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身近で起きた不思議な出来事
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116 :名無しさん@宿おーぷん :2014/12/06(土)21:00:34 ID:???
今から10年ぐ起きた不議な

私が小、父が精神を病でしい家庭が崩

ただ母は気丈な人で、殴り刺そうになったのにもかかわらず寿を説して入院させ、退は「薬んと稿飲むか」とか「周りに迷惑をかないか」とかの監視として再構築をした。

ただ父が入院前に散々やらかしてので所のたく、私弟の人生は肩身の狭い思いをしてた。

学校でもヒヒソさて思春期は悲かった思出しか残ってい



の後の私の人生は「父はいなて過ごしてた。

ば結婚式海外でけで、とか

かを呼ぶと然的にばなくてはいけなくなるか

自分のテリには対に入れなと決めていた。



して月日経ち、父が亡く寿たことで私はい期み続けるら解された。性格も変わった。

当は葬儀にも出たくったが、ケジメして出た



それから、夢に父出てきた

「うわ〜たが、言わないままえるように去って行っ

それと同時に目覚めると私は枕がビッショリにならい泣いていた

、母と話す機会があった

「そういえばさ、こ間おんが夢に出てだよね」と話すと母「そさん十九日よ」と言

病む前く可愛がっくれていたのを思また泣い


118 :名無しさん@おーぷん :2014/12/08(月)10:52:08 ID:???
大学時代、友人Aの彼氏Bが一人暮らしを始めることになってみんなで引っ越しの手伝いをした。

6階建ての5階、1DKの部屋なので、引っ越しはアッと言う間に終わった。

ベランダの向こうは高い建物が全くなくて一戸建ての住宅地が広がっているので覗かれることもないしってことでカーテンは付けてなかった。

まぁいずれは付けるけど急ぐこともないって感じ。



夜10時頃まで引っ越し祝いにその部屋で飲み会やって解散した。

AはこれからはBの部屋に泊まったりするのを楽しみにしてたらしいが部屋に入れてくれたのはその後1回だけで、半月もすると外で会おうとばかり言うし部屋には全く入れてくれないらしい。

そのくせ夜遅くまで付き合わされてホテルに連れていかれることもあってホテルに行くわりには何もなく朝まで寝てることもあったらしい。

なんか余所余所しいし、部屋に入れてくれないってのが引っかかって

他に好きな女でも出来たんじゃないか、浮気してるんじゃないかって悩んでた。



それでAと私と私の彼Cの3人で夜9時頃Bの部屋に突撃したのがBが引っ越して2カ月ぐらい経った頃。

そしたらB、玄関の靴を脱いで上がった所の狭いスペースに布団を敷いてあって、私たちを迎え入れるとその布団の上にへたりこんだ。

なんか只事じゃないと思ってBを近くのファミレスに引っ張って行って話を聞いたら

引っ越した翌々日の夜、テレビを見ていたら(テレビは窓際に設置)

