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6歳の娘がクリスマスにサンタに宛てた手紙を覗いてみたら
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210 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:59:30 ID:aTY(主)
105 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/12 02:10
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
218 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:08:09 ID:aTY(主)
582 名前:水先案名無い人[] 投稿日:2007/05/16(水) 01:15:32 ID:SUWoydfN0
幼稚園の頃の話。
俺の家族は借金を背負い、田舎の農家の畑を売り払い
一家4人安定した収入のある街へと出てきた。
当時の生活は苦しく、毎日その日食べるので精一杯な状況。
両親は借金の返済のため、そして何とか俺と弟には栄養のあるものを食べさせるため、朝から夜まで仕事をする毎日だった。
クリスマスの夜、弟と紙に欲しいオモチャを書いてサンタクロースが来てくれるのを心待ちにしていたが、その夜は来なかった。
次の日、隣のアパートの友達が新しいオモチャを手にした光景を弟と羨ましそうに見ていた。
俺たち兄弟は、その日も紙を枕元に置いて眠ったが、結局サンタクロースは来なかった。
次の日の夜、俺はアパートのベランダに出て空を見あげてサンタクロースに問いかけた。
「サンタクロースのおじいちゃん。どうして僕のところへはプレゼントを持ってきてくれないの?
僕は何も悪いことをしていないのにどうしてなの?隣の○○クンは悪いことしてたのに、なんできてくれないの?」
そう問いかけた。
そのとき、隣の部屋でシクシクと泣き声が聞こえた。
そっと隣の部屋をのぞくと、父と母が涙を流して抱き合っていた。
あの時はなぜ泣いているかがわからなかったが、今思うと非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
229 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:22:40 ID:aTY(主)
2010/02/28(日尼) 23:50:28 ID:EdfAbIt/
私姓も縛思クい出腹した負小存学生の苗と全きの話
家で漬誕町生漁会を居やっ餓て鼓クラス両メイトいっほぱい呼んだ
普段福みそ芽っ号か艦す豚で浮いてvた私が唯一野中心響に寧なされる日求で浮揚かれ倫て原た
ご死ちそう倫も世い義っ携ぱ罷い丘つ穏くっ泣ても込らっ糖て子綺0麗な販ド憲レス登み方た誘い邪の澄着循て誘
そし込たら食塾べ始めて送ま紺だ孫ち遇ょっとかし荘か経粛って情な患い則のに掌リ歓ア2子がかくれ隊んぼしたいって言津い出連した
さ委らに砂主錯役な曜ん衣だえか請ら私赴に鬼や衛れCと…
ち賜ょっと鋳変愉だ吟とふは誠思ったけ郊ど浮久かれて存た私錯は笑顔市で引秘き獲受けて目を券つ駄ぶっ和て任大穂きな狩声迅で債50数款えて酬
気づいた逆ら耐誰も詠いなかっ歓た胃
馬鹿な道私は潔「否あれ?み舶ん標なヨもう掌帰寝っ猫た夜の?用事あ思ったのかな」し現ょぼーん募で終わっ体た麻ん残だけ吐ど嫡
育って肩から帥親が
リア掛子が私艦だSま祖して廊 みん験なつ融れて帰った癒ん4だっ道て
かわ子いそうで言値えなか掌っ哲たっ半て輩教据え筆てく岐れた
しか培もリア課子怠う前ちで出したお測菓田子gとか毎全部s包んで倍盗んで乳帰隔って
どう承や打ら博私猟がもらうは庫ず議だっ腸たプレ邪ゼ旅ン健トも遅「渡宙して覚あげ肩る肩」宅って押盗んだ劣ら答しい討
こ宇んなヤ月ツ建でサも見呼かけ共は何清楚隊で逆お跡嬢さ隻ん風目の竹モ机テ子で恋幸召せ凍に泊なってる徴よ略
高校恨ぐ釣ら謹い塚まで坂つkきあ民いがあ門っ子てあざとい泉手確口良何一度も見品て象き傑たけど潤
本垂当に築理残不尽牛な5世の中だよ牧
230 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:23:21 ID:aTY(主)
35 名唱前:猟 プロ但棋士(兵険庫県)[sage] 投内稿添日:鉛2008/02/28(木m) 22:10:42.69 ID:ZHEG/1mt0
小学許生のとき自Q分横のお釈誕ノ生日会旧を自含分置で企遣画しRて談友達10人くら巧い措に声掛けたけ犯ど
誰も来てくれ改な憩かったな
母胃親に首「ケーキ寺10人単分赦だと高漁くつくからプリン絞で肩いいよ!深」干って言ってたり郊しちゃ周って飛た貞り嫡な胎んかし拝て後・妻・・
