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すごく大切な幼馴染の女の子との話
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394 :4RR:2006/02/14(火) 00:24:51 ID:AB+aoljb
ちょっ・・オマ・・それっ・・・・・・

ウワァ━━━。(゚ノД`゚)゚。━━━━!!!

ちょくらくるYO

--------------------


399 :774RR:2006/02/14(火) 00:51:38 ID:BfU6AN/c
筋萎縮性側索硬化症の予後は きわめて不良で治療はなく5年以内に…ウワァァ━━━━━。゚(゚ノД`゚)゚。━━━━━ン!!!


400 :774RR:2006/02/14(火) 00:58:33 ID:5OKsvdso
さちは十分すぎるほど幸せだったと思うよ


401 :774RR:2006/02/14(火) 01:06:12 ID:+4DPr3FI
もまいらもちつけ。

>>281の気持ちを考えろ。

漏れたちが泣くのは>>281が語り終えてからでいいはずだ。

今は、こらえろ。





403 :774RR:2006/02/14(火) 01:09:49 ID:Jy2qR2bz
分かった、落ち着こう。。。

だから早く語ってくれ!!!!

気になりすぎて

明日提出の卒業レポート20枚が

1枚も書けてねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ

ウワァァ━━━━━。゚(゚ノД`゚)゚。━━━━━ン!!!


404 :774RR:2006/02/14(火) 01:14:10 ID:SOHJ6o40
>>403
それは・・・。違うだろw

静かに待ちましょう。感想などは明日で。


407 :774RR:2006/02/14(火) 01:41:54 ID:BNRC+wfh
>>403
明日涙する為に、今夜は死ぬ気でレポートをやれ。いいか、絶対にサボるなよ。


405 :774RR:2006/02/14(火) 01:16:23 ID:dYH/2mhV
辛い思い出よりも楽しかった思い出が、これからも281氏を支えてくれる。

忘れる、忘れない。引きずる、引きずらない。

そういう事じゃないことに気付く日がいつか来る。

その日まで、がんばって。


412 :774RR:2006/02/14(火) 09:32:00 ID:ldSIAE4U
気の物理学者ホーキング40年以上生存ている

一生をともにするこ可能ではないだろか。

--------------------


432 :281:2006/02/14(火) 23:07:21 ID:mpGRjUrJ
>>392の続き

その後 俺は三流大学に進学し さちも家から交通の便がよい近い大学、まあ同じ大学ですが進学した

そうはいっても電車で1時間くらいかかるが

さちは大学入学時は そんなに病気は表にでていなかったがさちのとるノートに書かれた字は昔の丸くてかわいい字ではなく少しふらつく感じの字だった

俺の下手な字に似ていた


まだ運動も問題ないとは言わないが できたし一緒に毎日通っていた

しかし運動は控えていたし原付にも乗らなかった

当然SRにも乗せなかった

大学は1年のときは必修にスポーツがあり 少し心配だったが卓球ならそんなに激しく動かなくてもいいので一緒にやった

さちは週1回通院していて なんかの薬?をもらっていた

リハビリもしてできるだけ筋力をつけるらしい

俺にはこの頃 さちがなんで頑張れるのか疑問だった

俺なら どうせ近いうちに死ぬからと考えて何もしなかったと思う

さちと同じ境遇になったら どんなに辛いだろう

逃げ出したくても逃げ道もない

俺の頭はこの頃 空っぽとゆーかボーっとすることが多くなった



439 :281:2006/02/14(火) 23:25:54 ID:mpGRjUrJ
医者に言われたこと

普通に生活できるのは個人差が大きいが平均5年

いつかは寝たきりになり呼吸不全

さちに違和感をもったのが高校2年の終わりくらいだが もしかしたらあの階段から落ちたときも・・・

もしそうなら発症は16歳のときにはしていた・・(まだ17歳ではなかったから)

つまり だいたい22歳前後、大学卒業くらいに重なる

でも 今のさちを見ると 進行遅いのでは?と思えた

まだ元気だったし大学は一緒だったから一緒の時間も かなり多かった

でも病気は確実に進行していて むしろ医者から見れば速かったらしい

表面上はよくても細かな作業は日に日に安定してできなくなった

俺は字が少し変わったくらいにしか考えていなかったが それがどれくらい日常と異なることか楽天的すぎた

この頃やることが限られていたので よくカラオケにいった

さちはZONEのライブの後さらにZONEを中毒のように好きになっていた

俺もいい曲だなーと思ったが それ以上好きなバンドが山ほどあった

この頃が一番思い出少ないです

一緒にいるだけでやることなかったし最初の夏休みは普通免許をとるべく車校にいったので あまりさちとも会えなかった




437 :774RR:2006/02/14(火) 23:23:33 ID:H39w2Qa6
>>281氏
今からでも遅くいかトリつけれ


440 :281:2006/02/14(火) 23:36:16 ID:mpGRjUrJ
>>437トリップとは?

