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伝説の風俗島
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「なぁ、風俗島って知ってるか?」
声のトーンを落としながら、マコトが そんなことを口走った五限の前の予鈴の八秒後。
教室は六月の熱気で生暖かく、僕たちは十三歳で、どうしようもなく中一だった。
「橋本の上の兄ちゃんが高三だろ? その兄ちゃんの同級生が聞いた話らしいんだけどさ」
そんな又聞きの又聞きのような噂話は、とても簡潔だった。
学校から自転車で五分で行ける瀬戸内海、その向こうに風俗島がある。
骨子はそれだけだ。確かなことはそれだけだ。
それ以上のことなど誰も知らない。当然だ。僕らは中一なんだから。
そして それ以上のことなど確かめようもなく、それは当然のように、マコトと僕の間で脳内補完されていった。
中一のうちにしなきゃいけないことなんて、せいぜいそんなことだけだ。
次の日、野球部の朝練を終えたマコトは坊主頭に汗を光らせながら、窓から二列目の一番後ろ、自分の席に座る僕のそばへやってきた。
マコトの席は窓際最後列。クラスは女子十五人、男子十九人で、どうしても どこかは男子男子で並ばないと数が合わない。
小学校の時から好きだった石塚さんは、廊下側の最前列だった。
「珍しいな、いきなり授業の用意なんか始めて。まだ十分以上あるよ」
「違うよ、なぁ、例の島のこと、覚えてるだろ?」
「うん」
たった二文字を答える僕の声は、たぶんもう上ずっていた。
十三歳の僕らには、大人が享受してるのと同じエロを語るだけで、背徳と誇らしさの混じった興奮があった。
「俺、想像図書いてきたんだ。ほら」
馬鹿が開いたノートのページには、巨大なお椀型のまん丸の小山と、そのてっぺんの小さなドーム型の物体、その周りにいくつかの背の低い建物と、小さいが明らかに裸の女の、絵心の関係でとりあえず気を付けの姿勢で真正面を向いているのが四人。
声のトーンを落としながら、マコトが そんなことを口走った五限の前の予鈴の八秒後。
教室は六月の熱気で生暖かく、僕たちは十三歳で、どうしようもなく中一だった。
「橋本の上の兄ちゃんが高三だろ? その兄ちゃんの同級生が聞いた話らしいんだけどさ」
そんな又聞きの又聞きのような噂話は、とても簡潔だった。
学校から自転車で五分で行ける瀬戸内海、その向こうに風俗島がある。
骨子はそれだけだ。確かなことはそれだけだ。
それ以上のことなど誰も知らない。当然だ。僕らは中一なんだから。
そして それ以上のことなど確かめようもなく、それは当然のように、マコトと僕の間で脳内補完されていった。
中一のうちにしなきゃいけないことなんて、せいぜいそんなことだけだ。
次の日、野球部の朝練を終えたマコトは坊主頭に汗を光らせながら、窓から二列目の一番後ろ、自分の席に座る僕のそばへやってきた。
マコトの席は窓際最後列。クラスは女子十五人、男子十九人で、どうしても どこかは男子男子で並ばないと数が合わない。
小学校の時から好きだった石塚さんは、廊下側の最前列だった。
「珍しいな、いきなり授業の用意なんか始めて。まだ十分以上あるよ」
「違うよ、なぁ、例の島のこと、覚えてるだろ?」
「うん」
たった二文字を答える僕の声は、たぶんもう上ずっていた。
十三歳の僕らには、大人が享受してるのと同じエロを語るだけで、背徳と誇らしさの混じった興奮があった。
「俺、想像図書いてきたんだ。ほら」
馬鹿が開いたノートのページには、巨大なお椀型のまん丸の小山と、そのてっぺんの小さなドーム型の物体、その周りにいくつかの背の低い建物と、小さいが明らかに裸の女の、絵心の関係でとりあえず気を付けの姿勢で真正面を向いているのが四人。
「おい」