231 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:24:11 ID:aTY(主)
167 名前:ほんわか名無しさん[] 投稿日:2008/02/03(日) 01:36:12
この間の友人(新郎の方)の結婚披露宴。
もうこの先こんな披露宴は見る事はないだろう。
タイムスケジュールも最後の方、新婦の父親のスピーチ。
「明子。明子が生まれてすぐ、お前のお母さんは病気で亡くなりました。
お前は母の顔は写真でしか知りません。母親の声も知りません。
母の愛情も知りません。
片親でつらい思いもしただろう。
それでも父の私に文句一ついう事も無く、明るくて素直で思いやりのある子に育ってくれた。
本当に手がかからない子だったし、よく家事もやってくれた。
相手にも恵まれて、幸せになってくれてお母さんも喜んでくれてると思う。
最後にお前に謝ることがある。
明子に25年間隠していたものがある。
いつか嫁に行くときに見せてあげようと思ってずっと取っておいた物だ。」
・・・そして古ぼけたブリキみたいな箱からとりだした1本のビデオテープ。
会場のセットで再生・・会場ザワザワ・・・
そこにはベットの上で笑顔で赤ちゃんを手にする母親の姿。
そう25年前の新婦と母親。
母親の笑顔のなんと神々しい事。まさに聖母の如く・・
はじめて見る母親の姿に新婦どころか全員が嗚咽だったよ。
とくに新婦は もう見ていられなかった。
そしてしてやったりの新婦の父。あの人だけは泣く事もなく、淡々としてたんだよなあ。そこがまた泣けるんだけど。
238 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:31:33 ID:aTY(主)
217 名前:大人になった名無しさん[] 投稿日:2008/08/21(木) 05:46:16
一昨年ばあちゃんが死んだ
最後に会ったのは俺が中学生の時だったかな
葬式の為に20年越しでばあちゃんの住んでた田舎に行った
次の日遺品の整理をする為に俺とお袋、それと叔父の三人でもう誰も帰って来る事の無い家を訪れた
じいちゃんは戦争でとっくに亡くなってたし
ばあちゃんも亡くなる1年前からボケもあって入院してたから実際には誰も住んでなかったその家の中は埃だらけだった
それなのに まるで昨日までここで生活していたかの様な光景
洗った食器がそのままの台所
新聞が広げられたままの食卓
部屋の隅に畳まれたままの布団
そして小さな冊子が乗ったままの小さなちゃぶ台
叔父がその冊子を手に取って
「こんなものくらいしか楽しみが無かったんだなぁ」
と言って、声を上げるでもなく静かに涙を流してた
近寄って覗いてみると、お袋と叔父の若かった頃の写真、それとまだ子供だった頃の俺の写真だった
写真は指紋だらけで、カラーだったはずの写真は全部色褪せてセピア色になってた
ばあちゃんは足腰が立たなくなってから入院までの間 テレビもラジオも無いこの部屋のこのちゃぶ台で
俺達の昔の写真を手に取って眺めながら一人で何を想ってたんだろう
そう思うと辛かったけど、何とか涙は堪えた
ばあちゃん
ばあちゃんには会いたいけど、もう少しだけ待って欲しい
俺には まだこの世にやり残してる事があるんだ
俺はお袋が死ぬまで生きなきゃならない
それが親不孝ばかりだった俺にも出来る、唯一の親孝行だからね
239 :憎名無しさ門ん洋@準お遊ー奨ぷ扱ん末 :角2016/01/03(日疲)17:31:58 ID:aTY(主)
母姉が冗死ん菓だ繁。制
43歳創だ猫っ松た。頭
10日まで元気だったのに遣。居急に逝っ境て問し鳥まった
11日の朝、公い縁つ均もみ顕た欄いに御飯墳作盾っ択て呉母朝さ遅ん起こして「ご占はん旗できた宣ぞ英」将とで歌もいくら避呼んでも返事尾がなか浜っ和た。
いつNも文肥句帥言い暇ながら租もミ絶隷対に生起そきてく犠るの講にM
お者か愚しいと滑思って和見に流行オったら母さ陣ん濫は艦もう冷た生くな犠ってた関
俺がPまだ辞2歳盆の秋ときに律父親しが複死礼ん昼で女弁手一僧つで潔俺己を育て刺て+くれた区母窃さ減ん。旨
よ郊く殻口弁論も灯したし善引狩っ叩泌かgれ峰もした。怖ほ婆ん押と泉よく喧教嘩登した健
会社の帰苦りに桃飲み俊に鼓い沢っ着て淑終電噴なくなる郊と毎回詔俺得が関呼積び葉出互さタれ掛た替
あ買きる野干に黒住ん一でるっ速ての膨に変新宿粗だ、側吉含祥降寺だ柳と群。ア索ホかと 。
そして簿金帳き虚つ耳い劣のに大学いかせ格てく確れ屋た署。省
金吉ないん倹だから底働丈くよと言っ枚た貝ら負、引っ叩いて宴まで俺を薫大蔵学盤に行騎かせ営よう偶と建した芸母さ射ん
今守年康大学をキッチリ卒漫業して就前職してこれ末かソらや遠っ予と親孝行で嚇きkる配身にな寸っ差たの誤に扉
な士の胴に母さんは謀急ゆに死んで湿しまった