すいません世間知らずです

【水】とかも読めません・・・orz

すいません


夏休みが終わり、冬が近づいてから さちが大学にあまり来なくなった

理由はわかっていたから あえて聞こうとは思わなかったが さちの友達にはどうしているのか聞かれた

俺は正直、さちのことを話していいのかわからなかった

体がもともと弱い・・・そういってきたから今更話すのも・・・

さちのことは さちが決めること

あいつが友達に言ってないなら俺が言うべきではない

そう思った


そのまま大学生活が続いたが さちとの距離が高校より近づいたはずなのに 俺はあまり楽しくなかった

やる気・・・気力がなかった

人生って少しのことで狂って変わってしまう

さっきまで宝物だったものが今ではゴミ

そんな感覚だった



456 :281:2006/02/15(水) 00:10:46 ID:RATG35ao
さちは2年になって すぐ大学を中退した

車椅子を使うことが多くなり通学が困難になったからだ

デートするときは俺が押して歩いたが さちとの距離感を感じた

車椅子は後ろから押す

さちは話しもしづらくなってきて声もあまり大きくない

もともと大きな声ではないため後ろの俺は聞き取りにくかった


俺が大学4年に上がって すぐさちは入院することになった

こうなることは わかっていた

きっと俺はつらくて泣くだろうと思っていた

でも頭がぼーっとして無気力なだけだった

さちとの距離感がきっとそうしたのだ



466 :281:2006/02/15(水) 00:27:05 ID:RATG35ao
入院したときは もうほとんど歩けなかった

俺は さちのお見舞いに頻繁にいった

さちはケータイのメールをうてなくなった

そして話も すごくぎこちない

筋肉が衰えると顔もすこし変わる

俺はお見舞いのときは いつも甘いものを持っていったが入院してから数ヵ月後にりんごをもっていったとき「ごめん、たべれないんだ・・・」といわれた

物を飲み込むことが困難になってきていたためだ

今までも水気の多いものばかりだったが時々むせていた

さちの元気はあまりなかった

俺はその時「そんなのは当然だよね、死んじゃうんだもんね」

そんな考え方をするようになった

なんか すべてがどうでもよかった


帰り際によくさちをみてくれる看護師さんにあった

看「さちさんにリンゴもってきたんだ、リンゴはね、すり潰してジュースにしてあげると飲み込みやすくていいよ、さちさん最近すごく げんきがないから・・・君がそんな顔してちゃダメだよ」

その時気づいた

病気と戦うさちは逃げなかったのに俺は さちから逃げていた

距離をおいていたのは俺の方で すべて病気のせいにしていただけ

俺はすぐ家に帰っておろし金?でリンゴをすった

それを器にいれ氷を少しいれる

スプーンをつけて すぐまた病院に行った



467 :774RR:2006/02/15(水) 00:29:34 ID:vyvuM5gP
ちくしょう…画面がよく見えねえ…

>>281、辛いだろうが最後まで頑張って書いてくれ。応援してる


471 :281:2006/02/15(水) 00:44:29 ID:RATG35ao
病院はSRぶっとばして1時間以上かかる

それでも気にならなかった

少しでもはやく さちに届けたかったし謝りたかった

病院について さちの病室に行く

さちは俺がきたとき驚いた

俺は泣きそうだったが めいっぱいの笑顔でさちにリンゴジュースを渡した

さちへの想いは昔と同じで何も変わっていない

そう心から感じた


それからは さちに少しでもおいしいものをあれこれ工夫して届けた

俺は大学を卒業して家から車で40分くらいかかる自動車部品の工場に就職した

まあ今も続けてますが


さちはもうモノを喉を通らなくなっていた

管を通して体に運ぶ

首もコルセット?がまかれ医療器具が体中についていた

もう俺のことも見えていないかもしれない

話すこともできない

それでも俺は会社が休みのときは病院にいった

耳は聞こえているはず・・・音楽を届けた

花も感じられるかもしれない・・・


さちは俺が出張で中国の支社にいっているときに死んだ

だから俺は さちの葬式には参列できなかった

最近さちのお母さんから家にきてほしいと連絡をもらった

会社がはやく終わった日、さちの家に行った




>>次のページへ続く





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