僕は思わず声をあげていた。
「どう?」
マコトはとても純粋な目で、十三歳の瞳で僕を見ていた。僕は正直に言って、その瞳にKOされた。
僕らにとって実際に行くことなど決してできない夢の島にせめて気持ちだけでも近付こうと彼がとった手段は、絵。
馬鹿にしながら、確かにその一枚の馬鹿みたいに下手クソな絵を呼び水に、色んな想像が頭を巡っている僕がいた。
きれいな女の人がみんな裸で暮らしていて、舟で辿り着けば一列に勢揃いしてお出迎え。もちろん裸で。
エロいことならなんでも出来る夢の島、エロアイランド。
130円、と値札シールが貼ったままの大学ノートは その最初の三ページまでしか使われておらず、きっとその島の絵を描くためにだけ、マコトはこれを買ったのだった。
「ちょっとこれ、一時間目貸しといて」
「何するんだよ」
「俺も描く」
その日、一時間目と三時間目と五時間目には僕が、二、四、六時間目にはマコトが、それぞれが描いた絵にちょっとずつ修正を加えていった。
とりあえず一時間目には、島を肌色に塗って、てっぺんのドームをピンクに塗った。
どちらかというと、マコトが描き加えた新たなシチュエーションを、僕が丁寧な線で修正するような感じだった。
手元にノートがない時でも、マコトが どんなことを描いているのか すごく気になった。
授業の内容なんて丸一日何も頭に入らなかった。
時々思い出したように手を休めては窓の外を見るマコトの目は、確かに輝いていて、それはきっと、もやの向こうの あの島を見ている瞳だった。
僕らは一緒に県内の公立高校に進学した。
当然告白なんて出来なかった石塚さんは、バスで三十分以上かかる私立高校に行った。
当然 僕らはモテないまま、僕は中学三年間続けた剣道部を辞め帰宅部、マコトは野球部と坊主頭を続けていた。
僕らは高二で、十七歳の夏だった。当然二人とも童貞だった。
近くの川の河川敷で拾わなくても、二人とも堂々と本屋のおばちゃんからエロ本を買えるような歳になっていた。
七月の教室からは瀬戸内海が見え、その向こうにはうっすらと、あの島が見えていた。
一学期最後の数学の授業が終わった。
五十分間ずっと窓の外を見ていたマコトが授業後に僕のところへ歩いてきたとき、僕はマコトの台詞がもう分かっていた。
マコトが持ち帰ったはずのあのノートのことを思い出した。
「なぁ、明日、行かないか?」
主語も目的語もなかった。マコトもきっと、僕は分かってると思っていたのだろう。
話題に出るのは半年ぶりくらいだったが、その間 忘れたことはなく、海を見るたび思い出していた。
話し合って、ゴムボートは僕が買うことにした。
港からモーターボートが出ていることも もう知っていたが、僕らは十七歳で、それは一種の強迫観念だった。
七月二十日は終業式だった。
簡単な式は午前中に滞りなく終わり、僕らは互いに一度目を合わせ、無言で それぞれの家に帰った。
交わすべき言葉はない。
僕らは もう友達ではなく、ともにこれから彼の地へ赴く戦友だった。
母親が用意した昼飯の冷や麦を馬鹿みたいにかっ込み、昨日の放課後買っておいた、まだ空気の入っていない折りたたまれたゴムボートを入れたリュックを背負った。
いま考えれば、見られたところで「海で遊ぶ」と答えれば何の問題もなかったはずだが、そのときは それを見られたら一巻の終わり、という気分だった。
約束の一時のきっかり十分前、二人は もう集合場所の砂浜に顔を揃えていた。
二人ともジーパンにTシャツという分かりやすい格好だったが、マコトはその上に、坊主頭を隠すように緑のベレー帽をかぶっていた。
真夏のそれは どう考えても不自然だったが、僕がそうであったように、マコトにも やはり余裕はなかった。
オールなんて気の利いたものは無かったから、砂浜にひっくり返って干からびている漁船の板を拝借した。
