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記憶を消せる女の子の話
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147 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)21:17:40 ID:pIU(主)
「あーあ、さらに可哀想になるじゃないか」

あの男は血が垂れるナイフを弄び、けらけらと笑う。

俺はもう一度灯の手を引く。強引に走り出す。

灯は転んでしまった。立ち上がろうとしない。このままでは殺される。

手を強く引く。立ってくれと叫ぶ。あの男はゆっくりと近づいてくる。

俺はまた、泣くだけなのか?




148 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)21:20:51 ID:pIU(主)
灯の父は立ち上がった。生命の最後の一滴を振り絞って、灯を庇う。

鮮血は青空に届くことなく、ぽたりぽたりとナイフと体の間で滴り落ちた。

灯の父はあの男の手をナイフごと掴んでいた。あの男はナイフを引き抜こうと、ぐりぐりと内臓をかき回す。

痛みに喘ぎながらも決して、灯の父は手を離さなかった。

大柄な男が、第二の通り魔を取り押さえる。すると、続々と大人が駆け寄ってきた。




149 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)21:40:39 ID:pIU(主)
灯の母は血だらけの夫を見ると、がくりと膝から崩れ落ちた。

放心した様子で、涙を流しもせず、声を殺してぶつぶつと何かを言っている。

灯の父は救急隊員に運ばれていく。

俺と灯は立ち上がることもできなくて、ただ呆然と見送った。





150 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)21:47:00 ID:pIU(主)
父から引きはがされた灯は、体操座りをして泣き続けていた。

俺は灯に手を伸ばす。なにもできなかった俺は、彼女の手を握る権利もない。

けれども、灯が俺にしてくれたように、血だらけの手を強く握った。

今、俺にできることはこれだけだ。






151 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)21:57:03 ID:pIU(主)
薄い雲がかかる優しい青空で、太陽は虹色の輪を纏っている――ハロ現象だ。

灯もそれに気づいたようで、泣き腫らした顔で空を見上げる。

繊細な睫毛は大粒の涙を抱えきれなくて、頬にはらりと零してしまった。

灯はその涙を拭わない。ただ恋をしたように、ハロ現象に目を奪われていた。

どうして俺達はこう、どうしようもなく嫌なときに限って、どうしようもなく美しい景色ばかりを目にするんだろう。




152 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)22:04:03 ID:pIU(主)
俺は父さんが死んでしまったと知った時よりも、もっと強く思った。

いや、願った、という言葉の方が正しい。

灯と、灯の家族を傷つけてしまったのは俺のあの思いのせいだ。

憎しみや恨み、殺したいという黒く醜い感情。

それが第二の通り魔を俺に呼び寄せた原因だ。

だから俺は、こんなに悲しくてやりきれなくて、忘れたくなるような記憶をずっと憶えていく。

その上で、憎まずに恨まずに、殺したいと思わずに、黒い感情に逃げることなく、誰かをその分の力で幸せにしないといけない。




153 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)22:20:47 ID:pIU(主)
俺にそんな権利も資格もないけれど、せめて、俺が傷つけてしまった、灯だけは。

目を瞑って、太陽が纏っている虹色の輪に祈る。どうしようもなく綺麗な現象に祈る。

どうか、辛い記憶も悲しい記憶も、全部憶えたままでいさせてください。

そしてなにより、灯を――。




154 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)22:25:46 ID:pIU(主)
目を開けると、灯は何かに祈るように、指と指を絡み合わせていた。

俺と灯の手は、いつ離れてしまったのだろう。

そして、灯は目を開く。

「なんで私、泣いてるんだっけ」




155 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)22:37:06 ID:pIU(主)
あのあと俺を保護した警察官は、俺の身の上に同情し、様々なことを教えてくれた。

またいろいろ教えて欲しければ、電話かけてきて。

と、電話番号が書かれている紙切れをわたしてくれた。




156 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)22:46:38 ID:pIU(主)
俺は灯や灯の家族の状況を知るために、何度か電話をした。

灯の父は死んでしまって、そのせいで灯の母は精神をいたく病んでしまったらしい。

そして灯は、不思議な記憶障害に陥っているというのだ。




157 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)22:52:26 ID:pIU(主)
ある範囲だけが切り取られたように、記憶がなくなっている。

そしてその範囲は、父との記憶だ。

単身赴任していること以外をきれいさっぱり忘れてしまっている。

もちろん、あの事件のことも。






158 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)22:59:20 ID:pIU(主)
会いに行かなきゃいけないと思った。

好きだから会いに行く、と言う資格は俺にはない。

ただ償う資格はあるはずだ。

灯を幸せにすることが俺の償いであって願いだから。




159 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)23:00:00 ID:pIU(主)
辛いけれど、忘れてしまっては駄目なんだ。

あんなにも優しいお父さんの記憶を失くして生きていても、それは灯にとって幸せじゃない。

お前が灯の幸せを決めるべきじゃない、独善的で傲慢なことをするな、と言われても仕方がない。

それでも、あの涙を目にしたら誰もが俺と同じことを思うはずだ。




160 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)23:05:42 ID:pIU(主)
警察官から言伝で聞いた住所を俺は完全に記憶していた。

警察官と話したことも、そしてそのとき何を考えていたかということも。

そして、あの通り魔事件のとき、父さんと話したことも、灯の家族と話したことも、温度や喧騒、鳥居の僅かにくすんだ朱色だって覚えている。




161 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)23:09:56 ID:pIU(主)
もちろん、灯が繋いでくれた手の暖かさや、その時の思いだって全部、取りこぼすことなく覚えている。

あの現象には不思議な力があるらしい。

だったら、もう一つの願いも叶えてくれよ。




162 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)23:10:52 ID:pIU(主)
灯の家のインターフォンを押す。数十秒の後、女の人が出て来た。

灯の母なのか……?

人が変わってしまっていた。

瞳に光はなく、痩せこけた頬と、一気に増えた皺が世界の全てに関心を失くしてしまった、世捨て人を思わせる。




163 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)23:21:33 ID:pIU(主)
「灯、さんは?」

「……さぁ。もう、私たちの前に現れないでくれるかしら、疲れているの」

俺は追い返された。

俺は一人の人間を壊してしまったんだ。

結局、灯に会うことはできなかった。




164 :名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)23:32:24 ID:pIU(主)
「あれから何年も聞き込み調査をした。

でも誰も灯のことを知らないんだ。

名前すら知らないのは、どうしたっておかしいだろ? 

中学に上がった時、俺は他校の生徒と積極的に交流を持った。灯を探すために。

やる気のない俺からは想像できないだろうが、人脈確保のためにバスケ部に入ったんだ。

リア充カーストを演じてお前の名前を他校の奴らに訊きまくった。

断じてストーカーじゃない。

まぁ結局全部失敗したけど」





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カテゴリー:読み物  |  タグ:青春,
 


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