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他の歴史世界から来たと自称する男に会いました
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29 :オーバーテクナナシー:2008/08/01(金) 02:12:42 ID:sntD3KoD
「日本列島は完全に独ソ陣営の境界地域に属したといって差し支えないだろう。

休戦条約締結以降 現在に至るまで日本は断続的な内戦状態にある。

それはおそらく日本の歴史上最悪の状況だ、日本が他国の干渉を受けずやっていた時代があったなんて全く信じられないよ。


今、日本列島は本州の柏崎-銚子の線を境に北と南に分断されている。

私が居た北側は篠原一族が親ソ傀儡政権を牛耳っている。

奴等とモスクワ中央政府の画策によって国民全員が農耕を強いられ、反抗する者は樺太の強制収容所に連れてかれる。

優秀な技術者や高官以外の一般人民は共同長家で暮らしている。

恒常的な飢えや物資不足で、行政官や風紀委員の目を逃れて闇市で飢えをしのいでた。

あの頃は毎日ジャガイモ数個と僅かなコウリャンで家族4人が暮らしてたんだ、全くやってられなかったよ。

なのに政府の役人どもはデカく酷い煙を吹かしまくる車に乗り、専用の食糧市場で買い物が出来て専用の高層住宅に住んでた。全く共産主義が聞いて呆れるよ。

小学校の時からマルクスと共産闘争詩をさんざん読まされたが、あの精神はどこいっちまったんだ!って感じだったよ。


南側はまったくわからないが もっと酷いと聞いている。

何しろユダヤ人の完全絶滅を1962年に達成したナチスは その鉾先を他の有色人種に向けられている。

ドイツ軍に最後まで抵抗した日本人はやはり駆除の対象にされちまった。

今では日本にも絶滅工場が設置され、また医療研究開発と称して多くの日本人が人体実験に与されているらしい。

12年前の兵役時には前線の向こう側のドイツ軍陣地に何千人もの日本人がぼろを着て苦役に従事しているのが見えた、それに較べるとまだ東側の方がマシなのかも知れんがな。


34 :オーバーテクナナシー:2008/08/02(土) 22:24:15 ID:26PXEIr2
日本という国はいい歴史を持っているな

守っていきたいもんだ





35 :ーバクナナシー:2008/08/03(日) 14:56:47 ID:ItM0q+Fs
もパラレルワー簿きたい!