丁度いいのが一枚しかなくて、二つに割ろうかとも話したが、それでは効率が悪くなると、順番に漕ぐことに決めた。
スタート地点の砂浜からは、もう はっきりと緑色の島影が見えた。
地図で調べた距離は一キロちょっとだった。
その時 島の本当の名前も知ったけど、それはマコトには言わなかった。
僕らにとってあの島は、僕らの童貞を奪ってくれる夢の島、エロアイランドだ。それに名前なんて要らない。海は静かで、僕らは「よし」と短く声を掛け合った。
僕はリュックの中のゴムボートを取り出す。空気穴を見付け、もどかしく息を吹き込んだ。
貼り付いたゴムとゴムが邪魔をしたが、無理矢理空気を吹き込んで めりめりと剥がしていった。
膨らましながら、空気入れを持ってくれば良かったと後悔がよぎった。見かねたマコトがあとを継いでくれた。
他にすることもなく、気の遠くなる時間は その実ほんの数分だったろう。
膨らむ気配すら無かったボートはある一点を境に目に見えて大きさを増していき、やがて僕らの夢でパンパンに膨らんだ。一仕事の汗を額に浮かべ肯いて、僕らは航海を開始した。
順調だった、と思う。正直、舟の上でどんな会話を交わしたか覚えていない。ただ、島の話はほとんどしなかったことだけ、はっきり覚えている。
どんな心理だったのだろう。恥ずかしかったのもあるだろうし、今日中には あの島が現実になるのだから、いまは多くを語るべきではない、という判断もあった。
それに、現実になってしまうことを心のどこかで認めたくない、そんな臆病さもあった。
それに、中一や中二のあの頃の妄想に比べて、いまの あの島に対する想像は遥かに現実味を帯びて、それに対する一抹の淋しさもあったんだと思う。
港に着いたら裸のべっぴんさんが列になってお出迎えなど、してくれないことは分かっていた。
島がおっぱいの形をしていないことも、もう知っていた。
色々な感情に飲まれ、二人はただ、昨日のテレビのこととか、学校の先生のこととか、つまらないことをしゃべっていた。
ただ、マコトの股間だけ、たまに少し盛り上がったりしているのは、気付いたけど言わなかった。
板のオールを漕ぐ両腕だけが焦って、ボートはもう全行程の半分を過ぎている。
ずいぶん前から、半分以上は過ぎていた。
「おい」
マコトの怪訝な、焦り気味の問い掛けに、僕は一心不乱に漕いでいた手を止めた。
後ろを振り向けば僕らが出航した岸。前を見れば明らかに大きくなった緑の島。既に建物の位置まで判別出来る距離。確実に、半分は超えている。
「舟、進んでるか?」
半分を超えたまま、景色が変わっていなかった。
所詮僕らが乗っているのはモーターボートではないただのゴムボート。
潮の流れが一度変われば、たかが板切れで一生懸命漕いだところで進みはしない。
正確な目印のない凪の海。空は晴れ、日光は照りつけ、喉は渇いていく。
海面を見れば、少しずつボートは島へ向かっている。そう見えていた。
だがそれは舟が進んでいるのではなく、波が向こうから寄せてきているだけ。波が寄せれば、舟は戻る。
「どうする?」
動いていない。気付いた瞬間、足下が不確かになる。急に海が広く感じる。
このまま僕たちは、島にも岸にもたどり着けずに朽ち果てるのではないか。
何も頼るもののない海の上、頼みの綱は拾い物の木切れが一枚。僕は恐怖していた。
マコトの顔を見る。マコトの表情を見る。焦っている。考えている。真剣。
だが、僕とは違った。マコトは決して、恐れてはいなかった。彼の目に映るのは、あの夢の島。だからこんなところで恐れおののいている暇は無かった。
信念。遭難の危惧なんて微塵も感じていない。気付いてさえいない。ただ、あの島へ辿り着くための、これは単に障害でしかない。だから。
「泳ぐか?」
訊きながら、マコトは白いTシャツをもう脱ぎ始めていた。
「馬ぁ鹿」
>>次のページへ続く
丁度いいのが一枚しかなくて、二つに割ろうかとも話したが、それでは効率が悪くなると、順番に漕ぐことに決めた。