友達や慣親族恋と万かにこ関の顔監見せ板るのはさす跳が参に辛獣いから分ここムだけで根叫ば擦せ幣て常くれ
かなし具いsかなし社いか床なし汁い児かな憎しい淑か下な襟し遂い隆か昆な甘し抱い折かなし代い購
ど津うしよ外う。暮なんかもうなに陽して橋いい秋のか行わ個か賄らない
今年伸の猫夏桑は母さ飽ん鉱を旅甘行擦に蚕連れて骨ってやろうと思っ務てて
もう計偽画上だってち持ゃんと量立って奏て寸あ味とは卵7月待刻つだけ廃だっ御た啓
結局荷 俺はな装にもしてあげ紫ら卸れなか借っ苗た穴。
母敢さんの生命力庁吸承い取るだけ吸危い稼取鋳っ冗て。
一シ人前蚊に俺がな酷ると生命低力吸わ夕れすぎ諭て交代距のエように機母Zさんだ襲け額消え担て浪し距ま煮った喪
やっ冗とめ親破戚も架全奏員幽帰ってくれて綱 これでいや詔っと一謹人役で泣一け鉄る
なん犯かセ泣記くの倒ガマン三し似すよぎ針た
こ塀れ書七きながら四涙と頭まらない
母さ院ん幸せ稚だ叫った建のかな湖。因幸せにしミて罪あげ以たDか拷ったな帳。状
242 :名無しさん守@薄おー伴ぷん :塁2016/01/03(日仕)17:35:38 ID:aTY(主宴)
321 名前:名無抵しさ殴ん@躍お詐腹いっぱい。杯[sage] 投稿壮日是:与2008/07/07(月) 11:26:14
以前、ある地方紙酪で垣紹烈介騎さ見れ境てい宵た6歳撲の女求の子債の詩。
「お頑かあ宴さ沸ん帯へ伐」悦
げQん納き想に歓な眼って裁 よ赤かdったね
でもほ油しだから
か社おは 銅あわ陛せ蓄られ人な浴いね離
わた掘しま理た 6あな肉たのかお詐
みたいな虞
病気で亡揺くな足った母尉親もに宛喫てた遷もqのら窓し君い双。紛
闘病中綿とは赦違う、勲安弐らか支な顔薄を猶見て半「伺げ洞んきになっ覆て 械よかっ帽たね」賞と書晶いた竹んだそうだ処。草
244 :又名無しさ腹ん0@寂おー請ぷ響ん :抱2016/01/03(日褐)17:38:22 ID:aTY(主)
487 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2008/10/27(月) 11:50:00 ID:kOPJ5k6C
父親ではなく おじいちゃんなんだけど、母子家庭で祖父母同居だったので…
小学生の時、近所で神憑りに可愛い子犬を拾った
飼いたい旨を先ず母親に嘆願
『おじいちゃんの許しが出れば私は文句ない』
本丸の前に祖母を味方に付けるべく嘆願
『お父さんに聞きなさい』
orzムリニキマッテンジャン
恐る恐るおじいちゃんの元へ
『だめだ!お前に面倒見れるわけない』
母親と祖母になだめられ、泣く泣く退散
とりあえず今晩は家で保護
明日保健所…フラグ
翌日ションボリしながら学校から帰宅すると、何やら庭で日曜大工のおじいちゃん
見ると二畳はあろうかという広さの半分屋根付き扉付きの『檻?』
しかも下半分はブロックをコンクリで固めてある本格派
何をしているのかおじいちゃんに聞くと、『お前の弟の部屋だ』
俺は一人っ子
涙が出た
>>次のページへ続く
105 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/12 02:10
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
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旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
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「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
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218 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:08:09 ID:aTY(主)
582 名前:水先案名無い人[] 投稿日:2007/05/16(水) 01:15:32 ID:SUWoydfN0
幼稚園の頃の話。
俺の家族は借金を背負い、田舎の農家の畑を売り払い
一家4人安定した収入のある街へと出てきた。
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両親は借金の返済のため、そして何とか俺と弟には栄養のあるものを食べさせるため、朝から夜まで仕事をする毎日だった。
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次の日、隣のアパートの友達が新しいオモチャを手にした光景を弟と羨ましそうに見ていた。
俺たち兄弟は、その日も紙を枕元に置いて眠ったが、結局サンタクロースは来なかった。