42 :オーバーテクナナシー:2008/08/05(火) 01:30:10 ID:hy0iecU7
1です。

すいません、この週末は家族サービスで出かけておりまして、投稿する時間が取れませんでした。

続きを記します。


「とにかく私達の社会では監視の目をかいくぐって、東北県で地下組織を作っている。多分 全世界に似た組織が有る事だろう。

私が参加していた組織「グスコーブドリ」は表面上は昔の農作や史書を調査して農業に役立てる名目の民間団体だが実体は他社会の情報収集と連絡を試みる事にあった。

手製の無線送受機を使って どうやら日本全土と、少なくとも朝鮮にも同様の組織が多く存在しているらしい事が分かってきた。


そして、組織の首領だった曾根崎という男は全世界的な地下組織の連絡網を築く事でモスクワ中央政府を打倒する事ができ、世界を解放に導けると語ったよ。

そこで各地下組織とは、無線による断続的な交信だけでなく密使を遣わして具体的な連携を図る計画が立てられた。

そして、私に白羽の矢が立ったのだ。密使には私の他にも何人か選ばれた。

私達はそれぞれ別の場所へ赴く事になった。

私の赴く場所はペトロパブロフスクだった。クリル列島をつたってカムチャツカ半島へ行く船便に乗るのだ。

しかし旅行の許可を得るには幾つもの資格承認と許可証の発行、またその為の代償労働をする為に鉱山や土木作業場へ行かねばならなかった。

4年かかって、ようやくペトロパブロフスク・カムチャツキーへの渡航許可が降りた。

私は1996年の4月14日に、たかだか2千トンしかなさそうなボロ連絡船に乗り、石巻港を出た。

しかし港を出てから12時間もしない内に三陸沖辺りでドイツ軍の潜水艦に狙われたようだった。

私はその時 甲板に出ていたんだが すぐに船内放送があり、全員が船内に退避するよう命令された。

しかし私は、どこに潜水艦がいるのか確かめようと手すりに掴まって海をよく覗こうとした。

その時にいきなり船尾で爆発が起こり、その衝撃で私は海に投げ出されてしまった。

覚えているのは海に頭が突っ込む所までで、それ以降は全く記憶に無い。

気付いたら八戸に程近い浜辺に打ち上げられていた。

そして、そこは今ある世界だったんだよ。


43 :オーバーテクナナシー:2008/08/05(火) 01:32:59 ID:hy0iecU7
「私は病院に入れられた後、この世界の警察に引き取られた。

私は病院の医師や警察官にこの事を話したが、全く相手にされなかった。

この世界の警察官は あの世界に較べると遥かに丁寧だったが、同時に頑迷だった。


私は名前のみ覚えている記憶喪失者と見なされ、社会訓練施設に入れられた。

白痴や素行不良者と一緒に扱われ、この世界の事を学んだ。

この世界は第二次大戦でドイツとソ連が協定を結ぶ代りにソ連が米国と連係して連合軍を形成し、ナチスドイツを敗退させたようだな。それは正しい選択だったと思う。


しかしこの世界でも同じように冷戦があった。

しかしあの世界と異なり この世界では冷戦がソ連の崩壊を助長させる原因だったと思う。

共産圏の人民にとっては他人の芝生が さぞ青く見えた事だろう。

あの世界の私達は そんな事は思わなかった、どちらの芝生も枯れていた。

そして何を革命の為の指針にすべきか全く分からないまま地下活動を続けているんだ。

だから独ソ冷戦構造は揺るがない。独ソの指導者達は冷戦を続けるフリをしてバーターで それぞれの既得利益を貪り続けているんだ。

それがどれだけ絶望的な事か分かるかい?


44 :オーバーテクナナシー:2008/08/05(火) 01:37:48 ID:hy0iecU7
「私はあの世界と この世界を分ける歴史の分岐点はどこだったか調べたよ。

要因の一つは日露戦争にあったろう。

こちらの世界では日本は戦争に勝ち、その後 中国大陸に地歩を置いてアジアに勢力を保ち得たお陰で、第二次大戦に能動的に参戦し、敗退して後も戦前のノウハウを生かして戦後復興を成し遂げたんだ。

こんなに繁栄しているとは今でも信じられないな。これで不況だとか言っている奴は そうとうな怠け者だと思うよ。


他の分岐点は おそらく20世紀に入ってからの米国やロシアの振る舞いにあるだろう。

なぜ こちらの世界ではロシア革命が1921年では無く1917年だったのか、米国の第二次大戦時の大統領がウィルキーではなくルーズベルトなのか、まだ分からない。

ただ一つ言えるのは米国の勝利は世界人民にとって福音であったと言う事だ。

昨今のテロや戦争は米国が結局のところ、ナチスドイツやソ連と何ら変らない本質を抱えている事を示唆しているが、少なくとも米国が表向き標榜する自由民主主義は世界人民の大多数が支持する所だろう。

自由民主主義は誰もが自由な意思と行動を保ち、また尊重し合っていける。

あの世界では全てが逆で、世界人民の大多数が抑圧され、思想と行動を制限され、誰もが互いの意見を尊重していない。

密告が通例であり 暗黙の内にリンチや暗殺が日常茶飯事になっている。大多数が飢え、富はごく一部の人間に握られている。

だから本当に この世界に来て良かったと思う。

ただ、気掛かりなのは私の妻と子供二人があの世界に置き去りだという事だ。

多分 私はあの連絡船攻撃で死んだと伝えられているだろう。それがあの状況では当然だからだ。

だけど出来れば私の家族をこの世界に連れて来たいと願っている。

だから今は貿易会社のつてでロシアにある某物理研究所と連絡を取っている。

そこは、量子宇宙物理学を専門で研究しているそうだ。

研究所の所員にいきさつを話すと、私の話は信じられないと言ったが巨視レベルで異なる時空連続体と情報を伝達する事は可能だそうで、その先の話は私には理解出来なかったが、どうやら見込みはありそうなのは分かった。

しかし、もしあの世界と連絡が取る技術が開発されるにしても、完成までに何年もかかるだろう。しかし私にはそれ以外に待つべきものが無い。一生かかっても待つよ。」





46 :オーーテナナシー:2008/08/05(火) 08:32:46 ID:h/0Hgig6
戦争で どんな方をしんだろう

20を取れなかチック艦隊倒せなかった

もそも日本国が暴れて争できなかった

とすと三(臥薪使かったのかな


69 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 17:41:51 ID:GmaPgA55
1です。

すいません、盆休みで実家に帰ってたり、その後急に仕事が忙しくなったりしたので・・・

とにかく、話を聞いた後にちょっと質問をしていましたので、少し編集して載せようと思います。



Q「あちらではどんな仕事をしていたのですか?」


A「中等学校を卒業して、兵役までは岩石採掘の助手をしていた。

除隊してからは花巻にある集団農場で働いていたが、ドイツ軍爆撃機によって岩手山から駒ヶ岳にかけての要塞が爆撃されて以来、宮城の集団農場に合流して作業していた。」


Q「科学技術は どの程度発達していたのですか?」


A「各家庭に一台は電話器やラジオを設置する義務があって、そのラジオは辞書と同じ位の大きさだった。電話は手回し式だったな。

TVはある程度 義務奉仕をすれば供給されるが、白黒で画面も小さかった。

宮城第4区集団農場の管理舎では電算機が置いてあったが、この世界の電卓程度の性能で大きさはこちらのパソコン位だった。

兵役では、結構複雑な通信装置を扱わせてもらえたよ。

農場用肥料の改良は農場の裁可でしょっちゅうしていたが、中央から送られてくる作物の種や苗は、中央で遺伝子改良されたものだと教えられた。


あと、中等学校の映像講習で、月を探検するソ連宇宙飛行士の映像を見た。

詳しくは教えてくれなかったがドイツでも月宇宙船を開発していたらしい。

宇宙開発競争の結果、ソ連が1968年10月14日に人類初の月面着陸を成し遂げたとあるが地下組織内の噂では、独ソとも月面着陸を成し遂げてないそうだ。

だからこの世界でも米国が月面着陸を成し遂げたそうだが、実はウソかも知れないよ。」


70 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 17:48:18 ID:GmaPgA55
Q「娯楽はどうしていたのですか?」