Bの部屋のベランダのすぐ向うを人が落ちて行ったって。そしてドサッて重いものが落ちた音も聞こえた。

飛び降りだ!と思ってビックリしてベランダに出て下を見たら誰も落ちてない。

確かに人に見えたのにって思ったけど、何も落ちてないってことは何かの見間違えだったのかと釈然としないけどそう思うしかなかった。



が、それから一週間後に又人が落ちるのを見た。音も聞こえた。

恐る恐る覗いてみたけどやっぱり何もない。

2回も同じ見間違いをするのは変だし、翌朝真下に行って調べてみたけど何も落ちていない。

変だなーと思って見上げたら、屋上の辺りから誰かが見下ろしてて

6階だから結構距離があるのに、ニヤリと笑ったのが分かったって。

その笑ったやつと目が合ったのが無茶苦茶怖くて、すぐにカーテン買いに行って取り付けた。

で、ずっとカーテン閉めっぱなしにしてた。



なのにカーテンを付けた翌々日の夜、カーテン閉めてるのに人が落ちるのが見えたって言うんだ。

話を聞いててなんか意味不明だったけど、確かにカーテンしてるのに人が落ちるのが見えたって言う。

それからもう怖くなって、リビングへのドアも閉めて、玄関で生活してたらしい。

大学出るまでは寮暮らしでいいって親に反対されたのを無視して始めた一人暮らしだったし

引っ越ししたくてもお金もないしってことでどうしていいか分からなかったって涙ぐんでた。



それでみんなでバイトしてお金貯めて引っ越すまで私の先輩の彼氏のアパートに居候させてもらってた。

お金が貯まって引っ越すときは大勢で一気に荷物を引きあげたけど、私もAも何も変なものは見たり聞いたりしなかったが

後輩のひとりだけが「なんか気味が悪い部屋だった」と言ってた。

「特に何がどうってわけじゃないし、霊感があるわけでもないけどあの部屋に入った瞬間にサブイボが出た」とか言ってて。





119 :名無しさん@おーぷん :2014/12/12(金)05:59:53 ID:???
2ヶ月に1回程の割合で、100円以内の小銭を拾う。

硬貨2〜3枚とかで拾う事が多い。

先日、10円が落ちていたので拾おうとしたら、そばに1円も落ちていた。

11円拾った。

思えば小5の時に、ソフトボールで外野を守っている途中、フライボールに追いつけずこけた場所で52円を見つけた事から始まっている気がする。

その後は地元が田舎だったため、中学より自転車通学が始まり、ペダル漕ぎ生活のまま就職で上京。

それから徒歩生活になって、また複数枚小銭を拾うようになった。

100円以上になることはほぼない。

8円とか20円とか本当に細かいお金。

家計簿に不明金が付くのがいやなので、拾った小銭は全部コンビニの募金箱に落としている。

都会は少し歩けばコンビニに当たるのでお金も拾いやすい。


123 :名無しさん@おーぷん :2015/01/03(土)02:18:08 ID:???
昭和40年台ぐらいの頃の記憶。

当時、母親は軽自動車に乗ってたんだが、ある日の夕方、映画のミストみたいな感じのすごい濃霧が出てて、田舎の田んぼ道で路肩に車輪落として立ち往生してしまった。

その時 車には俺と妹が乗ってた。

その当時にはJAFなんか無いので、誰かに助けを求めるしかなくて母も途方にくれてたんだけど、霧の中から自転車に乗ってランニング姿の爺さんが出てきて、何やら母と話してたんだけど、その爺さんが車の端っこをよっこいしょ!的な感じで持ち上げて車道に戻してくれたんだ。

俺と妹は、わーおじさんすごいありがとうと車内から歓声あげて、母も何度もその爺さんに頭下げてた。その爺さんはまた霧の中に戻っていった。

当時は気が付かなかったんだけど、その爺さんはおそらく人間じゃない。

1t近くあるような物を持ち上げられる人間なんか居ないよ。

この時の話は母も妹も記憶にあると言ってるので、夢じゃない。


124 :名無しさん@おーぷん :2015/01/13(火)22:32:18 ID:???
5年前、結婚式の席次表を作った

叔父A夫妻と叔父B夫妻を1つのテーブルにまとめたんだが

叔父Aの名前が亡くなった父の名前にすり替わっていた

亡くなった父の名前を式場スタッフに言ったことはない

亡くなった父と叔父Aの名前は読みも字の形も全く違い、間違えようがない

母と夫と私の間では「父さん、よっぽど式に出たかったんだね」ということで落ち着いた

その後まもなく叔父Aは病死したが、式のときからもう病気だったのでそれはオカルトではないと思う


125 :名さんーぷん :2015/01/18(日)11:58:45 ID:???
私の両毒親というは飲んだくれギャル好きで家に金を入れず、母は父駄目でる意もなくデデモダテで私が心つ宿ら家庭は崩気味だった。

詳細毒親スレなんにもいたがあるか省略

私が供の頃、父方の祖父母がに名前が悪名しなさいと勧めたことがあったという

の時代には普通の名前だっ画数が悪いかなんとか

・仮名)を真治しん同じく仮名)みたいな感じ

方の祖父母はう験ぎと宗教とかをする人ではないのでのときだけなんでだろうと不議に思った。

高生にって通りオカルトちものとか占いとかにもはまって、あるとき自分の名家族の名前で画数をやったらなん全員最悪。総数でこんな感

父:挫折多い人生で何一つやり遂ることなく早する

に早なれする

私:努力して成功ない

:挫折が多く人生で成功で

もちろん占いて信じもりない、父方の祖父母がきた名前で画を見とこれが全く常にいい画数

結局父は占どおりというか、周惑を掛け捲っんだ、こちは貧乏苦労

父母なんで改名を然言ってきたのかは判らない。息子の家庭が荒れ果てているでどっに拝みに行か見もらたのもしれない。





126 :名無しさん@おーぷん :2015/01/18(日)12:27:30 ID:???
125の続き

もちろん現在も名前占いのようなものを100%信じているわけではない。

ただ、似たようなことが他にもあった。

ある程度霊感があるという近所の僧侶から 普段の心がけを改めたほうがいいですよと遠回しに言われるとかみたいな。

子供の頃は私の両親は周りに現れているいろんな警告(近所の人のさりげない注意や、親戚からの助言)をなぜ読み取れないのか不思議だったのだけど多分そういうのがまったく見えない、聞こえない人だったらしい。