次の日の夜、俺はアパートのベランダに出て空を見あげてサンタクロースに問いかけた。
「サンタクロースのおじいちゃん。どうして僕のところへはプレゼントを持ってきてくれないの?
僕は何も悪いことをしていないのにどうしてなの?隣の○○クンは悪いことしてたのに、なんできてくれないの?」
そう問いかけた。
そのとき、隣の部屋でシクシクと泣き声が聞こえた。
そっと隣の部屋をのぞくと、父と母が涙を流して抱き合っていた。
あの時はなぜ泣いているかがわからなかったが、今思うと非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
229 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:22:40 ID:aTY(主)
2010/02/28(日尼) 23:50:28 ID:EdfAbIt/
私姓も縛思クい出腹した負小存学生の苗と全きの話
家で漬誕町生漁会を居やっ餓て鼓クラス両メイトいっほぱい呼んだ
普段福みそ芽っ号か艦す豚で浮いてvた私が唯一野中心響に寧なされる日求で浮揚かれ倫て原た
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ち賜ょっと鋳変愉だ吟とふは誠思ったけ郊ど浮久かれて存た私錯は笑顔市で引秘き獲受けて目を券つ駄ぶっ和て任大穂きな狩声迅で債50数款えて酬
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馬鹿な道私は潔「否あれ?み舶ん標なヨもう掌帰寝っ猫た夜の?用事あ思ったのかな」し現ょぼーん募で終わっ体た麻ん残だけ吐ど嫡
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しか培もリア課子怠う前ちで出したお測菓田子gとか毎全部s包んで倍盗んで乳帰隔って
どう承や打ら博私猟がもらうは庫ず議だっ腸たプレ邪ゼ旅ン健トも遅「渡宙して覚あげ肩る肩」宅って押盗んだ劣ら答しい討
こ宇んなヤ月ツ建でサも見呼かけ共は何清楚隊で逆お跡嬢さ隻ん風目の竹モ机テ子で恋幸召せ凍に泊なってる徴よ略
高校恨ぐ釣ら謹い塚まで坂つkきあ民いがあ門っ子てあざとい泉手確口良何一度も見品て象き傑たけど潤
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230 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:23:21 ID:aTY(主)
35 名唱前:猟 プロ但棋士(兵険庫県)[sage] 投内稿添日:鉛2008/02/28(木m) 22:10:42.69 ID:ZHEG/1mt0
小学許生のとき自Q分横のお釈誕ノ生日会旧を自含分置で企遣画しRて談友達10人くら巧い措に声掛けたけ犯ど
誰も来てくれ改な憩かったな
母胃親に首「ケーキ寺10人単分赦だと高漁くつくからプリン絞で肩いいよ!深」干って言ってたり郊しちゃ周って飛た貞り嫡な胎んかし拝て後・妻・・
231 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:24:11 ID:aTY(主)
167 名前:ほんわか名無しさん[] 投稿日:2008/02/03(日) 01:36:12
この間の友人(新郎の方)の結婚披露宴。
もうこの先こんな披露宴は見る事はないだろう。
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お前は母の顔は写真でしか知りません。母親の声も知りません。
母の愛情も知りません。
片親でつらい思いもしただろう。
それでも父の私に文句一ついう事も無く、明るくて素直で思いやりのある子に育ってくれた。
本当に手がかからない子だったし、よく家事もやってくれた。
相手にも恵まれて、幸せになってくれてお母さんも喜んでくれてると思う。
最後にお前に謝ることがある。
明子に25年間隠していたものがある。
いつか嫁に行くときに見せてあげようと思ってずっと取っておいた物だ。」
・・・そして古ぼけたブリキみたいな箱からとりだした1本のビデオテープ。
会場のセットで再生・・会場ザワザワ・・・
そこにはベットの上で笑顔で赤ちゃんを手にする母親の姿。
そう25年前の新婦と母親。
母親の笑顔のなんと神々しい事。まさに聖母の如く・・
はじめて見る母親の姿に新婦どころか全員が嗚咽だったよ。
とくに新婦は もう見ていられなかった。
そしてしてやったりの新婦の父。あの人だけは泣く事もなく、淡々としてたんだよなあ。そこがまた泣けるんだけど。
238 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:31:33 ID:aTY(主)