A「普段は、家族でラジオや、農場で働き始めて5年目に勤労褒賞として供給されたTVを見て過ごしている。

TV番組は集団劇とか、労働歌謡とか、紀行番組とかをやっていた。

中でも一番は、偉大なる革命家篠原一族の喧伝番組だよ。

この世界ではTV局が幾つもあるし、コメディ番組を初めて見た時はビックリしたよ。子供に見せてやりたかった。


時々、農場組合の誘いで集団運動会をやる事もあった。いずれも単調な運動で、サッカーとか野球なんかは試合をするのに人民局の許可が必要だったな。

あと一年に一回、篠原知治(シノハラ・トモハル)国家主席の誕生日に人民最大の祝賀を行わなければならず

農場の管理長が、これは娯楽だから楽しんで祝えと言ってくれたよ。

何で主席の来ない仙台の大通りで行進する事が娯楽なんだ?って思ったね。」


Q「兵役はどんな感じでしたか?」


A「私は人民陸軍第四方面軍団に配属されて、1年の基礎訓練をしてから第三機械科部隊で装甲車の操縦士になった。といっても操縦助手みたいなもんだが

兵役が終わる頃にはT72戦車に乗せてもらった事もある。

基礎練の時は かなりきつかった。中等学校の頃に軍事教練の時間があって模擬戦なんかもやったけど、それとは比べようもなかった。

少し遅れたりすると教官が平棒で思い切り腹や背中を叩くんだ。

上官に口答えなどしようものなら平棒の面でない方で頭や顔を叩くんだ、とすると顔中から血を吹き出して殆ど死んだようになって動かなくなる。

基礎練中に部隊から失踪した奴は数知れんよ。

演習中に逃げ出した兵士を捜索して射殺する山狩りに参加した事もある。


しかし、「グスコーブドリ」のシンパと初めて接触したのも会津の基礎訓練所だった。

部隊の士官は結構多くが、諏訪少尉も含めて実はこういった組織の細胞だったらしいんだ。

最初に配備されたのは八郷の駐屯地だった。

何度か筑波山要塞から前線中立地帯へ偵察に行って、ドイツ軍の特殊工作部隊と何度か交戦した事もある。

いやドイツ軍といっても実際は薬で洗脳されたみたいに濁った目をした東洋人兵士ばかりだったが。

頭にプラグみたいなものを付けた捕虜を見た事もある。どっちの軍がやったかは分からんが。」


71 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 18:00:10 ID:CMlS5WHH
1です。

そういえば、彼と話していた時に

彼の乗った船が潜水艦で攻撃された時に受けたという左腕の傷と上椀部の、兵役時に敵の銃で撃たれたという傷跡を見せてもらいました。

首筋にも白兵戦時にナイフで切られた(と称する)傷もありました。

また右腕にはキリル文字と数字が彫り込まれた奇妙な入れ墨もありました。

確かцяеа-12448066-1988とありました。


彼によると、これは北日本政府がその国民全員に付ける社会登録番号だそうで、цяеа(ツェー・ヤー・イェー・アー)は彼が生まれた地域記号、12448066は彼の地域内登録番号、最後の1988は彼が兵役に入った時にその初年(1988年)が刻まれるそうです。


これが南日本になると、腕にこちらのバーコードにあたる同心円の入れ墨が入るそうで、あちらの全世界全ての政府は このような非支配階級の管理方法を取っているそうです。

最も、彼はただのヤクザ上がりの男であり、彼がでっち上げたこれらの話に真実味を持たせる為に自ら入れ墨を入れたのかも知れませんが・・・


結局、彼とは、例のバーで3回位会ったきり、会っていません。

最後に会った時に彼は、ロシアに長期出張に行くと言っていた気がします。


あの後で、色々調べてみようとも思ったのですが自分が急に忙しくなってしまったので、結局何もしませんでした。

ひょっとしたら、彼が八戸で助けられたと言う頃の、該当する地方の新聞に何かその事に付いて記事が載っているのかも知れませんが調べてはいません。


しかし、彼の話す内容は何故か説得力に満ち、真実味がありました。

そして彼の話が万一、真実だったら、と思うと戦慄を禁じ得ず、同時に私達がいる社会が非常にあやふやな、不安定な土台の元に立っているように感じられてなりません。




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