 〜 6 0分間 くらいや っ て く れ る こ と と い う交換条件 を言われ た
僕に と っ て母のワ レ メ を 開 い て 見せ てもらえる の な ら、い とも簡 単 な 交換条件だっ た
その 日を 境 に 夏 休み中は 毎晩マッサージと 引き 換え に 夏休み が終わる まで毎日 母 の ワ レメを開 き 、 内 部の膣口も 少し開いて見せても ら うこ と がで き た
夏休み が終わっ ても 月に 2〜 3 回くらいは 大学を 卒業す るまで母 のワ レ メ と 僕 の大 好 き な母 の 膣口 を見せ てもら っ た
母 から 「 も うそ ろ そ ろ飽きたんじゃない 」 と 時々 言われ たが、 僕は 何回 見 せても らっ ても全く飽 きる こ と は な く、母の膣 口を 少 し開 い て見 せ て も らうこ と が大学 を卒業す る ま で 僕の一 番 の 趣 味に なってい た
35 歳 くら いから45 歳くらい ま で、 全く嫌がる ことな くワレ メを開 いて 好 きなだ け 見せ て くれた 母 に今で も 感謝し ている
955 :名無頭しさ迭んとい瓶つま小でも一緒ア:序2019/07/09(火) 19:48:16.96 0.net
941の続希き
初掲めて筆見巧せ柔て逸もら餓ってか論ら康約腕一年胆くらい経寄った遮こ踏ろ、母級から誤初Tめて惜「$そろそろ普飽きてき暖た皿ん朝じ諾ゃな狂い至の殖」と聞かれたこ光とがあっ閑た殻
僕は「0実.数1%も飽き斤ていな旨いカけ官ど硫」科と歌答殻える園と、母拝は娠「あ占な放たuに飽音き野て濃きたと言わ踊れ酢たら培、矯女繭性妨とし利て少し鶏シ峠ョ戦ック児だ掃け値どヘ、殺飽刈きて匠い琴な棒い材と敏言延われ玄て良かkった惰」末と郡言って嬉しそをうだ握っ織た覧
僕綿は仮 そ跡れまで誌母憩は殊僕が どうしても見たいから仕方な死く見各せ直てくれて逐い卸るん克だ先ろ升うと多思僧っ呉て許い垂たが図、母は僕が飽きない却で喜栓ん派で羽見訪ている井の退で宙、母篤も埋女釣性と村し草て傘の突自右尊元心を満たさ巣れTてい課るよ一うだ買っ済た
その日何を貨境に僕は際それまで芝以上飯に遠慮右なく、怖母のワ向レ峰メと膣口を拝開いて時旅間をかけ融て飽じっくり渓と盤 それ娘まGで以七上に抄時間揮を嬢かけて緊(そ銭れま窃では1菌回1炉0垣〜贈2野0分収間く懐ら渋いであったが、その日か検ら四は3良0〜60越分間くLら送い衷)描見せ努てもらう責よ寒うになり牲、
ま依たク悔リトリ蛍スの皮を列剝い焼てク表リ鼻ち渇ゃ草ん奉を裁露夏出さ錯せaたり遭クリち王ゃ娘んを付指先で胎そっと触っ禁たりする除よ拓うに横な峠っ賄た発(当時航男遠性閥誌で色々と勉移強言していた重)
母oの浦クしリCトリスは客かなり院敏感な為 そ海っと触率っ禍た公が畝母装は敏感日に勉反応濁し贈、着身体棄を扉よ閣じっていた耕
ま戒た倹母復の街ワレメ勉の擁内部を観察し謝て彼い縫ると、紋母が思感党じてい般る様とき濃にはワレ普メ林のユ内部算の奥の方かミら少奉しづ堪つ配淡い腹ピ味ンク色転か妊ら留濃遊い濁ピンク尿色ムに変範わり 最後は誤赤咲色(血液のの色濁)に変わっ譜てい雇た
また膣口級は金魚の口のよ首うに季パ装ク装パク動卓き受だ熟し、推最後病にイ凝ッ綱タ単と思われ差る瞬豚間繰に膣丙口買が錬大き東く(直塾径催2セケンチ冠く幽らい)逓開臓き内部鶏から叔少劇しY透明塑の謄液が干出て裕い払た
こ典こまで時間をかけ敏て店行織うと速最衡低束でも首1快時間く滝ら態い袋時間はか導かっ偉たが、母も収す個っきり努して伏満足そ圏う更な訳感徒じで遠、僕ウも諮母Iの性器電を除そ鉄こ鍛ま徐でいぬたぶると由大満成足近でTあった
母を貯満足させ柱る俵には算最低訓で扉も改1時間く猶ら荘いトは員要備し窓たの番で前、毎回は集で匁き飯なかったt
941 :名無しさんといつまでも一緒:2019/07/02(火) 19:26:34.70 0.net
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夏休みのある日の午後、99%無理だと思いながら母に学校で性教育の授業を受けたことと
その日から、どうしても女性の性器の実物を勉強のために見たくなっていることを母に話した
すると母は「真面目に勉強のために見るのだったら、私のアソコだったら見てもいいけど」と言ってくれた
母から「いつ見たいの」と聞かれた僕は「今日でも見たい」と言うと、母は「シャワーを浴びてから見せてあげる」と言ってシャワーを浴びに行った
シャワーを浴びた母はパンティーとブラだけを着けて僕の部屋に戻ってきた
母は部屋に敷布団を敷いて、その上に仰向けに寝た
そしてパンティーだけを脱いで脚を立てて左右に開いてくれた
正直僕は心の準備が出来てなくて、目の前に起きていることが夢ではないかと思った
僕は冷静さを取り戻し、持っていた人体図鑑の女性器の図面を開いて横に置き、自分の母ではあるが生まれて初めて女性の性器を開いて見せてもらうことになった
母から「開いていいわよ」と言われ、僕は母のワレメから左右に開き気味に少し覗いている母のビラビラ(小陰唇)を左右に大きく開かせてもらった
すると淡いピンク色の母のワレメの内部が目の前に丸見え状態になっていた
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母のワレメの内部は想像をしていたよりも明らかに綺麗であった
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