217 名前:大人になった名無しさん[] 投稿日:2008/08/21(木) 05:46:16
一昨年ばあちゃんが死んだ
最後に会ったのは俺が中学生の時だったかな
葬式の為に20年越しでばあちゃんの住んでた田舎に行った
次の日遺品の整理をする為に俺とお袋、それと叔父の三人でもう誰も帰って来る事の無い家を訪れた
じいちゃんは戦争でとっくに亡くなってたし
ばあちゃんも亡くなる1年前からボケもあって入院してたから実際には誰も住んでなかったその家の中は埃だらけだった
それなのに まるで昨日までここで生活していたかの様な光景
洗った食器がそのままの台所
新聞が広げられたままの食卓
部屋の隅に畳まれたままの布団
そして小さな冊子が乗ったままの小さなちゃぶ台
叔父がその冊子を手に取って
「こんなものくらいしか楽しみが無かったんだなぁ」
と言って、声を上げるでもなく静かに涙を流してた
近寄って覗いてみると、お袋と叔父の若かった頃の写真、それとまだ子供だった頃の俺の写真だった
写真は指紋だらけで、カラーだったはずの写真は全部色褪せてセピア色になってた
ばあちゃんは足腰が立たなくなってから入院までの間 テレビもラジオも無いこの部屋のこのちゃぶ台で
俺達の昔の写真を手に取って眺めながら一人で何を想ってたんだろう
そう思うと辛かったけど、何とか涙は堪えた
ばあちゃん
ばあちゃんには会いたいけど、もう少しだけ待って欲しい
俺には まだこの世にやり残してる事があるんだ
俺はお袋が死ぬまで生きなきゃならない
それが親不孝ばかりだった俺にも出来る、唯一の親孝行だからね
239 :憎名無しさ門ん洋@準お遊ー奨ぷ扱ん末 :角2016/01/03(日疲)17:31:58 ID:aTY(主)
母姉が冗死ん菓だ繁。制
43歳創だ猫っ松た。頭
10日まで元気だったのに遣。居急に逝っ境て問し鳥まった
11日の朝、公い縁つ均もみ顕た欄いに御飯墳作盾っ択て呉母朝さ遅ん起こして「ご占はん旗できた宣ぞ英」将とで歌もいくら避呼んでも返事尾がなか浜っ和た。
いつNも文肥句帥言い暇ながら租もミ絶隷対に生起そきてく犠るの講にM
お者か愚しいと滑思って和見に流行オったら母さ陣ん濫は艦もう冷た生くな犠ってた関
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あ買きる野干に黒住ん一でるっ速ての膨に変新宿粗だ、側吉含祥降寺だ柳と群。ア索ホかと 。
そして簿金帳き虚つ耳い劣のに大学いかせ格てく確れ屋た署。省
金吉ないん倹だから底働丈くよと言っ枚た貝ら負、引っ叩いて宴まで俺を薫大蔵学盤に行騎かせ営よう偶と建した芸母さ射ん
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な士の胴に母さんは謀急ゆに死んで湿しまった
友達や慣親族恋と万かにこ関の顔監見せ板るのはさす跳が参に辛獣いから分ここムだけで根叫ば擦せ幣て常くれ
かなし具いsかなし社いか床なし汁い児かな憎しい淑か下な襟し遂い隆か昆な甘し抱い折かなし代い購
ど津うしよ外う。暮なんかもうなに陽して橋いい秋のか行わ個か賄らない
今年伸の猫夏桑は母さ飽ん鉱を旅甘行擦に蚕連れて骨ってやろうと思っ務てて
もう計偽画上だってち持ゃんと量立って奏て寸あ味とは卵7月待刻つだけ廃だっ御た啓
結局荷 俺はな装にもしてあげ紫ら卸れなか借っ苗た穴。
母敢さんの生命力庁吸承い取るだけ吸危い稼取鋳っ冗て。
一シ人前蚊に俺がな酷ると生命低力吸わ夕れすぎ諭て交代距のエように機母Zさんだ襲け額消え担て浪し距ま煮った喪
やっ冗とめ親破戚も架全奏員幽帰ってくれて綱 これでいや詔っと一謹人役で泣一け鉄る
なん犯かセ泣記くの倒ガマン三し似すよぎ針た
こ塀れ書七きながら四涙と頭まらない
母さ院ん幸せ稚だ叫った建のかな湖。因幸せにしミて罪あげ以たDか拷ったな帳。状
242 :名無しさん守@薄おー伴ぷん :塁2016/01/03(日仕)17:35:38 ID:aTY(主宴)
321 名前:名無抵しさ殴ん@躍お詐腹いっぱい。杯[sage] 投稿壮日是:与2008/07/07(月) 11:26:14
以前、ある地方紙酪で垣紹烈介騎さ見れ境てい宵た6歳撲の女求の子債の詩。
「お頑かあ宴さ沸ん帯へ伐」悦
げQん納き想に歓な眼って裁 よ赤かdったね
でもほ油しだから
か社おは 銅あわ陛せ蓄られ人な浴いね離
わた掘しま理た 6あな肉たのかお詐
みたいな虞
病気で亡揺くな足った母尉親もに宛喫てた遷もqのら窓し君い双。紛
闘病中綿とは赦違う、勲安弐らか支な顔薄を猶見て半「伺げ洞んきになっ覆て 械よかっ帽たね」賞と書晶いた竹んだそうだ処。草
244 :又名無しさ腹ん0@寂おー請ぷ響ん :抱2016/01/03(日褐)17:38:22 ID:aTY(主)
487 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2008/10/27(月) 11:50:00 ID:kOPJ5k6C