両親はすべてにおいて「傲慢」だったのだと思う。自分が一番、自分が正しい。他人のことなんか知ったこっちゃない

そういう生活態度がめぐりめぐって職場でも孤立、近所からも孤立、助言をする人がいても頭から否定して聞かないから誰も何も言わなくなる。

ある程度歳を重ねて経験をつむと、自分だけで何かをやれているわけでもなく まわりからささえられていると見えてくることもあり、神信心もそうですが、人に何かやれることとか感謝をすることを覚えると思うのだけど そういうことが一切ない。

だから思春期に父がなくなって怒涛のような窮乏生活になったのだけど、子供ながらに ああ、くるべきものが来たわと淡々と受け止めていた。


127 :名無しさん@ぷん2015/01/20(火)01:24:30 ID:???
歳ぐらいだった

俺の父親は出張の多事で家をることが多かった。

母親が何かの病気で手することになって、そ、一月ぐらい祖父母の家に預けられていことがった

母の 令指都市だが中央から離まだ周は田たようところ

と直ような年頃の友でよんでた



あるもの公園ったら、何かその日は誰もいなくて

あそのうるだろう、ひ調とりブランコ漕で遊でた

そしたら同じぐらいの男の子がやってき、そ・A君もひとった一緒に靴飛ばし( 立ち漕ぎしながら靴を遠く飛ばしたもん勝ちっ遊び)

そしたらA君の靴が垣向こうに行って、ても見つからない


ので家に帰るけど、ぐ近くだから俺君よって言われて一緒

こは5階てか6階建てか忘れたけど、ぐらいのい団地だっ

ーターがな階段で競争なががって行った。

最上階のA君たあとベラに出て町を見渡して「あそ沿がさっき」っ教え貰っ

りは一戸てばたからすぐ分かっての公園か辿って祖父の家も見つけた

俺んちは一戸建てだっ母の戸建だったから団地く珍くて



そのはそだけだったど、今度来屋上に連ってあげるよわれ

かワワク楽しみにしてたけど、結局の後A君と会う事はなく

父が日をに控えた夜のこと。

祖父母とんを食べなが、A君とのの話をしたら祖父母とも簿に首を傾げていた

の近に団地かないって言うんだ

あったってば。自分の足で階段駆け上がったし

ランダからも目に焼いてる



朝、父が来の間に祖父と散歩しながら近を探けど本に一戸建か2階建てのアパ ートしなかった。

そん !と思て、なか説明で きないような感情稿ってきてわーた。

結局て、母が元気になて言われら嬉んなこすっかり忘れて便



中学にた年に祖母が亡くり、そのお通夜の故か急にのこを思出して

祖父に本当に団に上っランダから町を眺めたにっ貿て話したら

祖父もその時のこてて、際のなのかからない

がるいけいと思って黙ってたけどい。

その2年も前に取り壊されてた。

地とい、ある会社の社宅だったそうだ。

の社宅で何ったのか分からないけ、取壊しになっあと しばらく少年のが出う噂はあったらしい

けどその話を聞いても俺何故か怖い”と言う感情にはならなかった。

思い出は現ったのか夢だった婿からない、俺に兄弟いなせいか、ごくしくて今思い出してもベンダから見た光景も君の笑顔してるん

思い出の一つとしておくことにした。


128 :名無しおーぷん2015/01/30(金)16:23:14 ID:???
年か一昨年くらい話。

休みにかかって来て、えのない番号だったんでしがりなも出たら母婿方の祖母だっ

西くるから不議に思っ電池切れいるんだろ通に話し

そのち私の住んでるとこに行きたいと言っていたで、了承して日に空いたらまたすると言って切った

祖母の携帯メーしてみと、な電話はしていないとい

不思に思っかかってきた電話号をメールしてると、家だた。

しかし母の実は祖母が別祖父が入っ今誰もい

母によなった曾ではないかという事だた。

曾祖母は私に会いたていたらしいが、祖父に会わせるのを避けた母は曾祖母私を度も見せる事はなかったので、会たくてたんだうなあ。

それ沿電話はかきていないが、ある時一人で映画見に行ら、誰もいないのにに誰っていたような感覚がた。映が終わるれはえていた

てた祖母だと思ってい




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