スタート地点の砂浜からは、もう はっきりと緑色の島影が見えた。
地図で調べた距離は一キロちょっとだった。
その時 島の本当の名前も知ったけど、それはマコトには言わなかった。
僕らにとってあの島は、僕らの童貞を奪ってくれる夢の島、エロアイランドだ。それに名前なんて要らない。海は静かで、僕らは「よし」と短く声を掛け合った。
僕はリュックの中のゴムボートを取り出す。空気穴を見付け、もどかしく息を吹き込んだ。
貼り付いたゴムとゴムが邪魔をしたが、無理矢理空気を吹き込んで めりめりと剥がしていった。
膨らましながら、空気入れを持ってくれば良かったと後悔がよぎった。見かねたマコトがあとを継いでくれた。
他にすることもなく、気の遠くなる時間は その実ほんの数分だったろう。
膨らむ気配すら無かったボートはある一点を境に目に見えて大きさを増していき、やがて僕らの夢でパンパンに膨らんだ。一仕事の汗を額に浮かべ肯いて、僕らは航海を開始した。
順調だった、と思う。正直、舟の上でどんな会話を交わしたか覚えていない。ただ、島の話はほとんどしなかったことだけ、はっきり覚えている。
どんな心理だったのだろう。恥ずかしかったのもあるだろうし、今日中には あの島が現実になるのだから、いまは多くを語るべきではない、という判断もあった。
それに、現実になってしまうことを心のどこかで認めたくない、そんな臆病さもあった。
それに、中一や中二のあの頃の妄想に比べて、いまの あの島に対する想像は遥かに現実味を帯びて、それに対する一抹の淋しさもあったんだと思う。
港に着いたら裸のべっぴんさんが列になってお出迎えなど、してくれないことは分かっていた。
島がおっぱいの形をしていないことも、もう知っていた。
色々な感情に飲まれ、二人はただ、昨日のテレビのこととか、学校の先生のこととか、つまらないことをしゃべっていた。
ただ、マコトの股間だけ、たまに少し盛り上がったりしているのは、気付いたけど言わなかった。
板のオールを漕ぐ両腕だけが焦って、ボートはもう全行程の半分を過ぎている。
ずいぶん前から、半分以上は過ぎていた。
「おい」
マコトの怪訝な、焦り気味の問い掛けに、僕は一心不乱に漕いでいた手を止めた。
後ろを振り向けば僕らが出航した岸。前を見れば明らかに大きくなった緑の島。既に建物の位置まで判別出来る距離。確実に、半分は超えている。
「舟、進んでるか?」
半分を超えたまま、景色が変わっていなかった。
所詮僕らが乗っているのはモーターボートではないただのゴムボート。
潮の流れが一度変われば、たかが板切れで一生懸命漕いだところで進みはしない。
正確な目印のない凪の海。空は晴れ、日光は照りつけ、喉は渇いていく。
海面を見れば、少しずつボートは島へ向かっている。そう見えていた。
だがそれは舟が進んでいるのではなく、波が向こうから寄せてきているだけ。波が寄せれば、舟は戻る。
「どうする?」
動いていない。気付いた瞬間、足下が不確かになる。急に海が広く感じる。
このまま僕たちは、島にも岸にもたどり着けずに朽ち果てるのではないか。
何も頼るもののない海の上、頼みの綱は拾い物の木切れが一枚。僕は恐怖していた。
マコトの顔を見る。マコトの表情を見る。焦っている。考えている。真剣。
だが、僕とは違った。マコトは決して、恐れてはいなかった。彼の目に映るのは、あの夢の島。だからこんなところで恐れおののいている暇は無かった。
信念。遭難の危惧なんて微塵も感じていない。気付いてさえいない。ただ、あの島へ辿り着くための、これは単に障害でしかない。だから。
「泳ぐか?」
訊きながら、マコトは白いTシャツをもう脱ぎ始めていた。
「馬ぁ鹿」
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