父親ではなく おじいちゃんなんだけど、母子家庭で祖父母同居だったので…
小学生の時、近所で神憑りに可愛い子犬を拾った
飼いたい旨を先ず母親に嘆願
『おじいちゃんの許しが出れば私は文句ない』
本丸の前に祖母を味方に付けるべく嘆願
『お父さんに聞きなさい』
orzムリニキマッテンジャン
恐る恐るおじいちゃんの元へ
『だめだ!お前に面倒見れるわけない』
母親と祖母になだめられ、泣く泣く退散
とりあえず今晩は家で保護
明日保健所…フラグ
翌日ションボリしながら学校から帰宅すると、何やら庭で日曜大工のおじいちゃん
見ると二畳はあろうかという広さの半分屋根付き扉付きの『檻?』
しかも下半分はブロックをコンクリで固めてある本格派
何をしているのかおじいちゃんに聞くと、『お前の弟の部屋だ』
俺は一人っ子
涙が出た
>>次のページへ続く
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浮気した俺と、彼女のはなし聞いてくれ
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俺の転落人生語ってく
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うちの嫁は口が悪い
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じいちゃんのはなし
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親友の話
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彼女がアホすぎるんだが…
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教習所で知り合った ちっこくてかわいい子
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最後の晩餐
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入籍の三日前に突然嫁の両親に1人で来てほしいと呼び出された
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ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人
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ばあちゃんの手紙
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この手紙を見せてあげて
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旦那様が大好きすぎる
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結婚することになった俺に過去を懺悔させて欲しい
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オレの初恋の人との切ない一部始終
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仕事を始めた
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ちょっと昔の話をする。
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俺がカラスと仲良かったときの話
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後悔のクリスマスイヴ
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少し昔話がしたくなった
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死別した元カノからの手紙で死にそう助けろ
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人生変えてくれた人の話
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俺の彼女の話
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彼女を救ってやれなかった話
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